親友(10)
「はぁ、僕って……」
脱線しかけた気持ちを何とか必死で切り替える。
僕は今回遙の代理でこのイエンに降りているのだから、何がこの村に起きているのかを確かめる為に、
先ずは考えをキチンと整理しておかないと。
「アビ、ちょっと聞いてくれる?」
「キュッ!」
いつもしている様にアビの前脚に手を差し入れて抱き上げると、アビもまた普段と同じ様に器用に、
僕の膝の上に腰を下ろして、耳を傾ける。
そうして僕は、自分の見解を一生懸命アビに伝え、物事を整理する作業を始めた。
だから昼間の一軒で僕の子分となった要が(天誅を下した相手は、男女問わず自動的に子分と見做すのが、
僕の習わしだ)その部屋にやってきたとき、僕はちょうど、アビ相手に真剣に喋っている真最中だった。
「お前、アビ相手に何真面目に喋ってるんだ?」
突然の台詞に慌てて背後を振り返り、そこに枕を抱えて立っている要を見つける。
「要、ドア開ける時には声掛けてよー」
焦る僕の様子に動じる事も無く要は、そのままの姿勢で固まってしまった僕に、意地悪な言葉を投げつける。
「他の人に見られたらお前、危ない奴だと思われるぞ」
その意地の悪い言葉に、無意識にアビを抱き上げていた手に、力が入る。
「ギューゥ!」
「?」
「わっ! アビ!」
アビの上げた変な声に僕は慌てて、アビを床に下ろす。
アビは長くフサフサした自慢の尻尾を、左右の床に数回勢い良く打ち付けると『じとん』と
恨めしげな瞳で僕達二人を見上げた後、小さく抗議をするかの様に鳴いた。
「えっ?俺もかよー」
要の心外そうな声にアビは思いっきり、首を立てに振る。
「キュッ!」
「そんなに怒るなよ、な?」
急に慌てる要の様子が何とも可笑しくて、思わず僕は吹き出してしまう。
「あ! 何笑ってる瞭!」
「だって要だって真剣じゃないか。あっはっはっ」
僕の笑いはやがて要に伝染して、文字通り、涙が出る程二人して笑い合った。
それは階下から綺菜が大声で怒鳴るまで続いて。
「ふうー俺の姉貴は怖いからなー」
「そう? 僕ん家も怒ると凄く怖いけどな」
布団に潜った後でも、僕達は声を潜めてお互いの話を沢山、した。
「へっー瞭も姉ちゃん居るのか。けどお前の姉貴なら凄く綺麗だろうな」
「うん! 凄く、凄く綺麗だよ。僕、あの人が大好きなんだ」
遙の性別を、実際に誰も突き詰めて確認した事が無いので、本当の性別は未だに判らない。
不思議な事に遙の姿は、遙を見た側が男性ならば女性に、女性が見れば男性に見えるのだ。
稀に例外も有るけれど、己の理想像を投影した遙の容姿に、殆どの人がまず眼を奪われる。
それから厳しいけれど、とても優しい性格に。或いは明るい良く通る澄んだ声に。
そして見た人全てを魅了してしまう程、鮮やかなその微笑に。
気付いた時には大概の人間は皆、容姿だけではなく、遙そのものに心を奪われてしまっている。
けれど僕は、そんな見せ掛けの遙が好きな訳じゃなく……。
「けっ良く言うよ。綺菜だって結構美人なんだぞ。それに俺だって綺菜が大好きだし」
要の憮然とした声に僕は一瞬逸れかけた思考を元に戻すと、負けじと遙の自慢を続けた。
そのままどれ位時間が過ぎただろうか。お互いの果て無き身内自慢が延々と続いた後、真顔で要が呟いた。
「瞭、綺菜に惚れるなよ。姉貴は俺のもんだからなー」
「要こそ遙に惚れるなよー」
軽く切り返したつもりが
「遙?」
(あ! しまった。偽名を使う筈だったのに、つい遙の名前を口に出してしまった!)
遙の名前を聞いた途端、急に黙り込んだ要の様子に、僕は最悪の状況を予感する。
(瞭に遙だ。幾ら鈍い要でも、今度こそ僕達の正体に気付いたよね)
何とか誤魔化さなきゃ、と焦る僕に、要の一言が胸に突き刺さる。
「……お前の両親って本っっ当に名付のセンス無いなぁ」
「!」(えーえーそうでした。芋の子の様に有り触れた名前ですから!)
違う意味でショックを受けた僕を、勘違いしたらしい要が宥めにかかる。
「本当の事だろー。機嫌直せよ」
笑いながら喋る要の態度に、僕は軽く肘鉄を喰らわす。
後はお決まり事のように、そこからじゃれ合いがはじまった。
「要、瞭!」
今度こそ階下から上ってきた綺菜に本気で叱られた後は、二人揃って綺菜から頭に小さな瘤を貰った。
けれど僕は、綺菜に叱られた事すら凄く楽しかったし、要もそれは同じ様だった。
「……案外、綺菜って遙に似てるかも」
「えー? そうなのか?」
綺菜に押し込められた布団の中、僕達は互いに眠気と戦いながら喋り続ける。
「どんなところが?」
「うーん。何処って……」
二人の共通点は漠然とした『何か』で、その『何か』を、言葉にするのはとても難しい。
僕は天井を睨んで一生懸命言葉を捜したが、やはり当てはまる言葉は一つも思い浮かばなかった。
「ごめん、良く解らないや」
「……」
「要?」
途切れた返事の代わりに、健康的な寝息が僕の耳に聞こえた。
「ちぇっ。もう寝たのか」
まだまだ色んな事が喋りたいのに……。けれど要の規則正しい寝息につられて程なく、僕の瞼も下りてくる。
「お休み」
夢の中で僕は遙に、とても嬉しそうに今夜の出来事を報告した。
『ねぇ聞いて。僕に親友が出来たんだ』
……そうして、この夜の出来事は、何時までも僕の心の中で大切な思い出となった。