帰還の日
平原の彼方に彼方に青白い稲光が天空を貫いて輝くのを認め、魔術師たちは歓声を上げた。
「成功だ・・・!」
「国王陛下に奏上せよ!」
「大公家へ使い魔を飛ばせ」
日頃沈着なはずの魔術師たちが浮き立つのを眺めて、王宮魔術師団長クルト・アーデルベルト・ヒルシュは「やれやれ」と安堵とも苦笑ともつかない息を漏らした。
「ヒルシュ男爵、おめでとうございます」
隣に立った近衛騎士の制服を着た長身の男がそう声を発した。ゲアハルト・ヴィクトール・クラウス・ライヒである。
「ヴィクトール、本当にそう思うかね」
「・・・陛下は少なくともお喜びになる」
「大公家への使いには何と?」
「明日の謁見を伝えてあります」
明日か、とヒルシュは反射的に左の頬を撫でた。
「治癒術者たちを揃えておこう」
「それがよろしいかと」
「レイン様として謁見なさるならまだいいのだが」
「鉄拳制裁の可能性を考えれば、レイン様の方が被害は少なくて済みますからね」
「レインフォード殿下として、であろうな、きっと」
「おそらくは」
アレクサンテリ大公家令息レインフォードは、その中性的な美貌のみならず、卓越した戦術においても、また詠唱も陣も用いず術を発動させ得る高過ぎる魔力とで、王宮の文官武官とを問わず、高い尊敬を勝ち得ていた。
ただし、王族の近くに侍ることを許された高官たちは、その限りではない。
強過ぎる魔力の持ち主は往々にして、自我もまた強烈である。魔力と生命エネルギーとがイコールであるこの世界において、それは当然の理。
シュルヴェステルの双璧と称される王太子エセルバートと第二位王位継承者レインフォードとは、一方を「炎のエセルバート」もう一方を「嵐のレインフォード」と綽名される気性の激しさまでも双璧を成していた。
その「嵐のレインフォード」が、この召喚に対してどういう反応を見せるか、考えるだけでも寒気がする。
界を渡ったときのレインの言葉を、ヒルシュはまだ忘れてはいなかった。
──エセルがいる。この国の王太子はエセルだ。エセルが王では諸国に対抗できないというのは己の外交能力の欠如を誤魔化す言い訳に過ぎぬ
数多の高官たち──無論、民草に比べれば遥かに高い魔力を誇る集団──が震えあがるほどの勢いで、謁見室の半分を吹き飛ばし、王位継承を促す彼等への怒りを露わにした。
「王太子殿下が王となられたという召喚であるならばまだしも。このような有様では」
「やはり結界を施しておいたほうがよろしいのでは?」
「レイン様のお怒りの前に、我等が結界など文鳥の籠じゃ」
シュルヴェステル王国は、未だ王位継承問題に揺れていた。
「それは祝着至極。到達地点は予定通りか?」
玉座の前に跪いた使者は「仰せの通り、大公家の領地内、狩の草原とみえます」そう、きびきびした言葉で告げる。
「レインの機嫌はいかがか」
王の言葉に使者は戸惑ったように「は・・・レ、レインフォード様におかれましては、現在のところまだ居城にお入りになってはおられませぬゆえ、御機嫌までは・・・申し訳ございません」と平伏した。
「ああ、よい・・・あれの機嫌が良いはずはない」
「大公家の執事殿より、居城にお入りになられましたらすぐに連絡が来る手筈となっておりますゆえ、いましばらくのお待ちを」
「・・・アドキンス。気の毒な役回りをさせた」
死にはすまい、と国王が呟いた物騒な一言は幸い使者の耳には入らなかった。
使者が退出したあと国王は再び独言する。「ヒルシュが何も言ってこぬということは・・・二人の召喚が成功した、ということか」
玉座から見える窓の向こうには、急激に黒い雲が盛りあがり始めていた。
凄まじき力が世界をこじ開けて入ってきたことを感じ、彼女は眼を瞠った。
「レインか? いや、レインだけではない・・・もう一つは・・・」
シュルヴェステル王家より、連絡は受けていた。
彼女の即位に際し強く支持を表明し、継承戦争に王位継承順位第二位である「嵐のレインフォード」の出兵までも許したシュルヴェステル王国は、友好国という以上の存在である。
よってこの国は、大公家が界渡りをしたことを知らされた唯一の国でもあった。
「面白い気をしておる」
レインの帰還が叶ったということならば、近々連絡が入るに違いない、と彼女は考えた。
そのときにこの「もうひとつ」への対面も適うであろう。
この尋常ならざる気に、他国の王ならいざしらず、この自分が気付かぬとはよもやシュルヴェステルの国王も思いはすまい。
──あのハゲがいくら阿呆でも
彼女は、シュルヴェステル王の優柔不断ぶりにほとほと呆れ果てていた。友好国として敬意は表するが、レインや王太子に対するほどの親しみを国王に対しては感じない。
なので、彼女としてはとっとと王太子が即位すればよい、と他人事ながら思うのだ。
──そしてレインは妾が妻とする
うんうん、と彼女は満足げに頷いた。妻でも夫でもどっちでも構わないアバウトな伴侶の決め方なのは、彼女が魔族だからである。
齢292歳。魔の国の女王は、魔城から狩人のごとき殺気を立ち上らせた。
ぞくりと背中に悪寒を感じたレインフォードは、外套の襟をきつく合わせた。
「・・・面倒だ」
自分ひとりだけを召喚されたのならば、とっくに昨日のうちに王城に転移してどいつもこいつも破壊してやってもよかった。
こうして早朝から男性体に変異して、臣下の礼をとって馬車で王宮に向かっているのは、ひとえに「アレクサンテリ大公」への配慮ゆえである。
なぜ自分だけでなく環まで召喚されたのか。
その真意を確かめないうちは、思い切ったことは出来ない、と判断した。
「ああ・・・面倒だ」
昨夜からまとわりつくピンク色の「気」が鬱陶しく、レインはひどく苛立っている。
いくつもある界渡りの理由の一つは、間違いなくこれだった。
当代の魔王は、王として、外交交渉の相手として申し分ない。その点においてレインは彼女を認めている。
優れた王である。親政の手腕だけなら。
問題は、たったひとつ。そしてそれが大問題なのである。
「くそ・・・あのハゲだけはぶっとばす」
姪が魔王(女性体)に熱烈に求愛されていると知りながらこの世界に呼び戻す伯父がいったいどこにいる、とレインはぶつぶつこぼした。
腕組みをして王太子エセルバートは窓の外を眺めていた。
「レインが近づいてきた」
「さようで」
楽しげにエセルバートは「ヴィクトール、ひとまず安心するが良い」と言って口の端を上げる。
「は?」
「レインは、陛下を殴りはしてもそなたらを殴るつもりはないようだぞ」
シュルヴェステルの双璧、と言われるのは何も並び称される能力からだけではない。エセルバートとレインの間には、心を読み合う回路のようなものが開いている。
意識的にその回路を閉じるとエセルバートは「出かける」と言った。
「殿下。謁見の間には・・・」
「行く必要はない」
きっぱりと王太子エセルバートは言った。
「しかし・・・」
「陛下とレインの間で取り決めはなされよう。私の出る幕はない」
外套を羽織ったエセルバートは「そうだ」とヴィクトールに向き直った。
「ヒルシュに申しつけて、結界を強めてやれ。昨夜からあの女につきまとわれて疲れ果てているようだから」
「あの女」が誰なのかヴィクトールはもちろん知らないはずだが、それを隠して「御意」とだけ言って下がった。
──魔国との友好に傷をつけるつもりか
かつて自分が言った台詞を思い出す。
それに応じたレインの台詞も。
──魔族の仕業なら彼女も知っているべきだ、そうは思わないの?
思わなかったし、今も思っていない。
彼女が知れば、奪われてしまう。
「レインはさっさと嫁に行けばいいと思う」
本人が知れば頭を掻き毟って抵抗するに違いない口癖を呟いて、エセルバートはふわりとスカートを揺らして転移した。