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ファースト・レッスン

気がついたのは私の部屋ということになっている最初に通された部屋だった。

淡いベージュで統一された落ち着いた色調の部屋(ただし調度はいろいろと豪華)の、無駄に寝心地の良いふかふかの、天蓋付きのベッドの上で。


天蓋付きといってもびろうどのずっしりと重苦しいものではなく、シルクのような薄物がはらりとかかっている、どちらかといえばシンプルなものであるのが救いだ。


「気がついた?」

「・・・ん」


聞き慣れた姉の声で私は身を起こした。


「変な夢見ちゃった。お姉ちゃんがイケメンで王子様で」

「夢じゃないわよ、それ」

「・・・・・・」


私はこめかみに指を当てた。頭が痛くなりそうだ。


「あのねお姉ちゃん」

「ん?」

「ここが異世界だということは受け入れます。受け入れました。アドキンスさんもエイダさんも、聴こえてくる声と唇の動きが違うもの。お姉ちゃんの言った通り。魔術か何かで私の理解しやすい言葉に変換してるのよね? スノードームも、確かに物理的に理解出来る種も仕掛けもないのだから、お姉ちゃんの言うとおり、魔術で雪が降り続いているのよね? でも・・・でもね、お願いだから・・・こう・・・異世界から来たばかりの、何も知らない私の常識を慮った言動を心がけてくれないかしら」


ベッドサイドの肘掛椅子に座って、右肘を立てた姉は面白そうに「例えば?」と言った。


──どうしてこの人はこうくつろげるのかしら


この豪華な「城」の中で、姉はとてもリラックスしていた。

着ている服は、グレーのパンツに白いドレスシャツという、現代日本にいた頃とそう変わりないものなのに、立ち居振る舞いが馴染み過ぎている。


「日本にいた頃から確かにそういう傾向はあったけれど、お姉ちゃんってさ、前置きがなさすぎ。やることも説明も・・・さっきのイケメンはお姉ちゃんが魔術か何かで、そのように幻影を見せたのだと思うけれど、いきなり浴室にあの姿で入ってくるというのがそもそも・・・」

「違う」

「もう少しワンクッション置い・・・え?」

「いろいろ違うわよ」

「何が違うの」


まず一つ、と姉は右手の人差し指を立てる。「あの姿はね、幻影じゃないの。実体」


「はい?」

「アレクサンテリ大公、つまりうちのお父さんだけど、要するに国王陛下の弟なわけね。我が家は王家の極めて近しい分家。シュルヴェステルの王族には、だいたい半々の割合で、身体の組成を変えられる人間が生まれるの。組成を変えると言っても、魔獣化したりということは無理。男性体と女性体を自由に変更できる程度ね。種族は変えられないけど性別は都合に合わせて、という程度のことなら出来るの。なのであの時点で私は、遺伝子レベルでも男性体だったわけ」

「つまり、お姉ちゃんは、お兄ちゃんにもなれる、と」

「・・・まあ、そういうことでいいでしょう。それからもう一つ。私が勝手に入ったわけじゃないわ」


私は顔をしかめた。「そのぐらい覚えてるわよ。私がお姉ちゃんを呼んで叫び声をあげたから、慌てて飛んできてくれたんでしょ?」


「違う」

「え?」

「あなたよ」


姉がにやっと笑った。


「あの空間転移を引き起こしたのは、私じゃなく、環自身なの」

「・・・はあ?」

「あなたが私を呼んでる声には気付いたけど、エイダと一緒にお風呂に入ってる時間だと思ったし、私もあの姿だったし、急いで駆け付ける必要はないと思ったのよ。そうしたら次の瞬間、転移が始まったの。だから、あれは私がしたことではなく、環の能力で私が移動させられたってわけ」


というわけで、と言って姉が椅子から立ち上がった。


「お、お姉ちゃん?」

「あなたのその能力と・・・無自覚と無知をどうにかする必要がありそうね」

「はい?」

「何かあるたびに無理矢理呼び寄せられたんじゃ困るから」

「そ、そう?」


ちょっとだけ「なんて超便利能力」と言いかけた私は口を閉じた。


「・・・あのね、環。王位継承順位は第二位なんだけど、私の方が王太子殿下よりも、立場的に軽い分、顔が知られてるの。さっきみたいにいきなり私を問答無用で呼び出してごらんなさい。あなたがどこだかの貴婦人とお茶会をしている真っ最中に『アレクサンテリ大公家のレインフォード殿下』が、例えば着替えてる最中だったとしたら、パンツ一枚で登場、なんて大惨事を引き起こしかねない」

「・・・大惨事だね、それは」

「でしょう? どこの変態だって話になるわよね?」

「はい」


椅子から立ち上がり、腕組みをした姉が「しばらくは家でアドキンスから一般常識と作法を学ぶことになるわ」と言った。


「しばらく?」

「来ちゃった以上は腹を括るしかない」

「どういうこと?」

「・・・少なくとも次の金環食が地球と一致するときまでは、帰れない」


ぽかんと口を開けて姉を見上げた。


「それまでの間、環は佐藤さんちの次女にして女子高生の環ちゃんではなく、アレクサンテリ大公家の嫡子にして、アレクサンテリ大公の公務すべてを代行するという意味で、大公そのものになるの」

「わ・・・私が、ですか?」

「そうよ。王宮に上がれる程度の作法と常識が身に着いたら、今度は王宮内にある学問所で魔術の訓練と御公務です」

「私が?」

「ええ」

「お姉ちゃんはその間どこにいるの」

「諸々の御公務です」

「王宮で?」

「だけならいいけどね」


憂鬱そうに姉が呟いた。


「それ以外のところにも行く可能性があるの?」


私のその問いに姉は答えず、困ったように首を振った。


「一つだけ、これだけは今すぐ肝に銘じなさい、サニー・フランシス・オルセン。大公という地位と魔力を持つ者として、音にしていい言葉とそうでない言葉、あるいは音にしていい時期とそうでない時期とがある。あなたの不用意な言葉一つで、誰かが首を刎ねられるかもしれない、あるいは誰かに呪いが降りかかるかもしれない。今、環がいるのはそういう世界のそういう立場なの」

「・・・ひゃい」

「名前も同じよ」

「へ?」

「今私はサニー・フランシス・オルセン、とあなたの名前を呼んだけれど、これは真名という。魔力拘束の対象になる名前」

「・・・はあ」

「王族の真名は、王族以外は知らない」

「はい」

「なので、絶対に、名乗っては、ならない」


一語一語を区切って重々しく言う姉に、私は慌ててこくこくと頷いた。


「はい、言ってみて」

「え?」

「自分の真名を」

「あ・・・サ、サニー・フラ・・・───・・・あれ? サニー・フラン──・・・」

「これが魔力拘束」


どうやったって音の出て来ない喉を押さえて、私は姉を見上げた。


「環はまだ・・・この世界の基準では成人に達しているけれど、少なくともしかるべき覚醒を迎えたわけではないから、私の拘束が効いている。でもじきに私が施した拘束を自分の意思で解除してしまうようになるわ。それまでの間にしかるべき教育と訓練を受ける必要がある」

「・・・わかりました」


こんなわけのわからない力で「拘束」されるのは勘弁して欲しい。真名だけならまだしも、他の事にこの「魔力拘束」とやらが使われた場合にとても困ることになるというのは身にしみて理解できました。


「明日の謁見はとりあえず私一人でいいみたいだから、あなたはその間ゆっくりしてなさい」

「はい」

「起きたらそこのベルを鳴らしてエイダを呼ぶといいわ。食事が済んだらアドキンスから簡単な一般常識のレッスンぐらいはあると思うけど」


──あるのかよ


「明日、一応伯父さまに説明はしておくから正式な呼び出しはしばらく経ってからだと思うけどね・・・アレは・・・お忍びでも来そうだし・・・」

「アレ?」


憂鬱そうにかぶりを振る姉を首を傾げて見つめても、具体的な固有名詞は返ってこなかった。


「伯父さまって誰デスカー」

「・・・環、説明はなるべく一度で覚えなさいね」

「何の説明よ?」

「うちのお父さんの名前は佐藤重吉。重吉はこの世界では、アレクサンテリ大公です。そして現国王陛下の弟」

「へ?」

「言ったでしょ、ついさっき」


──いろいろと御説明くださった事例が強烈過ぎて忘れてました・・・はっ!


「お、お姉ちゃん!」

「今度は何よ」

「お、お父さんもマサカ、実はお姫様だったりとか」

「ああ、違うわよ。重吉は正真正銘、あの通りのオッサン。性別をころころ変えてたのは、私以外では王太子殿下と、お祖父さま・・・っていうかお祖母さまっていうか、とにかく前国王陛下ね。隔世遺伝するケースが多いみたい」


頭が痛くなってきました、本当に。


「というわけだから、なんていうか・・・シュルヴェステルの王宮や大公家などでは、あんまり性別による取り扱いの違いがないというか、ね」

「へ?」

「アドキンスやエイダには重々言いつけてはあるんだけど、環も気をつけてね」

「な、なにを、でしょう」

「つまり、私の妹なわけだから、魔力が覚醒したら男性化するのではないかと、若いメイドたちがそういう期待をして、よからぬ行為に及ばないとも限らない。まぁ、環がいいなら私は別に構わないんだけど。メイドに押し倒されて、男性化した途端に童貞卒業っていうのも少し哀しいんじゃないかなあと思うの」


もう泣きそうです。


「わ、私もそうなの?」

「さあ。4歳までの間に男性化したことはなかったわよ。でもそれからずっと日本にいたでしょ。だから、そこらへんがどうなのかはちょっとまだはっきりしないわ。まぁ、いずれにせよ、ね。男性化するにせよしないにせよ、自分の貞操は自分で守りなさい」


──この国の若いメイドっていったい・・・


「いったいどういうメイド教育をしてるのよ、大公家のくせに!」


姉は苦笑して「大公家のメイドは、それはもう、優秀よ。他のところにいるよりは、たぶん安全なんじゃないかしら」と、まったく慰めにならないことを言い置いて、部屋を後にした。






翌朝、陽もずいぶんと高くなってからやっと目覚めた私はエイダによって着替えさせられ、ブランチを摂ったあと、エイダに尋ねた。


「エイダさん。昨日、おねえ・・・姉上から伺いましたが、大公家のメイドともあろう皆さんが、その・・・私の、私のですね、貞操を・・・」

「まぁ、ほほほ」


エイダは可笑しそうに声をあげて笑った。


「冗談、ですよね? こちらの皆さんは優秀な方だとは言ってましたけど、それならそんなことするはずありませんしね?」


そうですわね、と一応は同意しながらエイダが私の髪を櫛で梳いてくれる。


「もちろん当家の使用人は十分に優秀でございます。また、淫魔族への耐性も強い家系から選んでおりますので、他家のメイドたちよりは安心していただいてよろしいかと」

「・・・はい?」

「ただ、レイン様もそうですが、淫魔の血が色濃くお出になった場合ですと・・・万一のことがないとも言い切れませんのですよ」

「いんま・・・」


ぴた、と櫛が止まる。


「申し訳ございません、レイン様からそのあたりのお話はまだ?」

「いんまの話はまだです・・・」


──もう泣いていいですか


これは失礼いたしました、とエイダは深々と頭を下げた。


「これは特に機密の事項ではございませんので、私から御説明申し上げても構いません。畏れ多くもシュルヴェステル王家におかれましては、その始祖に淫魔族の血が入っていると伝えられております。レイン様のように性別を変えることがお出来になる能力というのも、淫魔の血に由来するものでございます。淫魔の血が濃ければ、性別を変えることも容易くお出来になる、しかし、一方で淫魔の血濃きゆえに、耐性のない人間はその魅力の前に理性を失ってしまうのでございます」

「は・・・はは・・・」


再び櫛をとって髪を梳き始めたエイダは、本当に耐性があるのかどうか疑わしい、うっとりした目つきで続けた。


「レイン様も王太子殿下も、先王陛下に非常に良く似ておいでで、強い魔力と淫魔の血を色濃く受け継いでいらっしゃいますから、幼き頃よりお二人が睦まじく過ごされるときなどは、まだ頑是ないレイン様と王太子殿下であろうとも、それは絵のように妖しく美しく」


何か可笑しな形容詞が混じっている気がします。


「王宮で数名の侍女が発狂したことを受けて」


すごく物騒な動詞が聴こえました。


「王宮と大公家では、使用人の魔力や耐性の有無まで調査してから雇うことと決まっているのでございますよ」


安心させるような微笑みを浮かべて「さぁ出来た」と鏡の中の私をエイダは見つめた。


「あ、ありがとうございます」






遠い日本のお父さまお母さま。

お姉ちゃんは、お兄ちゃんで王子様で、ついでに淫魔だそうです。


ここで無事に生きていけるかもしれない、という安心感が砂上の楼閣のようにさらさらと崩れ落ちていきます。

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