この婚約は秘密にしたい
[日間]異世界転生〔恋愛〕短編 2位!
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【かつてアルバートの婚約者であった伯爵令嬢は、彼を慕う令嬢たちからの壮絶な虐めによって死に追いやられていた】
――唐突に頭に浮かんだその一文をすぐには呑み込めず、紅茶に映った自身の顔を見ながら目をパチクリとする。
(…今のは…わたしが昔読んだ小説の……?…あれ?昔っていつ…?)
ルチルはまだ幼く、人の死が出てくるような小説を読んだことは無いはずだ。ではこの記憶は?
僅かに波打つ紅茶を見つめたまま静かに混乱する私には気づかず、目の前に座る母は嬉しそうに話を続ける。
(――わたし、私?転生……した…?小説の世界に…?…しかも……)
「…それでね、ルチルちゃんに婚約の話が来てて。それがなんと、じゃーん!エルセッド侯爵家の嫡男アルバート様なのよ〜」
(エルセッド侯爵家…アルバート……婚約…!??)
母の貴族らしからぬ間の抜けた声を聞きながら、私は…
「すごいでしょぉ、ルチルちゃん!玉の輿!お祖母様同士がお知り合いでね、そこからご縁が……あらぁ?ルチルちゃん?ルチルちゃーん??」
(物語が始まる前に死ぬ婚約者役だ…―――)
紅茶をしっかりと手に持ち、座ったまま気を失ってしまっていた。
◇
どうやら私は、前世で読んだ小説の世界に転生したらしい。
ヒロインの相手役、アルバート・エルセッド侯爵令息のかつての婚約者として。ヒーローに深みを出すための物語のスパイスとして。
(嫉妬で虐められて死ぬ役なんて、絶対に嫌です…っ!!)
両目から涙を溢れさせながら枕に嗚咽を呑み込ませる。2つ上の兄は『泣き虫令嬢』だと馬鹿にするけど、私はまだ子供だもの。涙腺を操るには経験不足だ。
――アルバート・エルセッドは私と同じ10歳。
確か7歳の時に、お祖母様に連れられて行ったお茶会で一度だけ会ったことがある。ツンとした態度の子だったけど、顔立ちは凄く整っていて「下まつ毛が長いなぁ」と思った記憶があった。
前世で読んだ小説についてはほとんど覚えてないけれど、ヒロインの相手役なのだ。きっとイケメンのまま成長することだろう。しかも侯爵家の跡取り息子となれば、これは令嬢達に注目されない訳がない。
(目立ちたくないし、虐められたくないし、死にたくない!!
泣いてでも喚いてでも、絶対この婚約を阻止してやります…!!)
名付けて、婚約断固拒否します作戦!!!
涙を拭い、拳を振り上げる。やってやる!いくら良い縁談だとはいえ、絶対に嫌なんだと真摯に説得すれば、父だってきっと理解してくれる筈…――
「――え?もうお受けしたよ?こちらとしても、とても良い話だからね」
拒否する前に受けてましたぁぁぁ!!!
勇み辿り着いた父の書斎で膝から崩れ落ちる。なんって仕事が早いお父様!!
「あ、ああああの、お父様…今から撤回って……」
「ははは、撤回?ルチルは面白い事言うなぁ。繋いでくれたお祖母様の顔もあるし、伯爵家であるうちに侯爵家の申し出は断れないよ。
それに、今更撤回なんてしようものなら…」
ふっと父の顔から表情が抜ける。
「…そうだね、隣国にでも夜逃げする気概が必要かな…。……ルチルはそこまで嫌なのかい?」
「ごめんなさい、何でもないです…!!!」
一気に老け込んだかのような父の顔に、私は慌てて首を横に振った。死にたくはないけど、まだ夜逃げするほど切羽詰まった状況でもない。ここは一旦引くべきだ。
「後日顔合わせがあるからね」という父の言葉を背に、書斎を後にした。
品の良い調度品が飾られた廊下を歩きながら考える。
申し出を受けてしまった以上、こちらから理不尽に撤回する事は出来ない。しかし、だからと言ってこのまま流れに身を任せていれば、私は数年以内に冷たい土の下だ。
(婚約者役が死んだのがいつなのか詳細は分からないけれど…確かアルバート様がヒロインと出会うのは卒業の年――18歳の頃でしたよね。その頃には私はすでに死んでいる、となると…)
令嬢たちからの虐めはきっと学院での出来事だろう。とすると学院での安全を第一に考えなくてはいけない。
(婚約の事を隠し通して、地味に目立たず過ごせば目をつけられないでしょうか…。それでなんとか卒業まで生き抜いて、ああ…でも卒業してから婚姻となると結局目立って………あっ)
小説の通りならば卒業の頃にはアルバート様はヒロインと愛を育んでいる筈だ。つまりこの婚約も解消になる可能性が高い。だって二人は運命の相手だもの!
(という事は、アルバート様との結婚も無くなる…!嫉妬で虐められる要素が消えるんですね!!)
ありがとうヒロイン!その時が来れば私は喜んでその座を降りましょう!!
思い描く未来の明るさに思わず万歳をしていると、通りがかった兄に「どうしたんだ…?」と怪訝そうな顔で見られたけれど、些細なこと。
ヒロイン登場まであと8年。この婚約は、それまで隠しきろう!!
◇
後日、顔合わせであちらの屋敷に招待された私は、両親と共にエルセッド侯爵家を訪れていた。
挨拶をして、改めてアルバート様に向き直る。
夫人によく似た、白金の柔らかそうな髪と濃い青の瞳は、物語に出てくる王子様そのものだ。やはり下まつ毛が長いなぁとしげしげと眺めていると、その視線が気に入らなかったのか不機嫌そうにそっぽを向かれた。
(もしかするとアルバート様もこの婚約は不本意なのかもしれませんね…。だとしたら交渉の余地あり、です!)
「大人は話をするから庭で遊んで来なさい」と侯爵様に言われ、アルバート様と二人で侯爵家の庭園へと出た。エスコートにしてはグイグイと引っ張ってくる手は不服感満載である。それでも令嬢が好みそうな花が咲き誇る花壇まで案内してくれたので、根は悪い子ではないのだろう。
「あ…あの、アルバート様…」
「……なんだよ」
振り返った顔はむっすりと不満そうだ。まるで怒っているようで思わず小心者の心がざわつくけれど、これだけは言っておかなければならない。私はごくりと唾液を飲み込んで、怯える自分を奮い立たせて一気に伝えた。
「わ、私と婚約した事っ、秘密にしてもらえませんか!!?」
「………はぁ!??」
濃い青の瞳が見開かれる。そうですよね、おかしな事を言っているという事は重々理解しています。でもここで説得に失敗すると私は虐められて死んでしまうんです!!必死になりすぎて目元に涙が浮かぶ。
「あああ、あの私、こんなっ…見た目で、気も弱くて…取り柄もなにもありませんし、アルバート様にとっても不本意な婚約だと重々理解してます…!なのでせめて、アルバート様の名誉を守る為にも婚約者の正体は秘密ということに、で…出来ませんか…??」
「べ、別に俺は不本意だなんて…っ」
「わ…私が…周囲の目に耐えられそうにありませんんんん゙!!!」
涙腺崩壊。『泣き虫令嬢』の異名は伊達ではない。他所様の屋敷なのにエグエグと泣き叫ぶ私を前に、アルバート様はドン引きしているのか固まってしまった。
少しして我に返ったのか、慌ててズボンのポケットを探り白いハンカチを私の顔に押し付けてきた。
「あ…ありがひょぅ…ございま…」
「……いつまでだ」
「…え?」
「期間は?まさか結婚するまで隠すつもりじゃないだろうな??」
私の心からの叫びが伝わったのか、アルバート様がぶっきらぼうだけど前向きな反応を見せてくれた。
ここは、馬鹿正直に「ヒロインが登場して貴方が心奪われるまでです」とは言えない。鼻をスンスンすすりながら考える。
「えっと、その…わ、私がアルバート様の隣に立っても、恥ずかしくないような淑女になる、まで……???」
「………」
そんな日が来る事は一生ないでしょうけれど。
「わかった…。お前がそこまで言うなら。父上にも伝えておこう」
「ほっ…本当ですか…!?あり、ありがとうございます…っ!!」
「最長でも卒業までだ!わかったな!?」
交渉成立!やはりアルバート様もこの婚約に思う所があったのだろう。正直アルバート様ほどのスペックならもっと良い令嬢がいるし、私は嫌われていようと別に構わない。書類上の婚約者として8年間過ごせば良いだけだ。
思わず万歳するとアルバート様が「そんなに喜ぶ事か?」と呆れていた。
「お前は…13歳になったら聖エリザベス女学院に通うんだろう?俺はロドリゴ貴族院に行くから、その…週末の休みならたまに会っ…」
「あ…私は女学院ではなく、えっと…王立学園に入学する事にしました」
「はぁっ!?」
聖エリザベス女学院は淑女科があり貴族令嬢に非常に人気のある学校だ。小説の私も確かここを選んでいた。しかし念には念を入れて、小説で虐めの舞台だった女学院は避けて王立学園を選ぶことにしたのだ。
王立学園は令嬢にはあまり人気はないけれど、特に学業に力を入れた学校で、貴族専用校である他2校とは違い貴賤問わず学力が高い者は入学する事が可能だ。
「…あそこは共学だぞ!?お前っ、まさかそこに好きな……」
「え?」
「……いや、何でもない…」
アルバート様が口の中でモゴモゴと何かを呟いているけれど聞こえない。少しだけ疑わしい目つきを向けられたので、結婚する気が無いことがバレて…いや、さすがにそれは考えすぎか。
そうこうしている内に大人の話し合いが終わったらしく、私は非常に穏やかな気持ちで帰宅することとなった。
◇
それから3年。ついに王立学園に入学する日が来た。
私は鏡の前で身だしなみをチェックする。目が隠れるダサめの伊達メガネ良し。洒落っ気のない左右の緩い三つ編み良し。制服もアレンジせず規定通り!
アルバート様の協力のお陰で婚約者だという事はバレてはいないけれど、それでも気に入らないと虐められては元も子もないので、目立たないようとても地味な装いだ。目標は『地味メガネ』と呼ばれる事である。
両親からは「何故そんな格好に!?」と嘆かれたけれど、私は完璧な装いに満足している。
出発しようとして机の上に置かれた手紙に視線がいった。先日アルバート様から届いた物だ。どうやらアルバート様の入学式も今日、同じ日らしい。お互いの充実した学校生活を祈る旨が記されていた。
(学校が始まったらもう会うこともないでしょうね…)
顔合わせの日以来、アルバート様とエルセッド侯爵様は約束通り『諸事情により名は明かせない婚約者』を守ってくれている。そのためお茶会等の集まりでもエスコートを受ける事もなかったのだけど、アルバート様は律儀に月2回は会う機会を設けてくれていた。
「たまに屋敷にくるだけなら内密にできるだろう。…約束は守ってる」
「はぁ…」
そう不貞腐れた様に言いながら始まる二人だけのティータイムは意外にも心地よくて…。
(…あの時間ももう無くなるのですね)
馬車の窓から流れていく景色を眺めながら、少しだけ寂しさを覚えつつ、到着した学園で…
「――待っていたぞ、ル……フェルナー嬢」
ロータリーで待ち構えていた人物に驚き、私は思わずあんぐりと口を開け令嬢らしからぬ反応をしてしまった。
白金の髪をさらりと風に靡かせ、濃い青の瞳はこちらを鋭く見据える。成長途中の体ながら威厳のある佇まいで私と対峙するのは…――
「あ、ああああ、アルっ……エルセッド様…!?な、な、なぜ王立学園に…!??」
アルバート様は貴族院に入学すると言っていた。そしてヒロインと出会い愛を育む舞台となるのも貴族院の筈だ。そのアルバート様が!なぜ!?
私のその問いかけに、アルバート様は眼光を緩め少し気まずそうに視線を逸らした。
「…気が変わって、俺も王立学園に通う事にした」
「え、えええ…!??」
「…それより、なんだその格好は?」
「えっ、え!?ええと…それは……」
こんな所で話していては周囲の人に注目されてしまうのではと不安になり、思わず周囲をきょろと見渡す。私はともかくエルセッド侯爵家の御令息であるアルバート様は有名人だ。
案の定数人の生徒がこちらの様子を窺っており、私は小さな悲鳴を呑み込み「いいい急ぎますので!!」とアルバート様に一礼、返事を待たずに走り去った。
道も分からぬまま無我夢中で中庭まで駆け抜け、白亜の柱に手をついて上がった呼吸を整える。
(アルバート様も同じ学園…!?なんで?なんで!?ど、どうしましょう…!??)
別の学校に入学さえすれば関わりが希薄になり、そのまま卒業まで心配いらないと思っていたのに。計画を狂わせた心変わりが憎い。
しかし、アルバート様はこれまでも婚約者の正体を隠してくれていた。つまり、同じ学園でも関わりを最小限にすればバレる心配も無いのでは…?
そう期待して、こっそりと生徒たちが集まる掲示板を目指す。そこにはクラス表が貼られており――
(…よかったっ!!アルバート様とクラスは違います!まさに運命!!…これなら極力出会わないように避けて…)
「――おい」
「ひぃぃぃッ!??」
背後から肩をポンと叩かれすくみ上がる。恐る恐る振り返ると、そこには不機嫌そうな表情をしたアルバート様。
そうですよね、走って逃げましたからそりゃ怒ってますよね!!あまりの形相に私が小さく震えていると、アルバート様は少し眉間のシワを深くしたあと、「…今日の放課後うちに来い」と小さく告げて去っていった。い、行きたくない…。
――そして放課後。エルセッド侯爵家に着いて早々、私はいつぞやのようにアルバート様に手を引かれて庭園に連れてこられた。
これから私は糾弾されるのだろうか、先ほどから体の震えが止まらない。でも逃げ出したのは確かに失礼だけど、そこまで怒られるような事もしてないような…なんて考えていると、アルバート様の手が私の顔に伸びてきて伊達メガネを取り上げた。
「あっ!?」
「度無し…伊達メガネか。なんだってこんな物を…それにその髪型はなんだ?」
そう言いながら私の三つ編みを縛る地味な紐を解き、そのまま手ぐしでぐしゃぐしゃとほぐす。あああ、せっかく地味コーデをしていたのに…!少し乱れた髪を仕方なく自分で整える。
「仮にも貴族令嬢なんだからもっと身だしなみに気を遣え」
「い…良いんです。私はこれで…!!」
「はぁ!?この地味メガネのどこが良いって言うんだ!?」
あ、地味メガネって言ってもらえました。そんな事に少しばかり感動しつつ、メガネを取り返し掛け直した。メガネ越しに見る彩度が落ちた景色に落ち着く。
「お前の目の色も霞むようなそんなメガネ……」
「わ…私にはこれくらいがちょうどいいんです…。それに…私が学園でどんな格好をしていても、アルバート様には関係ない、じゃ…ないですか……」
「な…ッ!俺は…っ」
婚約者として周りに知られていないような間柄なのだ。私がどんなに地味な格好をしていても、アルバート様の迷惑にはならないと思っていたのだけど…。
アルバート様は言いにくそうに一度歯を食いしばった後、こちらをしっかりと見据えて絞り出すかのように告げた。
「……俺は!…お前が、学園の恋人に会うために、目一杯お洒落してくるかと思って待ち構えていたというのに…!」
…………へ??
「こ、恋人…?おしゃれ…??」
「だってお前!!3年前から婚約者だと広めるなとか言って、決まってた入学先も急に変えるし…、学園に好きなやつでもいるんだろうって思って、邪魔するつもりで行ったら…」
話が繋がった。アルバート様は、私が学園に好きな人がいるから婚約を秘密にしたがっているのだと思っていたのか。婚約を隠したまま恋愛を謳歌??どんな悪女だ。
そのとんでもない勘違いを訂正すべく、私はおずおずと片手をあげた。
「あ、あの…私…恋人も、好きな人もいません…」
「…ならなんで婚約をひた隠すんだ」
「え!?ええと…それはその…こんな自分が恥ずかしくて……あ…アルバート様にふさわしい淑女になるまで待って欲しいな〜…なんて…」
「…3年前はその謙虚に聞こえる言葉に騙されたが、俺にふさわしい淑女になるための格好がそれか?努力がそれか??
…さてはお前、俺と結婚する気もないんだな?」
「うぐっ」
バレている。冷や汗が背中を伝い、視線はせわしなく動くけれど、誤魔化すための言葉が全く出てこない。
そんな私の様子を見てアルバート様が1歩近づき、私が1歩後退する。それを数歩繰り返せば私の背中が木の幹に当たり、これ以上逃げられない事を悟った。
私の真っ青な顔からメガネを取り上げ、芝生に放り捨てて、そのまま顔の左右を手で塞いだ。
「――選べ。今すぐ婚約を言いふらされるのが良いか、お前の魂胆を洗いざらい白状するのが良いか、どっちだ」
「――ひ、ぇぇぇぇ…ッごべんなざいいいいいーー!!!」
その鋭い瞳に敢え無く白旗。成長しても緩い涙腺は簡単に崩壊した。
そして数分ほど芝生の上でエグエグと泣き、アルバート様のハンカチをびしょ濡れにし、ようやく涙が落ち着いてきた頃。アルバート様に手を引かれてティーセットの用意されたテーブルへとやってきた。
紅茶で失った水分を補給するとようやく気持ちが落ち着き、改めてアルバート様を振り回してしまった事への罪悪感が湧いてきた。
私としては婚約を隠すことが自分の命を守り、そしてアルバート様の恋路を邪魔しないベストな方法だと思っていた。でも何も聞かされていない彼からしたら不信感しかないだろう。
座りながら姿勢を正し、アルバート様に向き直る。
「わ、私…実は……、…死にたく、ないんです…!」
「………………………大抵の人間はそうだと思うぞ」
あまりに結論を急いだ結果、冷静なツッコミを受けてしまった。いや違う、そうじゃない。
「あの、あ、アルバート様の婚約者になると、なんやかんや死んでしまうので…」
「待て、なんで俺の婚約者イコール死なんだ!?そんな物騒なポジションなのか!?
そのなんやかんやってのは一体何なんだ?誤魔化さずに言ってくれ」
「ひぇ…だっ、だって…アルバート様は素敵な方だから…お、お慕いするご令嬢はたくさんいて…」
「おまっ……素敵って…」
何故か顔を赤らめるアルバート様。アルバート様がモテるのは周知の事実なので別に変なことは言っていないと思うのだけど。
「…その方々にとって私という見苦しい婚約者は邪魔でしかないんです…。だから、い、虐められて…きっと教科書とか破かれたり、服切られたり、階段から落とされたり……結論としては死あるのみで…」
「結論が物騒!」
虐めの詳細は書かれていなかったけれど、地べたに押さえつけられて雑草とか食べさせられるのだろうか。まさか虫?虫は絶対嫌だな。それに痛いのも女性の尊厳を失うのも辛すぎるな…。
そんな事を考えているとまた自然と涙が盛り上がっていき…。
「あーもう、泣くな…!お前に泣かれると弱いんだ…」
わざわざアルバート様が席を立って、新しいハンカチで涙を拭いてくれた。
「あ、るばーと…さま…」
「…つまり、お前は嫉妬した令嬢達に虐められるのが嫌で、婚約を隠してたんだな?その…他に好きな奴がいるとか、俺の事を、き…嫌い、とかじゃ、ないんだな!?」
その問いかけにコクリと頷く。別に好きな人なんていないし、アルバート様は普通に良い子だと思ってる。
その反応にアルバート様は盛大にため息を吐いた後、脱力したように机にうなだれた。
「なんだ…ただそれだけ……。いや、待て!お前、まさか虐められてるのか!?だからそんな発言…」
「へ?い、いえ!婚約者だとバレてませんので、まだ誰からも虐められたりはしてませんが…」
「その『まだ』ってなんなんだ?婚約者だとバレると絶対に虐められる確信があるのか?」
「はい。ええと…そういうセオリーですので…」
小説で読んだから、とは言えない。アルバート様は納得いかない表情をしていた。
「正式に婚約者だと広めて、俺が近くで守れば良いだけじゃないか…」
「いえ…クラスも違いますし、接点もありませんので、ええと…難しいと思います…」
それに女の虐めは陰湿なのですよ。草とか、虫とか。知らないけど。
そう告げるとムスッとされた。13歳らしい表情で、先ほどの眼光鋭い顔よりとても良い。
「なので…出来たらこのまま婚約は隠して頂いて……」
そう言いながら閃いた。これはチャンスなのでは?
私が婚約者だとバレて虐められたくないという想いは伝わった。ならば卒業まで平和な学園生活を協力してもらえるかもしれない。
思わず私は身を乗り出しアルバート様の手を握る。その勢いにビックリしたのか肩がビクと動いていたけれど、気にせず伝えた。
「だ、だから、あの!学園でも私と関わらず、無視して頂いて……た、他人の様に扱ってもらえませんか!?
なんでしたら!他のご令嬢と仲良くして頂いても、全然、全く、これっぽっちも構いませんので…!!」
「……………………ほう。お前の気持ちはよく分かった」
……快い返事を貰えたはずなのに、何故かアルバート様の額に青筋が浮かんだ気がする…。
◇
数日後。生徒たちの視線を集める掲示板には1枚の紙が貼られていた。
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選考委員会による厳正なる審査の結果、本年度の生徒会執行部を以下の通りとする。
生徒会長:………(5年)
副会長:アルバート・エルセッド(1年)
会計:………(4年)
書記:ルチル・フェルナー(1年)
総務:………(3年)
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「……な…な、なんでぇ……っ!?」
絶望に震える私の小さな悲鳴は、周囲のざわめきに溶けて消えていった。
その日の放課後、さっそく生徒会メンバーとして招集を受けて生徒会室へ集まる。豪快でカラッとした生徒会長に促され挨拶をするもまごついて「る、るち、ルチル・フェルナー、です」としか喋れなかった。
今回は顔合わせだけだったのですぐに解散となったが、選ばれた事にショックが大きい私は、他のメンバーが帰った後も生徒会室に残り「なぜ…なぜ…」と隅で蹲っていた。
そんな私の三つ編みが背後から持ち上げられ、ビクリと振り返る。
「…まだそんな髪型してるのか」
「あ、アルバート様!?か、帰られたのでは…!?」
「こんな状態の婚約者を残して帰れるか。ほら立て。帰るぞ」
両脇を持ち上げられ無理矢理立たされる。この髪型が気に入らないのか、またしても三つ編みの紐を解かれ手櫛で直された。ちなみに伊達メガネは入学初日、侯爵家で青筋立てたアルバート様によってレンズをポンと外されたので、泣く泣く御蔵入りした。
「また泣いてる…」
「だ…だって、私、なんで生徒会に……そんなの、なにも聞いてないのに……」
「…俺が推薦した」
なんて!?
「入学初日に副会長の打診があったからな。その時にルチルを推薦しておいた」
「な、ななななな、なんでそんな酷いことを…!?」
「何言ってるんだ?生徒会は主に成績優秀者が選ばれる。入学試験でトップクラスだったお前も最初から候補者だったぞ。それに…」
ぐっと腰を引かれてアルバート様の体に寄せられる。その濃い青の瞳が細められ、睦言を告げるかの様に耳元で囁かれた。
「――これで誰がどう見ても関わりが出来たな。1年生でたった2人しかいない生徒会メンバー殿?」
「ひ……ぇ……」
私の地味で平和な学園生活はどうなってしまうのでしょうか…!?
◇◇◇
――俺の婚約者は、もの凄く可愛い。
初めて出会ったのは7歳の頃。陽に輝く銀色の艶やかな髪と、アメジストの様な輝く瞳を見て雷に打たれた様な衝撃が走った。
少しおっとり笑ったかと思えば、瞳を潤ませて泣き、かと思えばちょっとした事に万歳をして喜ぶ様子に目が離せなかった。完全に一目惚れだった。
次に会えたのは婚約が決まってからだった。10歳、想像していた通りに美しく成長した彼女は…
「わ、私と婚約した事っ、秘密にしてもらえませんか!!?」
罪深くも、頬を桃色に染めて俺の心を鷲掴みにしておきながら、突拍子もない事を頼んできた。
(くそっ……可愛いッ!!)
どうやら事前に聞いていた入学先も変更したらしい。どう言う事だ、まさか王立学園に好きな奴でもいるというのか?
問い詰めたくなる気持ちを抑えて、なんとか冷静に対応する。
俺が受け入れると、相変わらず万歳をして喜んでいた。その姿を見ると惚れた弱みで強くは言い出せず、ルチルの願いを叶えてしまうのだった。
「…アルバートの婚約を内緒にする、だと?」
「…ルチルが俺の婚約者として自信がつくまでは、名前は公表しないで欲しいそうです」
「あー……自信がつくのはいつなんだ?」
「……さぁ?」
俺が聞きたい。どうにも逃げたがっている様に見える婚約者が憎たらしくて、可愛くて、思わず不貞腐れた様な声が出てしまった。
「アルバート、お前はそれで良いのか?今からでも婚約を見直す事は可能だが…」
「…いえ、婚約者は彼女が良いです。ルチルが何を狙っていても、必ず振り向かせてみせますので」
「はぁ…初恋はこじらせると重いな…」
渋る父を説き伏せ、俺は『諸事情により名は明かせない婚約者』を手に入れた。社交界はざわつき、様々な憶測が飛んでいただろう。それでもルチルとの約束通り、彼女の名前は一切出さなかった。
それから、入学するまでの3年間は非常にもどかしい思いをした。婚約者なのにエスコートも出来ない、自分の色も纏わせられない、デートも出来ない、友人に自慢する事もできない。
会えるのは月2回のティータイムだけ。それもルチルは婚約者との甘い逢瀬というよりは「律儀に義務を果たしてるんだなぁ」とでも考えていそうな顔をしていた。
◇
そして王立学園に入学し、ルチルの美貌を見事にぶち壊すファッションに驚かされ、その流れで泣くまで問い詰め、ルチルの企みを知った。
ひとまずルチルに好きな奴がいない事には酷く安堵した。これで架空の相手を呪う日々から解放されそうだ。
(婚約者だと周囲にバレて虐められるのを酷く恐れていたな…。その結果が死というのは何か確信があるんだろうが……さすがに聞きだすのはやめておこう…)
侯爵家の婚約者を虐めようなどとふざけた輩は、その家門ごとぶっ潰す気概はあるが、実際にルチルに被害が出てからでは遅い。
それに今更ルチルの願いを無視して、周囲に婚約者だと匂わせるつもりもない。多分そんな事をしたらルチルはすぐさま退学して領地に引きこもる気がする。将来の事を考えるとそれも不味い。
かといってルチルの言う通りに、学園では一切関わらず無視して、他人のように扱うなんて以ての外だ。
(とすると婚約者以外の関係が出来れば……)
ふむ、と顎に手を当てて考える。…今日打診を受けた生徒会の話が役に立ちそうだ。
…そう企みを巡らせて――3年後。俺達は4年生になった。
◇
「ルチル副会長、クラブ視察に行くぞ。同行しろ」
「え?わ、私ですか!?会長と会計で行く予定だったのでは…」
「会計は別の業務で忙しいそうだ。難しそうか?」
「い…いえ、行きます!」
そう返事をするルチルの小さい手を握って、他のメンバーに見送られながら生徒会室を出る。
「……相変わらずアルバート会長はルチル副会長がお気に入りね…」
「あの二人は生徒会4年目ですしね。学園公認の相棒みたいなもんですよ」
「でもアルバート会長は婚約者いるんだろ?あの、名前も爵位も公表されてない令嬢。なのにあれだけ仲良くしてて良いのかな?」
さぁ?という声が廊下まで薄らと聞こえてきて、思わずほくそ笑んだ。隣では同じように会話が聞こえたルチルが顔を真っ青にしてプルプルと震えていた。
「ま、不味いじゃないですか…、アルバート様。仲が良いと思われてます…!!」
「生徒会の相棒だろう。生徒会長と副会長の仲が良くて何が悪いんだ?」
「え、えええ…!??」
絶妙な関係に言い返せないのかオロオロと手を握ったり開いたりするルチル。早い段階であの変なメガネと髪型を禁止させたこともあり、彼女はこの数年でさらに魅力的になっていた。
16歳と言うこともあり身体も相応に女性らしくなり、妖精の様に愛らしい子供だったのが、憂いを帯びた女神の様に危なげな魅力を放つ女性へと成長を遂げている。
この美しく温厚な女神はとにかく視線を集めた。
ルチルも婚約に関しては濁しているので、よく羽虫達が近づいてきてはアプローチしてくるのを「うちの副会長を誑かさないでもらおうか」と何度牽制しただろうか。やはり口出しの出来るこの関係に落ち着いておいて良かった。
(出来ることなら全身に俺の色を纏わせて、俺のものなのだと主張したいところだが、ルチルはまだバレる事に怯えている。今更ルチルを虐める様な阿呆な輩はこの学園にはいないとは思うが……)
不安そうな顔で俯くルチルに視線を落とす。
心配いらないのに。必ず守るのに。…きっとそれは伝わらない。
(…まだ、生徒会メンバーで許してやる)
そう心の中で呟いて、固まっていたルチルの手を引いてクラブ棟へと歩き出した。
――そんなある日、俺は変な噂を耳にした。
「俺の…婚約者がすでに亡くなっている…?」
その情報を持ってきた執事に聞き返すと、執事は頷きながら数枚の報告書を手渡してきた。先に噂を知った父が調べさせていたのだろう。パラパラとめくり顔を顰める。
それはロドリゴ貴族院を中心に広まった噂のようで――
曰く、俺の婚約者は聖エリザベス女学院に通っている伯爵家の令嬢で。
曰く、嫉妬した令嬢達に虐められその事で心を病み自殺をした。
そのふざけた内容に、苛立ちをぶつける様に報告書を握り潰す。
「誰がこんな根も葉も無い噂を…!虐められて自殺だと!?こんなものルチルの耳に入ったら…―――」
…待て。同じ事を彼女は言っていなかったか?4年前に泣きながら告げられた言葉が思い起こされる。
無意識のうちに呼吸が速く浅くなり、ハッ…と口から息が漏れた。
(――ルチルは…言っていた。婚約がバレると嫉妬した令嬢に虐められて死ぬのだと…。確信を持っていた…!)
元々ルチルが通おうとしていたのは聖エリザベス女学院…噂の場所だ。
もし予定通りに婚約が発表されていたら?もしルチルが女学院に、俺が貴族院に入学していたら?学校が違えば関わる事が難しくなり、俺が気づいた時には既に…――
「……どういう、事なんだ…!?」
◇
あの時は心配しすぎだと思っていたが、この噂の内容と酷似しているのは本当に偶然なのだろうか。
ルチルが未来視でもしたというのか?そんなのは非現実的でバカバカしい。…そう鼻で笑えたら良かったのに。
あのおかしな噂はルチルの耳には入っていないのだろう。週末に招いたエルセッド侯爵家でティータイムを楽しむその顔は穏やかだ。
――噂は、父の力を借り沈静化させた。そもそもがデマなのだ。伯爵令嬢であるという事しか合っていない。
そして噂は、貴族院に在籍中の女……最近、ある男爵の娘だった事が発覚し貴族入りしたという元平民の娘が流した物だと調べがついた。
何のために?そいつは何かを知っている?
「…アルバート様?何か考え事ですか?」
「いや、………ああ…そろそろ式の準備を、と考えていてな」
「式…?先輩方の卒業式ですか?」
「それもあるが、俺達の結婚式を進めても良い頃だろう」
「けっ、結婚!?え、えええ、ええと、まだ早いのでは…っ」
紅茶を波立たせながら大袈裟に戸惑うルチルに、胡乱な目を向ける。さてはまだ逃げようとしているな?
「あと1年半で卒業だぞ。卒業したらすぐに婚約者を公表して式を挙げる、その約束で今まで秘密にしてきたんだ」
本当なら在学中に公表したいところではあったが、ルチルの様子を見るに結婚ギリギリまで広めない方が良さそうだ。
「ええと…ハイ…。ですが…もっと準備はゆっくりでもいいかなと……。あの……もう1年後とかに気が変わったり、する…かも……」
「気が、変わる?俺がそんな不誠実に見えるのか??」
「ひぇっ!え、えええと!?その、気が変わるというのは、その……流行が変わるとか!趣味が変わるとか!!そ、そういう意味、です!!」
そう言って慌てて誤魔化すルチル。目が泳いでいるな、バレバレだぞ。
1年後に俺の気持ちが変わる出来事が起こるのだと、確信しているのだろう。これだけ一途に報われない初恋を抱えているというのに、本当にこの婚約者は噛みつきたいくらいに憎たらしい。
(まだ隠してる事がある…)
問い詰めたりはしない。その懸念事項を念頭に置いて、結婚まで気を抜かずに過ごそう。そう心に決めた。
◇
街に用事があった日。ルチルが好きだと言っていた雑貨屋の前で足を止めた。
彼女が怯えている限り、婚約者だと広まらない限り、こういった人目のある場所には2人で来られない。そんな寂しさを胸にショーウィンドウに飾られたアンティーク調のオルゴールを眺めていると…
「…っあーー!!アルバートだ!ほんとにいたぁ!!」
背後から無遠慮に名前を叫ばれ振り返ると、見知らぬ女が俺を嬉しそうに指差していた。あまりに異常な行動に護衛が2人の間に立ち警戒をする。
「貴族院に居なくてビックリしたけど、やっぱここ小説の世界なんだ!」
(…小説の世界?)
気になる単語に反応したのを肯定的に捉えたのか、威嚇する護衛すら気にせず、笑みを深めた女が胸の前で手を組んだまま1歩踏み出した。
「あの、私ニコラ・ドルマンです!最近ドルマン男爵家に入った…」
勝手に始まった自己紹介で女の正体に気づいた。ニコラ・ドルマン、報告書で見たあの噂を広めた男爵令嬢の名前だ。家門に迎え入れたドルマン男爵はきちんと教育をしていないのか、元平民とはいえ異常に礼儀知らずで図々しい女のようだ。
「アルバート……様は、お買い物ですか?ここ元婚約者さんの思い出の場所なんですよね?うわ〜小説どおりだぁ…」
勝手に人の婚約者を元呼ばわりしておいて、なんの小説どおりだと言うのか。
女の言葉にルチルが怯えていた理由が隠されている気がして、今にも抜剣しそうな護衛を手で制し下がらせる。それを受け入れられたと勘違いしたのか、女はさも辛そうな表情を浮かべてさらに近づいてきた。
「あの、元気だしてください。元婚約者さんの事は残念ですけど、アルバート様には新しい出会いがありま…――」
「触るな」
馴れ馴れしく伸ばしてきた手を叩き落とす。「え…?」と呟きながら女が驚きに目を見開き固まった。
「聞くに耐えぬ事ばかり喚いて鬱陶しい。貴様に名前を呼ぶ許しを与えた覚えはない」
「な…なんで…?これ…出会いイベントじゃないの…?」
呆然と呟く女の背後、道を挟んだ先にある宝石店のドアが開き中年貴族が出てきた。貴族はキョロと外を見渡し、それから俺と対峙している女に気づいたのか、その重たそうな体を揺らしながら慌ててこちらへと駆けてきた。
「こ、これはこれは、エルセッド侯爵様のご令息ではございませんか!!娘が何かご無礼をしでかしましたでしょうかっ!??」
「……ドルマン男爵か。丁度いい。貴殿には近々話を聞きたいと思っていたんだ」
「は、話…ですか…??」
「…あぁ。貴殿が娘に加えたその女がどうも私の婚約者は死んだと吹聴しているらしくてな。その一見して侯爵家を敵に回すような言動にどういう意図があるのか、是非ともこの若輩者に教えて頂きたい」
丁寧にそう伝えるとドルマン男爵の顔が一気に青ざめ、ガクガクと震えながら俺と女の顔を交互に見て、女に事実なのか問いただした。どうやらドルマン男爵は何も知らなかったようだ。
「え…だって、アルバートの婚約者がイジメで自殺したってほんとの事でしょ?なのにみんな知らんぷりして…、そんな人いないなんて言ってておかしいよ!!」
「お前…なんて事を…ッ!?」
「だってアルバートは傷ついてるんだよ?そっとしてても死者は蘇らない。見て見ぬふりせずに、受け入れて前を向かせなきゃ!」
「ね、アルバート!」と先ほど注意したにも関わらず俺を名前で、しかも呼び捨てする女に、冷めた視線を向ける。思っていた反応と違ったのか女の足が半歩だけ下がった。
「……どこでそんな与太話を仕入れたかは知らないが、俺の婚約者は生きている」
「………………へ??」
護衛から剣を受け取りレンガ敷きの隙間を狙って地面に突き立てる。威嚇するように大きな音が辺りに響き、剣の持ち主である護衛が僅かに悲しそうな顔をしたのがわかった。いや、ちゃんと弁償はするぞ…。
無論、誰の足も巻き込んではいない。しかしその勢いに呑まれたのか、女は力なく腰を抜かしていた。
「――貴様は何の話をしている?全てを吐け」
そこでようやく小説と違う事に気づいた女。その顔は男爵よりも蒼白だった。
◇◇◇
「ご卒業おめでとうございます。アルバート様」
「ああ、ルチルも」
――18歳、最終学年を終え私たちは無事に卒業の日を迎えた。入学当初に思い描いていた地味な学園生活とは程遠かったけれど、アルバート様と共に生徒会で忙殺された日々もまた充実したものだった。
なにより生きている。虐められる事もなかった。それだけで満点だ。
卒業を祝う生徒たちを少し離れた場所で見ながら、私自身も万歳をして喜びを噛みしめる。その隣でアルバート様は小さく笑っていた。
(でも…アルバート様はもうヒロインと出会ってるはずですよね…?小説どおりなら、卒業の時点ですでに両思い、だったような…)
学校は代わってしまったけれど、二人は運命の相手なのでなんやかんや出会い愛を育んでいると思っていた。けれどアルバート様からはそんな気配は一切ない。もしかすると言い出せずに困っているのだろうか?
「………あ、あの、アルバート様。もう卒業しましたね…!」
「そうだな」
「ええと…その、来月には私との結婚式が控えているのですが…」
「そ、そうだな」
周囲に聞かれないように声を落とした結婚式という言葉に、僅かに狼狽えたアルバート様。やはりこれは何かある!!
「――あの、私に何か、言いたい事があるんじゃないですか??」
(好きな人が出来たとか、婚約を解消したい、とか!!)
正直淋しい気持ちはあるけど、今なら卒業の興奮のまま送り出せるだろう。出来るだけ言い出しやすい空気を作って受け入れてあげよう。そう思い、拳を握ったままアルバート様に詰め寄ると、彼は少しだけ考えるような素振りを見せた。
「…言いたい事………そうだな…。これは伝えておくか…」
――ああ、やはり言いたい事があるんだ。
想定通りなのに僅かに胸がズキンと痛む。そんな私に向き直るとアルバート様は酷く真面目な顔で告げた。
「『ヒロイン』には退場してもらった」
「…………………」
…………ええと…………なんて??
「……へ?え??」
「お前が期待した様な心変わりもしない」
「…え!?ちょ、ちょっと待ってくださ……!?」
混乱する私をよそに、アルバート様は淡々と続ける。待って、情報が濃すぎてうまく頭に入らないです!!
「…だから、いい加減お前も――」
――覚悟しろ。
陽を遮る様に顔に影がかかり、アルバート様の顔が近づく。その距離感に驚いている内に、柔らかな唇がふにと合わせられ…
「――――ッ!????!??」
キスされた!?こんな人がたくさんいる広場で!??周囲の注目を集めながら、口を手で押さえながら後ずさると、アルバート様の手が腰に回され退路を塞がれた。
「あ、ああああアルバート様…!?なぁ…なにを…っ!??こんなっ…ところで…!!」
「…愛しい婚約者に口づけして何が悪い?」
「なぁああっ!?」
「……先ほどちゃんと卒業はしたからな。ルチルとの約束は果たした」
卒業するまで婚約者の正体は内緒に。確かにそう言っていたけれど。確かに先ほど卒業はしたけれど!
品行方正な侯爵令息の突然の行動と婚約者暴露に、周囲にいた生徒たちが一斉にざわめく。
「…嫌だったのか?」
「いっ、嫌なわけじゃ…なくて…その……えっと…!?」
婚約が解消されると思っていたのに、一気に詰められた距離感に頭が混乱する。なに、なにが起こっているのでしょうか!?
(お、驚いたけど嫌だったわけではなくて、でもヒロインは……あれ?さっき何か重要な事を言われた気が…ええと、き、キスで吹き飛んで…!??キス、キスは……そう…)
――嬉しい、と。確かに感じてしまっていた。
(あれだけ逃げて隠れて、守ってもらって…、好きな人が出来たら潔く身を引こうだなんて驕っていたのに…。……でも…私を選んで貰えたことが…すごく、こんなにも嬉しくて……)
気づいてしまった感情に心の中がジワリと熱くなる。うまく言葉にならなかった声が息として溢れた。
こんな何年も逃げ続けた情けない婚約者なのに。嬉しかったのだと、この気持ちを伝えてもいいのだろうか。ちらりと見上げると濃い青の瞳が少し不安そうに揺らしながら私の返答を待っている。
(アルバート様…)
…だから私は、自分の素直な気持ちをアルバート様に……
「し、……下まつ毛が…長いな、と…、思いましたッッ!!」
「……お前、この期に及んで感想がそれか!?」
そう呆れたように怒るアルバート様。けれどその瞳に愛おしさが宿っている事に気付いてしまって……気付けるようになってしまった自分の変化がひたすらに恥ずかしくて。
「か、勘弁してくださいぃ……!!」
私は赤く染まりきった顔を両手で覆い、泣き出しそうなほど潤んだ目を隠し、「この気持ちはまだ秘密にしたい…」と、そう強く願うのだった。
◇おしまい◇
溺愛系ラブコメ長編『オマケ召喚されたモブですが、公爵令息に外堀埋められてました』が完結しました!
こちらも併せてよろしくお願いします。
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