第13話「断絶の終わりと揺るぎない刻印」
ひび割れた灰枯れの森の曇天から、一筋の薄い陽光が斜めに差し込んでいた。
粉々に吹き飛ばされた古木の残骸と、すり鉢状にえぐられた巨大なクレーターの中心で、重く湿った風が吹き抜けていく。
学園から駆けつけた教師たちと救護班の生徒たちは、すり鉢の縁に立ったまま誰一人として声を発することができなかった。
彼らの視線の先には、泥にまみれた漆黒のコートをまとうレオン・ヴァレンタインの姿がある。
彼は両腕の中にエドガー・オルコットの細い身体を抱き抱え、周囲の何者をも寄せ付けない冷ややかな威圧感を放っていた。
先ほどまで森全体を震わせていた狂気のような魔力の暴走は、すでに微塵も残されていない。
現在のレオンの身体を覆っているのは、深く静まり返った湖面のような、完璧に統制された静謐な魔力だった。
それは、長年にわたって彼を苦しめ続けてきた過負荷の激痛が、根本から取り除かれたことを意味している。
教師陣の一人が、恐る恐る口を開こうとして一歩だけ足を踏み出した。
その瞬間、レオンの血のように赤い瞳が、鋭い刃となってその教師を真っ直ぐに射抜く。
言葉は何も発せられなかった。
しかし、その冷酷な一瞥だけで、近づけば容赦なく命を奪うという明確な殺意が周囲の空気を凍りつかせた。
教師は息を呑んで顔を引きつらせ、弾かれたように後ろへと後ずさる。
レオンはそれ以上彼らに注意を払うことなく、腕の中のエドガーへと再び視線を落とした。
その赤い瞳の奥に宿る光は、外敵に向けられていた氷のような冷たさから一転し、ひどく柔らかで熱を帯びたものへと変化する。
彼はエドガーの背中と膝の裏に太い腕を差し込み、慎重な動作でその身体をしっかりと胸に抱え直した。
そして、周囲を取り囲む者たちの存在を完全に無視するようにして、クレーターの底からゆっくりと歩みを進め始める。
一歩を踏み出すたびに、分厚い革靴の底が水を吸った腐葉土を重く踏みしめる音が響いた。
重装備の生徒たちが道を塞いでいたが、レオンが近づくにつれて、彼らは見えない巨大な圧力に押し出されるようにして次々と道を空けていく。
誰一人として、彼らの歩みを止めることはできなかった。
エドガーはレオンの広い胸に顔を押し当てたまま、その力強い心音をすぐ耳元で聞いていた。
先ほどの精神同調で自身の魔力と体力を限界まで使い果たした身体は、指一本動かすことすら困難なほどに重く鉛のようになっている。
しかし、恐怖や不安はどこにもなかった。
自分を包み込んでいるこの腕の温度と、背中を支える強靭な筋肉の感触が、何よりも確かな安全を教えてくれている。
レオンの規則的な歩みの揺れが、心地よい子守唄のようにエドガーの意識を少しずつ微睡みの底へと引きずり込んでいった。
エドガーは安心しきったように小さく息を吐き出し、そのままゆっくりと重い目蓋を閉じる。
周囲のざわめきや森の冷たい空気は遠ざかり、レオンの体温だけが世界で唯一の輪郭となってエドガーを優しく包み込んだ。
どれほどの時間が経過したのか、エドガーの意識は深い水底から浮上するようにしてゆっくりと現実世界へと戻ってきた。
鼻腔をくすぐったのは、森の腐葉土の匂いではなく、清潔なリネンと微かな薬草の香りだった。
重い目蓋を押し上げると、真っ白な漆喰の天井が視界の全面に広がっている。
そこは学園の医務室ではなく、西塔の最上階に位置する教職員専用の特別療養室だった。
エドガーは自分が柔らかく分厚い羽毛布団の中に寝かされていることに気づく。
泥まみれだった制服は脱がされ、肌触りの良い真っ白な綿の寝巻きに着替えさせられていた。
身体のあちこちにあった擦り傷や打撲の痛みも、高度な治癒魔術を施されたのか、微かなだるさを残すのみで完全に消え去っている。
エドガーは布団からゆっくりと腕を出し、自身の首筋へとそっと触れた。
レオンの熱い指先が触れ、魔力の刻印が残されていた場所である。
皮膚の表面に傷跡はないが、目に見えない深い部分で、レオンの魔力と自身の波長が静かに、そして強固に結びついている感覚が確かにあった。
それは鎖のような束縛ではなく、互いの存在を常に感じ取ることができる温かい命綱のような結びつきだった。
部屋の窓には薄いレースのカーテンが引かれ、傾きかけた夕日が柔らかなオレンジ色の光を室内に投げかけている。
そのとき、部屋の重厚な木製の扉が、音もなく静かに押し開かれた。
廊下の薄明かりを背にして入ってきたのは、レオン・ヴァレンタインだった。
いつもの威圧的な漆黒のコート姿ではなく、簡素な黒いシャツに身を包んでいる。
襟元は少し開けられ、戦闘魔術の教官としての張り詰めた空気はどこにもなかった。
彼の手にはめられていた黒い革手袋も外されており、無数の剣だこが刻まれた大きな手が無防備に晒されている。
レオンはベッドの上で身を起こそうとしているエドガーの姿を認めると、長い足を静かに動かして歩み寄ってきた。
絨毯が足音を吸い込み、部屋の中には彼の微かな衣擦れの音だけが響く。
レオンはベッドの脇に置かれた椅子に深く腰を下ろし、真っ直ぐにエドガーの顔を見つめた。
「目が覚めたか」
その声は、かつての氷のように冷徹な響きを完全に失い、ひどく穏やかで低い熱を帯びていた。
「はい。身体の痛みは、もう全くありません」
エドガーが答えると、レオンの大きな手が伸びてきて、エドガーの頬をそっと包み込んだ。
熱く乾いた手のひらの感触が、心地よい温度を持って肌に伝わってくる。
かつてのように、過負荷の苦痛を和らげるためだけにすがりついてくるような必死さはそこにはない。
ただ純粋に、エドガーの存在を確かめ、慈しむための静かで優しい接触だった。
「お前が三日間も目を覚まさないから、俺は医務官の首を本気で刎ね飛ばそうかと考えていたところだ」
「三日間も、眠っていたんですか」
「ああ。精神同調による魔力の枯渇だ。無理もない」
レオンの親指が、エドガーの目の下をいたわるようにゆっくりとなでた。
その瞳の奥には、エドガーを失うかもしれないという恐怖を味わったことによる、暗く重い疲労の影がわずかに残っている。
エドガーはレオンの手のひらに自身の頬をすり寄せるようにして、安心させるための小さな笑みを浮かべた。
「教官の過負荷は、もう大丈夫なんですね」
「ああ。お前の波長が、俺の魔力回路の深淵まで完全に同期してくれた。信じられないほど静かだ」
レオンはそう言いながら、ベッドの脇のサイドテーブルに置かれていた水差しを手に取った。
透明なグラスに水を注ぎ、エドガーの口元へと慎重に運んでくる。
エドガーはレオンの手を借りながら、冷たい水をゆっくりと喉の奥へと流し込んだ。
渇いていた粘膜が潤い、生きているという実感が身体の隅々にまで染み渡っていく。
グラスをテーブルに戻すと、レオンは再びエドガーへと向き直り、真剣な表情で言葉を紡ぎ始めた。
「対立派閥の連中については、すでに学園長が動いた」
「あの、僕を森で孤立させた上級生たちは……」
「全員、退学処分の上で王都の警備隊へ引き渡された。俺の伴侶を謀殺しようとした罪だ。彼らの背後にいた貴族たちも、すでに政治的な力を削がれている」
レオンの言葉には、一切の容赦がない冷酷な響きが混じっていた。
しかし、その冷酷さはエドガーを守るための強固な盾として機能していることが痛いほどに伝わってくる。
「学園側も、我々の関係に対する一切の干渉を放棄した」
「干渉を、放棄したのですか」
「俺とお前の魂の結びつきは、すでに特異覚醒者と導き手という枠組みを遥かに超えている。これを引き裂こうとすれば、俺がこの学園そのものを灰燼に帰すことを彼らは理解したのだ」
レオンの赤い瞳が、夕暮れの光を受けて静かな決意の炎を燃やしていた。
教師と生徒という立場の壁は、あの灰枯れの森の奥深くで、すでに完全に崩れ去っていたのだ。
誰に何を言われようとも、どんな規則があろうとも、二人の間にあるこの深くて熱い繋がりを断ち切ることは、もうこの世界の誰にもできはしない。
エドガーは自身の胸の奥で、魂が静かに震えるのを感じた。
それは恐怖ではなく、果てしない安堵と、この目の前にいる男と共に生きていくという確固たる覚悟の芽生えだった。




