アブラムシは必死に生きている
十月末、今年もまたこの時期がやってきました。
自宅から車で三十分ほどの場所に農地を借りて、季節の野菜を栽培しています。合同農園でそれぞれ十畳ほどの広さです。
ホームセンターで必要な農具を手に入れ、鍬で土を耕し、肥料を入れ、畝を立てて、レーキで馴らしてからポットで本葉が四〜六枚ほどに育ったそら豆を植え付けます。株間は五十センチほどと広くとります。
病院へも毎日行きますが、自宅を含めた各箇所が正三角形を結んだ距離が幸いです。
そら豆は寒さには強いですが、強風や霜に当たると弱ってしまうので、トンネル支柱を立てて寒冷紗をかけます。
すい臓がんの診断を受けたのは、白目に黄疸が進行している時で、すでにステージ4でした。自覚症状はまったく無かったようです。
年を越え、二月三月とまだまだ厳しい寒さが続きますが、日中に少しずつ暖かい日差しが届く頃、そら豆は急激に活発になります。
身体中に黄疸が広がりました。手術や抗がん剤、ホルモン剤などの薬物療法を捨て、免疫療法、つまり自宅で通常の生活を行う自然療法を話し合いの末、選びました。
脇目がたくさん出てきたので、元気の良さそうな五〜六本を選んで、他は根元から取り除き風通しを良くします。
日常生活には何も問題はありませんが気だるさがあるようです。一歩を踏み出すのが億劫に見えます。
三月になり、開花と結実が活発になり水分をこれまでより多く欲するので注意が必要です。病害虫の発生にもより注意が必要です。
布団にいる時間が日を追って長くなり、食欲もなくなっています。
五月になり、そら豆が緑鮮やかに膨らみ、自重でお辞儀をするように傾くころが収穫時です。ぷっくりと良く肥った豆たちはとても美味しそうです。
肩を貸してトイレに行く以外、布団の上の日々です。白目は黄色に変色して、身体中も黄色味がかった肌色といったところで、毎日濡れタオルで拭いていると目が熱くなります。本人は何もいいません。
農園に三日間行けませんでした。
夜、トイレ補助をしていると本人の口から「今日で最期みたいや」と、ぼそっといわれました。「そう」とだけ返事をしました。
どうしても農園が気になって仕方なかったので、なんとか時間をつくって行ってみると、悲惨な光景が目の前にありました。下葉のあちらこちらが黒くなり、上位葉の多くがテラテラと光っています。アブラムシの仕業に違いなく、すす病が多くで発生しています。消毒をするか一瞬迷いました。今ならまだ間に合う気がしました。ですが、今すぐその準備と散布をしている時間はなく断念します。
いよいよこちらの問いかけにも応答が怪しくなってきたので、掛かりつけの病院へ搬送してもらいます。各所へ連絡をすると近くに住んでいる親戚などがすぐに駆けつけてくれて、励ましの言葉を病床の人へ送りつづけます。反応が少ない中、娘の名を出すと瞼が大きく反応します。彼女は臨月を迎えて今日を明日をの日で、クリニックで彼女なりに戦っていました。
車を駐車場に停めて農園を訪れると、葉はほとんど萎れていました。光合成を阻害された実が肥ることはなく悲惨な情景が目の前にあり、それを前にカクッと首が折れました。アブラムシさん、ひどいです。収穫量はほんのわずかでした。合同農園なので、他の借主の畑にこちらの被害が移らぬよう、すぐにすべてを抜根します。残渣は畑に放置せずに外に持ち出すのが鉄則です。
前日、夫の魂はどこかへ逝ってしまいました。
前日、娘が新しい命を誕生させました。
わたしは来月三十三歳になります。もう若くはありません。




