若いうちはそんなもんだ、と言われましても
ギャグと言うには勢いが足りない
ミリア・ヒューストンには婚約者がいる。
身分は同じ子爵家で、領地が隣のサイモン・アルガトリー。
親同士の交流があり、身分もそこまで高くないが故に婚約者を選り取り見取りなんて事もないために、身近で上手くやれそうな相手との縁を繋いでしまおうという事から結ばれた婚約だった。
だがしかし、ミリアとサイモンの仲は悪い。
親同士がいくら仲良しであろうとも、二人の仲は最悪である。
ミリアはいつも自分の事を貶してくるサイモンの事が大嫌いであった。
政略でどうしても結婚しなければならない、という重要な意味を含む婚約ではないのなら、わざわざ結婚する意味が見いだせない。
だからこそミリアは両親に訴えたのだ。
婚約の解消を。
ところが父はそれに難色を示した。
サイモンがミリアを気に入っている事を知っているからである。
確かにミリアを前にするとサイモンは口が悪くなるが、しかしそれは照れ隠しによるものだ。
婚約の話が出た時にミリアの姿絵を見せた時から、サイモンはすっかりミリアの虜なのである。
それを知っているからこそ、父は微笑ましく見守る姿勢をとっていた。
ちなみに母はミリアが嫌がるなら婚約解消すればよろしいのに……という反応である。
そもそも最初の顔合わせの時点で、サイモンが耳まで真っ赤にして照れているのはミリアの母もサイモンの母もわかってはいたけれど。
しかしそれでも最初の挨拶よりも先に、お前みたいなのを嫁にもらってやるんだから感謝しろよブス! とのたまったクソガキをあらあらまぁまぁと微笑ましく見守るつもりは母親たちにはなかったので。
サイモンの母は直後サイモンの脳天に扇子を振り下ろした。ずぱんっ! という音が響いた直後、サイモンは頭を押さえて蹲ったが、ミリアはそれを見ても全然可哀そうだと思わなかった。むしろいい気味である。
サイモンに代わって謝罪したサイモンの母に関してはミリアも、おばさま大変そう……と同情したが、だからといってサイモンへの好感度に何らかの手心が加わる事などなかったのである。
その場で即座に関係をなかった事にできればよかったが、サイモンの父がきちんと教育する事を条件に婚約はそのまま結ばれてしまったのである。
ところが、そこから一向にサイモンは成長しなかった。
いや、肉体的には成長しているが、精神面は全くもっていつまで経っても好きな子相手に素直になれないクソガキメンタルのままだったのだ。
一応ミリアは三年程我慢した。
別にもっと早くにブチ切れても良かったのだが、とりあえず白い結婚でも三年程の時間を要するというし、たとえ今はまだ結婚していなくとも、三年という時間の猶予を与えた上でダメなら向こうもこれ以上ごちゃごちゃ言わないだろうという算段からである。結婚前の三年が駄目なら結婚後も駄目だろう。
「いやまぁ、ミリアの言い分もわかるけれども、だな。
だがしかし、男というのは素直になれない時があるのだ……
サイモンは間違いなくミリアの事を好いている。そしていつだってミリアに対して素直になれず、後になって部屋の中で後悔して落ち込んでいるという話をだな……」
「どうでもよろしい。そもそもわたくしは見ていないので、そんな事はいくらでも捏造できますわ」
バッサリ。
そんな音が聞こえてきそうなくらいバッサリだった。
この場合どうしたってミリアが正しい。
いくら相手の心の中はこうなんだよ~と擁護に入られたところで、ミリアからすればそれが真実であるかはわからないままなのだ。自分がその様子を見たのであればまだしも、見た事など一度もない。
「というかお父様。今しがた男には素直になれない時があるのだ……キリッ、とかのたまいましたけれど、お父様にもございましたの?」
キリッ、は言ってなかったのにあえて強調してきたミリアに口元が引きつるのを感じたが、しかしその言葉が好機なのではないかと思い、父は「あぁそうだとも」と頷いた。
「そう、お父様にもあったのね……」
なんて呟いて思案顔をするミリアに、父は希望を見てしまった。
「お母様。お母様とお父様との婚約もかなり早い段階で結ばれたと聞いておりますが、つまりお母様も初めての顔合わせの時にブスと罵られ仕方なく嫁にもらってやると居丈高に宣言されましたの?」
「ブフォッ」
「いいえ? そんな失礼な事言われていたらいくら初対面でも私、扇子で横っ面引っぱたいた上で相手の足の甲をヒールで踏み抜いていたでしょうね」
突然横から殴られたみたいな声を出した父の事など気にせずに、ミリアは母へ視線を向けたし母はおっとりとした口調でそんな風に返した。
「では、その後の交流の時においブスと名前を呼ぶ事すらなかったりだとか、相変わらずしけたツラしてんなブスと罵られたり?」
「いいえ? 一度もないわよそんな事。あったら今頃この人は私の隣にいません」
「えぇ? でも今お父様は自分にもそんな時期があった、みたいに言ってましたわ?
あっ、ではお付き合いをしていた時ではなく、結婚した後からですの?」
「結婚後にそんな態度に出ていたら今頃この人は「その通りですマスター」か「愚かなわたくしめを罰して下さい」のどちらかしか喋れない身体になっていたわね」
「……では、別にお父様にはそんな時期がなかったのに嘘を?」
「い、いや、それはだな……」
じっとりとした目を向けられて、父は一瞬で冷や汗をかいた。背中側が妙にしっとりしてきた。
「や、確かになかったかもしれないが、割と一般的だからっていう意味で言っただけで」
しどろもどろになりつつも、口にした言葉はなんとも微妙なものだった。弁明にもなっていやしない。
「ふむ? つまり好きな相手にそういう態度に出た事はなくても、怪我をしたわけでもないのに突然眼帯をした挙句封印されし右目がどうのこうのだとか、左手に包帯を雑に巻いた上で我が右手に封じられし邪竜がとかの方向性だったと……?」
「ないないないッ! なんだその妄想は! というか左手に包帯巻いてるのに右手が封じられてるとか設定おかしいから!」
「思春期にはありがちだと聞いております。実際、従弟がそうだったではありませんの」
「うぐっ」
聞いた話だけならただの噂に踊らされたな、で済んだけどしかし実際に従弟が去年まさにそうだったので、笑い話にもなりやしない。なお今年の従弟は去年の事を全て黒歴史にしたので、その話が出たらソファやベッドにうつ伏せになって足をバタバタさせて身悶えて奇声を発するようになってしまった。
その話題を出さなければ普通なので、今のところ周囲で変人のような扱いはされていないようだが……
従弟に対する周囲の目が哀れみを持つかどうかは、ミリアやこの話を知っている者たちのその時の気分である。
その時の気分次第で従弟は可哀そうに、黒歴史を穿られるのだ。
「……あぁ、お父様ももしかしてそっち系ですの?
ちょっと気になってきたので、おじい様やおばあ様、その他親戚の方々にも聞いてみましょう」
「やめろください」
父は少なくともそんな事をした覚えはないが、しかし自分が憶えていない過去のやらかしがひょっこり出るかもしれないと考えると好きにしなさいなんて絶対に言えなかった。
「では、好きな相手を前に暴言しか言わないクズ野郎ムーブをかます男が他にいないか、ちょっと親類縁者くまなくあたってみますね」
「それもやめなさい」
「アレもダメこれもダメ……まったく、お父様は本当に我侭ですね。いつまでお子様気分ですの?
お母様、本当にこの方が夫でよろしいの?」
「だめかもしれないわね」
「おいっ!?」
「大体、そんなにあのクソガキ坊ちゃんと婚姻関係になって家同士の縁を繋ぎたいのなら、それこそ今からでもお父様が性転換でもして自分で嫁げばよろしいじゃありませんの。
というか既にあちらの家とはお父様とお母様とで友好的な関係なんだから、婚姻関係になってまで結ぶ縁なんてないでしょうに。
そうまでして繋げなければならないくらいお互いの家の関係は儚いものですの? 違いますよね?
それでも、どうしても私とあのクソ野郎を結婚させるというのなら、嫁入り道具にはキャット・オブ・ナイン・テイルを持ち込みますわよ。いつ振り下ろされる事になるのか見物ですわね。
初夜に辿り着けるかどうかさえ怪しいですわ。
蠢く肉塊になるのが先か、その前に私の前で「わん」としか言えない身体になるのが先か……お可哀そうに。親の都合で望まぬ結婚を強いさえしなければあんな悲惨な事には……」
既にミリアの脳内ではとんでもない事になっているらしく、その目は何かを憐れむようであった。
いや、実際憐れんでいるのだろう。
そもそもキャット・オブ・ナイン・テイルを嫁入り道具に持たせる家がどこにあるのかという話だ。
王家に長年仕えている暗部ですらそんなもん嫁入り道具にしないはず。
……してたらどうしよう。
今更のように父の脳裏にそんな不安がよぎるけれど、だからといって確認のしようもない。
「貴方、いいんですか? 今すぐ婚約の解消に動いた方がよろしいと思うの。
そうじゃなかったら、本当にサイモンが死ぬわよ」
「その前にお母様とお父様が離縁して私はお母様と共にお母様の生家へ身を寄せる、というのもありですけど」
「そうねぇ、貴方にわざわざ望まぬ結婚を強いるくらいならそれも有りかもしれないわね」
「待て待て待て、わかった! わかったから!」
「仮に離縁しなくても、サイモンが死ねばその原因を作ったのはだぁれ? って話よね。
お互いの家の関係が一気に悪化しそうね」
「本当にわかったから! 今から話し合いしてくるから!」
「大至急ね。
私たちは貴方が戻ってくるまでの間に手紙を書きます。親戚たちへの手紙を。
そうして彼らが知らない貴方の恥ずかしい過去を暴露するかもしれません。
えぇ、どこまで広まるか、楽しみね」
「あぁ、それでは私はお父様が三日前にお酒を飲んで寝落ちした時の寝言を綴りましょう。
スッコンドライン卿とパッポンギュットナー女史の恋の行方がとても気になるところで終わりましたから、このもやもやを共有しなければ」
「それはいいわね。私最初の方あまり聞いていなかったのよ。私にも一部貰えるかしら?」
「わかりましたお母様。あ、では手紙ではなく本にしましょうか。結末がわからないので何とも中途半端になってしまいますが」
「続きがどうなるのか知る事が果たしてあるのか、とても謎ね」
「なぁにそれぇ!? 本人全く知らないんだが!?」
「そんなところで喚いている暇があるなら早く話をつけていらっしゃいな。
それとも、三日前の寝言の続きを語ってくれますの?」
「行って! きます!!」
期待させといてオチがつまらなかったら承知しませんよ、とばかりの目を向けられて、父は速やかに部屋を飛び出した。出だし好調なロケットスタートである。
馬車で悠長に揺られてる場合じゃねぇ。そんな勢いで馬に跨り隣の領地まで爆速で向かったのであった。
ミリアの父とサイモンの父は、幼い頃からの友人であった。
大人になって成長したら付き合いは途絶えてしまうのではないか……とも考えていたが、しかし付き合いはずっと続いた。
大人になって結婚した後くらいで途絶えるかと思った付き合いは、しかし今でも続いている。
この先もずっと縁が続けば……そう思って、自分たちが死んだ後も子孫たちが仲良くやっていければ……と思ったからこその婚約でもあった。
サイモンはミリアの絵姿を見てズギュウン! と恋に落ち、ミリアと会う前日は興奮しすぎて中々眠れない、なんて事にもなっていたのだ。
そうして迎えた初対面の日。睡眠不足もあったとはいえ、それでも絵姿以上に本物が素敵だったこともあって。
サイモンの恋心は最高潮だった。
その直後、テンパッた事で出てしまった暴言でミリアの方の恋心は育つ前から木っ端微塵になったのだが。
その後も何度か矯正しようと努力はしたのに、しかしサイモンは好きな子を前にすると頭の中が真っ白になって自分が何を口にしているのかわからなくて。
そうして直後に母に扇子で叩かれて、そこで失敗したと気付くのだ。
ミリア以外ではそんな事にもならないから、ミリア限定での厄介なあがり症もどき。
父親たちは微笑ましく見守っていても、女親からすれば微笑ましくもなんともない。
ミリアに至っては恋心どころか殺意が育ち始めている。
三年様子を見て駄目だと思ったからこその申し出だったのだから。
先触れもなしに馬で単騎で乗り込んできたヒューストン子爵に、婚約の話、無かった事にしよ? と言われたアルガトリー子爵はサイモンの気持ちを考えて、是とは言えなかった。
けれどもこのままでは、男は素直になれない時がある、という事からミリアが周囲の男衆にこういう事した事あります? と調査の如く聞いて回るだろう事を仄めかされ、このままでは自分たちの黒歴史や、サイモンのクソガキムーブが広まらなくていい範囲にまで広まるであろう事を説かれると、流石に拒否し続けるわけにもいかないな……と年貢の納め時を感じ取っていた。
それに反対したのはその場に居合わせたサイモンである。
ミリアの事が好きで、大好きで。
けれども彼女を前にすると口からは思ってもいない言葉が飛び出てしまうのだ。
なんとか治そうとしているが、今のところ全く改善の兆しがない。
治したくとも何をどうすれば治ってくれるのか。
いっそミリアに恋をしなければ、こんな風にならないのか。
けれど、ミリアへの恋を捨てるなんてやろうと思ったところでできるはずもない。
サイモン自身、この気持ちに振り回されてどうしたらいいのかさっぱりだった。
直接会わず、手紙から交流を始めていたらもしかしたら暴言が飛び出る事はなかったのかもしれないが、そんなものはもしもの話だ。
サイモンにとってミリアという存在は、あまりにも強烈だった。
けれども、ミリアからすればそんな事は知ったこっちゃないので。
「このまま結婚するとミリアが嫁入り道具にキャット・オブ・ナイン・テイルを持ち込む。
その状態でサイモンがつい思ってもいない暴言を口にしたら、あの子はそれを振り下ろす手を躊躇しないよ。
肉塊になるのが先か、わんとしか言えない身体になるのが先かと言っていた」
ヒューストン子爵の言葉に、アルガトリー子爵も言葉を失った。
そこまで。
そこまでか、と。
「え、あの、キャ……なんです?」
ただ、サイモンは理解できなかったようで、聞き返してきた。
キャット・オブ・ナイン・テイル。
言ってしまえば鞭の一種である。
鞭の先端が分かれていて、さながら猫のしっぽのように伸びているそれらには棘がついていて、先端には分銅のような重りがつけられている。
ナイン、と言うがしかし実際は二本から十三本程まで、実に様々だ。
使い手によって増減されるのである。
そしてそれらは基本的に罪人に振り下ろされるもので。
棘がついたそれが打ち下ろされれば皮膚を裂き肉が切り裂かれ、激しい痛みにのたうつ事になる。
刑罰の際に使われる事もあるが、もっと言うのであれば拷問用に使われる事もある鞭。
それが、キャット・オブ・ナイン・テイルだ。
つまりミリアの言葉は、サイモンがまた暴言を口にした時点でキャット・オブ・ナイン・テイルでもって打ち据えると宣言している事になるし、更には肉塊になるまで振り下ろす事も辞さないという意味である。
流石にそこまでいけば暴言よりも命乞いの言葉しか出てこないのではないか……とミリアが思っているかはさておき。
そうする事を躊躇わない程度にミリアに嫌われていると突き付けられてしまえば、好きなあの子との婚約をなかった事にしたくない! なんてごね続けられるわけもない。
このままだとお前、死ぬぞ。
そう言われているのだから。
死んでもいいから添い遂げたい! と言えるだけの気概がサイモンにあったとしても、その時はミリアはきっと躊躇う事なく「では死になさい」となるだろう。サイモンはそんな未来を想像できてすらいないだろうが、しかしヒューストン子爵はありありと想像できてしまった。
妻に似て苛烈な娘であるが故に。
そしてアルガトリー子爵も察してしまった。
「なんか、うちの息子がすまん……」
「いや、いいんだ。だってまだ皆生きてる」
「そっか」
「あぁ、あと早く帰らないと黒歴史がばらまかれそうなんでもう帰るな」
「おう。落ち着いたら改めて会おうな」
「お互い生きてたら会おうな」
アルガトリー子爵の背後で笑顔で鉄扇を素振りしている奥方を見れば、別れの言葉だってそんな風にもなるというものだ。
まるでこれから死地に向かうかのような挨拶であるが。
ヒューストン子爵は普通に自宅に帰るだけである。
帰って、婚約の解消はお互い同意しましたよ、と報告して。
それでもきっと、当分は肩身の狭い思いをするんだろうなぁ。
そう考えるとちょっとだけ歩みも重くなろうというものだけれど。
遅くなればなるだけ自分にとって恥ずかしい過去が暴露されるかもしれないとなれば。
乗ってきた馬に「ごめんなぁ、もうちょっと頑張ってくれなぁ」と情けなく頼み込むしかなかったのである。
ちなみに酔って寝落ちした時に寝言で語ったとされるスッコンドライン卿とパッポンギュットナー女史の恋の行方とやらを記した紙を見せられても、ヒューストン子爵にはこれっぽっちも記憶になかったので。
恋の行方は未完のままだ。
昔実際にキャット(以下略)作ろうと思ったけど早々に断念しました。手先にマイナス補正がかかってるからさ……器用さに自信がある人は是非作ってみてくれよな! 使い道はまずないと思うけど。
次回短編予告
王子との婚約。しかし王子は身分の低い娘との恋に落ち、婚約者である自分を蔑ろにしつつあった。
まるで身分違いの恋物語に出てくるような展開。
けれど、物語のように悪役令嬢として舞台を退場するつもりなど、当然ながらなかったので――
次回 それを悪役というのなら
それでも構わない、と思うのです。




