145話 旦那様とピクニック②
「王都の森から帰った日、ぽこが何を言ったか覚えてますか?」
旦那様は、三つ目のあんずを取り出しながら首をかしげた。
「さぁてね。何だったかな」
ぐっと言葉に詰まった。
私がどんな思いで捨ててくれと願ったのか、旦那様には通じていないのだろうか。
吞気にあんずを頬張って歩き出す旦那様の腕の中で顔を仰ぎ見る。
「ここは住みやすそうです。安心してください」
旦那様が私を見た。
精一杯の笑顔になったつもり。旦那様も微笑んだ。
他の人は、旦那様を怖がるけれど、私は一度も怖いと思ったことはない。
旦那様は見ただけで、また前を向いて歩き始めた。
火をおこす準備をした川まで来たら、私を離して川へ入る。
「どれどれ、どのくらい魚が獲れただろうな」
魚をしかけから取り出したら、今度はさばき始める。
ちっとも返事をする気配はない。
「ぽこは、旦那様との間にある種族差を埋めたかったんです。ただそれだけで……」
今度は魚に串を刺し始めた。
隣に座って、眺めることしかできない。
旦那様と一緒に作るご飯が好きだったのに。
くぅと声が出て、旦那様が私をちらっと見た。
私がどんなつもりなのか知っていて知らないフリをしているのかな。
理由が聞きたいけれど、聞けばその話が最後になるかもしれなくて、話し出せない。
「ここに来たら、楽しめるかと思ったんだが、違ったか?」
組んだ枯れ木に、旦那様が魔道具の指輪から火をつけた。
煙が茜色に染まり始めた空に登っていく。
「気晴らしにならないのなら、また違うことを考えなきゃな」
旦那様はそう言いながら、魚に塩を振り始めた。
あっけに取られてその姿を見てしまう。
旦那様は私の一大決心をわかっているのかもしれないし、わかっていないのかもしれない。
どちらにしても、私を喜ばせたいと考えてくれている。
胸がいっぱいになって、屈んだ旦那様の脚の間から太ももに這いあがった。
「おっとっと。どうした?」
手ぬぐいで汚れを拭って、旦那様が私の背を撫でてくれる。
嬉しくて、何度も顎を舐めあげる。ざらざらした髭、昼間かいた汗でしょっぱい。
旦那様は、その場でごろんと仰向けに寝転び、笑い始めた。
急に機嫌がよくなった私がおもしろいみたい。
気が済むまで舐めたら、思い詰めていたことは忘れていいような気がしてきた。
「守りの迷宮の白竜は、あの薬が失敗するって知っていたのかもしれませんね」
貴重な龍の髭を渡してくれるとき、白竜は「余が成し遂げなかったこと、ゆめゆめ忘るることなかれ」と言った。
「あんなに長生きしている白竜です。自分の身体の一部を使った種族変更の薬を知らないわけがありませんね」
きっと薬の結果まで知っているに違いない。
相手は龍だ、私たちの常識は通じない。私が失敗したところで、彼に痛手はないのだから、あぁやっぱり駄目だったかと思うくらいだろう。
「もしかすると、成功するかもしれないとは思っただろうよ」
旦那様が身体を起こして、すっかり落ち着いた炎で魚をあぶり始めた。そして、「成功すれば、悔しいのだろうな」と続いた。
「貴族になるのも校長の話も両方断ろうと思っているよ」
静かな口調に、もう決めたことなのだとわかる。
「いいお話なのになぜ?」
「なぁ、ぽこ。インマーグに帰らないか?」
突然の話に驚き、聞き返してしまう。
「元々温泉宿の資金集めと古の薬のために王都に来たが、キュマ先生はあんなだし、貴族になんかなっちまったら、温泉宿から遠ざかる気がしてならん」
ピーター・ウェインという人物は、相当な切れ者のようだけれど、姿を見せずに旦那様をいいようにしているところが断然気に入らない。
そんな上司を相手に、旦那様が貴族の世界へ飛び込むはずはない。
でも……。それでも気になってしまう。
「それって、ぽこが駄たぬきだからですか?」
そうとは言わなかったけれど、化けられない私を気遣う要素は入っているはずだ。
旦那様の脚を引っ張りたくない。
旦那様は、鼻から大きなため息をついて、仕方がないなぁって顔をした。
私を引き寄せて、組んだ脚の上に座らせる。
至近距離で向き合う。
「俺のぽこは駄たぬきなのかな?」
おでこをくっつけて、優しいお顔で言われたら、返事ができなくなってしまう。
息が苦しくて、頷くことしかできない。
「なら、俺はぽこの駄目なところにも惚れたのだろうよ」
撫でられる頭から尻尾までの毛が逆立った。
「他の誰でも駄目だ。ぽこがいい」
ぽつぽつと諭される言葉は、無口な旦那様の本音だと伝わってくる。
「ぽこを手放すことはできない。それは己を諦めることと同じだ」
旦那様の瞳に映るたぬきの私が見える。
いつの間にか日が暮れて、気の早い秋の虫たちの鳴き声がうるさいくらいに聞こえる。
旦那様の唇が震える。
「ぽこ。結婚して欲しい」
今日、王都の外に捨てられる覚悟でいた。それなのに、旦那様は、私と――。
返事の目に顔がほころんだ。それを見て旦那様が赤くなった顔で破顔する。
「嬉しいです」
何度も夢みた。
今日までは、ただの夢だった。
旦那様は、人間とたぬきはありえないと、最初に言ったはずだ。
人間姿になって、つきまとい、押しかけ女房になって、ようやく恋人扱いされるようになった。
人間になることは、私にとって旦那様に認めてもらうための唯一の方法だった。
旦那様は、私が化け術一つ使えないたぬきでもいいと言ってくれている。
まるで夢のようで、現実だと確信したくて臭いを嗅ぐ。
鼻を伸ばすと、旦那様が身体を屈めて、鼻先に口付けた。
きゅ~っ ぽぉぉぉぉん‼
大爆発が起きた。
気が付いたら、旦那様の膝の上に人間姿で跨っていた。
突然の爆風に驚いて、二人で目を丸くした。
「あんなに頑張ってもできなかったんですよ⁉」
えぇぇ⁉ 巾着ポシェットから葉っぱを出そうとして、旦那様に手を掴まれる。
見上げたら、熱っぽい瞳に言葉が詰まった。
旦那様が私の後頭部を撫でながら、顔を近づけて来た。
目を瞑って優しい口付けを受け入れた。
魂が融け合うように熱く、満たされた想いが身体中に広がっていった。





