144話 旦那様とピクニック①
林に着くと、腐葉土のいい匂いを胸一杯に吸い込んだ。
「旦那様早く!」
「おぉい。待ってくれ」
後ろから来る旦那様の元に走って、また我慢できずに林まで走り、呼ばれては旦那様の元に戻る。
王都は白い山に見えるほど遠く、下草は勢いがあって肉球を刺激する。
雑草から上がってくる濃厚な緑の香り、背中を焼く陽射し、空の高いところで鳶が鳴く声がする。
「気持ちがいいですね!」
「そりゃあ何より」
腐葉土に鼻を突っ込むと、湿っていてひんやりする。ミミズを見つけ、大興奮で掘り出して食べると、旦那様が笑った。
「鼻先が土まみれだ」
途端にくしゃみが出て、今度は二人で笑った。
木漏れ日が旦那様のお顔に落ちて、穏やかな眼差しを照らし出す。
リラックスした顔を見るのは、久しぶりだ。
たぬきから化けられない私を王都の外に捨てて欲しいと言ったら、旦那様はここに連れてきてくれた。
つまり、そういうこと。
今日で最後だという湿っぽい気持ちには蓋をしている。
旦那様がいつか私を思い出したとき、泣いてすがった姿ではなく、元気に山に溶け込んだ姿でいたい。
だから、今日は目一杯楽しむつもり。
旦那様は、荷物を林の中に置いた。
私を置いたらすぐ帰るのでは?
不思議に思ったけれど、旦那様が川に入った水音で気がそれた。
「気持ちいいぞ。入ってみるかい?」
抱っこしようとする腕をすり抜けて、川面へ勢いよく飛び込む。
水しぶきがあがり、水中から浮いたら四つ足で水を蹴る。
冷たさに毛穴がぎゅっと引き締まり、流れに抵抗するために思いっきり身体を動かすのが気持ちいい。
視界がクリアになり、頭が冴える。
「たぬきって泳げるのか」
旦那様が「得意気な顔をしてるぞ」と笑い出して、岸についた私を褒めた。
「流れがある分、川は大変ですけどね」
私が泳ぐといえば、真夏でも冷たい丸湖様だ。
ママが心配する中、兄たちに連れられてよく泳ぎに行った。
「そうだ! 蟹!」
「蟹?」
「丸湖様で泳いだ後は、蟹を食べるんですよ」
旦那様が、魚のしかけを設置する間、私は沢蟹を獲るのに夢中になった。
「そのまま食って泥くさくないか?」
「平気へいき!」
旦那様がいらないというから、見つけた端から食べてしまう。
この歯ごたえが堪らない! 大きな鋏で脅してくるけど、ちっとも怖くないもん!
「痛っ」
蟹に鼻を挟まれて、頭を振る。
蟹が川へ落ちる音がして、旦那様が私を抱き上げた。
「大丈夫そうだな」
涙目になった私を撫でた後、お腹を抱えて笑い出す。
一緒になって笑ってしまう。
火を起こす準備をする旦那様を見ながら、すっかり冷えてしまったお腹を日光浴して温める。
もう少し一緒にいられるみたい。
鼻を高くあげて匂いを嗅ぐ様子を見た旦那様が、周りを探し始めた。
どうも私の鼻を美味しいもの探知機だと思っているみたい。
「あんずだ。いい鼻だな」
手を伸ばして木からあんずをもぎ取り、渡そうとしてくれる。
首を振って、あんずの木にかけ登ったら、歓声が上がった。
慎重に細い枝を渡り、枝の上であんずを食べる。
「何でも器用にできるもんだ」
「化けられなくても、基本的な生活はできます」
「あまり沢山食べると、歯が浮くぞ」
旦那様は二つだけ食べると、いくつか袋に入れた。お土産にするのだろう。
あんずをもう九重蔓の館で食べることはないのだと思うと、胸が締め付けられる。
「そろそろ帰りますか?」
湿っぽい声が出たことにどきっとした。
「お? 疲れたかい? じゃあ、川の方へ戻ろうか」
あんずの木の下で両手を広げる旦那様の胸元向かって飛び降りる。
柔らかく抱かれ、頭のてっぺんの匂いを嗅がれた。
戻る道すがら、旦那様は私を離さない。
旦那様の髭に頭をすりつけながら、私は決意した。
「王都の森から帰った日、ぽこが何を言ったか覚えてますか?」





