143話 ぽこと種族変更の薬②
九重蔓の館に走って戻り、部屋の鍵をしっかり閉めて、窓まで閉めた。それでようやく人心地つく。
うだるような熱帯夜なのに、身体は冷えて強張っている。
キュマ先生がナッツの殻を剥く音が、耳に残っていて追いかけてくる気がする。
ぽこをマントから出し、二人分の水を用意する。
俺の分は杯に、ぽこの分はスープ椀に入れる。
たぬき姿のぽこが、床に置いたスープ椀から音を立てて水を飲んだ。
「恐ろしい男だ」
肩を上下しながら、額にかいた脂汗を手でぬぐって、ようやく話せるようになった。
「まさか、自分や研究員の身体を使って実験するとはな……」
「元には戻れないんでしょうね」
じゃなければ、真っ先に自分を元に戻しているはずだ。
目の前のぽこは、また項垂れて、夏毛がぺしゃんこに寝ている。
「わっ、私、古の薬があんな恐ろしいものだとは思わなくて!」
ぽこがしゃっくりを上げて泣き出した。けれど、たぬき姿のぽこの涙をどう拭えばいいのか戸惑ってしまう。抱き寄せて、顔を近づけると、濡れた鼻先をスンスン鳴らした。
「もし、知らないままで旦那様に飲ませていたら?」
「そうはなってない。自分を責めるな」
身体を揺すってやるが、ぽこは首を振る。
「キュマ先生なら、九重蔓の館に住んでいるってすぐに調べられるはずです。ぽこを捕まえに来ます!」
ラッセルに襲われたのを思い出したらしく、毛が逆立った。
どうする?
鍵は変えたから安全? 鍵なんか斧があれば意味がない。
ケリーが守ってくれる? 犬の話はやめておくべきだ。
ぽこは不安がっているのだから、一緒にいればいいとひらめいた。
「なら、一緒に中央に出勤しよう」
「でも、ぽこは職員じゃありませんから、入れませんよ」
「そうだな……。何かハンカチとか小さな物に化けたら一緒に――」
しくじった。
ぽこは化け術が使えなくなっていたのに、俺は何てことを提案しちまったんだろう。
ぽこは「ぽこは駄たぬきなんです!」と、さらにエスカレートした。
「自分を追い込んで突っ走るなって旦那様は仰ってました。若気の至りだって! 私、私、またやっちゃった? でも、そうでもしないと、一緒にいられない!」
「待ってくれ。お願いだから、俺の話を聞いてくれ」
俺だって種族変更の薬がどんなものか知らなかったし、ましてや百冊も本を出して、人気のキュマ先生が異常者だとは想像もしなかった。
驚き、怖かったのはぽこと同じなのに、ぽこだけが取り乱している。
たぬきだとばれて、狙われたのだから当然か。
だが……。
どこかで俺が安堵しているのは、ぽこが俺と同じように種族変更の薬を恐ろしいと感じて、拒否したからだった。使うと言い出したら、止める方法は少なかっただろう。
俺はぽこに安堵し、ぽこは俺のことを思いやってパニックになっている。
「キュマ先生の薬だけが頼りだったんです!」
「違う! 俺を頼ってくれ‼」
思わず大声が出た。
唸り声を上げていたぽこが腕の中でようやく俺を見上げる。
怖い思いをしたぽこに、大声を出してしまい、申し訳ない気持ちが押し寄せる。
すんっとぽこの鼻が鳴った。
どうしたらわかって貰えるだろう?
しばし考えて、二人が落ち着いて話せるような場所を探す。
「明日も休みを取るよ」
今日も休みを取ったばかりだが、どうしたってぽこを優先したい。
ピーター・ウェインの秘書から正式な返事をせっつかれえているが、ぽこはもう限界だ。
「一緒にピクニックに行こう」
ぽこが首を傾げる。耳が揺れた。一瞬沈黙があり、ぽこが微笑みかけてくる。
「はい。王都の外に行きましょう」
大粒の涙が落ち、絨毯に染みを作った。





