142話 ぽこと種族変更の薬①
キュマ先生の研究室に行くにあたって、ぽこにはマントを被らせた。
服や布で人間の胴体部分を作り、俺が腕に抱えて運ぶ。
こうすることで、化け術が使えなくなったぽこを人間に見立てて、二人でキュマ先生から話が聞ける準備をした。
「いよいよ、種族変更の薬が手に入りますね! ぽこは人間になって、旦那様の嫁になります!」
ぽこは今朝から興奮していて、体温が高い。
自分には種族変更の薬しかないのだと何度も言っている。
研究室の扉をノックしたが返事はなく、中から人の気配もない。
いつもなら、誰かしらいるはずだ。
取っ手を回したら、鍵はかかっていなかった。そっと扉を開いて中を覗き込む。
灯りさえついておらず、誰もいない。
薬を煎じた苦い匂いが残り、大きな鍋が洗って立てかけられている。
奥のキュマ先生の部屋はいつものように灯りがついていた。
薄暗い研究室に入り、キュマ先生の部屋の前で名前を呼んだ。ノックは許されていないが、呼ぶのは聞いていない。
「誰かね?」
深くマントを被ったキュマ先生が扉を開いた。
「あぁ、キュマ先生、オズワルドとぽこです。種族変更の薬はどうなりましたか?」
「入りたまえ」
相変わらずせっかちな先生は、言葉と同時に部屋に姿を消した。
部屋に入ると、珍しくキュマ先生がお茶を淹れてくれた。茶器を出す腕が、やたら毛深い。
あれ、先生ってこんなに毛深かっただろうか?
マントを被っているためによく全体像は見えないが、先生は爆発したような白髪頭が特徴的な老人だ。はつらつとした表情と大きな声に気を取られるから、腕毛までよく覚えていない。
部屋中を落ち着きなく、あちこち動きながらキュマ先生は、紙袋を探し当てた。
中からナッツを出して、カリカリと殻を前歯で剥いては口に放り込んでいく様は、まるでネズミのようだ。
「先生、種族変更の薬はどうなりましたか?」
「君は薬には、副作用があるのは知っているかな?」
俺の質問に被せるようにキュマ先生から質問が出された。
「はい。知っています。狙い以外の悪影響のことです」
ぽこが返事をした。
ぽこがマントを着て抱かれていることの言い訳を山ほど考えてきたが、キュマ先生からは聞かれない。
「そう。そうだ。その通り」
カリカリとナッツの殻が剥かれて、殻が足元に落ちる。
ナッツの音に混じって、何か小さな生き物が動く気配を感じた。
「悪影響をどこまで許容できるかが問題だ。神をも恐れぬ探求心のために、身をささげるものこそ真の研究者と言える」
「先生……? 種族変更の薬には酷い副作用でも?」
熱に浮かれたようだったぽこの声に、戸惑いの色が滲んだ。
「新しい魔法薬ができたとき、安全性を確かめると知っているかね?」
キュマ先生が、ナッツを剥く歯を止めた。頬に剥かれたナッツが詰め込まれている。
ぽこの喉が鳴った音が聞こえた。
「先生、様子がいつもと……」
ぽこの震えが背中に伝わってくる。俺も嫌な汗をかきはじめた。
「どう違うかね?」
先生が、マントのフードを上げた。
思わずぽこを抱いて立ち上がった。
突き出た鼻の先から髭が生え、鋭い前歯が二本出ている。
小さな目と、爆発したような白髪は以前のままだ。
人間と入り混じった具合がさらに不気味さを増す。
「ネズミ……」
沈黙が訪れた。
そして気が付く。あんなにたくさんいた研究員たちは一体どこへ?
この部屋に入ったときから聞こえる、カサカサという音はネズミの気配と似ている。
時間がまた動き出したのは、先生から漏れた鳴き声だった。
「できそこないになったり、変化に耐えきれず死んでしまったりね。困難を極めている。だが、難易度が高い方がやりがいがあるというものだよ」
不気味に笑い、また次のナッツの殻に手を伸ばす。「元には戻れない」とどこからか小さな声がした。「逃げろ」
キュマ先生が、足で床を蹴った。
「余計な事を言うな!」
ネズミの気配が消えた。
キュマ先生が、鼻をひくつかせる。
「あぁ、君はたぬきなのだな。それで人間になりたいのだね」
コトリと音がして、小さな薬瓶が茶器の隣に置かれた。
あれが種族変更の薬だろう。
「我々は似ている。神に与えられた先天的な肉体へのチャレンジ。魂からの欲求に抗うことはできない」
ぽこがフードを外して、たぬき姿を現した。
首を左右にふって否定する。
「怖がることはない。うちのメンバーは皆男だったが、君は女性だ。女性ならば、また違った結果が出るやもしれぬ」
「断る」
ぽこだけを見ていたキュマ先生の目が、俺に移った。苛立ったように髭が持ち上がる。
「しゃべるたぬき、私が希少な実験材料を逃がすとでも?」
キュマ先生の手がぽこに延ばされた。鋭い爪が虚空を切る。
間にあった低い机を蹴り上げて、キュマ先生に熱い茶がかかった。
その隙に、キュマ先生の部屋から出て、外からつっかえ棒を立てる。そのまま走って研究室から出た。





