135話 ぽこと守りの龍②
背負ってきた貢物の箱を降ろして、蓋を開けると、白竜は高い背を屈めて胸いっぱいに白百合の香りを吸い込んだ。
身体を起こすときに、山のように入っている中から一輪抜き出して、うっとりと眺め、鼻にあてがってまた匂う。
男の俺から見ても端正な顔立ちの白竜が、くしゃりと顔を崩して笑った。
「良い品だ。これなら暫くは持つだろう」
人懐こい笑い方に、張り詰めていた空気が一気にほぐれた。
「安全協定は更新された。帰るとよい」
おいそれと口が聞けぬ俺が、納品書を差し出してサインを求めると、白竜は納品書に息を吹きかけた。
返された納品書には、古代文字が書かれてある。
貢物の箱を背負うためのロープを手早くまとめているのを、白竜は薄く笑顔を保ったままで見下ろしている。
己が恐れられていると理解し、少しでも緩和するように微笑んでいるのだろう。
随分と人間に慣れた龍だ。
納品クエストをした人は、無事に返されたというが、大昔には人身御供をしていたというのだから、人間を食うはずだ。何を信じていいのかはわからない。
龍の髭をどう切り出せばいいだろうか。
安全な迷宮にいる龍相手だから、髭も安全に取ってこれるだろうと安易に考えているキュマ先生を恨んでしまう。
俺なら、たとえ蟻やリスが俺の髭を欲しいと言っても、おいそれとやらない気がする。何か見返りがなければ――。
「ぽこたちはお願いがあって来ました」
考えすぎている俺の隣で、ぽこがはっきりと口にした。
思い切りのよさは、俺の想像をいつだって超えてくる。
「ほぅ、人に化けたたぬきとは珍しい」
白竜は目を細めてぽこに先を促した。
今日もぽこの化け術は完璧で、どこからどう見ても人間そのものだ。しかし、白竜はぽこをたぬきと見破っている。
千里眼というものだろうか。真実を見分ける力でもあるのかもしれない。
小手先が通じる相手ではないようだ。
「古の薬を知っていますか?」
「古とつく物なら沢山知っているぞ。余にとってはうたた寝ほどの時間だがな」
「種族変更の薬です。旦那様と結婚して赤ちゃんを産むために必要なんです」
「たぬきと人間の間に赤子と言ったか?」
白竜はぽこを見て、次に俺を、そして最後に手に持った白百合を見た。眉根に皺が寄る。
「だからこそ、種族変更の薬を探しています」
ぽこだけに任せておけず、ようやく俺からも言えた。
白竜は、白百合を凝視して固まり、突然声を挙げて笑い出した。
たぬきが人間を愛すること、人間がたぬきを愛することを笑われた気がして、むっとしたが堪える。
「おまえたちが来たのも運命というやつか。あぁ、知っているとも。かつて、余も求めた代物だ」
ぽこと顔を見合わせた。
長い間、古の薬を探しているが、知っているという者に会うのは二回目だ。
「やっぱりあるんですね!」
白竜が目尻に溜まった涙を指ですくう。
「二人の間に赤子がいなければ、幸せにはなれぬか?」
軽い口調で聞かれた内容の重さに、言葉に詰まる。
「貢物を運んでくる人間は皆、生い先短い者ばかりだった。だが、お前たちは違う。死を覚悟してここに来たのではないか? 赤子が望めぬなら死んでもよいと」
「いいえ。それは違います」
ぽこが息を飲んだが、俺は即座に言い返した。
「赤子が望めずとも、俺はぽこさえいてくれれば幸せです。だが、希望があるなら、それを追ってしまう。それが人間ってものです」
「現状では満足できぬのか」
「旦那様とご飯を食べるだけでも幸せです。寝顔も、あくびも全部が大事です」
「幸せにしたい気持ちは、相手の願いを叶えたい欲にもなる。ないのなら諦めもつく。だが、探さない理由にはならない」
ぽこと見合い、自然と手を繋いだ。
白竜は、俺たちを見ている。何を考えているのかはわからない。
滝の向こうから、白い小鳥が飛んで来て白竜の肩に止まった。
白竜が恐ろしくないらしく、そのまま可愛らしいさえずりを聞かせてくれる。
「仲睦まじく食べていたと言っておる」
深層に入る前に取ったパンの屑をついばんだ小鳥なのだろうか。
「そのパンはまだあるか?」
「え?」
白竜が片手を出して、寄越せというので、背中からパンの残りを出してきた。
俺がパンを切り分ける間に、ぽこが具材を用意して、いつものように挟み、白竜に手渡す。
龍がパンなんか食うのか?
「懐かしい。だが、この臭いは何だ?」
白竜は口を動かしながら、鼻をパンに近づけた。
「あぁ、それはかんきつ類の臭いです」
「俺の好物なもので、たいていのもんに入れてくれますね」
まさか守りの迷宮の深層で、我が家の台所事情を話すとは思わなかったが、ぽこと俺にとって、料理は共通の趣味だ。
それを白竜が食べることで、緊張が緩和する。
白竜は、無言で食べ終え、そのパン屑をまた白い小鳥がついばみ始めた。
「食事一つとっても、相手の希望を叶えたい。そう感じるのが愛情だったか。余の記憶が薄れていたようだ」
白竜が、また白百合の臭いを嗅いだ。何かの痛みを堪えるように、また眉根をしかめる。
「余が暴れ龍だったことは知っているな」
人間相手に浮かべていた微笑みは消え、白竜の目には深い悲しみがあった。
貢物を運んでくる相手ではなく、古の薬を求めるぽこと俺に話したいことがあるらしい。





