133話 ぽこと守りの迷宮④
空を飛んで行くワイバーンから身を隠すように、枝が茂った木の下を選んで迷宮を登る。
焦りはあるが、走り上がることはできない。
高山病は、急激に高いところへ登ることで起こる病気だからだ。
「ちょっとペースが速すぎる。それにここから先は隠れる木もなさそうだ」
ぽこと辺りを見回し、せり出した斜面を見つけた。
「ちょうどいい横穴がありますよ」
先に着いたぽこが、穴の臭いを嗅ぐ。たぬきのぽこの鼻はよく利くから、こんなときに正確に中を言い当てることができる。
「平気そうです」
中に入り、休憩することにした。
出口のすぐ傍に座り、魔法道具の指輪で火を起こす。
固いパンにチーズとハムを挟んだものをぽこが渡してくれる。
俺は沸かしたての湯に、携帯用スープの素を溶かしたものをぽこに渡した。
齧りついて、温かいもんを飲むと、それだけで神経が休まる。
どこからか白い小鳥が入り込んできて、落としたパン屑をついばむ。
「旦那様は、ワイバーンと戦ったことはありますか?」
「ある。できればもうしたくはない」
あいつらが飛ぶ風圧は厄介だし、おまけに炎のブレスを吐く。
飛んでいるから剣での攻撃はできない。遠距離攻撃しか通じない上に、固い鱗に阻まれるから威力まで必要になる。
「小型の龍のようなもんだ。もっとも、さすがに龍には出くわしたことはないが」
これから安全協定のある三層を越えて、深層に入れば、その龍に会うことになる。
「なんだか想像できませんね。旦那様がワイバーンと戦ったり、迷宮に入ったりするのって」
ぽこが、照れたようにニシシと笑った。
「赤ちゃんが産まれたら、名前は何にしようかなって考えたりしちゃいますね」
唐突な言葉にスープを危うく噴き出しそうになる。
「オズワルドっていう名前には何かいわれがありますか?」
「爺さんの名だな。人間は家族で同じ名前をつけたがる」
物心ついたころには、近所でも爺さんと呼ばれていたから、俺にジュニアはつかない。
そういえば、ぽこという名は珍しい。最初はたぬき独自の文化かと思っていたが、ジョアンもレナも人間風の名前だ。
「ぽこの名前はどうなんだ?」
「小さいって意味ですよ。ア・ポコのぽこです」
危ないところだった。ぽんぽこたぬきの二音を取ったのかとさえ思っていた。口に出さなくてよかった。やはり無口でいることは美徳だ。
ぽこが奥を覗き込み、見に行った。
「赤ん坊の名前か……」
食べ終え、目を瞑って宙を仰ぐ。
惚れた女が、俺との子が欲しいと言う。
これほど高ぶることはないだろう。ましてや迷宮は己の最も得意とするところ。そして、最大の汚点でもある。
「ひっ」
ぽこが息を飲む音で、奥へ飛び込んだ。
ぽこの目の前には、白骨化した遺体があった。壁際で縦糸しか残っていない布に包まり、胸の真ん中で剣を抱いている。
剣には、ロンメル国以前の国の紋章があった。
「古いな。安全協定前の遺体だろう」
「旦那様、これ」
ぽこが遺体が寄りかかっている壁の土埃を手で払った。四本の縦の印を、一本の横の印で打ち消しているものが、無数に並んでいる。最後の一つは、彫りきれずに曖昧になっている。
これは、日数を数えた痕跡か。
「ここに逃げ込み、助けを待ったのだろう」
「でも、来なかったんですね」
「龍の出る迷宮に入れる冒険者はほとんどいないからな」
稀に入った冒険者の成れの果てが、目の前のこれだ。
周りをよく見れば、他にも白骨化した遺体が三体あった。パーティーがここで一つ壊滅したらしい。
ぽこが遺体に両手をあわし、俺も胸に手を置いて哀悼の意を示した。
食事を取って緩んでいた気合いが入り直した。
迷宮に入るということは、この覚悟を持つということだ。この先は真の迷宮と言える。何があってもぽこを失うことだけは阻止する。
ぽこを見れば、同じように真剣な表情になっている。
「古の薬は、俺との間だから欲しいのだろう?」
本当は、古の薬ではなく赤ん坊はと言いたかったのを堪えた。
人間相手でなければ、古の薬に頼らずとも子はなせるのだ。
いきなりの質問にぽこが戸惑ったように、一瞬間を開けて返事してくれる。
「もちろんです。何を言い出すんですか?」
「なら、万一のことがあれば、たぬきになって逃げると約束して欲しい」
ここでぽこが、抵抗するようであれば、気絶させて、一人で深層に入るつもりだ。
「旦那様を傷つけることはしません」
真っすぐに見つめてくれるまなざしが、ほころんで、いつものように笑ってくれる。
柔らかな感触なのに、その実は強くてしたたかなたぬきである。
そんなところに、益々惚れたと言えば、何と言われるだろうか。
「さぁ、深層へ行こうか」





