第2話 起きれずの呪禍 ②
しばらく歩いていると、村から外れ、鬱蒼とした林が目の前に現れた。
漂う香りはその先へと続いている。足を止める理由にはならない。
腰の辺りにまで生える草木を物怖じせず掻き分ける。羽虫が舞って、葉の夜露が服に痕跡を残すも、カルゼリーはそれを意に介さない。
段々と強くなって、その元に近づくほど、焔のきな臭さが魅力的だったのだ。呪禍の匂いと重なれば、カルゼリーをして没頭させる。
深追いにて瞳に若干の涙膜が張り始めた頃、暗闇の中から目立つ家屋の明かりが映った。
否。明かりというちっぽけな程度ではない。
周囲を轟々と立ち上る火の気が、夜の闇に抗っていたのである。
一つの家屋が燃え盛って、その全てを散らしていた。
(懐かしいですね。あの子との初めての、邂逅を思い出します……)
非常事態にあってもカルゼリーは懐かしむように。過去の1ページを紐解いて表情を綻ばせた。
周りを見て、恐らくはこの家の玄関だろう。砂利の簡素な整備がされたそこに場所を移す。
カルゼリーは手を前で組み合み首を垂れる。
「ごめん下さい」
燃える家屋に使われている木材。中の水分が沸騰し、歓迎するように指を鳴らす。次々と。
それまでは森の中に一つだけ無気力に佇んでいたであろう。それが、どうして、この様に赤い熱力を放つまでに至ったのか。
村から離れた場所にある点も気になる所である。
周囲を見てみれば、近くの一箇所に、切り出された丸太や薪の山が出来上がっている。雑に扱われた斧が丸太に深く突き刺さりってもいた。
ならば此処は木こりの家か。カルゼリーはそのように考える。
だとするなら、ひっそりと存在するこの家にも納得出来る。作業場に近い場所へ拠点を作る方が効率的なのだから。
「もし、どなたか......居られませんか?」
盛る火の怒声に負けじと2度目の声掛けを。返答は一切なく、カルゼリーは微かに不満を覚えた。
この場に人が居るという確信。でなければ今感じている、背筋を撫でるいやらしさのある視線。これに説明がつかないと。
「......村の様子とは明らかに違います。無視されますと悲しくなってしまいます。そこに居るのだから、居ますよと、応えを返して頂けたらと思います」
三度目だ。
すると、痺れを切らしたように1人の人物が、灰燼と化すその照り返しの奥から、上半身を前傾にカルゼリーの前へ姿を現す。
「お前はなんだ? 見た事ない顔だな。……クレアンスは誰にも渡さねぇぞ」
小太りではあるが筋肉質な膨らみも感じる合いの子。背は低い。のさばる黒々とした髭に、覆い隠された口が動いた。
不快と不信で練り固めた瞳を向けている。顔を腕で拭うと、そこには煤の色がべっとりと付着した。
ここの家主か、若しくは焼いた別人か。
概ねその二択であるものの、カルゼリーはその真偽はどうでもいいと判断する。彼がどんな人物でどのような成り行きがあろうと、呪禍を宿した人物の回収が優先である。
外行きに薄い笑みを作る。
「一際強い、脳髄を愛撫される、癖になる香り、香......。呪いに苛まれし者はこちらにおいでですね?」
「渡さないって言ってんだろう。あいつは俺が大枚叩いて買ったんだ。俺の好き勝手使いたいように使うしその権利はある。関わるな」
取り付く島がないとは当にこの事か。聞く気がない者を説得するのはとても骨が折れる。
ただ、この男が呪禍人との関連があると、香りがそう告げているのだ。
呪禍はどうにかすべきだ。どうにかせねばならない。
(起きれずの呪禍に違いない香り。やはり、そう遠くない日に出会えましたね)
カルゼリーの嗅ぐ呪禍の香りとは一概に説明が出来ない。
晴れた日の朝の匂いと雨の日の昼間の匂い。または冬場の清涼さに夏場の濃厚な香り。もしくは夜場の湧き上がる土気か朝方の蒸気か。
あらゆる反したものが一体となり、それは一度に鼻腔が処理をする。百面相、万華鏡といった移り変わりがカルゼリーの感じる匂いなのだ。
故に呪いの効果を、種類を、カルゼリーは本能で分析しどれに類するのかを嗅ぎ分ける事が出来る。
男から感じる濃く繋がりのある臭気。異様にも漂って来ている。
火の匂いよりも強くなった事から、この近く、恐らくは隠すようにその源泉を何処かへ置いているはず。
今感じている香りを起きれずの呪禍であると定義し、この前引き受けた、眠れずの呪禍を宿したジューンと相反する呪い。
絶対に引き受けなければならないと、その精神がカルゼリーを一歩前に進ませる。
「私も一応お仕事を兼ねていますので引く訳には参りません。……こちらをお出ししても答えは変わりませんか?」
カルゼリーは困り顔に、懐から一枚の手紙を取り出した。
それを静かに男へと差し出すと、彼は訝しみつつ恐る恐る受け取る。
「ルピナスの封蝋に黒手紙......あんた、案内人か!」
男は驚きの声を上げた。
カルゼリーが持ち寄ったこの手紙。懐に抱えて出歩く時は大抵、この村の様に何かしらの軋轢、呪禍を宿す者かその周囲の人物と交信に難が生じると判断された場合使用が許される。
案内人。言い換えれば呪禍請負人。仕事を円滑に進め、表の世界から一刻も早く忌を排除する為の強引な措置。黒手紙とはそれを補助するシステムであるのだ。
カルゼリーは今回、目の前の相手にあたり、これを出すべきであると判断した。
相談され差し出されたジューンとは違い、個人の固執が垣間見えると、会話の中で納得させるのは非常に難しい。
ひっそりと暮らしているのなら無理強いしないが、今回は明らかに周囲へ被害を出している。これはいけない事態であるのだ。
無理矢理にでも引き渡してもらわねばならない。更なる犠牲者を生まない為にも。
「なるべく穏便に事は済ませたいのです。これ以上の強権を、私に他人の傘を着させないで下さいませ。……感染はとてもとても怖いもの。いざとなれば、それは、やぶさかでは御座いませんが」
カルゼリーの直接的な物言いに、冷や汗を垂らした男は態とらしく舌打ちを突いた。
「クソが……買った時の金! あと、燃えてる俺の家の修理費! 合わせて出してもらうからな!?」
「御安心下さいませ。きちんと補填致しますので」
「はぁーあ。顔だけは良いってのに......。これじゃ無駄足だ、余計な買い物しちまったぜ」
勿体無い。口惜しい。そんな後ろ髪を引かれる感情を言葉に募らせて、男は渋々とまた暗闇の中へと戻って行くのだった。