第2話 起きれずの呪禍 ①
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呪禍。
それは初めて産声を上げたその日に、或いは何時もと変わらぬ日常の最中に。
誰もがその時になるまで考えも及ばない。鼻をつままれるような存在へと成り果ててしまうなど。
突然の不要な加護。
我々の認識出来ないナニカから貴方へ。
彼方から齎される闇の奇跡であり、しかしその目的などは知る由もない。
理解出来るほどの頭を持たず寛容でもないのなら、誰であれ納得に達しないと想像は易い。
呪禍を呪禍足らしめるものは何か。
一つはその状態。
自然な生命環境から逸脱している者が多く、別のあり得ざる力でもって異常なる現象を引き起こす。その対象は主に自らへと向かう。
一つはその香り。
案内人が嗅ぎ分ける、呪われた者が醸し出す特有の臭気。呪いの如何も把握が可能であり、当人の語彙力に従い命名される。
そして、スティグマ。
体の何処かに浮かび上がる、子供が玩具に名前を書くような、そんな幼稚にも見える所有欲の現れ。その時点では呪禍を持たない。
これは謂わば予約だ。将来をそうなると、約束された呪いとのエンゲージ。
この三点でもって忌避されるベきと決定付ける。それ以外の条件も存在し得るかもしれないが。
全てを把握する者はそれこそ天上のナニカに他ならないだろう。
(......呪禍は治らない。何故ならばそれは、正しく暗黒の聖印と呼べる代物だから。あまつさえ邪魔をしようなんて不敬も甚だしい......)
カルゼリー・メトロプディンはとある村の真っ只中に立ち尽くしていた。
自然との境はとても薄く、家屋と隣接する開けた広い農地や飼われている家畜の据えた臭いが鼻に付く。
どこを見てもそんな景色であり、命の色が濃く、活力を生み出してくれそうなものだ。
ただ親しんだ夜の静寂に、無風が寂しさを滲ませる。
心をざわつかせる危機感が蔓延っているのは、そんな風景とはとことん似合わない。
激しい動悸がむせ返るように、体をむず痒く、落ち着かない事態。
肌の表面を薄く触れるもどかしさ。カルゼリー自身がそわそわと感じていた。
この村は今は退っ引きならない状況に陥っていると。非常事態だと訴えているのだ。
カルゼリーはくすぐられる鼻を掻き、不意に、家の端から顔を出す一匹の生き物を目端に捕らえた。
「あら、ワンちゃんですね」
大自然に揉まれ、脂と汚れを積み重ねた固い毛皮。
口元には恐らく酸化した血液だろうか黒々と塗られている。
黒い片目と白濁とした片目。
異様な光り方をするそれがただジッと、カルゼリーを値踏みするように視線を動かさなかった。
「私カルゼリーと申します。以後お見知り置きを」
律儀にも犬だろうと挨拶をするカルゼリー。隣から更に一匹姿を見せる。少し小柄な子だった。
ただ、その口にくわえる物があった。
気付いたカルゼリーは一瞬瞳を大きくして、間が空き、薄らに笑みを浮かべた。
「ご飯には事欠かないですね。くわばらくわばらで御座います」
詳細は無粋であるか。語るまでもないか。
野生の獣との別れはスムーズに。腹が膨れていたのかと、襲われなかった理由を考えつつ歩き出し、土道に隣接する一つの家屋の戸を叩く。
茅葺き屋根が綺麗に整列した家だ。ここはまだ調べていないとするも、その中で起きていることは同じだろうとカルゼリーは判断していた。
返事はなく、また叩いて時間を置いて、それでも応答はない。
「夜分失礼ながらお邪魔致します」
丁寧な言葉を中へと向けて、カルゼリーはその戸を開いた。
何故鍵が開いているのか。
それは非常に不用心であるものの、見知った人の集まりで日々が過ぎる小さなコミュニティには必要無いものなのだろう。
良くも悪くも素性の分からない者が集まるからこそ都会とは用心に力を割く必要がある。
カルゼリーは軋む床板に加減をせず、近くの部屋を順繰りに見て回った。
そして、その内に、寝室だろうかベッドの置かれた部屋で、床に倒れた痩せ気味の男と邂逅する。
一見事件か何かと脳裏に過ぎるのだろうが、カルゼリーは特に思う事もなく、近くで聴いてみれば微かな吐息が流れている。
「......やはり、この方も眠りに着かれていますね。どこもかしこも、お話の通じる方は居られないのでしょうか」
カルゼリーがこの村に訪れた最初、夜分である事を偲びながら複数の家を訪ねた。
結果は今の通りである。誰も出ず、痺れを切らすままに入ってみれば、そこには強力な睡眠に支配されている人々が居た。
声を掛けても、肩を叩こうと、悪いと思いつつ肌を捻ってもうんともすんとも言わない。
何故そうなっているのか。理由には思い当たる節がある。
「臭気が充満していて鼻が利きません。なので恐らくは呪禍の感染。触らぬ神に祟りなし、良からぬ事は企まないに限りますが」
カルゼリーは独り言を呟いて家を出た。
腕を組み、右手の人差し指を頰に当て考え込む。これからどうしようかと。
呪いとは他者に伝播するものだ。呪禍持ちが起こすこれを感染と称する。
だからこそ忌避されるし排斥も致し方ない。現にカルゼリーのいる村を丸ごと襲っているのだから。
近くには呪禍を振り撒いた張本人が居る。それを案内人として無視する気もない。
問題は探し方なのだが……ここまで広がってしまうと、その根源を嗅ぎ分けるのは中々に難しい。
悩んでいると、ふと、カルゼリーの鼻腔にくすぐるものがあった。
「木焼けの香......あちらでしょうか」
流れてくるのは火に燃える匂い。呪禍の香りに支配されつつもそれは際立った。
カルゼリーはまさかと思いつつ、それを追うように火元を目指して進みだした。