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カース・オブ・トライメライ   作者: オアシス
第1章 トライメライの輪郭
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第1話 眠れずの呪禍 ②




 こつ、こつ、こつ。こつこつこつ、と。


 その部屋へと、近付く足音が、ジューンの作り出すメロディに軽快なリズムを加える。

 鉄格子の暗がりからその姿を現す。月光の欠片が其の者の足元を照らす。

 ずれ込んで1人の女性が姿を見せた。


 誇張なく配慮せず、その下卑た物を見る、忌避感に溢れる瞳がジューンへと注がれている。

 入るべきか、入らざるべきか。

 そんな葛藤をも垣間見せる停止に依然としてつんざく絶叫に変わりがない。


 古めかしい黄土色の給仕服に目下を広く覆う布切れが特徴的だった。

 驚く様子を見せない所からこの状況には酷く慣れているのだろう。

 格子戸の鍵を開き、その女性は淡々と醜悪に塗れた一室へ足を踏み入れる。


 手に抱える盆には粉の落ちきったパン。そして底の浅い陶器の器にはスープが注がれていた。

 煮込まれ続けた故に、欠けた小石の如く、具材の無残な切れ端が浮いている。


 それを提供されるのは如実にジューンの立場、周りからの扱いが反映された結果と言える。

 正気を失った哀れな者も一過性のものなのだ。

 イベントが過ぎ去り日常が戻れば、さて冷静に見て、手に余る厄介な代物であると思わざるを得ない。

 これは至極当然と言った感情の変移であるべきだろう。

 

 給仕の女はジューンの横たわるベッドの隣に立ち束の間を凝視に割く。

 そして慣れた手付きにてパンを掴み、ジューンの叫び開かれる口元へと押し込まれた。


「むぐッ、ああああああぁぁぁぁぁ!! ゲホッ、がぱつッッ!!!」


 食物のフィルターにその声色へ変化が生じる。

 日に一度の時間だけ、無理矢理な転調を挟む。


「早く......! 早く食べてよッ!!」


 急かす給仕の表情は隠されているものの、その奥に作り出す感情は想像に難くない。

 スープも皿ごと押し込み、口端から溢れつつも中身を空とした。


 鉄格子の外へと足早に去れば、苛まれた緊張感からの解放を現していた。

 喉に泡の絡むジューンの叫び声は止めどない。

 それをまた遠巻きに見つめる。


「......……」


 愚痴すらも吐かない。億劫だと言いたげな顔をして。


 来た時とは倍違う足音をかき鳴らし、この悪辣な場から離れて行った。

 使い用がなく放り込まれた荷物の山を、隙間を縫って、体を横に縦にと擦り抜けた。

 そうすると半端に開いた木扉が顔を出す。悪魔の笑い声みたく隙間風に揺れているのだろうか扉の軋みが微かにあった。

 扉の更に先。急勾配な石造りの階段を更に抜けて、鼈甲色の味がある壁に囲まれた一室が出迎える。

 

 どうやらジューンの半ば軟禁されているあの場は隠し通路を介して存在しているようだ。

 普段は臭い物に蓋をする。ひっそりと誰にも知られないように……そんな怯えを表したかのよう。

 見て見ぬふりをする精神が形になるように、給仕が上がった階段を隠す長い木目の板が数枚、部屋の隅へ綺麗に転がっている。剥がしたのはもちろんこの女給仕であるのだろう。

 

 幻聴か真実か。静かすぎる殺風景な部屋の中で、鼓膜にへばり付く絶叫が障る。


 余韻を与えるこの部屋の片隅で、気配なく、身なりの整った初老の男が立っていた。

 腕を腰に纏め、こじんまりと、居た堪れなさを隠さない。

 色素の抜けた白髪と憂いに満ちた顔が下を向いている。

 呆けた様子だったが、給仕の姿に気付いたのか顔を上げた。

 

「やはり変わらんのか?」


 萎びた生気のない声。

 給仕は顔色を変えずに、ただ黙って、首を小さく落とす。

 男は溜息を吐いた。


「......この後、引き取りに来て下さる者が訪ねる。虫も鳴かぬ時間だが、事情がありこのタイミングでないと無理だそうだ」


 淡々と語るその者の言葉。

 給仕は口布を外し、その積み重なった心労を吐き出すように大きく息を漏らした。

 カサついた唇が揺れる。


「ようやく、ようやくですか」


「長く済まなかったなハウネ。私の思い切りの悪さが原因だ。他の者も、そして当のジューンにも長く苦しませる結果になってしまった。もっと早くこの決断を下すべきだった。申し訳ない」


「............」


 首を垂れる主人の所作に、ハウネと呼ばれた給仕は言葉を連ねない。

 そこに恨みや鬱憤の類は感じられない。返す言葉がないと、それだけなのだろう。


「荷の出航をもう1日遅らせる算段もあったのだよ。それでも問題はなかった。もう1日、この1日だけをどうして......悔やんでも悔やみきれん」


「レカード様......」


「あいつが子供の頃を私は知っている。父親の代から操舵手としての才覚は抜きん出ていた。センスは血に宿り、謂わばその結実、完成系と言える男だったのだよ。それだけは確かだった」


 自身の内実を吐露するレカードは、

 遠い日を見るように瞳を細める。


「明日には、明後日には、一週、一月。いつか、いつか正気に戻ると信じていた」


 それが届かざる幻想だと知るかのように、或いは子供のように無垢に信じられていればと、傷口を啄ばまれるレカードの言葉が重く滲む。


「その、この呪禍(ジュカ)は......」


「治す術がない。それは知っている。......ジューンは、あの男は、一体何を見てしまったのだろうな。終ぞ、その悲劇を知る事が出来なかったが」


 何を知らないまま、気付かぬまま影響し、やがては全てが終わっていた様を突き付けられる。


 レカードの感じている物はおそらく後悔に近いのだろう。断言出来ないのは、それを真に感じるほどの何をも知っていないから。

 折れた骨は捻じ曲がったまま癒着している。回復とは、とても程遠い状態だ。

 

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