第二十四話 『決戦。』
一瞬。
アリスに襲いかかった敵の目の前に分厚い氷の壁が出来上がる。
「フェイ!」
「犬コロ風情がぁぁぁあああ!! そんなに死にたいのなら望み通りに殺してやる」
氷塊に突き刺さった剣を、強引に引き抜く。
この刹那を......フェイは私にくれたのか。
『グレイス・ブライヒ』
刀身に極低音の氷を纏った守護者の大剣を、全身全霊を込めて投げる。
ゆらゆらと立ち上がったフェイのまわりに氷棒が生成され、一気に放たれた。
即座に形成された十字砲火。並大抵の騎士ならばこの時点でもう出せる手はない。
『革命の時間』
あと1秒あれば敵を貫いていたはずの剣も氷棒も、すべてが向きを変えて私とフェイに襲いかかる。
しかし、守護者の大剣は私が主人であることをわかっているかのように速度を下げ、私の手におさまった。
同時にオペラ劇場全体へと響き渡る轟音。
氷の層を叩き割り、舞台を破壊するのはフェイの放った氷棒だった。
煙の向こうがどうなったかはわからない。
だが、フェイはもう......。
「ウィリアム。そろそろ抵抗が無駄だってことくらい、聡明なお前ならわかるんじゃねぇのか?」
首元に刃が添えられる。
「続けるなら次は聖女を殺す。その次はウィズダム公爵令息、クリフ、お前のせいであと何人仲間が死ぬんだろうな」
私は負けたのか。剣狂とは、兄とは、こうもまったく違う別の次元にいるというのか。
「兄上は......そこまで私が憎いのですか」
「ああ。どうしようもないほど昔からお前が憎かった」
「...」
「いつだって父も母もお前を傍らにおいて可愛がった。だから俺は剣術を磨き、俺こそ次期当主に相応しいと力で見せつけようと思っていたのだ」
さっき話した時とはまた違う。熱を帯びた話し方。
「それなのに......お前の剣術指南ですぐわかったよ。俺はお前に勝てない。要領の良いお前は窓越しに俺の鍛錬を見ていただけで大抵のことは理解していた」
向けられた刃は、震えていた。
「何度消えて欲しいと願ったか、何度お前になれたらと思ったか!」
兄上が誰かに本音を語るのはきっとほとんど初めてなのだろう。私がそうだったように、兄上は自らの本音を隠してきたのだろう。
私では到底受け止めきれない暗い考えが、禁装を持つことで増幅される。ティソーナに魂を売ろうとしたブレントと同じように。
だからこそ私が解放しなくてはいけないのではないか。
「私に取って代わったとして、きっとあるのは虚無ではないですか? 人は助け合わなければ生きてはいけない。貴方のように人を道具として使う人間に、私の人生を代わりに過ごすなど絶対にできるはずがない!」
舞台を隠していた砂埃が霧散し、中央にうっすらと見えていた人影が鮮明になる。
さっきまで座っていたアリスが、フェイを抱えて立っている。
「何故だ......何故誰も俺の味方をしない。何故俺の考えを理解してくれない。俺はどうして、報われないんだよ」
「ウィリアム......お前さえいなければ!」
兄上と目があった。
私と同じ水色の瞳。その奥にあるのは怒りだけではない、何かに怯えているような震えもあった。
威勢の割に動きは遅い。
後ろへ飛ぶと、さっきまで私がいた場所を禁装が切り裂く。
瞬時に構え直し、互いの剣が火花を散らした。
「なぜ力に訴えるのです! 話し合えば、いくらでも解決策があったはずのものを!!!」
「禁装はお前が考えるほど優しくないのだ。説明して納得してもらえるのなら......俺だってそうしたさッ!!」
一振り。二振り。
止まることのない大技の攻撃をなん度も防ぐ。擦れば終わり。しかし、攻撃は私でも見える程度に鈍化していた。
ただ、それは決して体力を消耗したのではなくあからさまに攻撃が単調になったからだろう。
まるで剣術の練習をしているようだ。
「なぜだ?! なぜお前は俺を超えていく! なぜ俺の努力を......踏み躙る!」
禁装の刀身が赤黒い何かを纏う。
「なぜお前には才能があって、俺にはッ!」
その何かに剣が触れると、液体のように四方へ飛び散る。しかし飛び散った瞬間に新たな何かが禁装を囲んでしまう。
『お前のせいだ』
『なぜ私がこんな目に』
『余のことを...なぜ思い出せんのだ』
『こんなはずでは』
『終わった』
頭に響く様々な声が集中力を途切れさせる。
そうか。これは“憎悪”なのか。禁装によって人生を奪われた被害者の憎悪。全盛を奪われた失意と無念が、彼らの怨念が禁装を禁装たらしめているのだ。
「私の知っている兄上は、こんなに弱くない」
兄上の動きが固まる。
決めるなら今しかない。
『パーフェクト・クリスタル』
銀色の刀身が青白色に染まり、無防備な腹部を目掛けて薙ぎ払う。
.....さようなら。
『%ρ#φ€ε$%¥γ&ΔΣ』
男声も女声も関係なく混じり合った声。頭に聴き取れない言葉が届いた瞬間、赤黒い憎悪が私を貫いた。
痛いという感覚が感じられない。それほどまでに頭の中を表しがたい憎悪が支配して、全身の力が抜けていく。
倒れた私を兄上が見下ろす。
切先は私に向けられ、最期の瞬間が近づく。
もう、何もわからない。私にはどうすることもできない。私も禁装の、赤黒い憎悪の一部となるのか。
「やめてください!」
私の頭のすぐ上、ロングスカートがチラチラと見えた。声の主はアリスで違いない。
「黙れ! 俺を......楽にさせてくれ」
まっすぐと見るアリス。
「ゆ、許せません! ブレントさんにウィリアム様、フェイまで危険に晒したのに――」
「そうかそうか。お前も死にたいわけだな? ならウィリアムと一緒に天国にでも行っておけよ!」
禁装の狙いが私からアリスへ移り、首めがけて振り下ろされる。
その瞬間、貫かれた腹部から光が溢れ出した。
全身に力が入る。注意が私から逸れていた今しか倒せる機会はない。
間一髪。
剣先で禁装を受け止め、思いっきり蹴り飛ばす。私の反撃を予想していなかった兄上の手から、初めて禁装が離れた。
『「クソがあああああああああ」』
宙を舞い、溶けかかっていた氷の壁にぶつかる兄上。
立ち上がった勢いのまま一気に間合いに入る。私は、実の兄のお腹を確かに貫いた。
「ウィリアム様!」
アリスの声が響く。その瞬間、けたたましい叫び声とともに赤黒い憎悪に包まれた禁装が私を貫かんと一直線に突っ込んでくる。
剣は壁に突き刺さり容易には抜けない。
負けたのか。まさかここまで想定済みだとでも?
助かる道を模索する時間もない。何もできず、迫り来る死に目をつぶることしかできなかった。
『世界を統べる神よ。迷える亡霊をあるべき場所へ還し給え』
具体的に何が起こったのかはわからなかった。ただ金属の床に落ちる甲高い音と同時に目を開けると、勢いをなくした禁装が横たわっている。
その先にはひと安心したように微笑むアリス。
忘れかけていたよ......貴女が伝説の聖女様であるということを。
すでに兄上は抵抗をしていない。剣を抜き、そっと横たえる。弱々しく息をする様子からは剣狂の威厳は感じられなかった。
「ウィリアム様......フェイさんが」
アリスに抱き抱えられたままのフェイは、心なしか色が無くなってきている。
「フェイ!」
『ふたり...とも、仰々しいなぁ。ちょっとマナが切れたからしばらく透明になるだけさ。僕はいつだってウィリアムの側にいるし、みんなを見てるよ』
頭に入ってくる声にいつものような元気はない。
「マナが無いなら、私がお裾分けできます」
『気持ちは嬉しいけどね......精霊は天上に戻らないとマナを貰えないんだよね。まあ、すぐ戻るからさ』
色が消えていく。
「フェイ、本当にありがとう」
ようやく言葉を紡ぎ出せた時にはアリスの腕の中にその姿はなかった。私の声は聞こえただろうか。
泣きじゃくるアリスをそっと抱く。
この戦争で得るものもあったがあまりに多くを失いすぎた。アリスを守り抜けたのも、今私が生きているのも、すべて多くの犠牲の上に奇跡をつかみ取れたからにすぎない。
そして、まだやるべきことが残っている。
「なあアリス。私の兄を救ってはもらえないか」
腕の中でアリスが緊張した。潤んだ瞳で私の顔を見て、真意を探ろうとしている。
「自分勝手だとは思う。だが、彼もまた被害者だと思うんだ。アリスが嫌なら――」
「い、嫌だなんて言いません! 家族を思う気持ち、お兄様にも同じものを感じました。救うべきです。お手伝いします!」
本当に......私は最後までアリスに助けられてばかりだな。
*
「はぁ?! クロムウェルの首謀者を匿っているだと......なあウィリアム。アリス姫の話もそうだが、俺はお前のためになんでも出来るわけじゃないんだぞ?」
「すまないトール。では、私は人を待たせているから」
「ああもう! 次は本当にないからな!」
あれから数日。クロムウェル帝国の残党騎士たちのほとんどが降伏した。そして私たちは国王陛下がお待ちしている都市リボルスへの出発準備をしている。
私の話にトールは終始頭を掻いていたが、それでも引き受けてくれるトールは優しい。
コンコンコンコン
部屋に入る。
王宮の一室にアリスと私の兄はいた。
ベッドから包帯に巻かれた上半身だけを起こし、私の顔を見る。
「ウィリアム......何故俺を殺さなかった。俺はブレントも精霊も、そしてお前と婚約者の命すらも奪おうとしたのだぞ」
目が覚めてからは私に会うたびにこんなことばかりを言ってくる。
「自分と同じ見た目の方を殺すのはあまりに忍びないと思いませんか?」
「そうかよ......お前はいつまで経ってもかわらないな」
禁装を手放してから、私には少し兄上について思い出したことがある。
窓の外、辺境伯邸の中庭で剣術を習う姿。朝早くに起きてこっそりと屋敷を抜け出し、父上にこれでもかと叱られた時に見た背中。
ぼんやりとはしているが、この記憶こそが兄上が兄上である証拠なのだろう。
「変わらないのは兄上も同じですよ」
微妙な空気。自分で言っておいて何だがなんとも気恥ずかしくて気まずい。
パン!
「兄弟お揃いってことですね!」
「「うるさい!」」
アリスが珍しく大きな声で笑うので、私も兄上もつられて笑ってしまった。
「はぁ...はぁ...それで、明日には王都を出発します。兄上にもぜひついて来てほしいのです。きっと父上たちも来ますし」
「わかった。しかし父には会わない。いや、合わせる顔がない」
「そう......ですか」
やはり負い目を感じているのだろう。兄上の身の上を鑑みれば無理もない。むしろ、私たちについて来てくるだけでも相当な後ろめたさがあるに違いないのだ。
いつか、また家族で過ごせたらな。
*
「兄様。準備は完了しています」
「ありがとうハンス。では、出発しようか」
復興のために市民が戻ってき始めた王都。街を覆いつくすような歓声の中、私を先頭にリボルスへと軍団が出立する。
私の後ろにはアリスが乗っていた。苦難も多かったが私は何とか守り抜けたのだ。




