第二十三話 『兄と名乗る男』
「誰がそのようなでたらめを信じるものか! 高度な幻術で人を騙し、私の大切な者を傷つけた。貴様だけは、絶対に許さんッッ!」
剣を抜くその一瞬。舞台から男の姿が消えた。
「おいおい喧嘩っ早いのはらしくないぜウィリアム。そう怒らず、まずは俺の話を聞けよ」
意味が......わからない。
男はさも当然かのように私の隣に立っている。
「まあ座れ。てか、お前は俺に人質を取られてるってこと忘れるなよ?」
アリスは変わらず舞台の上で気を失っている。舞台から観客席の後方まで、私の全力であっても数秒かかりそうだ。
武が悪い。ここは従うべきか。
革製の椅子に腰掛けると、男も私から数席離れた椅子に座る。
「さあ冥土の土産......再会の記念にお前の疑問にいくつか答えてやるよ」
男は気楽な口調で言う。
「貴様は誰なのだ? 何故私の兄を自称する」
「何故って、そりゃ俺がお前の兄だからだろ」
ますますわからない。嘘にしては何の躊躇いもなく、本当と言うにはあまりに突拍子もない。
「では、何故アリスを攫った? 聖女についてどこまで知っている? 貴様らクロムウェルが王国へ侵攻した目的は?」
捲し立てる私に、ひるむ様子もない。
「落ち着け。お前の婚約者がアリスで、アリスが聖女であることは俺だけが知っている。侵攻の目的は、表向きにはハプロフ王国を転覆させるためだ」
「表向き......だと? では他に何の理由が――」
「まあだから落ち着けって。予定通り表向きの目的は果たせない。あとは本当にお前次第なんだよ」
ハプロフ王国を転覆させることができないのが予定通り?
その上で何が私次第だと言うんだ。
「博学な辺境伯令息なら、父親アルフレッド・ヴェトレールがなぜ第二宰相に選ばれたか知っているよな」
男は足を組み、少し深めに座り直す。
「父上が先王時代の内乱を鎮めた立役者であるからだ。みくびるな」
「すまんすまん。その通りだ。しかしその裏で、父に不満を持つ者も少なからずいた。その一人こそ我が師にして最も憎らしい相手、名前は......忘れてしまったのだがな」
軽い口調の割に内容が重たい。しかも何が言いたいのかいまいちわからない。しかし、男はむしろ楽しそうに話を続ける。
「師匠はクロムウェルの騎士で、ハプロフ王国の混乱に乗じて国王の暗殺を狙い、父に敗北した。そのせいで爵位をなくし、逆上した師匠はもう一度父に勝負を挑む」
「......その結果がこれだよ」
男は左手の甲をこちらへと見せる。そこには、ブレントから聞いた通りの切り付けられたような古傷があった。
「格好わりぃよな。父は殺せないと判断した師匠は『王殺しの剣』でご丁寧にも横にいた8歳の俺を斬りやがった」
禁装『王殺しの剣』
数ある霊装の中でもその大きすぎる力を背景に教会から持ち出すことはおろか、人目に触れることすら禁止されている装備。
「すごいよな禁装って。この傷ひとつで俺は。俺は誰からも忘れられ、約束された時期辺境伯の地位も、帰る場所もすべて消えたよ」
男の目には深い憎悪が現れ、何か重たく暗い雰囲気を纏っている。
「その点お前はどうだ? 第一近衛騎士団に配属され、辺境伯の地位も貰い受け、極めつきに国を救った英雄か。聖女様まで見つけて、お前も第二宰相になれるな」
「もしそうだとして、貴方は私に何を求めるのですか」
人から名前を奪い、他の人々の記憶から抹消するのが王殺しの剣の能力である以上彼にこの話が本物であるという証明はできない。
しかし同時に、私の前でまで偽りの姿を続ける理由もさしてない。
「不公平だとは思わないか? 元は兄弟であった俺とお前が、今となっては敵国同士の平凡貴族と辺境伯様だぜ」
「そんなことを言われても......私にどうしろと言うのですか」
足すら組むのをやめて、こちらに向かって前のめりな姿勢の彼。
父上と話しているような、国王陛下と話しているような、私には納得する以外の道がないような話し方。
見ず知らずの他国の貴族ならばここまで似た話し方ができるはずがない。
......本当に、私の兄だというのか。
「そこでだ。なあウィリアム。お前の地位も名誉も婚約者も、全部俺にくれよ」
私がその言葉の意味を理解した時には、切先が私の目の前にあった。
間一髪。
無様に椅子から滑り落ちたように避ける。
見上げれば、先ほどまでの暗い表情も話もすべて嘘だったかのような――文字通り“剣狂”の――常軌を逸した笑みを浮かべた兄がいた。
そしてその手に握られている剣が王殺しの剣であることも、明白であった。
「面倒かけるなよ。お前はよくできたいいこなんだからよぉぉぉッ!」
直上から私に向かって振りかざされる一撃。
この体勢では到底避けきれない。
策略に負けた。罠にまんまとはまった。
......悔しい。こんな......ところで。
『氷山の怒り』
*
閉じた目を開けると、見渡す限り劇場が分厚い氷で覆われていた。さらに壁も椅子も関係なく氷柱が突き出ている。
目の前に兄の姿はない。
「すっかり忘れていた。そういえばお前は氷の精霊を従えていたな」
舞台の中心、寝ているアリスの横でそういう。
その足元。
ぐったりと横たわっている精霊がいた。
「まさか......フェイを」
「やけに忠義深い犬コロだったせいで無駄な時間を使っちまった。だが、これでもう邪魔者はいないぜ」
私の弱さでフェイを、また大切な仲間を失った。なのにどうしてか、涙の一粒も出てこない。心も体も冷静なまま。
「おいおい...心でも壊れたか。まあいい。弱った敵を倒すなんて面白くねぇもんなぁぁぁ!!」
迫り来る敵に、もう遅れはしない。
霊装『守護者の大剣』
まさか本当に抜く時が来るとはな。
禁装と霊装がぶつかり合い、発生した衝撃波が氷柱を叩き割る。
「少しは相手になりそうだな。ウィリアム」
「兄上だった者。貴様だけは許さない」
禁装に斬り傷ひとつ許してしまえばその時点で私の負けだ。
だからといって守り続けて勝てる相手でもない。
ならば。
『グレイル・ストーム』
薙ぎ払った剣に追従して無数の氷球が敵に襲いかかる。
ゼロ距離からの一撃。剣狂とはいっても避けることはおろか受け身を取ることすら敵わない。
そのはずなのに、氷球は敵の体の横ギリギリを掠めて虚空を貫いて消えていくばかり。
「焦りすぎて狙いが定まってねぇな! そんな攻撃じゃ自分すら守りきれないぜ」
劇場後方から一直線にこちらへ向かって飛んでくる。
「そちらこそ。ただ向かってくるだけでは芸がないですよ!」
刺突に対して鍔迫り合いはできない。
ギリギリまで粘り、切先が当たるか当たらないかの一瞬で大きく身体を逸らす。
空を貫き通した敵は、その勢いのまま舞台へと突っ込んでいく。
―――アリスが狙いか?!
軸足に力を込めきれないせいで飛びかかることもできない。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。
失いたくない。失いたくないのに。
敵の背中が小さくなり、アリスは重なって見えない。
「やめてくれ!!!!!!」
私は、ただ叫ぶことしかできなかった。




