第一話 『伝説と麦畑』
国王陛下の一言によって国中が聖女の捜索を開始してから2週間。
中央会議で配られた紙を眺める。
召喚された聖女の特徴は若く小柄な女性で蒼緑色の澄んだ瞳、ブロンドの長い髪。
伝説によると聖女がひとたび祈れば土より芽が育ち、人々の病はたちまち消え去ったのだとか。
そして伝説では国を救ってくれた彼女に人々は感謝し、王は彼女に爵位を与えたのだった。
だが伝説には続きがある。聖女の力に心酔した王は彼女の力で不滅の騎士団を作り、世界を蹂躙して服従させてしまった。結局、伝説の最期で聖女は自らの招いた悲劇を知り、身を投げ出してしまう。
幼い頃、寝る前に母上が読み聞かせてくれた『聖女伝説』が現実になるとも思えない。
ただ、挿絵として描かれていた聖女の姿は私の初恋でもあった。このような女性が聖女としてではなく、普通の女性として現れてくれれば嬉しいのに......と子どもながらに思った回数は数え切れない。
「ウィリアム様。辺境伯領が見えて参りました」
クリフの声で我に返り、故郷のことを思う。
私の故郷、ヴェトレール辺境伯領。私の父まで13代に渡って治めて来たこの地も、前王の治世で発生した貴族間の激しい権力闘争で荒廃しきっていた。
石畳の道で馬車が大きく揺れる。
畑や果樹園は荒れ、町は廃れ、住民たちの心すら病が蝕み、私の幼い頃とは一変してしまった。
私含めた貴族の飽くなき権力への追求に晒され、変わり果てた故郷を見るたびに自責の念にかられる。
たとえ自己満足であっても、早く領民たちに元の暮らしを取り戻す手伝いをしたいのだ。
「ウィリアム様! 外をご覧ください! 草木が生い茂っております」
さっきまでただ窓の外を眺めていたクリフが、驚きと喜びに満ちた声で私に外を見るよう促す。
窓の外を見て私は言葉を失った。
出立した時には地面や枯れ草の茶色が目立っていた畑には、春の温かな陽の光を浴びる青々とした小麦が生い茂っている。
それだけではない。
農道を子どもが駆け回り、大人は忙しそうに牛を引いているのだ。幼い頃に私が眺めた景色と同じ、失われた日常がそこには戻ってきていた。
「どうなっている......クリフ! 近くの農村に寄るのだ。とにかく事情を聞こう」
辺境伯邸まで続く主街道を逸れ、今年の収穫量は皆無だろうと報告していた農村ピネルノへと急いだ。
村に着くと子ども大人関係なく馬車に近寄るので、先駆けの騎士たちが意味をなしていない。なんとか馬車からステップを引き出してもらい、クリフと共に降りる。
「この村の村長はどこだ。畑が相当実っているようだが、何故かを聞きたい」
村人たちに呼びかけると、彼らは「神の使いが来た」とか「奇跡が起きた」とか、口々に絵空事を言っている。
すると奥から「邪魔じゃ邪魔じゃ」と言いながら分厚いローブを着たご老人が若い従者を引き連れて私の前に膝をついた。
「私が村長でございます。辺境伯様よくぞお越しくださいました」
村長の言葉を聞いてようやく村人たちが静まり引き下がる。
「先月まで芽も出ぬ状況だったのでごぜえますが、つい2週間ほど前にいきなり現れた女性が畑の前で祈ると、急に麦が育ちまして」
意味がわからなかった。いや分かりたくなかった。
聖女召喚の儀が失敗したのを、私はこの目で見た。この国のどこかに聖女が居るというのも、クロウリー卿が保身のために国王陛下に咄嗟思いついた嘘だと思っていた。
しかし、聖女の出現以外でこの村のことを説明するのは不可能だともわかっていた。
苦しむ農民を救う慈悲深さ、農村の広大な畑全域にマナを与えることができるその力。それが備わっているのはただひとり......聖女だけだ。
「では、その女性は村のどこに居る?」
私の中でやるべきことは決まった。聖女を見つけ出し、国王陛下から生涯をかけて隠し通す。
伝説の二の舞には絶対にさせない。
「それが......その女性に不作に困っている村は他にも山ほどあると話すと、彼女は急いで他の村へと行ってしまわれたのです」
呆気に取られた。
しかし、そのように言われれば聖女が黙っているはずもない。慈悲深い聖女が別の村へ行くのは必然的だろう。
「わかった。では、どちらの方角へ行ったのかだけでも教えてくれるか?」
もし聖女が一本道の主街道で隣の伯爵領へと向かっていたのなら隠し通すことはできないだろう。だがもし......辺境伯邸の方角へ進んでいるのならまだ可能性はある。
「彼女には辺境伯領の地図と馬をお礼で差し上げたので、領内の他の村を巡っていることかと」
ならば聖女は辺境伯領のどこかにいる!
私は村への感謝の言葉と収穫見込み量の訂正指示を従者に任せ、急いで次の村へと出発した。
*
その後リバやノーム、ピスシアなど主街道近くの農村すべてに寄って来たが、どの村も青々と輝く収穫直前の麦があるだけだった。
「ウィリアム様......農村はまだ数十以上ございます。今日はこの辺で切り上げて辺境伯邸へ帰るべきではないでしょうか」
もうしばらくすれば日が落ちる。一日中聖女の探索に付き合わせたクリフはじめ従者たちはすでに疲れきっていた。
「あとひと村だけ付き合ってくれ。それで見つからなければ残りはまた後日、騎士団を動員して探そう」
――エリノアに昼過ぎには屋敷に着くと約束していたのだった。帰ったら遅れたことを謝らなくてはいけないな。
約束を破るのは好きではない。だが、今はそれよりも優先するべきことがあるのも事実。
考えている間にも主街道から枝道へと馬車が入った。案外、土を押し固めた枝道の方が石畳の主街道より馬車の揺れが少ない。
農村までもう少しのところで、畑がまだ茶色一色であることに気がついた。聖女を我々が追い越したのか、はたまた聖女がこの村を見落としたのか。
どのみち、いつか聖女がこの村に来るのならしばらくここに代官を滞在させてもいいかもしれない。
考えつつ外を眺めていた。
――畑の様子がおかしい。夕陽で赤茶色に染まった土の少し上に、薄緑色のもやができている。
「クリフ! 馬車を止めてくれ!」
私の声で飛び起きたクリフが、馬車の運転手に止めるよう指示を出す。車列が止まるのとほぼ同時に私は馬車を飛び降りた。
畑の中で這いずり、薄緑色のもやをじっと見る。しばらくすると土の中から次々と芽が出てきてすくすくと成長していく。
間違いない。この村に今、“聖女”がいる。
茫然とこの超常現象に見入っている従者たちを尻目に、スーツについた泥も払うことをせず従者の馬を拝借した。
村に入るとかなり大きな人だかりができている。馬を降り、村人をかき分けてその中心部へ少しずつ近づく。
村人達の中心に、ひとりの女性の姿が映る。
美しい淡い青緑色の長い髪。蒼緑色の澄んだ瞳。庶民の着るような少しくすんだ白いワンピースに身を包んだ彼女こそが聖女なのだろうか。
村民たちと親しく話しているその姿に、口元を隠して微笑むその表情に、目が奪われる。不意に目が合うと、彼女はにこやかな笑顔を私へと向けた。
伝説の聖女とは容姿が多少どころかかなり異なる。しかし、その溢れ出る慈悲のオーラと誰にでも寄り添う姿勢、間違いなく私の考える聖女像と合致していた。
......この方が、聖女様なのか。
聖女様の目の前へと行き、私は跪いた。
「取り込み中に申し訳ない。私はここ一帯を治める辺境伯のウィリアム・ヴェトレールと申します。我らが聖女様、凶作にあえぐ村々を救っていただき感謝しても仕切れない。このご恩に報いるため辺境伯邸へ来ていただきたい」
言いながらそっと手を差し出す。
聖女様は目を丸くしてしばらく黙った後、私の手を両手でゆっくり下ろさせた。
「私は恩を売るために村を救ったのではありません。ですが、辺境伯様の申し出を無碍にすることもできませんね」
聖女様も膝をつき、私と目線を合わせて微笑みかけてくる。
私とそう歳も変わらないはずなのに、母親のような安心感......これが聖女様が聖女様たる所以なのだろうか。
「ウィリアム様! ようやく追いつきました......えっと、そちらの美しい方は?」
他の騎士達と共に村人を押し退けて現れたクリフは、顔こそ私の方を向いているが視線は聖女様に釘付けだった。
わかりやすい男だな。私は小さく咳払いをしてクリフの視線をこちらへ向ける。
「この方こそ件の聖女様だ。これより辺境伯邸にお連れするぞ」
言った途端、クリフはもはや私など居ぬかのように聖女様をじっくりと見て、この方が.......と固まってしまった。
*
すっかり日が落ちてしまったため、クリフが操る馬車で辺境伯邸へと急いで帰る。
辺境伯邸は小高い丘の上にあり、麓には辺境伯領で一番栄えている領都トリノがある。当然この街も争いで甚大な被害を出したのだが、相変わらず夜でも人々で溢れかえっていた。
狭い車内で私と向かい合うように座っている聖女様は、初めて見るらしい夜の街に目を輝かせて楽しそうに眺めている。
同じ窓から同じ景色を見ているはずなのに、きっと聖女様と私では見えている世界が違うのだろう。
「ウィリアム様! あの建物にみんな集まってるようだけど、何があるのですか?」
「あれは酒場ですね。近くに鉱山があるのでそこの労働者が一晩中騒いでいるようです」
「ではあれは何ですか? 小さなお店がたくさん並んでるところです!」
「あれは中央市場ですね。辺境伯領の各地から届いた野菜や果物、最近は雑貨類までもを売っていると聞いています」
聖女様は目に入るものほぼすべてに疑問を持たれる。そんな彼女の瞳は翳りひとつなく輝いていて、私に向ける表情も美しい。この時間がいつまでも続けばよいのに。
ふと聖女様がこちらを見た。
至近距離で目が合う。
今、私と聖女様は密室空間でふたりきり。さっきまで感じられなかった聖女様のほのかに甘い匂いが急に香りだした。
自然と彼女を抱き寄せてしまう。サラサラな髪の下に、華奢な体とは対照的な骨の硬さを感じる。
戸惑う聖女様の少し困った顔が、意を決したようにギュッと瞳を閉じた。
きっとこれも何かの導きなのだろうか――
「ウィリアム様! も、もうすぐ辺境伯邸へお着きしまする!」
視界の隅でクリフが慌てて小窓を閉めた。
......私は何をしていたのやら。
聖女様は顔を真っ赤にして俯いている。出会って間もない女性――しかも聖女様に――何という不敬な行為をしてしまったのだろう。
石畳の道を走る馬車の騒がしい走行音だけが車内に響き、もしクリフが割り込まなかったらなんて邪な気持ちが湧き出る。
嫌われていなければいいのだが。
*
実に1ヶ月ぶりの我が家へと着く。ニヤニヤとしているクリフがステップを出してくれたので私が先に降り、聖女様へ手を差し出す。
「聖女様、足元にご注意ください」
まだ顔の紅潮がとれない様子の聖女様のひんやりとした手が私の手を握り、一段一段着実に馬車から降りてきた。
玄関の扉を開けるとメインホールに複数の従者たちが待ち構えている。その真ん中にピンクのドレスに身を包んだ私の妹、エリトアの姿があった。
「兄上、長い旅路お疲れ様でございます。それで、そちらの方はどなたですか?」
腕を組み、品定めするように聖女様をまじまじと見ているエリトア。私が話そうとすると、先に聖女様が口を開いた。
「私はアリスと申します。ウィリアム様に村から連れて来ていただきました」
聖女様のお名前、アリスと言うんだな。いや待て、今の言い方には語弊が.........。
「アリス様、はじめまして私ウィリアム兄様の妹のエリトアと申します。ずいぶんと親しい間柄のようで......兄共々よろしくお願いします」
エリノアが優しく聖女様に微笑みかける。
「エリノア、この方は聖女様だ。決して私の婚約者などではない」
不敵な笑みを浮かべるエリノア。
「兄上が聖女と称すほどに惚れ込まれたお方ですか、それはぜひ私とも仲良くしてくださいな」
......これはダメなやつだ。エリノアは満足げに笑っているし聖女様は顔を真っ赤にして黙っている。
おまけにクリフは私の顔を見ながらニヤニヤしている。クリフ、お前とは後でゆっくり話そうと思うよ。
「エリノア、彼女にドレスを貸してあげてくれ。部屋も隣を使うように頼む」
我が家で匿うためにも聖女様を父上に合わせる必要がある。そのためには身なりを整えていただかなければならない。そして、そのためにはこの勘違い妹の協力が必要だった。
「かしこまりました。アリス様、私の部屋へ案内致しますわ」
聖女様のえ? と言う不安に満ちた声を特に気にすることなく、エリノアは聖女様の手を取り二階へと消えていった。
「さあクリフ君......お話があるから私たちも行こうか」
「......聖女様の時のようにお手柔らかにお願いします」
クリフへの“お話”は長くなりそうだ。
よければブックマーク・評価・感想よろしくお願いします!