第十三話 『昔話は本物?』
麗らかな春の日差しに照らされた王宮の中庭で貴方と出会ったの。
鮮やかな赤い髪の男の子。私とそう歳も変わらなそうなのに、王宮に来てまで剣術の練習をしている貴方はキラキラしていて、どうすれば近づけるのかずっと考えてた。
「どうしたんだ? 俺に用でもあるのか?」
「いえ......」
「じゃああんまり見ないでくれ。気が散る」
じっと貴方を見ていた私に、貴方はそう言い残してまた練習に戻ってしまう。
初めて殿方に冷たくあしらわれた。今までみんなにもてはやされてきた私はそれが悔しくて悔しくて。
それから毎日貴方を中庭に見える王宮の窓という窓から貴方を見続けた。
貴方は毎回私を見つけてくれて、二階までジャンプしてまで『気が散るから見るな!』って言いに来てたっけ。
だんだんと笑顔も増えてきて、貴方と中庭以外でも話す機会が増えてきた。
ふたりで王宮を抜け出してピクニックに行ったり、王都を散策したり、とにかく甘い、甘すぎる時間を送っていた。
「なあ、お前好きなやつとかいんの?」
いつもの中庭で、真面目な顔して話す貴方はかっこいい。でもなんでそんなわかりきった質問をするの?
「いえ......ウィリアム、急にどうし――?!」
それは、頭の中が蕩けてしまいそうなとても熱いキッスだった。
「俺さ、もう少しで帰らなきゃいけないんだ。ここよりずっと田舎で、いたくもないような場所だけど、可愛い弟たちが俺のことを待ってるんだぜ」
ニッと笑う貴方から、もう目を逸らすことはできない。これからも一緒にいて欲しい。ずっと、ずっと近くにいたい!
でも、私の気持ちを押し付けたくはなかった。私は初めてのキッスを奪われてもなお、自分に素直になれなかった。
「そんなの寂しいです......次はいつ来ますか?」
「わかんない。わかんないからナタリアと約束をしたいんだ」
私の目を、力強い眼差しで捉える貴方。
「ナタリア、大きくなったら必ず迎えに来る。だからその時は......俺と結婚してくれ!」
初夏のまだ涼しい風がふたりの間をスッと通り過ぎていった。優しいこの時が、いつまでも続いてくれたらいいのに。
「約束......だからね!」
幼い日の約束を私は絶対に忘れたりはしない。いつかくる再会の日まで、絶対に。
私はそれから貴方と一度も会っていない。あれからも貴方のお父様は何度も王宮に来てたのに、貴方は一度も来てくれなかった。
そして貴方は近衛騎士団に入ったのに、たった2年で辞めてしまって辺境伯領に引っ込んでしまった。
何度辺境伯領へ出向こうと思ったことか。それでも思い止まったのは、貴方が迎えにくると私に言ってくれたから。
でもある日、見てしまった。お父様が主催の社交パーティーの出席表で...貴方の名前を。
ウィリアム・ヴェトレール。
間違いない。貴方が私の王子様。
なのに、なのに貴方は女性を連れていた。しかもハイエル公爵令嬢とふたりで部屋に!
もう何もわからなくなって、貴方が連れていた女性に従者がいないうちに近づいてみた。
「見ない顔ね。どなたの連れかしら」
「はい。ウィリアム様...ヴェトレール辺境伯様の付き添いで来ました。アリスと申します」
この娘が私のウィリアムをたぶらかしてるのね。でもこの子、どことは言わないけどかなり貧相だわ。
お酒をお水と偽って飲ませてみたけど、ウィリアムとの詳細な関係を聞き出す前にぐっすり寝てしまった。
もうこに子に用はない。お酒に弱い女性をあの豪快なウィリアムが求めているわけないし、他も私の方がすべてで優っているもの。
問題はあの爆乳令嬢......。ウィリアムとふたりきりなんて、そこは私の特等席だっていうのに!
あら? ウィリアムがお手洗いに走って出ていったわ。あの顔の紅潮、まさかあの爆乳で?
くっ......まあいいわ。
どうせウィリアムも魔が差しただけよ。どのみち私の元に帰ってくるのなら、しばらく泳がせてみてもいいわね。
体にしか魅力のない女なんて、ウィリアムには似合わないわ。それに、少し慎ましやかな方が上品だってお母様もメイドのサリアも言っていたもの。
◇
「なのに! 私のこと覚えていないだなんて酷すぎるにも程があるでしょ!!」
途中までせっかく甘酸っぱい恋の話だったのに、後半ですべて台無しだった。
そもそも、私は今の昔も剣術の訓練を王宮に来てまでするような“剣狂い”ではないのだが。あと私はそこまで女性の体に色を求めていない。......はず。
横で聞いていたエミリ様は......泣いてる?!
「グスンッ......ウィリアム様、私なんかとお戯れにならないでナタリア様とよりを戻してください」
まずい。本当に私が忘れているだけなのか? 作り話という線も...いや、にしては造形が深かった。
本当の話ならば私は真摯に謝らなければいけない。
しかし、私にはまだその実感がなかった。
それほど親しくしていたのなら覚えていて当然なわけで、それが自分から抜け落ち約束した相手だけ覚えているなど......。
私はそこまで薄情な人間だったのか?
「もういいわ。昔の私に恋をしていた貴方をもう一度恋に落とすなんて赤子を笑わせるくらい簡単なことだもの。ハイエル嬢、それに今はいないけどアリスさんだったかしら? 私のウィリアムは誰にも渡さないんだから」
これ、告白だよな。
気がついた時には私たちの周りに見物の人だかりができていた。その中心で、堂々としているケーメル公爵令嬢はまさしく物語のヒロインだ。
「あら? ハイエル嬢は私にウィリアムを私に譲るって判断でよかったかしら」
このタイミングでエミリ様を挑発するとは...貴族に囲まれオドオドしているエミリ様、どうにか貴族たちを退ける方法はないだろうか。
「ウィリアム様!」
「は、はい」
顔を真っ赤にしているエミリ様が私の前に一歩出る。
「私、やっぱり諦めませんから! 絶対にナタリア様に負けませんから!」
貴族たちが湧き上がった。
「いい度胸ね。私の好敵手にしてあげるわ」
ふたりが握手を交わす。なんとも不思議な光景だ。
いやいや。ちょっと待て、私の意思は考慮されないのか?
*
貴族たちからの痛い視線に耐えながらもなんとかその場を去れたのは、陛下のおかげだった。
今、私は執務室にいる。
にしても昨日の今日で私の心はおかしくなってしまいそうだ。
アリスには感情を曝け出し、エリノアには思いを伝えられキスまでされてしまった。それにふたりの公爵令嬢からの猛烈なアタック。
昔話の件は......真偽不明である。
限りなく偽に近いと思ってはいるが、何か大切なことが抜け落ちているような気がして腑に落ちない。
嘘と言い切るにはあまりにも生々しくて、本当と言うには私と乖離した何かを感じる。
誰かに相談して解決するのか?
それともすべてをほっぽり出してアリスの元へと行ってしまおうか。きっとアリスなら、こんな私でも優しく受け止めてくれるはず。
善は急げだ。馬車で行くと目立つから、今日も愛馬のリンガをお供としよう。
「...」
「...」
「...」
「...」
そこそこ長い執務室から厩舎までの道のり、多少の貴族と鉢合わせることは想定していた。
最初の想定外はエリノアに出会したことだ。
スッキリしたような表情のエリノアと清々しい顔ですれ違ったつもりだったのだが、気がついたら私の隣を歩き始めていた。
そして、今に至る。
「あらあら。ウィリアムは具合が悪いと言って退席した後に、別の女の子を連れて何処かへ行くようないかがわしいお方なのですね」
「せ、説明してください! ウィリアム様」
ふたりの公爵令嬢がパーティー会場の外に出てきてくる可能性をどうやって想定すればよかったのか、私にはわからない。
「妹のエリノアだ。今から会場に連れて行こうと思っ―――」
「ちょうど今からアリスちゃんのいる場所へ向かうのですが、おふたりも一緒にいかがですか?」
エリノア?! なぜ私がアリスのところへ行くことを知って......というか知っていたとしてそれをバラすな!
「あらそう。そういうことなら私も同行させていただきますわ」
「わ、私も行きます! アリスさんがどんなお方なのか気になりますし......」
*
そういうわけで、行く気満々の3人を連れて結局馬車でアリスのいる城へと着いてしまった。
さすがに初対面のエミリ様やお酒のせいでアリスには記憶がないであろうケーメル公爵令嬢と、いきなりアリスを合わせるのは不安だ。そういう訳で先に私がアリスと会って現状を話すこととなった。
コンコンコンコン
「ど、どうぞ!」
扉の先には、初めてパーティーに連れて行った時と同じ白いドレス姿のアリス。首元にはアクアマリンが輝いている。
「アリス、その格好は――?!」
私の言葉を最後まで聞くこともなく、親の帰りを待ちわびていた娘ように私の胸へと飛び込んできた。
そして私の顔を見上げるように覗いてくる。
「ウィリアム様、昨日の夜も今朝も来てくれませんでした......。わ、私がかわいいと思っているなら来てくれたはずです...よね?」
か、可愛い。顔が熱い。
「すまないアリス。パーティーというのは中々抜け出すのが難しいのだよ」
「......寂しかったです」
申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
昨晩も今朝も色々とありすぎたのは確かだが、アリスに悲しい思いをさせてしまったのは男として失格だ。
「埋め合わせをしてください」
「アリス、私は何をしたら?」
一瞬だけ、アリスが目を逸らす。
「顔、近づけて......私のことだけを見てください。私以外は...見ないで」
言われた通りに、アリスが満足してくれるのならばなんだって受け入れる。
そっと目を閉じるアリス。
そういうことか。今回は私から。
アリスに口付けを―――。
「ちょっとお待ちなさい!!!!!!!!!」
その声は、私とアリスを甘い空気から現実に引き戻すには十分すぎた。




