第十話 『農賀祭とふたり乗り』
執務室の窓からは、辺境伯邸の麓にある領都トリノが椅子に座ったまま一望できる。辺境伯となって以来、毎日のように見守ってきたトリノの復興も農賀祭準備のおかげでかなり進んだ。
建物と建物の間にはロープが渡されハプロフ王国の国旗や王室の旗、近衛騎士団旗などが所狭しとかかげられ、風に靡いている。
あと三日で農賀祭が始まるのか。
すでに貴族や護衛の騎士たちがトリノと周辺の宿場町に入り始めており、市場も大盛況だと聞いている。
無事に終わってくれればいいのだが。
「にしてもお前、いつの間に実体化した」
『いいじゃん。声はウィリアムとアリスにしか聞こえないんだし』
私の膝の上には、犬の精霊もとい氷の精霊が丸まっている。こいつ、撫でてみるともふもふしてて落ち着くんだよな。
ちなみにこの犬はアリスに「フェイ」という名前を貰ってから誰にでも見えるように実体化していた。
おかげでブレントは毎日フェイを探し回って追いかけ回している。
普段はアリスにくっつきたがるのだが、今日はアリスがポーション作りで忙しいため私のもとにいる。
いや、私と契約した精霊なんだが。
『この前本で読んだんだけど、犬って散歩とかするんでしょ? なんか街がお祭り騒ぎみたいだし連れていってよ』
「中庭で満足してくれ」
なぜ本を読めるのだと前の私ならつっこんでいる所だが、言葉を喋れる時点でもう察してしまった。天界の出身者は私たちの物差しでは測りきれないのだ。
『ちぇっ。せっかくこの可愛い姿を民衆に褒めてもらえるチャンスだったのに』
にしてもこいつ、精霊のくせに承認欲求に思考を支配されているな。
後ろ足で耳を掻く素振りをするフェイであったが、明らかに足の長さが足りていない。
『耳が痒いんだけど。掻いてくれてもいいんだよ?』
「はいはい」
垂れ下がった耳を掻いてあげると、後ろ足をバタバタさせて気持ちよさそうにしている。
こうしているとただの犬なんだけどな。
*
農賀祭二日前。今日は第一王侯公爵のダリアン卿や三大公爵家、五大侯爵家の御一行がトリノへと到着した。
明日にはとうとう国王陛下はじめ王族の皆様と第一近衛師団がくる。
「もうそろそろアリスに隠れてもらわないといけないか」
農賀祭が辺境伯領で開催されると陛下に言われた時から、アリスをどこで匿うべきかはずっと考えていた。
農賀祭期間中、辺境伯邸は貴族で溢れかえるしトリノや周辺の宿場町も軒並み来客で埋め尽くされてしまう。この前のクロウリー卿のようにアリスを聖女だと判別できる者がどこにいるかはわからない。
そこで私が導き出した場所は―――
辺境伯別邸。
元々は戦乱時に立て籠もるために造られた戦闘のための山城であるが、実際にこの城で籠城して戦いが起きたことは今まで一度もない。
現在は最低限の管理がされており、数名の騎士と管理人が当番制で住んでいる。
アリスには少々我慢をしてもらうことになるが、できるだけ不自由のない暮らしを送れるように今日まで整備をしてきた。
満足してくれたらいいんだが。
アリスを探していると、中庭にある小さな花壇に水をやるアリスの姿があった。
「アリス、少し時間をいいかな?」
「はい! ウィリアム様どうされましたか?」
首を傾げるアリス。
「もうすぐ農賀祭が始まる。そしたら――」
「そう...ですか。わかりました!」
少々話が長くなったが、アリスは納得してくれたようだ。
「もしよければ、この子たちに毎日お水をあげていただけませんか?」
アリスはさっき彼女が水をやっていた小さな花壇の方をそっと振り返る。
「わかった。気に掛けておこう」
花壇にはあと数日で咲くのであろう花の蕾がふっくらと膨らんでいた。アリスが大切に育てている花、私も大切に愛でる事としよう。
*
小高い丘の上にある辺境伯邸のさらに上。重々しい石造りに苔むしたお城が見えてくる。
城門は開け放たれ、私とアリスを迎える騎士たちがパラパラといるだけで、中に入ると狭いはずの城内がやけに広く感じた。
「アリス、足元に気をつけて」
戦うための施設は足腰の強い騎士が使うこと前提で作られているため、何かと段差や粗削りな場所が多い。
アリスのために用意した部屋はかなり眺めのいい、トリノ全体を見渡せる部屋にした。
埃ひとつないし、できるだけ辺境伯邸にあるアリスの部屋を真似て内装を作ったのだが......
アリスは浮かない顔をしている。
「すまない、何か不満があるなら言ってくれ。すぐにでも解消できるよう手配するよ」
「違うんです。お部屋、たった7日間のためなのにすっごく綺麗にしてくださって、嬉しいんです」
窓へと近づき、遠くを見るアリス。
「でも......農賀祭を、ウィリアム様やエリノアちゃんたちと楽しめないんだなって」
アリスの頬を、一筋の涙が伝った。
アリスも農賀祭のためにポーション制作や労働者の激励など、色々と尽力してくれた。にも関わらず、アリスを農賀祭へ参加させることを私は躊躇っている。
「アリスがよければ、私やエリノアだけでもこの城に顔を出すよ」
......私は臆病だ。アリスを農賀祭へ連れ出したい、一緒に楽しみたいのにそれを言葉にできない。ここに顔を出してもアリスが農賀祭を楽しむことはできないなんてわかっているのに。
「ありがとうございますウィリアム様。ウィリアム様とエリノアちゃんの顔を見られるだけでも私、すっごく嬉しいです」
流れる涙とは対照的な笑顔をみると、アリスは本当に健気だなと思う。
「アリス......こんな私を、許してくれ」
アリスからは貰ってばかりで、私からのお返しが全然足りていない。プレゼントしたものだって、アクアマリンに至ってはそれに持つ意味すら考えていなかった。
「ウィリアム様が謝る必要はないんです。私も迷惑をかけてばかりで、ここはお互い様だと思うことにしませんか?」
私の手をそっと握り、そらさず目を見て話してくれるアリス。
「そんなの...いいのか?」
「はい! それでがいいんです!」
やさしいアリスに私はいつまで甘えているのだろうか。トールの言っていた通り、私はアリスをキープにしておきたいと心のどこかで思っている。
アリスを幸せにするためには、このままではダメだというのに。守り抜くことも大事だが、それだけではアリスに永遠と窮屈な思いをさせ続ける事となる。
私から行動を起こさなければ、アリスは私の迷惑とならないようにその場から動こうとはしないだろう。
バレた時のことはバレた時に考えればいい。
そうだ。このままではダメなのだから。
「アリス! やはり明日以降、一緒に農賀祭をまわってみないか?」
「え...でもそれは」
困惑するアリスの手を、今度は私が強く握り返す。
「明日からトリノには国中だけでなく他の国からも大勢の人がくる。であれば、王国の魔導士たちもアリスの存在を感知するのは難しい......はず。だから!」
アリスは込み上げてきた声を堰き止められなかったように笑い出した。
「あ、アリス? 私が何かおかしいことを?」
「だって、ウィリアム様の緊張が手を通して私にまで伝わってきて、何だかもう笑わないと泣いてしまいそうで」
笑っているアリスの瞳からひとつ、またひとつと大粒の涙がこぼれ落ちる。
「それで...一緒にまわってくれるか?」
「はい! 私でよければ喜んで」
*
祝砲が街全体に鳴り響く。
今までにないほど大勢の観衆がトリノの中央通り両サイドを埋め尽くし、開けられた道を第一近衛騎士団とハプロフ王室の御一行が進んでいた。
メイン会場となるのは丘の上にある辺境伯邸と、その麓にあるヴェトレール広場。民衆は広場へと集まり、貴族たちは辺境伯邸で連日連夜の社交パーティーに参加する。
準備の大変さを鑑みれば二度と開催地にはなりたくないのだが、普段は働き詰めの民衆や騎士たちが何も気にせず騒いでいる様子を見ると、大きな達成感を感じた。
「辺境伯様、参加を表明した六カ国のうち五カ国の代表者の到着を確認いたしました」
「ありがとう。残りの国はどこだ?」
農賀祭で周辺諸国から客人を招くのは、我が国の繁栄を見せつけるのと同時に同盟や貿易について我が国が有利になるよう話し合うためでもある。
「クロムウェル帝国連邦です。どうやら主街道の接続道で雪崩が起きていると連絡が入っております」
「そうか。ありがとう下がっていいよ」
クロムウェル帝国連邦か。計略と軍事に長けた五大国家の第一位でありハプロフ王国が最も警戒している相手。先王時代の動乱では、どさくさに紛れて王室を暗殺しようと暗躍していたとも聞いている。
そにため仮想敵国として近衛騎士学校でも多くの訓練が対クロムウェル用に作られている。
まあ、こちらに向かって来ているのならそのうち到着するだろう。
領都トリノと周辺の宿場町に展開している警備隊からの通報もなし。国王陛下への挨拶と農賀祭開始の祝辞は父上がしてくださる。
さてと。
アリスを迎えに行くとするかな。
「兄上、どちらへ?」
玄関ホールへと向かう途中に、ハンスと出会した。
「ああ。トリノへ降りてみようかと思って」
「しかし、生憎今は馬車が足りておりません」
「なぜ馬車が足りないんだ?」
「警備隊の輸送に使っているのと、宮中伯の連中が馬車を無駄に使いまわっておりまして」
宮中伯が馬車を? 伯爵風情が王宮で働いているからと偉くなったものだな。
「そうか、まあ使わせておけ。私は私の馬を出す」
とは言ったものの、アリスをどうやって連れ出そうか。アリスが馬に乗れるなら話は別だがその線は薄い。極力目立たないようにするにはどうするべきかな。
考えながらアリスの居る城へと向かったが、特にいい案は思いつかなかった。
コンコンコンコン
「ど、どうぞ!」
「失礼するよ」
部屋の中に入ると、動きやすそうな白いドレス姿のアリスとエリノアの主任従者であるホリーがいる。
「アリス姫の準備、完了しておりますよ」
「ありがとうホリー。アリス、似合ってるね」
照れくさそうに髪の毛をくるくるとしているアリスが可愛い。
「改めて、お迎えにあがりました」
「よ...よろしくお願いします!」
アリスの手を握り、いつもならば馬車に乗るところだが今日は違う。
「ウィリアム様......馬車はどちらへ?」
「今日は馬車じゃなく、私の馬にふたりで乗ろうと思うのだが...どうだ?」
「いいんですか!」
.......アリスの反応は私の予想の斜め上だった。普通、乗り心地も馬車に比べれば悪いのだから嫌がると思っていたのに。
「いいと言うか、嫌じゃないのか?」
「だって...ウィリアム様の白馬さん、厩舎で待機してる時にウィリアム様以外は受け付けないってお顔をしてましたし」
え、リンガそんな顔してたの? 愛馬だから嬉しい反面、誰に似たらそうなるんだ。
「ま、まあ構わないさ」
先に私が乗って、アリスに手を差し伸べる。
アリスを私の前に乗せるか後ろにするか、心の中で答えは出ていなかったのだがアリスは手を取ると私の後ろに乗った。
アリスは私の腰に手を回して掴まっている。背中にアリスの体温を感じると、頼られている気がして無性に馬の走るスピードを上げてしまった。
もうすぐ農賀祭の中心地、ヴェトレール広場に着く。農賀祭初日、楽しい一日になりそうだ。




