7、ラトレイア・パートナー
「あー、驚いた」
胸を撫で下ろすサヤに、レナードが楽しそうな笑みを浮かべる。
「冷静沈着、完全無欠、航空科五期連続トップのアクティスに喧嘩を売るなんて、サヤもやりますね」
「そんなんじゃありません。あー、本当にびっくりした」
未だばくつく心臓を抑えて、サヤは去っていくアクティスの背中を見つめた。
背が高く姿勢が良い彼は、何処にいてもよく目立つ。
尤も、彼が目立つ最大の理由はそういうことだけではなく。
「彼の行く先、見事に道がひらいていく。まるで、何処ぞの聖人のようですね」
感嘆したようなレナードの呟き通り、確かに、アクティスの行く先々で、ものの見事に人が居なくなる様は見ごたえがあった。
「でも何だか、寂しそう」
そんなアクティスを見守り、小さく呟いたサヤを、レミアとレナードが奇怪なものを見るように見つめる。
「寂しそう?ザイン出身が?」
「アクティスが?本気で言っていますか、サヤ。もしや、視力が落ちたのでは」
「だ、だって。いつも独りだし。みんな彼を怖がって。きっと優しいところだってあると思うのに」
呆れたような目を向けられ、しどろもどろに答えれば、その肩にレミアが力強く手を置いた。
「パトリックの娘。あれは孤高の生き物なのだ。そなたが気にするものではない」
「そうですよ、サヤ。それに、人が誰しも本当は優しいなど、幻想です」
きっぱりと言い切られて一瞬怯むも、サヤは言葉を繋ぐ。
「でも。あの氷のような冷たさを誇る見事な薄蒼の瞳だって、優しい色にもなる、かも、しれないじゃない」
彼の孤高を引き立てる、冷たい瞳の色。
それだって、氷が緩むように柔らかな色を宿せば、親しみを持てるかもしれないとサヤは思う。
「親しみを、ですか。私にはとてもそう思えませんが、貴女が思うならまあいいでしょう。止めはしません。無駄な努力をしたいというのなら、お好きにどうぞ。それより」
そのような事は大した問題では無いと言うように言葉を切って、レナードは改めてサヤに向き直った。
「ところで、サヤ。少しも気にしてくれていないようなので自己申告しますが、今期の試験、私が航空科の二位でした」
その言葉に、サヤは今回の試験の結果で、また新しくラトレイア・パートナーが決まったのだと思い出す。
ラトレイア・パートナー。
それは、トルサニサ軍特有の制度で、コンビを組んで戦闘に当たる相手。
海軍と空軍からひとりずつ組むそれは、士官学校に於いては航空科、海洋科、それぞれの課に於いての試験結果に基づいて、その同位の者が異なる科の者と組を成すこととなっている。
「海洋科の二位は私だった・・らしいわね?」
結局自分では見に行っていない結果を、サヤは半信半疑で口にする。
教えてくれたナジェルを疑いはしないが、自分で見ていない結果を断定する事はできない。
「そうです。海洋科の二位はサヤでしたよ。もしかして、見に行っていないのですか?」
その事実を知っていたらしいレナードは、それでも意地悪くサヤに問う。
「すみません。行っていません」
まるで教官に答えるかのように言って、サヤは小さく頭を下げた。
「別に、私に謝る事ではありませんよ。信頼のおける相手からの情報であれば、鵜呑みにするのもいいでしょう。しかし、サヤ。己の怠惰や手抜きで重要な情報を取り漏らすような事は、貴女のラトレイア・パートナーとして見過ごせません。忘れないでくださいね」
定期試験毎に更改されるラトレイア・パートナー。
順位で強制的に決まるそれは、しかし二組に限って、まるで組み合わせに変化が無かった。
航空科一位のアクティスと海洋科一位のナジェルのコンビ、そして、航空科二位のレナードと海洋科二位のサヤのコンビ。
不動と言われるこの順位こそを、ナジェルは嘆いている。
彼曰く、問題なのはサヤのやる気を感じさせない態度なのだそうだが、その彼の膠着のひとという口癖を思い出し、サヤは複雑な思いに駆られた。
今の状況を動かすということ、それ以前に横たわる異能を持つ自分への不安。
「またよろしくお願いしますね、サヤ」
「こちらこそ、よろしくお願いします。レナード」
それらを押し隠し、サヤはレナードに笑みを向ける。
「またパトリックの娘とフィネスの息子がコンビなのか。我など、一度として同じ相手と組んだ試しがない。しかしまあ、我の方が普通だな」
定期試験毎に更改されるパートナー。
順位変動に依って変わるパートナーチェンジを体験したことがないサヤ達が異様だと頷くレミアに、レナードが静かに微笑んだ。
「順位が不動だという点では、私達も貴女も同じなのに不思議ですよね。ああ、そうか。一度でも最下位を経験した者は挽回という努力をするのでしょう。海洋科の人間は」
柔らかな声。
柔らかな表情で音にされる辛辣な言葉。
「ご丁寧な解説を、どうもありがとう」
航空科第二学年。
最下位記録を単独更新中のレミアが、美少女に相応しいふんわりとした笑みを浮かべた。
その穏やかな言葉、表情と裏腹、ふたりの交わす視線は冷たく厳しい。
周囲まで凍らせるような、ふたりの冷戦。
「ね、レミア。お腹すいているんだったよね?」
その空気を緩和するように言ったサヤの言葉に、レミアの瞳から一瞬で剣呑さが消えた。
「そうであった。早く行かねば」
言うなり、すたすたと食堂へと入って行ったレミアが、その行動のあまりの速さに付いて行けなかったサヤをくるりと振り返る。
「パトリックの娘!早くしないか!」
「レミア、ちょっと待って」
そんなレミアにそう答え、サヤはレナードに向き直った。
「サヤ?何か私に、仰りたい事でも?」
「レミアとレナードのことなので、私は関係ないかもしれませんが」
「レミアと私が、何ですか?」
手を強く組んで言うサヤを、面白そうに見たレナードの促され、サヤが口を開く。
「私は、レナードもレミアも信頼しています。だから、ふたりが仲良くしてくれたら嬉しいと思います」
まるで嘆願するように言ったサヤを、しばらくレナードは茫然とした様子で見つめた後、くつくつと楽しそうに笑い出した。
「まったく、何を言うかと思えば。それにサヤ。今の言い合い、貴女の事が発端だったように思いますが」
言葉に、サヤはうっと詰まるしかない。
「そ、それはそう、ですね。すみません」
「はは。素直ですね。でも、そんな風に思わなくていいのですよ。私もレミアも、言うなれば貴女をネタに楽しんでいるのですから」
確かにレナードの言う通りだ、と歴然たる事実にサヤが頭を下げれば、本当に楽しそうにそう言われた。
「ネ、ネタ?それは、どういう意味ですか?」
余りのことに声を失いそうになりながらいえば、レナードが当然と頷く。
「意味、ですか。まあ、貴女には理解できないでしょうから、無理する必要はありません。貴女は、それでいいです。それにしても仲良く、ですか。貴女という人は、本当に飽きない思考をお持ちです」
言われるも、ますます意味が分からないサヤは、首を傾げるしかない。
「レナード?それは誉めていますか?」
「誉めてはいません。ああ、すみませんサヤ。貶してもいませんので、ご安心を。それにしても、レミアと仲良くですか。まあ、努力してみますよ・・・っと、サヤ。ここで油を売っている場合ではありません。早く行かないと、あの食欲魔人が大変な事になっています」
食堂の中から喚くレミアの声に苦笑しながら、レナードがサヤの背を押した。
「パトリックの娘!早くしろ!パトリックの娘!我は飢えて死んでしまう!」
繰り返しサヤを呼ぶレミアの声。
それに自分たちが注目を集めている事を知って、サヤは急いで歩き出す。
「またね、レナード」
小さく手を振って、レミアの元へ急ぐサヤ。
「本当に、貴女は面白い」
その背に、レナードはそっと呟いた。