6、美少女、冷血、鉄面皮
「パトリックの娘!まだいるか!?」
朝、威勢のいいノックと共に廊下から聞こえて来た声に、サヤは笑顔で返事をした。
「まだいるわよ、レミア」
言いつつドアを開ければ、ふんわりとした桃色の髪を腰まで垂らした美少女が、にっこりと微笑んで立っている。
「おはよう、レミア」
「ああ、おはようパトリックの娘。さあ、早く食堂へ行こう、急ごう。我は今、とてもひもじい」
うきうきわくわくと、サヤの手を引く可憐な姿と、その言葉遣いとの大きなギャップ。
士官学校始まって以来の美少女と名高いレミアは、士官学校始まって以来の大食でも有名だった。
しかし物事に頓着しない彼女は、中身と外見が違い過ぎる、と残念なため息を漏らす男子生徒の束を前にしても決して動じることなく、己の食欲を最優先する。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
言ってレミアは、移動するべく力を発動する。
その発動に合わせてサヤも力を発動し、そして。
「違うわ。こっちよ、レミア」
サヤは誤った方向へ跳ぼうとするレミアを、正しく軌道修正した。
「おお、今朝も一発で食堂」
食堂の入口で、レミアは満足そうなため息を吐く。
「我ひとりではこうはいかぬ。必ず、違う場所へ幾度か跳ぶ」
ため息を吐くレミアに、サヤは苦笑するしかない。
レミアの移動音痴は有名で、彼女が瞬間移動をすれば、必ず思った場所と違う場所へ跳ぶ事を知らぬ者は無いほど。
しかもなまじ基本の能力値が高いため、大抵のセキュリティは乗り越えて移動してしまう。
入学してすぐ、男子寄宿舎の脱衣室に移動した美少女により男子はパニック状態になり、そんななかレミアはひとり悠然と移動し直して姿を消す、という事件が発生した。
それにより寄宿舎は、男女共にセキュリティレベルを引き上げたのだが、その事実さえレミアにとってはどうでもいい事のようだった。
『故意ではないのだから、我にもどうしようもない。我は、感知した場所へ移動しようとしている。なのに、どうしてか別の場所へ行ってしまうのだ。謎だ』
というのが、彼女の弁である。
「何か、羨ましい」
崩れることなく、いつも我が道を闊歩する。
そんなレミアに羨望を持つ自分は、レミアの心が自由だと感じるからなのかもしれないと思い、自分だって自由ではないかと、サヤはひとり思い悩み、自身を嫌悪し落ち込む。
「羨ましい?それは我の台詞だ。そなたのように迷わず食堂へ来られれば、それだけ早く食事にありつける。なあ、パトリックの娘。夕食も昼食も共に摂らぬか?さすれば、我は飢え知らずだ」
そう言ってレミアはにかっと、豪快に、という形容が似合う笑いを浮かべた。
美少女らしからぬそれに最初こそ驚いたが、これも彼女の個性と、サヤは今では好もしく思っている。
飾らない、偽りないレミア。
もし、サヤと同じ学科だったなら、彼女は迷わず有言実行しただろう。
しかしレミア航空科に所属する学生で、海洋科に所属するサヤとは、そもそも学ぶ場所が基本的に異なる。
それゆえ、その夢は夢で終わる、とレミアは今日もため息を吐いた。
「それにしても、サヤ。そなたの感応能力は、まこと見事だな。そなたと跳ぶと、行きたい所へきちんと修正してくれる。そんな能力者を我は他に知らぬ。実に素晴らしい」
今日のメニュウは何であろう、と満面の笑みで揚々と食堂へ入りながら、レミアは嬉しそうに隣に立つサヤを見た。
「我の能力発動に合わせてそなたの能力も発動する。そして我の誤りを修正する。まるで対の如くだ。類稀なことよ」
「おや、まあ。これは、これは。何を仰っているのやら。それは、勘違いというものですよ、レミア」
しみじみと深く頷き言ったレミアの背後から、それを軽やかに否定する涼やかな声がかかった。
「はあ。フィネスの息子か。何が言いたい」
「対ということはないでしょう。確かに、サヤの感応能力は類稀な才能ですが、貴女限定で発動するものではありません。誰が相手でも、サヤのその能力は発動します。もちろん相手が私であっても・・・と。もっとも、私には瞬間移動時の軌道修正など必要ありませんが」
苦虫を噛み潰したような表情のレミアと、この声は、と少々慄きつつ振り返ったサヤが見たのは、嫌味を見事に覆い隠す笑みを浮かべたレナード。
その胸に煌めくのは、レミアと同じ航空科の記章。
「おはようございます。サヤ、レミア。いい朝ですね」
長く真っ直ぐな、淡い紫色の髪をさらりとかきあげて、彼は振り向いたふたりにひと際柔らかく微笑んで見せた。
「フィネスの息子・・・相も変わらず胡散臭い奴よ」
言い捨てて横を向いたレミアのフォローをするように、サヤは慌てて挨拶を返す。
「おはようございます、レナード。そうね、素敵な朝ね」
そして共に食堂へと入りながら、サヤはナジェル達と歩いた夜を思い出した。
「こんなに爽やかなんだもの。歩いて来ても良かったかもしれないわ」
移動と言えば瞬間移動が常であるが故、滅多に外を歩くことは無い。
しかし、時にはあんな風に歩いてもいいかもしれないと、サヤは思う。
「歩く、ですか?瞬間移動できるのに、わざわざ、外を?」
想定外だという思い、更には呆れ、侮蔑を隠さないレナードに、サヤは怯むことなく頷いた。
「ええ、そうよ。このあいだの夜も、風がとても気持ちよかったわ」
嫌味なくにこりと言ったサヤの物言いに、レナードは考えるような瞳になる。
「その言い方。まさか、夜に外を歩いたのですか?」
「そうなの。学内の並木道を。とても気持ちよかったわ」
心底嬉しそうなサヤを見たレナードは、やれやれと両手を軽くあげ、首を横にゆるく振りながら嫌味な笑みを浮かべる。
「気持ちよかった、ですか。私には想像つきませんね。私は一応、上流の出なもので」
言外に粗野だといい、口角の上がった侮蔑の瞳を受け、サヤはそれ以上の言葉を失った。
悪かったわね、粗野で。
でも、外が心地よかったのは事実だし。
はあ。
感性の違いとは思うけど、こうも侮蔑されると、落ち込むわよ。
嫌な気分になっちゃった。
「ああ、そうか。フィネスの息子。貴様は軟弱ゆえ、外気は好まないのであったな」
気返す気にもなれない、とため息吐くサヤを背に庇うように割り込んだレミアの意地悪い笑みに、レナードも冷血と評される微笑みを返す。
「外を好まないのは事実ですが、軟弱ではありませんよ。きちんと訓練もこなしています。移動先を間違えて、他者に迷惑をかけたこともありませんし」
浮かべる表情は、あくまでも涼し気とも思える笑み。
それでも、ビチビチバチバチと目には見えない熱い火花が激しく飛び、それに反比例するようにその場の空気が凍りつく。
「ね、ねえふたりとも・・・」
そんな空気を何とかしようと、サヤが声をあげるも聞いてなどいはしない。
「フィネスの息子。貴様のその根性の捩じ曲がり具合、いっそ清々しいほどだな」
「普段の恩をここで返そうという魂胆が見えて、心底気持ち悪いよりましでしょう」
「友情も知らぬ貴様の性根と一緒にするな」
「奇遇ですね。私もそう思いますよ。貴女と一緒など、まっぴらごめんです」
ぽんぽんと、とどまることなく言い合うふたりの勢いは止まらないどころか、更に加速していき、益々周囲の気温は下がっていく。
「・・・凄い冷気」
呆然とし、思わず出たサヤの言葉に、ふたりは同時に反応し、同じ動きで見つめられてサヤは思わず笑いそうになった。
凄い。
動きまで、ぴったり。
「何か言ったか?パトリックの娘」
「何も仰いませんよね?サヤ」
そしてすぐさま双方より鋭く突っ込みを入れられて、サヤは咄嗟に本音が出る。
「表面仮面微笑み応酬だな、って思ったなんて誰も・・・わっ」
言いながら途中でまずいと思い、誤魔化すように笑いながら後ずさったサヤは、背後にいた人物にぶつかって慌てて頭を下げた。
「ごめんなさいっ。後方不注意でした!」
そんな彼女に返るのは、不機嫌な沈黙。
その絶対零度鉄面皮の雰囲気に心当たりを覚えて、サヤの背中を冷たいものが伝った。
「サヤが固まっていますよ、アクティス」
「余りパトリックの娘を怯えさせるな、ザイン出身」
レナードとレミア、ふたりの言葉も聞こえないかのように、アクティスはサヤに冷たい声を注ぐ。
「邪魔だ、退け」
「わわっ。ごめんなさいっ」
慌てて道をあけるサヤを見もせず、アクティスはそのまま食堂へと入って行った。
ありがとうございます。