24、温室とクラヴィコード
「わあ。きれいな建物」
その日。
サヤは、士官学校の敷地内をひとり散策していて、新たにひとつの建物を見つけた。
その建物の壁は、六角形の硝子を幾つも組み合わせて作られており、さんさんと降り注ぐ陽の光を浴びて、きらきらと輝いている。
「あ、開く」
そして、吸い寄せられるようにサヤがドアに手をかけ開けば、その硝子の建物は優しく迎え入れるようにその内側を見せた。
「お花がいっぱい・・・凄くきれい」
色とりどりの花が咲くその場所は自然の花畑のようで、サヤの心を大きく浮き立たせる。
「あ、これ。家の近くにも咲いてた。ティアが、よく遊んでいたっけ」
花と戯れる愛猫を思い出せば更に楽しく、サヤはうきうきと足を進めていて、奥から流れて来る鍵盤楽器の音色に気が付いた。
「クラヴィコード?かな。凄くきれいな音色。誰が弾いているんだろう」
純粋に心惹かれて、サヤはその音色に導かれるよう、気ままな足をそちらへと足を向ける。
「ほんとに素敵な音色。どんな人が弾いているのかしら」
流れて来る曲は優しくサヤの心を癒し、潤いと力を与えてくれるのを感じて、自然と歩む足も軽くなった。
花と緑のなか、心穏やかになる曲を聞く至福を覚え、音色に誘われるがままに歩いたサヤは、大きく茂った葉の向こうにその演奏者を見つけ、思わず息を飲む。
「アクティス」
その意外さに、見開いた目が戻せない。
しかし幾度見直しても、そこでひとり、穏やかな表情でクラヴィコードを弾いているのはアクティスに間違いなかった。
鍵盤を滑るように指を動かすアクティスは、その薄蒼の瞳にいつもの冷たさではなく、優しい温かさを宿して音色を奏でている。
凄い。
アクティスは、音楽の才能もあるのね。
弾いているのは意外な人物ではあったものの、流れる曲の優しさ、その美しさは変わらない。
いつのまにか、サヤは立ち止まったまま、うっとりと聞き惚れてしまった。
ほんとに素敵。
情景が、目に浮かぶようだわ。
曲が奏でる世界が広がっていく、とサヤがその心地よさに耳を傾けていると、不意にクラヴィコードの音色が止まった。
ぶつっ、とそれまでの情緒を忘れ去ったかのように途切れた音色に、何事かと目を開いたサヤは、アクティスが厳しい表情でこちらを見ているのに気づき、固まってしまう。
「貴様、いつからそこに」
「すみません、無断で演奏を堪能してしまいました!」
ぴしっ、と敬礼をして謝罪すれば、アクティスが驚愕したように椅子から立ち上がった。
それでも、クラヴィコードを傷つけることが無いようにだろう、丁寧に扱っているのが見て取れる。
「どうして、ここに」
「邪魔をしてごめんなさい。散歩をしていたら、この素敵な建物を見つけて。で、中に入れたから楽しく花々を見ていたの。そうしたら、その場にぴったりな素敵な音色が流れて来たから、思わずふらふらーっと」
正直に、出来るだけ簡潔にサヤが言うも、アクティスの表情は厳しいまま揺らぎもせずに、近づいて来るサヤを見つめている。
「散歩?ということは、歩いて来たのか?」
「そうよ。お散歩、って歩くことじゃない」
確認するのはそこなのか、と言うサヤにアクティスが大きくため息を吐いた。
「・・・変わり者、変人と言われないか?」
「だって、好きなものは好きなんだもの」
アクティスには、先日の戦闘訓練で異能と言われたうえ、何故か大笑いもされている。
今更、何を怯えることがあるかと、サヤは胸を張って言い切った。
「はあ。人の気配に気づくのが遅れるなど、初めてだ」
『不覚だ』と呟くアクティスに、サヤの変人ぶりを馬鹿にする様子は無い。
ただ只管に己が気づかなかったことに衝撃を受けているアクティスは、いつもの傍若無人ささえなりを潜めていて、サヤは何だか申し訳ない気持ちになった。
「瞬間移動の能力を使わなかったから、感知できなくても当たり前じゃない?」
誰かが自分のいる場所に向かって転移を発動すれば、感知できる。
けれど今回自分は歩いて来たのだから、とサヤが言えばアクティスが眉を顰めた。
「貴様、何の為に訓練を受けている?今の俺は、貴様という外敵の侵入に気づかなかった愚者、という立ち位置なのだぞ?」
「愚者、って・・言い方。別にいいじゃない。ここは敵地じゃないし、今は緊急事態でもないんだから。そんなときに、大好きなクラヴィコードを弾いて、ほっこりと安らぐ。大切なことだと思うけど」
気にするほどのことではない、と本気で言うサヤに、アクティスが驚いた様子で目を見開く。
「大好きな?何だって?」
「クラヴィコードよ。いいじゃない、そんな照れなくたって」
あの音色を聞いていれば分かる、と言って、サヤはそっとクラヴィコードを見つめた。
「お前、楽器は?」
短く聞かれて、サヤはため息と共に首を横に振る。
「残念ながら、全然。でも、聞くのは好きなの。ねえ、アクティス。もう一度弾いて?」
そして、あの音色をもう一度堪能したい、と強請るように言えば、アクティスが大きく肩を竦め、ため息を吐いた。
「まったく。貴様ほど予測不能な者はいない。第一、この場所に来ること自体、学生は稀だというのに」
ぶつぶつと呟きながら、アクティスが信じられないと首を振る。
「いいから。ねえ、弾いて?」
そんな人間らしい仕草をするアクティスも珍しい、と気安さを覚えたサヤは、普通の友人に言うようにもう一度強請った。
「・・・はあ。一曲だけだぞ」
そしてそんなサヤに根負けしたように、もう一曲サヤのために曲を弾いたアクティスは、更なる難題を吹きかけられる。
「本当に素敵ねえ・・・あ、そうだ!ね、アクティス。今度の収穫祭で、クラヴィコードを弾いてくれない?」
「は?貴様、俺に見世物になれと言うのか?」
瞳を輝かせ、更に突飛な願い事を口にしたサヤを、珍しい生き物を見るが如く見つめて、アクティスは吐き捨てるようにそう言った。
「見世物、って。ほんと言い方」
「事実だろう」
不機嫌に言っても動じないサヤに、アクティスの方がため息を吐きたくなる。
収穫祭。
それは、トルサニサが国をあげて祝う秋の大祭で、ここエフェ島でもシンクタンクとその周りにある街、士官学校とその周りにある街、と大きくふたつに別れはするものの、毎年盛大に行われている。
そしてその祭りの期間のみ、士官学校は一部ではあるが民間にも開放され、殊に食堂は、街の住民も士官学校生も、共に飲んで食べて歌い騒ぐ場と化すのが定番となっている。
「大勢の前で演奏するのは事実だけど。でも、だからこそ、アクティスの演奏を聞いたら、みんな楽しくて幸せな気持ちになると思うの」
「あの騒ぎのなか弾くなど、正気とも思えない」
心底嫌そうに、アクティスは顔を歪めた。
「そりゃ、しっとりコンサート、って雰囲気ではないけど。ああいう所で他のひとと一緒に演奏したら、また違う楽しさが見つかるかもしれないわよ?」
「俺に、あの騒ぎが似合うとでも思うのか?」
「やってみなければ、分からないじゃない」
「はあ・・・ひとりで言ってろ」
アクティスが振り切るように言っても、サヤはわくわくした様子で言い募る。
これはもう何を言っても無駄だろうと判断したアクティスは、サヤを無視する形で瞬間移動を発動した。
「なっ!」
しかしサヤにその手を掴まれ、アクティスは、サヤごと瞬間移動する羽目に陥った。
「わあ、失敗!一緒に跳んじゃった!」
一方、発動を止めるつもりでアクティスの手を掴んだサヤが窺うようにアクティスを見れば、その目がこれ以上ないほどに吊り上がる。
「危ないだろう!移動中、俺から弾かれて、何処かとんでもない所に跳んだらどうするつもりなんだ!」
不用意なことをしでかしたくせに、何処か呑気な様子のサヤを、アクティスは思い切り怒鳴りつけた。
「それは、ごめんなさい。でも、アクティスはやっぱり凄いのね。発動を止めようと思ったのに、それを拒否して一緒に跳んじゃうなんて」
感心しきりの様子でアクティスを褒めるサヤを、アクティスは信じられないような者を見る目で見つめる。
「何が凄い、だ。貴様な。自分の能力を使わずその相手任せで跳んだ場合、しかもその相手が自分と跳ぶ意思の無い場合、何が起こるか言ってみろ」
「はい。最悪、異空間に飛ばされてもおかしくありません」
トルサニサでは子どもでも知っている常識を、サヤが教師相手にするよう答えれば、アクティスが大きなため息を吐いた。
「まったく。無事だったからいいようなものの」
「ほんとよね。アクティスの能力の高さに感謝、です」
おどけたように言うサヤを見つめ、アクティスは呆れ、疲れた様子で首を振る。
「貴様と話をしていると、疲れる」
そして音にしても言い、アクティスは転移先である噴水脇のベンチに腰を下ろした。
ありがとうございます。




