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トルサニサ  作者: 夏笆
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1、膠着のひと







 感じる、暖かな春の風。


 眼下に見える海は静かに凪いで、話しかける風に応えるよう、さざ波を立てる。


 そして、海岸線をぐるりと回った向こうにあるシンクタンクは、今日もその白いビル群を青い空に浮かび上がらせ、やわらかな陽を受けて輝く。


 その姿、正に摩天楼。


 そして、そのシンクタンク側から見れば、おそらくは翼を広げた鳥のような全容を見せているのだろう、この建物。


 トルサニサ士官学校、海洋科の屋上で、サヤはひとり心地いい風を感じていた。


 柔らかな風に翡翠色の髪が流されないよう、耳元でそっと抑える。


 そうして風を感じていると、日頃頭の片隅に居座って消えない悩みさえ、ゆるゆると溶けて流れていくような気がした。


「気持ちいい」


 呟きと共に目を閉じ深呼吸をする。


 うららかな春の午後。


 空と海がひとつになっているように感じられるこんな日は、きっちりと襟の詰まった制服と制帽が窮屈に感じられる。


「成績、もう発表になっている頃かな」


 自然と襟をくつろげかけた手を苦笑と共にはずしながら、サヤは意識して呟いた。


 きっと、もう発表になっているだろう。


 見に行かなくてはと思いながら、それでもフェンスに凭せ掛けた身体を起こせない。


 二年次最初の定期試験。


 その結果。


 当然、大切な試験であり、その結果が気にならないと言えばそれは嘘で、むしろとても気になっているようにさえ感じるのに、それがどこか遠くの感覚のような気がしないこともない。


 そのまま、ゆったりと、曖昧に流れる穏やかな時。


「別に、面倒ってことではないのだけど」


 誰にともなく言い訳のように呟いて、彼女は更に伸ばしかけた身体をはっと起こした。              


<瞬間移動>


 その能力が、今彼女のいる屋上に向かって発動した。


「この感じは、ナジェル」


 サヤが、背筋伸びる思いで級友の名を呟いた時、その青年は既に彼女の目の前に立っていた。


 着衣に寸分の乱れも無い、士官学生すべての手本のような凛々しい立ち姿。


 黒の短髪に制帽が良く似合い、既にして訓練を終えた正規軍人だと言われても通りそうな威厳を放っている。


 そして、その雰囲気に滲み出る、群を抜く能力の高さ。


 今の瞬間移動の速さひとつをとっても、流石主席は違うと思うサヤの淡い翠色の瞳を、彼の濃い藍色の瞳がまっすぐに射抜いた。


 思わず姿勢を正さずにはいられない、その威圧。


「サヤ。君はまた膠着のひとだ」


 挨拶や前置きをきれいに抜き去った、いきなり要点の会話。


 けれど、今日という日を思えばそれもいつものことと、サヤは次に来る言葉を覚悟する。


「今期の試験、君はまたも二位だった。また二位だサヤ。これで何度目か把握しているか?一年次の定期試験四回すべてと今回。五期連続だ。しかも、その他小試験もすべて二位!君は一体何を考えているのだ?」


 呆れさえ混ざる声。


 熱く滾る血潮そのままに、サヤを見つめる強い瞳。


 熱血ナジェル降臨。


 いつのころからか、サヤの成績について本人より積極的に気にしているに違いないと思われるナジェルに、サヤがそっと付けた徒名。


「何を、って言われても」


 突きつけられた指をそっと回避して、にっこりと笑みを浮かべれば、ナジェルが明らかに呆れた顔をした。


「サヤ」


 その重々しく苦々しい声。


「またそんな呑気な顔をして。君にはこう、悔しいとか負けたくなかったとか一位になりたいとか次こそはとか、そういう気概はないのか?やればもっと出来る。そう確信出来るのに、何故それ以上を望まない?」


 命を感じさせる、強い光を放つ藍色の瞳。


 偽りと虚栄を何より嫌う彼の資質を顕著に表すその瞳を、とてもきれいだと、サヤは素直にそう思う。




 もし、すべてをナジェルに話したら、どうするのかな。


 私のこと、人外だ、って気持ち悪がって遠ざけるかしら。


 でも、ナジェルなら、もしかして。




 自分の能力に関する消えない悩み。


 ひとりで抱えるには重すぎるそれを、せめて誰かに聞いて欲しい思い。


 自分達の他、誰も居ない屋上。


 そして今目の前に居るのは、一年を共に過ごし、絶対と言えるほどの信頼を抱いた相手。




 話して、しまおうかな。


 だって、ナジェルなら、きっと。




 思い、しかしサヤはその思考を一瞬で打ち消した。


 自分が秘めている悩みは、余りに異様なこと。


 ナジェルとて、例え表だって何も言わずとも異能と驚愕するかもしれない。


 この、真っ直ぐに自分を見つめる真摯な瞳に、自分との距離、隔てを置く色が浮かぶ。 




 それは、嫌だわ。




 そんな事には耐えられそうもない。


 万が一にも、自分をライバルと認めてくれているこの級友を失いたくはない。


 真実、話をしてしまいたい思考を、サヤは無理矢理にも切り替えた。


「そうは言っても。私は、ナジェルの凄さをよく知っているから。また一位だったのでしょう?」


 むしろ、他の誰かでは有り得ないと、確証を持つサヤの言葉にナジェルは苦く頷いた。


「ああ、そうだ。僕が一位だった。また、だ!これで五期連続。奪取、奪還何もなし。奪い奪われトップを争う、そんな張り合う相手のいない僕のむなしさが君に判るか!?」


 拳を握りしめ、大仰な仕草でナジェルが叫ぶ。


「奪い奪われ・・・争いたいの?」


「ああ、争いたい。僅差で争い、そしてトップに立ってこそ、その価値もより強く輝こうというもの」


 腕を広げ、また胸元へ近づけ。


 まるで舞台役者のようなその動きが妙に絵になると、サヤは他人事のように思った。


「でも、トップはトップじゃない」


 ナジェルは心も容姿もきれいなのだと、サヤは場違いにもそんな事を思い。


「僕は競い合いたいのだ」


 尚も強く言い募るナジェルに、一歩間合いを詰められ、息を呑んだ。


「そんなこと、私に言われても」


「では聞くが、万年二位にして類稀な能力者の君以外、僕の相手になる者がいるとでも?いないだろう。少なくとも、海洋科には」


 言い添えて、ナジェルは盛大に眉を寄せた。


「ふふ。ライバルは航空科にあり?でも私は、ナジェルなら、アクティスにだって負けないって思っているけれど」


 彼が最大気にしていることと重々承知で茶化すように言えば、ナジェルが大きく息を吐いた。


「話を逸らすな、サヤ。君の能力、本当に素晴らしいと僕は思っている」


 そして、そこで不意に、ナジェルは言葉を音にすることをやめた。


 脳に直接響いてくるような、能力保持者だけが可能な意識下での会話。


<思念会話>


《君のそういう処がいけないのだと、僕は思う》


《そういう処?》


《そうだ。君のその、諦観というか達観というか、むしろいっそどうでもいいと思っているのではという態度、そして話の要点が分かっていながら逸らしてしまう処。それこそが、二位であり続けることの悪因なのではないか?》


 そこまで言って、ナジェルは伝達のトーンを柔らかなものに変えた。


《とは言っても。僕は君の。その、ひとの心の機微を察する処、想いやれる心は素晴らしいと思っている。そしてそれ故に、話を逸らす事があるのだと、知ってもいる》


 真剣なまなざしで言うナジェルに、サヤはしみじみと言った。


「ナジェルって、本当にいい人ね」


「なっ」


 音にした途端、ナジェルの顔が朱色に染まる。


「き、君はまた、唐突にそのような・・・しかも突如音にして伝達するなど」


 動揺を隠せないナジェルの背後に広がる夕景。


「うん?サヤ、どうかしたか?」


 まったく君の言動は心臓に悪い、与えた衝撃を分かっていない所が更にどうしようもないなどとぶつぶつ言っていたナジェルが、不意に黙り込んだサヤに倣うよう、背後を振り返った。


「なんか、きれいな空だな、って。それでね、この学校をシンクタンク側から見たら翼を広げた鳥が飛んで来るように見えるんだろうな、って思ったの。今のこの時間なら、火の鳥みたいに見えるのかな」


 トルサニサにおいて、航空軍と海洋軍は対。


 その軍事理念を象徴するかのように、唯一の国立士官学校であるこの建物は、一羽の鳥のような構造をもっていた。


 一翼は航空科の棟、その対を成す一翼は海洋科の棟。


 そして、その棟と棟の間に立つ円柱の事務塔。空から見るそれは、鳥が翼をいっぱいに広げた姿に見えるのだと聞いた事がある。


 ならば、海岸線の向こうにあるシンクタンクからは、真正面から鳥が飛んでくる、そんな風にでも見えるのだろう。


 今の時間なら、それは夕陽の朱色を帯びて焔の鳥のようにでも見えるだろうか。


 思うサヤの思考を遮るナジェルの声。


「また君は唐突な話題変換を。まあ、いいけどな。海岸の向こうからこの建物を見たら、か。君の想像力には恐れ入るが、まあ、普通の建物にしか見えないのではないか?」


 しかし、入学以来想像してきた事をいとも簡単に否定されて、サヤは瞠目した。


「普通の建物?それって、ただ、建物があるように見えるだけ、ってこと?形は?」


 驚いた様子のサヤに自身こそが驚きながら、それでもナジェルは自分の思う真実を告げる。


「確かに、この建物の構造上、上空から見れば鳥のように見えるらしいが、側面からでは無理だろう。飛んで来るように見え・・ないとは、シンクタンク側から見たことないから言い切れないが。大きさや見る角度、それに視界の限界というものもあるからな。かなり厳しいのではないか?」


「・・・つまらない」


「つ、つまらないと言っても、現実とはそんなもので・・・。ああ、サヤ、そんな顔をするな」


 つまらないと言いながら、どこか悲しそうになってしまったサヤに慌てたナジェルが懸命に言葉を探していると、いっそ見事なほどその場に似つかわしくない、えぐえぐとしゃくりあげるような半泣きの声がふたりの意識に響いた。



いいね、ブクマ、評価、ありがとうございます。


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