9、無感情鉄面皮
「パトリックの娘!また会ったな!」
次の授業のため移動したサヤは、先に来ていたレミアが嬉しそうに手を振るのを見て、胸元で小さく振り返した。
因みに、多くの士官学生が集うこの場所で、レミアのように手を高くあげて大きく振り返す度胸は無い。
「パトリックの娘!次は、合同の実技だな」
しかしそれでもレミアには充分だったらしく、嬉しそうにサヤの元へと駆けて来た。
「そうね。気合を入れないと」
トルサニサ軍が誇る、ラトレイア隊と呼ばれる特殊能力部隊。
今日これからここで行われるのは、その実戦機を用いた本格的な訓練で、生徒たちも一層緊張し力が入る科目、なのだが。
「気合か。我は、パトリックの娘と一緒だというだけで満足なのだが。まあ、座学よりはずっとまし、か」
レミアは、今一つのらない様子で肩を竦めた。
「もう。レミアってば、またそんなこと言って」
「流石、万年最下位の発言だろうが」
苦笑するサヤに、にやりとした笑みを浮かべて訓練室へと入るレミアに続いて、サヤも入室すれば、途端、賑やかな声が聞こえて来る。
「ダーリン!」
「ハニー!」
「「久しぶり!!」」
意識することなくそちらの方を見れば、呼び方とは裏腹、まるで盟友同士のように、がっしりと男女が抱き合っていた。
「あのふたり。またやっているのか」
ここは訓練室だぞ、と呆れ果てたように言って、レミアはさっさと空席へと向かう。
「ソシアとダン。相変わらず、仲がいい」
自分も空席に着きながら、許嫁同士だという先輩ふたりを微笑ましく見るサヤを、レミアが胡乱な眼で見た。
「何が久しぶり、だ。あのふたり、今朝も食堂で一緒に居たぞ」
「ま、まあ、そうだった、かな」
事実、その現場を目撃したサヤが視線を彷徨わせれば、同じように周囲から突っ込まれているのが聞こえる。
「「そう!だから、二時間ぶりの さ・い・か・い!」」
そんな処まで息が合って。
「幸せそう」
サヤは素直にそう思う。
恋人同士という印象は薄いふたりだが、ふざけたような遣り取りのなかに、確かな信頼が見える。
「確かな信頼、か。まあ、何も考えていないかもしれないがな」
サヤが言えば、レミアがそう言って可笑しそうに笑った。
「だが、我はパトリックの娘の、そういう考え方が好きだ。とても好ましい」
目を細め、とても大切なものを見るように見つめられて、サヤはどぎまぎしてしまう。
「・・・サヤ。何を、レミア相手にときめいているのですか」
呆れた声に顔を上げれば、声そのものの表情をしたレナードと、片頬を引き攣らせたナジェルが居た。
「レミアのように、自然そのままな方が好みとは。中々に悪趣味ですね、サヤ」
レナードの物言いを、レミアが鼻で笑う。
「粗野だ、と素直に言っていいのだぞ、フィネスの息子。遠慮するな」
「通じているのなら、これで問題無いでしょう」
レナードが浮かべるのは、あくまで穏やかな笑み。
しかして、その瞳はとても笑っているようには見えない。
そして、レナードを小馬鹿にしたようなレミアの態度。
そんなレミアにも決して表情を崩さないレナードに、サヤはいっそ感動さえ覚える。
「ねえ、ナジェル。ああいうのを鉄面皮、って言うんじゃない?もちろん表立っての表情はあるのだけれど、なんていうか。その実、何も感じていなさそうっていうか、隠すのが上手いっていうか。無感情鉄面皮とでも言うのかしら」
すごいわねえ、と素朴に問えば、ナジェルが目を見開いた。
「サヤ!君は何て事を声に出して・・・っ」
「聞こえていますよ、ふたりとも」
純粋に評するサヤを慌てて黙らせようとするも既に遅し、口元だけにっこりとしたレナードの冷たい視線が、いつのまにかサヤとナジェルに注がれている。
一見穏やかであるのに、見る者を戦慄させるその微笑み。
「無感情鉄面皮か。ヴァイントの息子、その意見是非採用させてもらおう」
「意見、って僕が言った訳では・・・」
楽しそうに言うレミアに反論しようとして、ナジェルはため息を吐いた。
「まあ、同罪か」
「賢いですね、流石海洋科始まって以来の天才、と名高いナジェルだ」
益々笑みを深くして、レナードが言う。
「そう。サヤの言葉を否定しなかった時点で、君も同意見、ということです」
だからどうだ、とはレナードは言わない。
ただ、穏やかな笑みを浮かべるのみ。
「何か、背中が寒い」
サヤの呟きにナジェルが深く頷いた。
「サヤ。僕もひとの事は言えないが。君も凄まじいラトレイア・パートナーを持ったな」
その一言でサヤは思い出す。
「訓練!」
今日、自分達がここへ集まったのは合同訓練、しかもラトレイア・パートナー同士の訓練のためで。
サヤにとってのラトレイア・パートナーとはレナードで。
つまりそれは。
「サヤ。よろしくお願いしますね」
これからレナードと、対での訓練ということ。
思わず、無感情鉄面皮と名付けてしまったこの相手と訓練。
思えば、背筋がぴんと伸び。
「よ、よろしくお願いします」
勢いよく直角に、両手は足にぴたりと付けて。
軍人の基本のようなお辞儀をしてしまう、サヤだった。
ありがとうございます。