第8話 調査1日目④ 狂人の工房(下)
私はエリカとドラセナを会議場所で出迎えた。
「さすがに連続3調査は疲れるね」
エリカが右肩を回しながら疲労を訴える。彼女のことだからまた力任せな調査であったのだろう。天井のことを知っていたドラセナは何か移動系の魔法を有しているはずなので、広範囲の探索においてこの二人の相性は抜群かもしれない。流石にこの小柄な少年がありったけの身体強化魔法を行使して、とてつもないジャンプを披露したとは考えたくない。
「お疲れさまでした。ではローズさんと調査に行ってきますね」
私が彼女らにそういうとローズはどこからともなく私の横に姿を現す。
「さぁ行きましょうか」
「っぴひゃぁ!!!」
ふぬけた声をあげてしまった。何回経験してもローズの登場の仕方は苦手である。
魔力を感知することが出来ない私にとって姿を消しているローズの気配を感じ取るのは無理な話である。私の元には冷ややかな目線が注がれている気がする。
「二人で大丈夫? 何かされたら言うんだよ」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
不安そうにエリカに見送られて私とローズは出発する。
「覚悟は決まったかしら?」
ローズは自分の家の扉の前で口元に指を添えながら尋ねる。
「お邪魔させてもらいます」
「あれ、お付きの狼さんが来ていないようだけどいいのかしら」
「はい。ルガティは疲れているようなので、私一人で行きます」
「うん、威勢がいいのはいいことね。では」
ローズはエリカの魔法道具のスイッチを入れる。
ついに領域の扉は開かれる。
私は彼女の後ろに着くように一歩を踏み出す。ちらりと隙間から少しだけ見える簡素な内装はまったく参考にならないことは次の瞬間知ることになった。
踏み出した右足から右半身へ伝わるは厚い膜を通過するような感覚である。魂がこの部屋に吸い付けられるように苦しい。早く左足を踏み出さなければ右側だけどこかへ行ってしまいそうだ。私は左足を踏み出し残りの半身も領域に入れる。全身を襲う息苦しさはまるで水中にいるようであった。重くなる体でもがきながら一歩ずつ進む。
「──はっぁあ!」
気が付くと、とてつもない開放感が押し寄せてきて視界は広がる。私は膝に手を付いて体を下に向けながら打ち上げられた魚みたいに全身で浅い呼吸を繰り返す。格好などどうでもいいからとにかく酸素が欲しい。
このまま顔を上げたくない。弱気な気持ちでいっぱいである。そんな私の気持ちを嘲笑うかのようにローズは不気味に笑う。
「ようこそ、私の魔法工房へ」
彼女の声に釣られて姿勢はそのまま顔だけを上げると、赤黒くバイオレンスな空間が目の前に広がっている。おぞましいほどにビビットでショッキングな光景に目が眩む。
「もう、帰りたい」
小声でそう口から出た言葉は彼女の耳に届いただろうか。ほらほらと彼女は一応玄関的な位置で立ち止まっている私の手を引いて中へと引き入れる。もう抵抗する気力もなくされるがままに足だけ動かす。
「まずは、少し休みましょうか。そんな状態ではルームツアーどころではないわね」
ローズに支えられるというか、抱きかかえられる状態で赤色のきついソファーに寝かせられる。体はだるさを感じるし頭はクラクラとする。横向きに寝かされた私は彼女に背中をさすられている。
「言わなかったのだけど、最悪の場合、私の工房に入った瞬間に死んじゃうかもって考えてたけど大丈夫だったわね。よく頑張りました」
人の背中をさすりながら怖いことを言うのはやめて頂きたい。なぜ魔法使いは大事な情報を前もって教えてくれないのだろうか。たちの悪い秘匿癖を指摘したいが今の私にそんな余裕はない。一刻も早く身体をもとに戻さなくては相手の好き放題にされてしまう。
私の呼吸が安定してきたのか彼女がさする手を頭に移動した頃、体を起こすことに成功した。
「あらぁ、このまま時間いっぱいまで休んでいても構わないのに」
ローズは名残おしそうに唇を尖らせる。
「──折角、死ぬ思いで、ここに、入ってきたのです。私は一つでも多く、貴方から情報を得てみせます」
「ふふふ、それは楽しみだこと。お望みのものが手に入ればいいわね」
ローザは不敵に笑うのだった。
私は悪趣味なソファーから立ち上がり部屋を見渡す。外観に比べて明らかに広々とした空間である。あのプレハブ小屋は外見だけの存在でこちらが本体であることは言うまでもなかった。細かい所にも隠すという要素があるのだ。
魂が吸い込まれるような感覚を経てここにワープしてきたと認識するのがいいのだろうか。魔法使いの領域に足を踏み入れるのはこれで2度目なのだが、1度目はご主人様の領域なので比べることは烏滸がましいのかもしれない。ちなみにその時はこんな経験はしなかった。
まず気になったのはズラリと並んだ試験管である。ソファーやテーブル、暖炉や本棚など生活感を感じるのでリビングのような部屋なのだが、それと同時にフラスコやら試験管などの実験器具が置かれている。何やら気持ちが悪い物体が中に入ったガラスケースもある。
「この器具は何に使うのですか?」
「そのものの通り、色んな実験をしているのよ。ヘドロの正体が魔力の残滓だと判断出来たのも色々と試したみたからね。リビングに置いてあることがそんなに不気味かしら」
日常に溶け込むくらい彼女にとって実験とは重要なものであるらしい。彼女の事をよく見ると艶がある黒髪には赤色のインナーカラーが混じっている。若干だがいつもよりイキイキとしている気がする。
領域内ではより本来の自分に近い形が姿に反映されるようでこの室内の雰囲気に彼女の姿は溶け込んでいる。
「私の固有魔法については何か分かった?」
「魔法については分かりませんがこの赤と黒の壁紙や絨毯、インテリアは単純に趣味嗜好が反映されているだけな気がします。実験道具も特段、魔法に繋がりそうなものではない気がします。ローズさんは意外と真面目な方なのかもしれませんね。もしかして魔法学校に通っていたのではないですか?」
ローズは顔を赤くさせている。なんだこんな顔もするんだなぁと驚いた。おそらく、異質な固有魔法では無いと直感的に思った。もっとシンプルなものであるからこそ、それを隠す為にわざとらしく不気味さを演出しているのではないのかと思う。案外火を出すだけとかいうパターンはありそうだ。
「魔法が使えない癖になかなか勘がいいわね。いいわ素直に認める。全部合っているわ」
こっちの狂気じみていない彼女の方が親しみやすくて助かる。
次に目に入るのは室内栽培されている植物だろうか。小上がりになっているところ一面が土になっていてそこから花や草が生えている。太陽の光もなく育っているようなので何かしらの魔法だろうか。とはいえここは彼女の領域内なので外の世界のルールは存在しない。彼女が育つと思えば育つのだ。だからこそ領域内の魔法使いを倒すのは困難なのだ。
「あれは何の植物でしょうか?」
「ああ、あの子達は薬草がほとんどね。自家栽培は色々と便利なものよ。様々な実験に使えるもの」
「そうですか。それでは2階に上がってもよろしいでしょうか」
「ええ、私はね。いいと思うわ」
彼女の許可を得たので恐る恐る2階へ上がる。ローズは後ろからついてきている。2階へ足を踏み入れた途端に先ほどの息苦しさが込み上げてくる。脳がこれ以上進むことを拒否するように頭をガンガンに刺激してくる。脳内をスプーンでかき混ぜられているような感覚がする。
「あああああああああ!!!」
私は痛みに耐えられず膝を折り両手をついて叫び声を上げる。
「今、楽にしてあげるわ!」
後ろにいたはずのローズの声が前から聞こえてくるような気がする。頭がガンガンなので正直前なのか後ろなのかは定かではない。自分が今どんな状態なのかを把握するので精一杯である。
「カーン!」
金属音が響き渡る。私はすぐさま顔を上げるすると金色の盾が自分の前に展開されている。オート防御が発動していた。その前にはローズがナイフを振り下ろした体勢でこちらを見ている。先程までの温和な雰囲気はかけらもなく。狂気じみた風貌のローズの姿がそこにはあった。
黒いドレスに身を包み、赤色だったインナーカラーは青色へと変わっている。髪も少し伸びているかもしれない。彼女は飛び上がり逆手で持ったナイフをもう一度私に突き立てる。
金色の盾はナイフを弾き返す。
いつまでもこの状態が続けばこちらが負ける恐れはないが、ここは彼女の工房の内。ローズが一瞬でも私の盾を壊せると判断出来ればそれが可能になる。なので後何回攻撃を受けられるか分からない。
「どうしましょうか……」
思考を回す私を他所に、攻撃を止める気がないローズは2度目の跳躍を始めた。