第3話 第5次調査隊
頬の辺りにザラザラとした感触がする。少しヌメヌメとしている。背中にはフワフワとした柔らかさを感じる。まるで羽毛のベッドのようで──。
「リリー! リリー!」
そうであった。私は陥没穴に飛び込んだのだ。目を開けるとルガティが私のことを心配そうな顔で見ている。ゆっくりと体の感触を確かめる。ルガティに寄り掛かる形で寝そべっていたようだ。
腕を動かす。
手を動かす。
足を動かす。
一つずつ確認して四肢は問題なく動かせることがわかった。どうやら着地には成功したようだ。
「偉いですよルガー。貴方がどうやって私を助けたのかは聞きませんが、もっとドラマチックな起こされ方を期待していました」
「手痛い感想だ。ある程度手札を切れば、膝枕ぐらい披露できたかもしれねぇが、リリーがそれを望んでいない事は心無しなオレでもわかるからなァ」
これから先何が起こるか分からないのだ。入口から入場するだけで易々とこちらの手札を使わされていては話にならないだろう。
私はヌメヌメな頬を手で拭き取るとゆっくりと体を起こす。頬だけではなく全身がヌメヌメである。まさかこれはルガティの唾液なのだろうか。本当にどんな着地を彼は披露したのであろうか。恐ろしくて聞けたものではない。気を失っていて正解だった。
ぐるりと辺りを見渡すと当然ヘドロまみれである。もっと洞窟のような場所なのかと想像していたが、閉鎖的ではなく視界が開けていることに驚いた。地上ほどではないが意外と明るい。まるで地上と同じような世界が地中にも広がっているかのように思える。様子が違うとしたら殺風景すぎる所だろうか。一つも植物は見当たらないし大地は栄養がないのか暗い色だ。
しかし枯れ果てた大地は見慣れているのでむしろ親しみを感じてしまう。
「とりあえず、調査隊のみなさんと合流した方がよさそうですね」
「ああ、リリー背中に乗れ。出来るだけこのヘドロには触れない方が良さそうだからよォ」
私が彼にまたがろうとすると声が聞こえた。
「おーい! 待ってたよ」
ピンクの髪の少女がこちらに近づいてくる。彼女は遠目から自己紹介を始めた。
「私はエリカ。調査隊のメンバーよ。あなたの仲間だから近づくわよ」
「はい!」
私は承諾した。先程まで気配がなかったが、突然姿を現すというのは魔法使いの間では怪しいことではない。それに最初から敵意があったのならば声を掛けずに先制攻撃を仕掛けたはずなので彼女が嘘をついている気はしなかった。
「はじめましてネリネです。こちらはルガティ。無暗に噛みついたりしないので安心してください」
「よろしくね、ネリネちゃんにルガティくん?」
ルガティは人間の性別に当てはめるとしたら、男であるはずなので間違いはない。
「それはそうと、なかなかに凄い落ち方だったわ。こう涎がドバドバっと──」
「あ、あの! それ以上は聞きたくないです」
彼女は「そうだよね」と謝った後にもう一人を呼び出した。
「ドラセナくんも出ておいでよ。あなたも穴からネリネちゃんが落っこちてくるの見てたでしょ。絶対に仲間だよ」
そう言うと緑色のおかっぱ頭の男の子が姿を見せた。
ずっとエリカの横にいたみたいだ。
姿を現した彼は「ドラセナです」と名前だけを短く呟くとまた姿を消してしまった。
「あれ?私とはちゃんと自己紹介してくれたんだけど、もしかして狼くんがこわいのかな」
「ドラセナさん、怖がらせてしまったのなら申し訳ありません。ですが、ルガーは噛みつきませんよ」
彼からの反応はなかった。
なんともぎこちなく自己紹介は終わった。
それから私とルガーは二人に連れられて残りのメンバーがいる拠点に向かうことになった。私は彼の背中に乗り、エリカは空中を浮遊しながら進む。ドラセナは私からは見えないので今そこにいるかもわからない。
「なんかごめんね。集まるまで待とうって言ったんだけど、リーダーが聞いてくれなくて。ネリネちゃん魔法使いじゃないんだってね。それでそんなやつ居ても話にならんって先に行っちゃって。なんか断れる雰囲気じゃなくてさ」
どうやら私だけ意図的に置いていかれたようだ。リーダーとはディルクナード騎士団の誰かであるのは知っていた。ディルクナードは魔法都市と呼ばれるだけあり魔法使いの地位がとても高く、魔法至上主義である。なので、魔法が使えない私に対する扱いとしてはあちらからすると置いていくくらいが常識であり、むしろ感謝されるべきだと思っているだろう。いまさら怒る気にもなれないし、それでも心配して見に来てくれた二人に免じて水に流すことにしようと思う。
「いえ、私は二人が来てくれたので助かりましたよ。ご存じの通り魔法は使えませんが足を引っ張る気もありません」
「そんな! 私はネリネちゃんの味方だから! 絶対成果を見つけてここから出ようね」
しばらく歩くと、いくつかのテントが集まっている場所にたどり着いた。ここが調査隊の仮の拠点であるらしい。拠点に着くと真っ先にこちらへ向かってくる人影があった。スラリとした長身の女性で長い黒髪が印象的だ。
「貴方が最後のメンバーね。ローズよ、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします。ネリネです」
私は彼女の上品な雰囲気に押されて自然と体が折れ曲がるように一礼する。
「そう硬くならないで。貴方からは美味しそうな匂いがするわ、あんまり近づいているとクラクラしちゃいそう」
ローズはそれだけ言うと、どこかへ姿を消してしまった。不思議な人である。私が食料として持ってきた料理に気が付くなんてよほど嗅覚に優れた人なのだろう。後でおすそ分けしてあげようか。
「あと、ライラックっていう人がいるんだけど、テントにこもりっきりで出てこないから、会った時に挨拶すればいいよ。リーダーは──」
エリカの言葉を遮るように大きな声は響いた。
「おい!なにやら騒がしいと思ったら、お前どこ行ってたんだ!」
「あんたに置いてかれた私の仲間を向かいに行ってたのよ!なにか文句でも?」
豪華な装飾が施された甲冑に身を包んだ大柄な男であった。まるで私のことなどは視界に入っていないような態度である。
「いいよネリネちゃん。こんなやつ無視していこう」
エリカはルガーから降りた私の手を引いて男の横を通り抜けようとする。私は彼女に手を引かれるままに歩く。
「ルガー、行──」
ルガティがついて来ていることを確認しようと、首だけ後ろへ振り向いた。男は腰に提げていた剣を振り上げてルガティに向かって振り下ろしていた。血の気が引いていく感覚が全身を襲う。私が彼の名前を呼ぶより速く、剣はルガティの体の側面を捉えるように振り下ろされる。しかし、寸前の所でルガティは体を横に跳躍させ剣をかわした。すぐさまもう一度飛び上がり私とエリカのすぐ後ろについた。
「リリー、主に似てお前も心配性だよな。いいから無視して先に進もうぜ。こんな事で時間を潰している暇はないだろォ」
「分かりました。貴方がそう言うなら」
「よかった……」
エリカは安堵の息を吐き出す。
「エリカさん、私達は大丈夫なので行きましょう」
私はエリカの背中を押してはやく歩くよう促す。私達は少し足速にその場を後にした。