第2話 陥没穴へと向かう(後編)
魔法都市は酷い有様であった。厳かな風格を漂わせていた門前は所々が崩れ落ちている。私とルガティはなんとか形だけを保っている門をくぐる。以前のような活気があった門前市場の姿はなくヘドロのような邪悪な気配がする物体が街の至る所に飛散していた。なるべく踏まないように足を踏み出す。
「リリー、背中乗るか? この禍々しいのは踏まない方がいいぜ。嫌な予感がするからなァ」
私の隣で姿勢を下げる狼の言葉を素直に受け止め、乗せてもらうことにした。ルガティは私を背に乗せながら、器用に体勢や足運びを柔軟に変えてヘドロを避けながら歩みを進める。このヘドロは陥没穴から出てきたものだろうか。
5年の歳月が経ちながらほとんど手付かずの街内を見るに地上の技術ではどうすることも出来ない代物なのだろう。そもそも、この手の特殊な現象の解決に長けた優秀な魔法使いは第3次調査隊まででいなくなってしまったのだ。
第4次調査隊を結成するまで、まだまだ魔法使いは沢山いたのだが、それまでの強引な結成の仕方が噂になって広まり、魔法使い達はみんなどこかへ姿をくらましてしまったのだ。ご主人様が召集された時の様子を思い出すと有無を言わさない強引な召集とは真実であったのだろう。
それが影響した結果、私は調査隊に入ることができたのかもしれない。深刻な人員不足の末に第4次調査隊からは非魔法使いからも調査隊のメンバーの候補に選ばれることとなった。しかも志願制度が作られた。これに関して言えば志願する人なんか物好きか死にたがりぐらいしかいないはずなので、まともな調査が期待できるかは疑問である。生還者が誰もいないのでその疑問を確かめられるのは行ってからのお楽しみというわけだ。
勿論、非魔法使いの調査隊志願が認められるようになって私はすぐに応募したのだが、書類選考の段階で落とされた。おそらくリンドの仕業だと思うが、それに対して彼を問い正したことはない。相当な人手不足なのか、リンドの机に隠しきれなくなった私の書類が流出したかのどちらかで私は無事第5次調査隊のメンバーとして選ばれたというわけだ。
「──リリー、おい、リリーありゃいくらなんでもデカすぎないかァ」
意識を思考に飛ばしすぎたせいでルガティの声に反応するのに時間がかかった。彼の背中は実に心地が良いのだ。
街の中心部。つまりは聖なる泉の噴水があったとされている場所を中心にどれだけの範囲が穴になってしまったのだろうか。とても目測では測りきれない大きさである。私達が圧倒されていると前から兵士が走ってきた。私はルガティから降りて兵士に向かって一礼をしてから、しっとりと名乗る。
「ネリネ・アダマリオンです」
「アダマリオンさんお待ちしておりましたよ。時間通り実に助かります」
家名で呼ばれるなんていつぶりのことだろうか。慣れていないせいで全身がむず痒い感覚に襲われた。兵士はどこか申し訳なさそうな態度であった。
「他の皆さんはまだいらっしゃらないのですか? もしかすると私が一番乗りなのでしょうか」
「あー、いえアダマリオンさんが最後です。困った話ですが皆さんバラバラに入ってしまったようで」
「──それは本当ですか」
調査員一人につき騎士団の兵士一人が管理する仕組みであるらしく、他の調査員はもうすでに穴に入っていることが別の兵士の情報から明らかになったらしい。とんでもなく自分勝手な連中である。自分が今からそんな人たちと協力しなければならないと思うと胃の辺りが痛くなってくる。
「それではこちらをお渡しします」
カードを手渡される。これに願えば何処へでも行くことが出来る魔法アイテムである。一度だけしか使えないがこのような未知の場所の調査で有れば必須級の道具だ。
「ただ、気掛かりなのがこれまで穴に入った皆様にお配りしているのですが、誰一人としてこのカードの使用が確認されてはいないのです」
このカードは2枚1組になっていて使用すれば片方のカードに反応があるのだ。そんなことよりも、第1次調査隊のメンバーは全員が凄腕の魔法使いである。帰ってくる事が目的なのであれば無数の方法があるはずだ。
「もしかしたら、この下はとても居心地の良い場所なのかもしれませんね」
「ははは、そんなわけ!──すみません。笑うところであってますか?」
彼はとても疲れているようだ。さっさと仕事を終わらせてあげよう。
「もう話は終わりですか?」
「はい。有益な情報の一つや二つ提供出来ればいいのですが……私共にもこの下の内情はわからないので、すみません」
「いえ、ありがとうございます。宜しければ私の無事を願っていてください」
「はい、もちろんです。アダマリオンさんは良い人みたいなので安心しました」
私とルガティは穴の前に立つ。ヘドロなんかとは比べ物にならないくらいの異質な何かに腰が引ける。
「なぁリリー。オレは自分を犠牲にしてでもお前のことを守るぜ。それにもし、地上に出られなかったとしてもそこで絶対にお前を幸せにする」
「誓いが前半と後半でぐちゃぐちゃではありませんか。ずっと側にいてください。自分を犠牲になんて馬鹿なことはもう言わないでくださいよ。ご主人様にとっても貴方は私の次くらいには大事なはずですから、1日ぐらいは泣き腫らすとおもいますよ」
「リリー随分頼もしくなったな。──やっぱり行くのやめ──」
「ルガーまで止めないでください。貴方は本当に人の心がわからないのですね」
体の震えが止まらない。膝から始まった震えはそこを起点に全身に広がっていくようである。先ほどは居心地の良い場所かもしれないと兵士におどけて見せたが、私に甘々で本当の娘のように可愛がって愛してくれていたご主人様が、私の傍よりも居心地の良い場所を見つけるなんてことは無いと自信を持って断言出来る。
一歩足を踏み出せば凄腕の魔法使いですら帰ることは出来ないとんでもない地獄が待っているのだ。今甘い選択を提示されればそちらに傾いてしまうかもしれない。ルガティは私の様子に気が付いたのか足に頬擦りを始めた。
「そうですよ。貴方だけは私の側で私の意思を肯定してください。大丈夫だと安心させてください」
「あのー、アダマリオンさん大丈夫ですか?気分が悪いようなら今すぐこちらへ戻ってきてください」
もう大丈夫だ。その必要はない。ようやく決心がついたのだ。
「よし! 行きますよルガー! さくっと行ってズバッとご主人様見つけてバビューンとまたここに帰ってきますよ!」
「ああ、そうしようぜェ」
「ルガー! 着地任せた!」
私は彼の返答を聞かずに思いっきり両足で踏み切って穴へとジャンプした。
落ちていく。
下から噴き出す風のせいで私の身体はすぐにグルグルとひっくり返る。腕を広げて風を受けることで何とか自分の体制を安定させる。背中が痛いくらいの風を受けている。視界に広がる青々とした空が狭まっていく。本当に落ちていることを実感する。
穴の中は地上に広がっていたヘドロのようなものでいっぱいであった。絶対に障りたくないと思うくらいに気味が悪い。黒く濁ったそれは落ちれば落ちるほどその禍々しさは増していく。
大きな化け物に食べられる時はきっとこのような感覚なのだろうか。風圧なのか重力なのかこのヘドロのせいなのか何が原因か分からないが意識が遠くなる。必死に目を開いてさっきまで一緒にいた狼の姿を探すが見つからない。
任せるといったのだ。私は彼のことを信じて目を閉じた。次に私が目を開ける時はルガーに起こされる時であるはずだ。