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「告白」

作者: 石食み

随時加筆・修正予定。

 「流行病(はやりやまい)があったでしょう」


 昔ね、から切り出された言葉は、そんな風に続いた。

 流行病とは、数十年程前世間を騒がせた新型のことを言っているのだろう。


 「当時の僕は、まあ、恥ずかしながら、医療従事者、いや、そんな大層なモンでは無いですが、兎に角、治療を助ける立場にあった訳です」


 記憶の糸を手繰り寄せて、ぽつりぽつりと呟くような語り出しは、お世辞にも聞きやすいとは言えない。とはいえ、喋り出すうちに気分が乗ってきたのか、次第に快調になっていく語りに、すぐに気にならなくなる。


 「で、そういった立場にあったから、自然と患者さんと接する機会が多かった。コレはその看病中に体験した、チョット不思議な話なんです」


 ま、聞いて下さい、と男は淋しげに笑うと、一つ呼吸を置き話始めた。


 一

 当時の僕は……繰り返しになりますが、医療従事者だったんです、……と言ってもその端くれも端くれ、未だ見習いの域を出ないような、要は、ガキだった。

 厳しくも暖かくシゴいてくれた先生方には到底言える事では無い、今だから、貴方だから言えるのですが、当時の僕は、公私混同を平気で出来てしまうような、有り体に言えばクズだったんです。

 今だから言えます……僕は最低だ。人として犯しちゃならない罪を犯してしまった。

 本来なら僕こそが、流行病で死ぬべきだったと、後悔しなかった日はありません。ただ、昔っから身体が丈夫な事だけは取り柄でしたから、流行病なんかも、全く対岸の火事でして、むしろ病が流行しているのをいいことに、それを利用してました。


 「山科(やましな)君、今日はもうあがりでいいよ」

 「はい!お疲れ様です」


 第一波がようやく落ち着きを見せ、初期対応のルーティン化にも慣れ始めた、ひとまずの余裕を持てるようになった頃。

 見習いという立場に甘えて、比較的多く自由な時間を貰っていた僕は、その時間を専ら隔離病棟に通うことに充てていた。

 隔離病棟への入棟基準は病が悪化した者のみ。医師でさえ最低限の回診に留めるステージ4を前に、対処療法しか持ち合わせていない現状では、隔離という手段しかとれないという諦めだった。

 そんな場所に、わざわざ感染のリスクを冒してまで足を運んでいるのは、偏に僕の趣味と言っていい。

 ――病に侵されている女は美しい。

 真理だと思っている。

 生命力が著しく低下し、死に瀕していればいるほど、それに反比例するかのように美しさが洗練されていく。死際の輝きは、他のどれとも代替出来ない、一種の芸術品だ。


 ええ、だから出向いていたって訳です。勿論恋仲のような関係に至った女性も少なくありません、……弱みに付け込んで、と、こう言うと聞こえが悪いですが……手段の一つではありました。

 僕がその思いを一層強固にしたのは、忘れもしない、()()の姿を見たあの時だと、自信をもって言い切れます……それほどまでに、彼女は美しかった。儚さと妖艶さを、共に高い水準で同居させたあの姿は、今尚明瞭に思い起こせます。


 急患。

 彼女が緊急搬送されてきた時は、それはもう上から下からてんてこ舞いだった。なにせワクチン接種会場に人が出払ったタイミングだったもんで、対応可能な医師の数が少ない中でのそれはまさに死活問題。

 普段の僕であったら患者の容姿と容態とをつぶさに観察しているところを、特に今をして最高と言い切れる美しさを、さして強い印象を覚えず、うすらぼんやりと思い出せる程度にとどまったと言えば、その忙しさを伝えられるだろうか。

 その時はそれっきりで、暫くは意識すらしない程だった。


 彼女の病室に入ったのは偶然だった。なんの因果か、入る病室を間違えたのである。

 いや、正確には戸に手をかけた時点で気付いてはいた。が、どうやら魔が差したようで、まるで運命に導かれるように、と言うと詩的すぎるきらいがあるが……。

 一目見て言葉を失った。

 熱に浮かされる彼女の姿は、その火照った身体と、断続的に響く浅く短い呼吸音とが相まって、それまで見たどの女よりもずっと官能的な妖しさを見せていた。

 彼女の、美の女神の寵愛を一身に受けたかのような美しさの前では、病でさえその美貌を増幅する一手段になり下がる。が、同時、彼女は――恐らく無意識であろうが、()()()()()()()()()()という者の魅せ方を熟知しているようで、たま汗に濡れそぼり乱れた髪と、はだけた病衣から気だるげに投げ出された肢体、その艶めかしくも弱々しい姿に、はたして衝撃を受けない男はいただろうか。

 ごくりと、生唾を飲み込む音が響いた。この一瞬間の内に、口内はカラカラに乾いていたようで、唾はまるで甘露のようにも思えた。

 忍ばせるように摺り足で近付く。音を立ててはいけない、と直感的に思った。ここは既に神域で、雑音一つ立てようものならすぐさま神性が失われるのでは、と。

 鼓動の音さえ殺すようにして枕元程に近付けば、その美しさは一層際立って見えた。一枚の絵画として切り離されたような、完成された美がそこにはあった。

 とりわけ印象的なのは、なんと言っても瞳だろう。中空を捉えて焦点の定まらないそれはここでは無い何処かを見ているようで、それでいてふと目が合ったと思う瞬間なぞは、この僕をしてドキリとさせられるような、双眸の奥、濡れた瞳に差した光が、まるで全てを見通すかのように此方を射抜くのだ。

 決して、病魔に侵されている人のそれではなかった。

 ところで、気が付いたことがある。

 どうやら彼女に意識はないようなのだが、何やらボソボソと言葉を呟いているようなのだ。

 初め僕はそれを呼吸音だと思い、えらく浅い呼吸もあったものだと考えていたのだが、……この距離に近づいた事で、それが呟きだったのだと気付いたのだった。


 二


 「……神様、神様」


 それは祈りであった。

 彼女は修道女が如く一心不乱に祈りを捧げているのだった。


 「――神様」

 「なにかね」


 声が出た。全く意識しないものであった。

 うわ言を繰り返すのを聞いている内に、つい、興味が勝って、といった体で発音されたが、その実、この空間を無遠慮にも乱そうといった思惑がないでは無かった。

 たとい意識していなくとも、声を出したのは僕なので、暫くの沈黙の後、彼女が此方を見たのは当然だろう。

 ここでようやっと、彼女は僕の存在を認識したようだった。瞳に一瞬、理性の色が宿るのがわかった。咄嗟、声をあげられる事を警戒したが、それは杞憂に終わる。

 どうやら彼女は、僕の姿を通して、僕以外の誰かの姿を見ているようだった。続く言葉は、それまでの祈りと比べて、いくらか芯の入ったものへと変わっていく。

 合わせるようにして、僕の口調もまた、本来のものとは変わって、何処か劇的にも思えるようなものになる。

 それはまるで、場が僕と彼女との手を離れ、一人歩きを始めたかのようだった。


 「嗚呼、神様、神様……。どうか私をお許し下さい。」

 「何を許せと言うのだ」

 「許さないでも構いません、いや、許さないで欲しいのです。私は罪を犯しました……到底許されざる罪を」


 ここで一つ、謝らなくちゃならないのですが、僕の口からは彼女の犯した罪をお教えする事は叶いません。それは誠に勝手ながら、秘するべきだと、それがなにより彼女の為だと、そう考えたからです。

 僕が切り出した話でありながら、曖昧にぼかすようで申し訳ない……ですが、それ程までに、軽々しく明かせないほどに、彼女の自戒するところの罪は複雑であったと、そう伝えるに留めさせていただきます。


 懺悔の時間は、終始僕が問いかけて、彼女がそれに答えるという形をとった。訥々と語られる内容は、この異常な状況と相まって理解に苦労したが、聞き取れたところによると、どうやら()、恋愛についてらしかった。

 彼女の言う罪は、一見なんの問題もないことのように思えるものだったが、前後関係を聞き取るうちに、なるほど確かにと得心が行った。

 それでも、よくあるような、と本来なら切り捨てる程度のものだった。いや、それは酷か。だが、僕に言わせればその程度のことかと、あの仰々しさからすれば拍子抜けなものだった……と纏めるのが普通だろう。

 が、この時の僕は普通じゃなかった。

 神秘性に()()()()()、普通ではなくなっていた。

 僕の体を、僕の思考を、僕の言葉を、ここでは無いどこか、顔も知らない、声を聞いたこともない、出会ってすらいない誰かに明け渡したのだ。

 強く抱き締めた。熱を持った身体は、心に灯った火と同化し一つになった。胸板辺りに押さえた頭は、それが当然のようにスッポリと収まった。強く強く抱いてなおそこにある質感は、彼女の存在を確かなものにしていた。

 愛してる、と思った。

 愛してる、と囁いた。

 彼女は驚いたように身体を硬直させていたが言葉が聞こえたと同時、胸の中で小さく頷いた。

 一筋伝った雫が、病によるものではないことは明白だった。


 この日、僕は初めて失恋した。


 三


 「それ以来、すっかり隔離病棟には近付かなくなりました。それまで関係を持っていた方々にも、頭を下げました。心を入れ替えたンです。」


 全てを語り終えたあとは、男は何処か清々しい表情をしていた。


 「あまり人様にお話しするような話では無いですから、墓場まで持っていくつもりだったんです。でも、……聞いてもらえてよかった」


 それから、少し遠い目をして、こう続けるのだ。


 「ところで、今思い返せば、あの時の僕は――」

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