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もちろん。
その場のすべてのペアについて、そんなふうに絆の強さを感じさせるような『契約』シーンがあったわけではない。
例えば、『わがままお嬢様』のミコちゃんと、陽守ペアは……。
「や、やめるのじゃ、陽守ぉーっ! そ、そうやって、妾に無理やり野菜を食べさせようとするのは……」
「こーら。そんなこと言わないのー。何でも食べられるようにならないと、大きくなれないわよー? ちゃんと私が、食べやすいようにしてあげるから……」
「じゃ、じゃから妾は、とっくにおぬしたちよりも年上なのじゃから、これ以上大きくなる必要なぞ……」
「はーい、お口あーんしてー?」
陽守の手には、さっき『箱』の隅に隠したはずのミコちゃんの苦手なピーマンがある。彼女はそれを自分でひとくち食べて、
「くちゅくちゅくちゅ……」
よく噛んでから、嫌がるミコちゃんに口移しで食べさせる。
「ぎゃーっ! マズいーっ! 口の中に、激マズ味が広がるのじゃー!」
「はーい、ごっくんしましょーねー? ……ごっくんっ!」
「うっ! ごく、んっ…………あ、あわわわ」
「どーお、美味しいでしょー? まだまだ、たくさんあるわよー? うふふふ……」
何故か、好き嫌いの激しい子供に対する、少し強引な食育をしている陽守だが……。一応、指輪の交換も済ませていて、これでも『契約』は成立してしまっているらしかった。
それに、『悪役お嬢様』のセーラと小鳩にしても……。
「はっ⁉」
自分の手にある二つの指輪を見ながら、セーラは気づいた。
「あ、あれ? も、もしかして、今の状況って……『淑女とメイドの契約』を、やり直せるってことじゃないの? この指輪を、最初に渡した小鳩じゃなく、別のヤツに渡して『契約』を結んでしまえば……ワタシのメイドを、小鳩からソイツに変えられるってことなんじゃないのっ⁉」
普段から――というより『契約』を結んだ直後から今までずっと――、小鳩は主であるはずのセーラに対して敬意など微塵もなく、性格の悪さを全開にしてきた。セーラはこれまでそんな彼女が自分のメイドであることに辟易してきたし、変えられるものなら変えたいと思っていた。そのチャンスが、今やってきたということに気づいたのだ。
「フ、フフフ……この千載一遇のチャンスを、逃す手はないわっ! 今のうちに、誰か別のヤツを……」
周囲を見回し、誰か自分の新しいメイドにできそうな人間を探す。しかし、もちろんその『箱』の中にいるのは、相変わらず十二人のみ。しかも、そのほとんどはとっくに『契約』を完了してしまっている。
余っているのと言えば。
この場にいない日枝奈と自分の分の指輪を床に転がして、じゃれて遊んでいる『天然お嬢様』のレイニャ。そして、同じようにパートナーのマリーがここにいない瑠衣くらいだ。
「ニャ、ニャニャ! ニャニャニャ!」
「う……」
レイニャはそもそも淑女というポジションのため、同じ淑女のセーラと『契約』を結べるとは思えない。仮に結べたとしても、あんな野獣同然のメイドなんて自分が扱いきれるとは思えない。
そう考えたセーラは、消去法で瑠衣を勧誘した。
「オーッホッホッホッ! 喜びなさい! アンタを、このワタシのメイドにしてあげるわっ!」
「……は?」
突然何言い出すんだ、こいつ……と言う表情でセーラを見る瑠衣。
「突然、何言ってんすか? もしかしてさっきのみんなの話、聞いてなかったんですか? 今の状況理解できてないのなら……もう一回、わかりやすく説明しましょうか?」
実際に、瑠衣はその感情を言葉にも出してしまっていた。それも、意味不明なことを言い出したセーラをバカ扱いするという、おまけ付きで。
「り、理解出来てるわよっ! 分かってるに、決まってるでしょーがっ!」
そんなバカ扱いが――いつも、小鳩からされているとはいえ――我慢できなかったセーラは、反射的に叫ぶ。しかしすぐに自分の立場を思い出して、マリーの元メイドの瑠衣への勧誘を続けた。
「だ、だから……今の状況を充分に分かった上で、マリーのメイドだったアンタを、このワタシのメイドとして採用してあげるって言ってんのよ? ア、アンタにとっても悪い話じゃない、っていうか……む、むしろ、こんないい話、めったに無いわよねっ⁉ だ、だって、あの無駄にプライドが高くて、どうしようもなくめんどくさいマリーから解放して、淑女の中の淑女であるこのワタシに仕えさせてあげるって言ってるんだからね⁉ もちろん、アンタごときにこのワタシのメイドがちゃんと務まるとは思えないんだけど……でも、メイドを横取りしてマリーを悔しがらせることが出来ると思えば、ワタシとしてもメリットはあるわ! だ、だから、これはWIN・WINの取引みたいなものだと思えば……」
しかし、自分のことを棚に上げたセーラの調子のいい誘いを、瑠衣はただのつまらない冗談だとでも思ったようで、
「えと……ごめんなさい。普通に無理です」
と、あっさりと断った。
「な、なんで、すって……」
まさか、自分が瑠衣ごときに振られるとは思っていなかったセーラは、焦る。
「な、なんでそんなこと言うのよっ⁉ このワタシの、メイドになりたくないなんて……そ、そんなの嘘でしょうっ⁉ ど、どうせ、謙遜とか遠慮でアンタ、そんなことを……」
瑠衣に掴みかかり、半ば強引に、瑠衣にキスを迫るセーラ。そんな彼女に、瑠衣は、「やめてくださいっ!」と痴漢に出くわしたときのような全力の拒絶をした。
「そ、そんな……」
自分が相当惨めなことになってしまっているのが信じられず、セーラはガックリと膝を落とすのだった。
そして……。
そんな彼女に、最後に声をかけたのは……。
「気が済んだ? セーラちゃーん」
教室の教壇に腰掛けて、邪悪な笑顔でセーラを見下している、小鳩だった。
「こ、小鳩……」
もう自分は、どうやってもこの性悪な少女から逃れることは出来ないのか……。
そんな、絶望に限りなく近い諦めの気持ちで、小さくため息をつくセーラ。力なく立ち上がり、小鳩の前に移動する。そして、通夜のような暗い表情で言った。
「悪かったわ。アンタを放って、別のヤツをメイドにしようとしてしまって……。理解したわ。ワタシのメイドは小鳩、アンタだけよ。さあ……とっととワタシたちも、『契約』を済ませてしまいましょう」
そして、小鳩の右手をとり、彼女に指輪をはめようとした……のだが。
それから彼女は、思い知ることになる。瑠衣に振られたことなんて、これから待ち受ける状況の前では絶望でも何でもなかった、ということを。本当の深い深い絶望の闇は、これからやってくるのだということを。
小鳩は、指輪をはめようとするセーラの手を、容赦なく払った。
「え……?」
そして、呆然と、弾かれて床を転がっていく指輪を目で追っているセーラに、言い放った。
「何、勘違いしちゃってるのー? 私、またセーラちゃんのメイドになってあげるなんて、言ったっけ? 言ってないよねー?」
「は……?」
「私さー、セーラちゃんが能力取り戻せるとか、もう一度お嬢様の『契約』が出来るとか……そんなの、マジでどうでもいいんだけどー? っていうか、今更また誰かのメイドになるとか、戦いに巻き込まれるとか、めんどくさ過ぎて絶対無理って感じー?」
「こ、小鳩……アンタ……」
「どーせ、他のやつらが能力使えるようになったら、私たちはこの『箱』からは出られるでしょー? それなら別に、私までまたセーラちゃんと『契約』結ぶ必要なんてないじゃーん? 私はもう無関係の一般市民として、この『箱』から出たら普通におうちに帰っちゃってもいいはずじゃーん? まあ……そうなるとセーラちゃんはこのあと、無能力の役立たずのままってことになっちゃうわけだけどぉー……。うっわー⁉ ただでさえ、セーラちゃんなんてザコ能力のザコお嬢様なのに……その上、そのザコ能力さえもなくなったままなんてー! きっと、全部が終わってマリーちゃんを取り戻すことが出来たとしても、マリーちゃんもそんなセーラちゃんのことなんて、相手にしてくれないんだろーなー?」
「な、なんですって⁉」
「そんなセーラちゃんが唯一救われるには、どうしても私とまた『主従契約』を結ぶしかないと思うんだけどー……。でも、どうしよっかなー? 私、別に百合とかじゃないしー? 女の子にキスされんのとか普通に嫌だしー? でも、セーラちゃんがどうしても、って言って誠意を込めてお願いしてくれるならー……私だって、鬼じゃないしー? 今まで一緒だったよしみで、考えてあげないこともないんだけどなー?」
「バ、バカにするんじゃないわよっ! このワタシが、メイドのアンタにお願いなんて……そ、そんなことするわけないでしょっ⁉」
当然、セーラはそんな小鳩に反発する。
「い、いいからアンタは、さっさとワタシとまた『契約』してればいいのよっ! だいたい小鳩、アンタはいつもいつもそうやって……」
しかし、名ばかりの『悪役お嬢様』のそんな反発なんて、本当に性悪な小鳩の前では何の意味もないことを、すぐにセーラは思い知ることになった。
「あれー? あれあれあれー? 小鳩? 小鳩って言ったー? ……小鳩様、じゃないんだー?」
「な……⁉」
「えー? そんな態度じゃ私、またセーラちゃんと『契約』なんて、してあげられないかもー? セーラちゃん、無能力ザコのままになっちゃうかもー?」
「な、何を言ってんのよ……。こ、このワタシがアンタに様なんて、い、言うわけ……」
反論しようとする言葉は、最後まで言い切ることが出来ない。なんとしても、再び『主従契約』して能力を取り戻したかったセーラは、そんな彼女の無茶苦茶な要求も、むげに突っぱねることが出来なかったのだ。すでにこの場の主導権は、小鳩が持っていたのだった。
「ほらほらー、言ってみてー? 言うだけじゃーん? 別に、減るもんじゃないしー。一回言っちゃえば、すぐ慣れるってー」
なんとか、喉の奥から絞り出すように声を出すセーラ。
「……こ、こ、こ、小鳩……さん」
しかし、小鳩はそんな彼女を睨みつける。
「あ? 様だ、っつってんだろ?」
「ひぅっ⁉」
その恐ろしさに、体を震え上がらせるセーラ。やがて彼女は観念して、苦渋の表情でつぶやいた。
「こ、小鳩……さ、様……」
「はーい、よく出来ましたー。じゃあ、次はー……」
「つ、次ぃっ⁉ い、いつまでワタシに、こんなことさせるつもりのよっ⁉ い、いいからアンタは、ワタシとさっさと『契約』を……!」
「は? アンタ?」
「こ、小鳩は、さっさとワタシと……」
「小鳩様」
「だ、だから……こ、小鳩様は……早くワタシと『契約』をしなさい、って言って……」
「んー? 聞こえないなー?」
「こ……小鳩様……ワタシと『契約』を、して……ください……お願いします」
「最初っから、そう言えよな?」
「う、うう……」
それは、性格が最悪な小鳩の、まさに真骨頂だった。
『主従契約』という条件を手に入れた小鳩は、それからもしばらくの間、自分の主のセーラをおもちゃにしていたのだが……セーラの名誉のためにも、その部分は割愛する。
そして、ようやく……。
「えーっとぉー。じゃあ次はー、靴でも舐めてみるー?」
「なっ、なんでワタシがそこまで………………は、はい……」
「きゃっはははー! もおーう、冗談だってばー! セーラちゃんったら、本気にしないでよー? 私が、そんなことさせるわけないでしょー? だいたい……そんなことしたら、私だって、自分の靴と間接キスになっちゃうじゃーん」
「……え?」
「だーかーらー……いい加減もう飽きたから、やってあげるって言ってんの。……キス、したいんでしょ?」
「い、いいの……?」
「ほら、早く来なよ」
例えるなら、普段散々ひどい目に合わされているDV彼氏に突然優しくされた、依存症の彼女という感じだろうか。すっかり深い絶望の闇の中に沈んでいて心が死にかけていたセーラは、そこでようやく見えたかすかな希望に、うつろな目を輝かせずにはいられない。
そして、ふらふらと小鳩の唇へと、自分の唇を近づけた。
だが……、
「なぁーんて、うっそー!」
その直前で、小鳩はセーラの唇を自分の人差し指で止めてしまう。希望を奪われ、また更に深い絶望の闇の中に突き落とされた形だ。
そこまでコケにされて、セーラもさすがに我慢の限界を迎えてしまった。
「うああーっ、こんなのやってられないわよーっ!」
それまでおとなしく小鳩に従っていた彼女が、突然叫んだ。
「ああー、もういいわよっ! このワタシがここまでお願いしてるのに、アンタがいつまでもそういう態度を取るなら……もう、アンタになんか頼まないわっ! どうせアンタ、ワタシが困っているのを見て喜んでいるだけで、ワタシのことなんて何も考えてくれないんだものっ! 最初から、『契約』だってするつもりなんかないんでしょっ⁉ そ、そうよ! アンタはこれまでだって、いつもいつもそうやって自分のことばっかりで、ワタシのことなんて……」
そして、いよいよ小鳩を見限って、彼女と決別する決心をしたところで……。
「はいはい。わかったから」
小鳩は強引にセーラを抱き寄せて、その唇に自分の唇を重ね、彼女を黙らせた。
「っ⁉」
その唇を、すぐに離す小鳩。
「はい。これで、いいんでしょ?」
「は、はぅぅ……」
自由に喋れるようになってからも、セーラはもう、小鳩への非難の言葉を続けることはできなくなっていた。むしろ、それまでずっとおあずけされていた待望のキスを突然与えられたことで、脳がバグってしまったようだ。
「じゃ、これで『契約』完了ってことで……これからまたよろしくね? セーラちゃん!」
「はいぃぃ……小鳩様ぁ……」
潤んだ目でうっとりと彼女に視線を送りながらそんなことを口走ってしまう。すっかり小鳩に調教されてしまって、主従の関係が逆転していたのだった。
もちろん。
しばらくしてようやく正気を取り戻したセーラが……そのあと、燃え上がるほど顔を真っ赤にしてさっきまでの自分の行動を否定していたことは、言うまでもない。
そんなわけで。
『契約』をやり直して再び淑女能力を使えるようになった淑女とメイドたちは、そのあと少し作戦会議のようなものをしてから……。
ミコちゃんが取り戻した『わがままお嬢様』の能力で、なくなっていた『箱の脱出条件』を再び出現させ、無事にその外に出たのだった。
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