13
『箱』の中。
以前、瑠衣たちがカチューシャに閉じ込められたときと同じように、その中は光源もないが真っ暗というわけではない。少し薄暗いくらいで、もともとの空き教室の中と、景色はほとんど変わっていない。
『悪役お嬢様』の能力で弱点攻撃されていたセーラ、陽守、ミコちゃんは、今はゴキブリやヘビや野菜の作り物を万千華たちに隠してもらって、なんとか平常心を取り戻していた。
レイニャを絶え間なく攻撃していたガラスの破片も、『箱』の中に入ってからは止まった。おかげで、今はガラスの刺さって血が流れている脚をペロペロとなめながら、体を休めることが出来ていた。
かつての自分の能力で眼を白くされたユーリアとステラは、現在も視界を奪われたままだ。それでも今はようやくお互いとめぐり会えて、落ち着きを取り戻したらしい。もう二度と離れ離れにならないようにと二人でしっかりと手を握り合っている。
何重もの『箱』に閉じ込められていたカチューシャも、なんとか完全に忘れられる前に脱出条件を満たして、そこから出てくることが出来たようだ。今は、不安な気持ちに体を震わせながらパートナーの涼珂と抱き合っていた。
しかし……もちろん彼女たち十二人を空き教室ごと取り囲んでいる大きな『箱』の方は、そうはいかない。その『箱』は日枝奈が『わがままお嬢様』の能力で脱出条件自体を消してしまったので、今も出ることが出来ずにいた。
「もしかしてあーしたち……結構ピンチ?」
「うう……めしょっく……」
周囲の壁を調べていた万千華とチャオインも、どれだけ調べてもそこに抜け道などが無いことを思い知り、らしくもないネガティブなセリフとともに、ぐったりとうつむいている。『箱』の中には、彼女たちを含む他の多くの淑女とメイドたちの絶望の顔が並んでいた。
「くっそ……最悪ぅ」
道端にガムを吐き捨てるように、乱暴な口調でつぶやく小鳩。彼女の表情は他の少女たちのような絶望ではなかったが、しかし、焦りと苛立ちに満ちたものだ。それだけ、今の状況がどうしようもなく非常事態であることを分かっているということなのだろう。
そんな中、いまだにたった一人だけ、希望を捨てていない人間がいた。
「……」
瑠衣だ。
「……。カチューシャちゃんの『箱』は、ずっと中に入っていると外の人の記憶から忘れられてしまう……。だから、何か行動するならできるだけ早いほうがいい……。でも、外から開けられるのは、『箱』の中にあるのが生き物以外の場合だけ……。中に閉じ込められているのが生き物の場合、『箱』から出るためには中の人が脱出条件を満たさなくちゃいけない……? だとしたら、脱出条件が消えてしまったここから出る方法は……」
ブツブツと、独り言を繰り返している瑠衣。彼女はまだ、何も諦めていなかったのだ。
「『わがままお嬢様』のミコちゃんか……あるいは、この『箱』の能力の元の持ち主のカチューシャちゃんが、また能力を使えるようになれば、きっと……。でも今はもうそれは奪われちゃったから……。みんなの能力は全部……あの、黒いマリー様の方にいっちゃったから……」
特殊な能力を奪われ、脱出する方法がなくなった『箱』の中に閉じ込められた十二人。いつまでも『箱』の中にいると、そのうち外の人間の記憶から消えてしまう。
自分の主のマリーは、自分たちを戦いに巻き込んだ張本人の日枝奈のパートナーとなってしまった。今はもう別人のようで、すでに自分のことを覚えてくれているのかどうかもわからない。
そんな状況でも……瑠衣は、何も諦めていなかった。
諦める理由なんて、どこにもなかった。
(私は、諦めない。……だって)
だって、彼女はこれまでも、マリーと一緒にこんな苦境をいくつも乗り越えてきたのだから。
(私が、諦めるわけない。諦めちゃ、いけないんだ。……だって)
だって、瑠衣はさっき、マリーに言われたのだから。
「……だから……つまり……それから……」
引き続き、独り言とともにここから脱出する方法を考え続ける瑠衣。そんな彼女に、
「ねーえ、瑠衣ちゃん! さっきから、ブツブツうっさいんだけど!」すでに充分にイラついている小鳩が、声を荒らげて言う。「ただでさえムカつく状況なんだから、これ以上イラつかせないでくれるかなーっ⁉」
それは、これまでにも何度も繰り返されてきた光景に似ていた。
マリーたちと出会う前。
瑠衣は、ずっと小鳩やクラスメイトたちからイジメを受けてきた。何度も何度も繰り返されたそのイジメによって、瑠衣の心にはトラウマのように恐怖が刻まれてしまっていた。だからこれまでの瑠衣は、小鳩の声を聞くだけでも萎縮して体の震えが止まらなくなるようになっていた。
それでも、さっきマリーが手を重ねてくれたときは、その気持ちが薄らいだ気もするが……今はもう、そのマリーはいない。
しかし……。
いや……だからこそ、と言うべきか。
今の瑠衣は、もう恐怖で萎縮したりはしなかった。
「……!」
「な、何っ⁉」
強い力のこもった視線で、瑠衣が小鳩を睨み返す。そんな反撃は予想してなかったので、むしろ、小鳩のほうが焦ってしまう。
「仕方ないじゃん……。私は、諦めるわけにはいかないんだから……。だって……だって、言ってたんだから……」
「は、はあ⁉ だから、何をブツブツ言ってんのか、わかんないって……!」
「マリー様がさっき、言ってたんだよっ!」
確信に満ちた、瑠衣の声。
そんな彼女の様子に、絶望に包まれていた『箱』の中の他の淑女とメイドたちも顔を上げ、瑠衣の方を見始めていた。
「マリー様が私に……『逃げて』って、言ったんだよっ! だから私、諦めちゃダメなんだよっ! 絶対にこの『箱』から出て、もう一度マリー様に会わなくちゃいけないんだよっ!」
「は、はあーっ⁉」
その瑠衣の言葉に、顔を歪める小鳩。今にもイライラを爆発させて殴り掛かりそうな様子で、反論する。
「瑠衣ちゃん、バッカじゃないのっ⁉ 自分で今、何言ってるか分かってるっ⁉ なんで、『逃げて』って言われて、それで、諦めちゃいけないことになるんだよっ! 訳わかんないこと言ってないで、お前は、いつもみたいに黙ってればいいんだって……」
しかしその言葉を遮って、瑠衣も叫んだ。
「バカは、小鳩ちゃんのほうじゃないのっ⁉ 私の主のマリー様は、『傲慢お嬢様』なんだよっ⁉ いつも傲慢で、偉そうで、結構抜けてるところもあるくせに、自分が不利になるようなことは絶対に認めない……世界一プライドが高い、生まれついての『傲慢お嬢様』なんだよっ⁉ そんな……そんなマリー様が……天上天下唯我独尊がドレスを着て歩いているような『傲慢お嬢様』が……私に、『逃げて』って言ったんだよっ⁉ この意味が……小鳩ちゃんには、まだ分かんないの⁉」
「はぁ⁉ だ、だから、そんなの…………」
あまりの瑠衣の気迫に押されて、言葉が詰まってしまう小鳩。その代わりをするように、陽守がつぶやく。
「それってー……それだけ、『今の状況が危ない』って思ったってことじゃないのー? 『危ない』から、早く逃げてー、って……」
だが、その独り言を、隣りにいたセーラが苦笑いとともに否定した。
「いいえ、違うわ。アイツが……あの、ワタシの宿命のライバルというべきマリーが、そんな他人思いなことを、言うわけがないわよ。きっとアイツ、プライドが高くて本心が言いたくなかったから、『逃げて』なんて言ってごまかしたのね。あのときアイツが本当に言いたかったことは、別にあるのよ。それは……」
セーラの言葉に、うなづく瑠衣。
「あのとき、マリー様が本当に私に言いたかったことは……」
彼女たちはいつもマリーのことを考えて、マリーを特別な存在として意識してきた二人だ。だから、マリーのことをよく分かっていたのだろう。
瑠衣とセーラは、そのとき考えていた全く同じセリフを、声を揃えるようにして言った。
「……『さっさと私を助けなさい』」
それから視線を合わせ、彼女たちは静かに微笑み合った。きっと今の彼女たちの頭の中には、さっきの黒い肌になる前の、いつも通りの『傲慢お嬢様』のマリーの姿が鮮明に浮かんでいるのだろう。
いつも根拠のない自信に満ちた、強気な表情。
どんなことがあっても絶対に諦めない、負けず嫌いな性格。
あの、周囲の人間を虜にする、彼女の傲慢さが……。
そんな瑠衣たちの姿を見ていた周囲の少女たちも、
「ははは。確かにそのとおりだ。あのマリーちゃんなら、きっとそう言うね」
「ええ、そうですわね。うふふ」
「あらあら、まあまあ……」
「ぷぷ。マジ、ウケるー」
と、思わずつられて笑い出してしまう。
その場の一同に、徐々に笑顔が……そして、この苦境を脱するための希望のようなものが、浮かび始めていた。
「み、みんな……」
周囲の心境が変わり始めたことに、瑠衣も笑顔がこぼれる。
この状況を脱出するために。そして、自分の主を助けるために。その『箱』の中の全員の気持ちが……徐々にまとまり始めていたのだ。それが分かって、瑠衣は心の底からの喜びを感じていた。
「だ、だからさぁっ!」
いや、全員の気持ち、というのは誤りだろう。まだ、小鳩は全然納得いっていなかったのだから。
「この状況で、どんだけあんたらが諦めなかったとしても意味ないでしょって、言ってんのっ! ここから出る方法が分かんないんでしょっ⁉ そんな方法、無いんでしょっ⁉ だったら、どんなこと考えたって無意味じゃんっ! あんたらが無意味なことしようとしてんのが、痛々しくて見てらんないって話なんだよっ!」
小鳩は瑠衣ではなく、その場の全員に向かって言っていた。
それは、彼女の本心だ。そして、今も確実に彼女たちの前に立ちはだかる、確固たる障壁だ。だから、その言葉は正しい。その正しい事実を思い知らせれば、誰もが、瑠衣の言葉に一時的にのせられただけの浮かれ気分から、正気を取り戻す……そのはずだった。
しかし、瑠衣から伝染した希望は、そんな一過性のものではなかったようだ。
「ま、それはそうかもだけどさー。でも……ここまできたら、やるっきゃなくない?」
「ここで引いたら、淑女がすたる! やるっしゅっ!」
万千華が、人懐っこい表情で言う。チャオインも、元気いっぱいの笑顔を浮かべて叫ぶ。
「ここはちょっと、人が多すぎるよ。早く、二人きりになりたいな……」
「ええ、私も同じ気持ちです。……でしたら、一刻も早くこの『箱』を出ませんとね。うふふ」
カチューシャと涼珂もすっかりいつもの調子を取り戻し、体を寄り添わせながら、お互いをうっとりと見つめ合っている。
「やられっぱなしは、妾の性に合わんのじゃーっ!」
「私も先生として、大人の女として……日枝奈ちゃんに、ちゃんと大人のキスを教えてあげないと……よねー?」
さっきぐっすりと寝たぶん元気が有り余っているミコちゃんをなだめながら、『箱』の壁の向こう側に、色っぽい視線を送っている陽守。
「ステラ……も、もしもこの『箱』から出ることが出来たら……俺、お前に……い、いや! 何でもねーよっ! 今は、とにかく出ることだけを考えよーぜっ⁉」
「……ユーリア、ちゃん……」
顔を真っ赤に染めるユーリアと、そんな彼女に愛おしそうな表情を向けるステラ。二人は未だに視力を奪われて何も見えていないはずだが、お互いのことは、手に取るように分かってしまうようだ。
「……ニャ? そろそろ、反撃の時間かニャー? レイニャはいつでも準備オーケーにゃん!」
野生の生命力と体力で、ガラスで負った傷なんて全然気にしていない様子のレイニャ。ウズウズと我慢できないという様子でお尻を振りながら姿勢を低くして、ネコ科の動物が大きなジャンプをするときのような格好をしている。
「な、何なの、それ……」
自分の思い通りにいかないことに忌々しそうに歯を食いしばっている小鳩。そんな彼女を横目に、セーラが言う。
「どうすんの? コイツら、小鳩が何を言っても、もう気持ちは決まっちゃってるみたいだけど?」
「そ、そんなの……決まってんじゃんっ!」
小鳩は、セーラの方を向かずにうつむいたまま叫ぶ。
「私だって、外に出たいよっ! このまま、あいつにナメられたままなんて、嫌だよ! でも、外に出る方法が分かんないって話をしてんのっ! だからさっきから、ずっとそれを考えてるんだよっ!」
実は小鳩も、外に出ることを諦めてなんていなかったようだ。
もちろん、彼女の場合はマリーのことはどうでもよく、完全に日枝奈に対する私怨からだ。自分を一つのコマのようにこの戦いに巻き込んでおいて、最後にはこんな狭い『箱』に閉じ込めた『主催者』の彼女に、復讐すること。そのために、絶対に『箱』の外に出たいと思っていたのだ。
最終的な目的は様々だったが、『箱の外に出る』ということに置いては、本当に、その場のすべての淑女とメイドの意思が一つになったのだった。
「そ、そっか……。私、一人じゃないんだ。今の私には、みんながいてくれるんだ。私とマリー様が今まで出会ってきた、こんなすごいみんながいてくれるなら……きっと、ここから脱出する方法を見つけることも、マリー様を助け出すことだって……できる……出来ないわけが、ないじゃん!」
周囲のポジティブな感情に後押しされ、瑠衣の表情にも笑顔がこぼれる。
それから彼女は、自分をそんな気持ちにしてくれた一同に感謝をするように、ぐるりと見回す。そして、一度大きく深呼吸をして心を落ち着けてから……改めて、周囲に向けて話しかけた。
「えっと……実は私、みんなに一緒に、考えてもらいたいことがあるんだ……。私にはまだ、それがどんな意味を持つのか、全然わかってないんだけど……。もしかしたら、全然関係のない見当ハズレなことなのかもしれないんだけど……。でも、もしかしたらみんなになら……その意味が分かるのかもしれなくて……」
それは、勘が鈍く、物分りが悪く、何をやってもダメダメなはずの瑠衣が……そんな自分自身を認めて、それでも前に進もうとする意思の現れだ。
そんなダメな自分を認めてくれたマリーのことを想って言う、決意の言葉だった。
「実は私……さっき『箱』の外で見たことに、一つだけ違和感を感じたんだ」




