12
瑠衣は、ユーリアとステラの二人からは少し離れた位置に移動していた。
彼女たちを取り巻く周囲の景色も元に戻っており、遠くからは、さっきまでは聞こえなかった雑音も聞こえ始めている。戦いの舞台である『二組の淑女とメイドたちしかいない世界』から、徐々に周囲がもとの世界へと戻っているのだ。
それは、この戦いが終わったこと……ユーリアが傷ついたステラを守るために戦いを放棄し、瑠衣が勝利したことを意味していた。
「…………」
瑠衣が視線を向けている先には、さっきのユーリアと同じようにゆっくりと『白い霧』が集まって、何かの塊が出来上がっていた。それは、真っ白な粘土で肉付けされていくようにだんだん人間のようになり、その細部が分かるようになってくる。
見慣れているようで、どこか官能的な雰囲気を帯びた手の形。その指先には、シンプルな指輪の輪郭が一つ浮かんでいる。体は、繊細にヒダやフリルが彫り入れられた西洋彫刻のような、白一色のゴージャスなドレスで包まれている。流線型に波打つロングヘアー。その中心にあるのは、神々しいまでに理想的に整った表情。瑠衣の頭からずっと離れなかった、憧れの人の顔。
やがてその『白い霧』で出来た像は、夜から朝に変わるように、色彩を取り戻していく。
「マリー、様……」
それは、瑠衣の主のマリーだった。
運が良かったのか、それとも暴走したユーリアの能力がもともとそういうものだったのかは分からないが……。一度は完全に『霧』になってしまったマリーも、無事に元の姿に戻ることが出来たようだ。
瑠衣は本当は、すぐにでもそんな彼女のもとに駆け寄りたいと思っていた。マリーの無事を喜び、もう二度と『霧』になんてならないようにと、紫色のドレスに包まれた彼女の体を抱きしめたかった。しかし今の瑠衣には、その気持ちを行動に移すことは出来なかった。
自分のせいで、主のマリーを『霧』にしてしまった。なんとか戦いには勝ってマリーは元に戻ったが、その勝利は、相手のユーリアたちの絆の強さを利用してステラを人質にしたから。淑女とメイドの絆なんて関係のない、マリーのメイドとしてありえないような姑息で卑怯な方法を使って手に入れたものだ。どんな手を使ってもマリーを勝たせたいという……瑠衣の、マリーへの一方的な想いで手に入れたものだ。
そんな自分がマリーに合わせる顔はないと思っていた瑠衣は、無事にその姿を取り戻すことが出来たマリーに対しても、強い引け目を感じてしまっていた。だから、とても一緒に勝利を喜ぶどころではなかったのだ。
「ああ……終わったのね? ……不思議だけど、『霧』にされた状態でもなんとなく周囲の状況は理解出来ていたわ」
元の体を完全に取り戻したマリー。彼女は、近くで立ち尽くしていた瑠衣に対して、最初に会ったころのような感情の分かりにくい『傲慢』な表情を向けて、そうつぶやく。
「……」
そんな彼女の様子が、卑怯で未熟な自分のことを軽蔑しているように思えて、直視できない瑠衣は目を伏せている。
しかし、やがてマリーは、
「よく、勝ってくれたわね。瑠衣」
「え……」
「それでこそ、私のメイドよ」
と言って、若草色の葉に包まれた大輪の花のように優しい瞳を向けて、瑠衣に微笑んだ。
「マ……マリー様ぁぁ!」
それを見た瞬間、瑠衣はもう我慢ができなくなっていた。
そして、もはや引け目も恥も罪悪感も何もかも捨て去って、マリーに向かって抱きついていた。
「わ、私……私……どうしても、マリー様には勝ってほしくて……。たとえ私が消えちゃっても……私がマリー様のメイドとしてふさわしくないとしても……。たとえ私のわがままだとしても……。マリー様には、完璧でいてほしくって……」
「ふふ……。瑠衣貴女、やっぱり何も分かっていないのね? 完璧な私のメイドなのだから、どんな手を使ってでも相手に勝つのが、当たり前でしょう? むしろ、私がいないうちに勝手にこの戦いに負けたりしてたら、許さないところだったわ。……だから瑠衣、貴女は、私のメイドとして充分によくやってくれたわ。上出来よ」
「……は、はいぃ!」
マリーの体をしっかりと抱きしめ、そこに自分の顔を押し付けている瑠衣。目からは大粒の涙が、鼻からは滝のように鼻水が垂れている。おかげで、マリーのゴージャスなドレスはドロドロに汚れてしまっているが……もう、そんなことはどうでもよかった。
「わ、私のせいで、マリー様が消えちゃって……。だから、すごく悲しくって……。自分で、自分が許せなくって……。きっと、こんな私なんて、マリー様にはふさわしくないんだって……。マリー様も、こんな私なんて嫌になったんじゃないかって……」
「瑠衣……まったく貴女は……」
マリーは、醜く泣きわめく瑠衣を呆れるように「三度目は、言わないからね?」と、つぶやく。そして、
「私、貴女が私のメイドになってくれて良かったって、言ったでしょう? これまではもちろん、今だって私、貴女のことを嫌だなんて思ってないわよ。だから…………瑠衣、助けてくれて……ありがとう。貴女は私にとって、最高のパートナーよ」
瑠衣の背中を、右手でそっとさすってくれた。
「⁉」
一瞬、心臓が飛び出てしまったかと思うほどに、驚いた瑠衣。
それから彼女は、さらに大きな声で泣きわめきながら、痛いほどの強さでマリーの体を抱きしめた。
ユーリアとステラ。
マリーと瑠衣。
二組の淑女とメイドは、どこにでもある普通の駅の構内で、それぞれがお互いのことを想って、体を寄せ合っていた。
周囲はすっかりもとの世界に戻っているようで、彼女たちのすぐ近くを、不思議そうな表情で通り過ぎる駅の利用客たちもチラホラと見え始める。だが、感情に任せて大声をあげていた彼女たちには、そんなことは気にならなかった。
それは、確かな信頼で結ばれた二組のパートナーたちの心が、未だに自分たちだけの世界に入りこんでしまっているからだった。
そのせいもあってか……。
そのときマリーがつぶやいた独り言は、その場の誰にも――体を寄せている瑠衣にさえ――届くことはなかった。
「瑠衣……貴女と出会えて……本当に、良かったわ」
そう言うマリーの表情は、我が子を抱きしめる母親のようにあたたかい。
しかし。
その表情はやがて、何かを思い詰めるような暗いものへと変わっていった。
「おかげで、私の目的が果たせる。長かったこの茶番も、ようやく終わりに出来るのだから、ね…………」




