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マリーが『霧』になっても、まだこの戦いは終わっていない。
だからきっと瑠衣がその『右手』に触られても、すぐに戦いが終わったり、周囲がもとの世界に戻ったりはしないのだろう。もしかしたら、ユーリアが世界のすべてを『霧』にしても今の状況は続いてしまって、対戦相手がいなくなったまま戦いが永遠に終わらなくなる……ということもあり得るのかもしれない。
それくらいに、暴走したユーリアが手に入れた新しい力は強力で、イレギュラーなものだったのだ。
そして……。
とうとう彼女のその『右手』が、その場にしゃがんでいる瑠衣の背中に触れそうになった……そのとき。
「こんなやりかた……絶対に、したくなかったよ……」
さっきまでずっと自分の頭の中で苦悩していた瑠衣が、そんなふうに声に出してつぶやいた。
さっきまでの瑠衣は、自分自身に言い聞かせていたから声を出さなかった。自分で自分の不甲斐なさを思い知るために、頭の中で自分を責めていただけだった。しかし、今はその言葉を聞かせる相手がいたから、声を出したのだ。
「ユーリアちゃん……。私たちは……あなたたちに負けたよ……。あなたたちの絆の力に、私とマリー様の絆の力は、まるで歯が立たなかった……」
瑠衣は、全身が『霧』になっているユーリアに向かってそう言って、自分の足元にあったものを拾い上げる。そして……すべてが『白い霧』になっているはずのこの状況で、唯一その形を留めていたそれを、ユーリアの『右手』に対して盾にするように自分の前に差し出した。
「だから……」
次の瞬間、瑠衣を襲っていた『右手』の動きが止まる。
すぐにでも瑠衣に触れて、彼女を『霧』にして取り込んでしまうことが出来るはずだった『ユーリア』が、微動だにできなくなる。
「だから……これはただの、私のわがまま……。絆なんか関係ない……私の、一方的なマリー様への気持ちの力……。私はさっき……マリー様が『霧』になって消えちゃったことにすごくショックを受けて……。今も、自分の不甲斐なさに死にたくなるくらいに落ち込んでて……。だから……分かるんだよ……」
完全に『霧』になっていて、耳や頭脳があるのかすら怪しい『ユーリア』に届くかどうかは分からなかったが、瑠衣は言葉を続ける。
「ユーリアちゃんの、『すべてのものを霧に変える』っていう無敵の能力。でも……そんな能力でもたった一つだけ、『霧』に変えることが出来ないものがあるはずだってこと……。触っただけですべてのものを『霧』に変えてしまう最強の攻撃力と……自分自身さえも『霧』にすることで相手のどんな攻撃も通じなくなる無敵の防御力……。そんな最強の力の中にある、大きな矛盾……」
ポト……。
瑠衣の足元に、ひとしずくの真っ赤な液体が落ちる。周囲が完全に真っ白な今の状況では、それは、目が覚めるほどに鮮明な色だ。
それは血だ。しかし、瑠衣のものではない。
「私がステラちゃんを傷つけちゃったことで、ユーリアちゃんが怒って目覚めた能力なんだから……そのステラちゃんを、ユーリアちゃん自身の力で『霧』に変えることなんて、出来るはずがない……。そんなこと、ユーリアちゃんは絶対にしたくないはずなんだ……」
瑠衣が盾にしていたのは、気絶している幸島ステラだった。
感情を暴走させて、自分を含めた周囲のものをことごとく『霧』に変えてしまっていたユーリア。しかし、彼女はその能力のきっかけとなった自分のメイドのステラだけは、『霧』にしていなかった。
というより……たとえしようと思っても、することが出来なかった。自分がこの世界で一番愛する存在を、『真っ白な霧』にして消滅させてしまえるはずがなかった。それ以外のあらゆるものと同じように溶かして混ぜてしまうことなんて、出来るはずがなかった。だから、瑠衣にステラの体を盾にされてしまったことで、『右手』を動かすことができなくなってしまったのだ。
それは、全身が『霧』になって理性や感情が曖昧になっていたユーリアにとって、本能に深く刻まれた制約。誰かに与えられた淑女という『設定』も、それを超越したイレギュラーな暴走でさえも逆らうことの出来ない、絶対的なルールだった。
「ごめん、なさい……。でも……」
メイドのステラだけは『霧』に出来ない。そして、そんな彼女を盾にすれば、ユーリアは瑠衣のことを攻撃できないはず。
マリーを失って激しいショックを受けた瑠衣には、それは、痛いほどよく分かっていた。
しかし、それを認めるということは同時に、ユーリアとステラの間に強い絆があるのを認めるということ。そして、それを利用してステラを人質にとるような行動は、「自分たちの絆の力ではユーリアたちの絆には敵わない」のを認めるということだ。
だから瑠衣は、こんな作戦は思いついても実行したくなかった。こんなことをするくらいなら、ユーリアの能力で自分も『霧』になるほうがいいと思った。こんなに卑怯で、なりふりの構わない作戦を実行するメイドは、マリーのメイドとして絶対にふさわしくないと思った。
しかし……それでも……。
最後にそんな彼女を動かしたのは、マリーへの想いだった。
「こんなものは、淑女とメイドの絆の力なんかじゃない……。ユーリアちゃんたちのような、お互いがお互いのことを想いあった結果に生まれた力なんかじゃない……。ただの私のわがまま……。私がどうなっても……私がマリー様にどう思われても……マリー様には勝ってほしい……。そんな、私の一方的なわがままだよ……」
瑠衣はそんなことをつぶやきながら、ユーリアに見せつけるようにステラの体を『白い右手』に向かって動かす。
ポト……。
さっきの瑠衣の攻撃のせいで、ステラは口から血を流している。その血のひと雫が、また真っ白な地面に落ちる。
心苦しそうに、瑠衣は言葉を続ける。
「マリー様を『霧』にしても、戦いは終わらない……。大好きなステラちゃんを『霧』にすることも出来ない……。それじゃあ、ステラちゃんはずっと苦しいままだよ……? ステラちゃんが傷つけられたことで生まれた力なのに……。ステラちゃんへの想いが作り出した力なのに……。その力を使っている限り、ステラちゃんを苦しめ続ける……。こんなこと、ユーリアちゃんは望んでない、でしょ……?」
ステラの体を、『白い霧』に向かって更に動かしていく瑠衣。すると、そんな瑠衣から逃げるように、『霧』が動いていく。ずっと拡大を続けていた『白い霧』が、ステラの体を中心にして徐々に晴れていく。
「本当にユーリアちゃんを助けたいのなら……。一刻も早く彼女の怪我を治して、彼女を苦痛から解放してあげたいのなら……。こんなこと、もうやめるべきだよ……。今すぐこの戦いを、終わりにするべきだよ……」
『霧』が晴れていく中で、ユーリアの『右手』だった部分のみが、その場にとどまり続けている。周囲が薄く晴れていくにつれて、その部分が鮮明になっていく。『右手』だけでなく、ユーリアそのものが人の形を取り戻していく。
やがて、幽霊のようにうっすらと人の姿が認識できるようになってくると、その色味の薄い人型が、右手部分をステラの体に伸ばしていって……彼女の口元の血を真っ白なその手でぬぐった。
「ステラ……ごめんな……」
その右手に触れられても、ステラは『霧』になったりはしなかった。ユーリアは、すでに自分の能力を解除していたらしい。それを証明するように、瑠衣たちを包み込んでいた『白い霧』はすっかり晴れている。ユーリアの姿も、もとの形を完全に取り戻した。
元通りになったユーリアは、そうっと瑠衣からステラの体を受け取り、彼女を抱きかかえる。するとやがて、気を失っていたステラが、意識を取り戻して目を開いた。
「うう……ん……」
「ステラ……俺は、お前のことを放って、勝手に暴走しちまって……。そのせいで、お前はずっと、苦しい思いを……」
「……ユーリア……ちゃん……」
ステラは、すぐ近くで自分を見つめるユーリアに気づくと、彼女に優しく微笑みかけた。
「ううん……。『霧』に包まれている間……ユーリアちゃんの私への気持ち、伝わってきてたよ…………ありがと」
「ステラ……う、ううぅ……ぅぁぁぁぁ……」
声を上げて、強くステラを抱きしめるユーリア。それに安心したように、ステラは笑顔のまま、また気を失ってしまう。しかし、深い絆と信頼感で結ばれた彼女たちには、多くの言葉はいらないのだろう。ユーリアとステラは体を寄せ合いながら、自分が相手を大事に想っていること、相手が自分のことを大事に想ってくれていることを、感じとっていた。




