08
オーラで包まれた瑠衣の拳が、対戦相手の体にクリーンヒットする。その圧倒的攻撃力ならば、食らった相手は確実に戦闘不能だ。
そうなれば、その相手の右手にはめられた指輪を奪うのは容易だし、その時点で瑠衣たちの勝利が決定する。これまでのように瑠衣たちは元の世界に戻り、戦いに参加した全員の負った傷もすぐさま元通りに回復する。だからこそ、瑠衣も遠慮なく拳を振り下ろすことが出来た。
しかし、そんな瑠衣の思惑は外れてしまうことになった。
「え?」
その驚きは、瑠衣の言葉……そして同時に、床に尻もちをついて自分の敗北を確信していた、対戦相手のユーリアの言葉でもあった。
「……う、うう……」
今、瑠衣の攻撃を受けていたのはユーリアではなく、そんな彼女の前に飛び出してきた、メイドの幸島ステラだったのだから。
「ステラ……な、なんで……お前……」
光で眩んでいたユーリアの目も、少しずつ治ってきた。自分の眼の前で、瑠衣のパンチを受け止めているステラの苦痛の表情が視界に入ってくると、ショックで体を震わせ始めた。
「ま、まさか……俺を、かばって……? 俺の、身代わりに……」
床に倒れそうになるステラの体を、抱きしめて支える。瑠衣の攻撃で内臓を負傷したのか、咳き込む彼女の口には血が垂れている。
「……え、へへ……」
それでもステラは、強がるように無理に笑顔を浮かべて、ユーリアに言った。
「……ユーリアちゃんは……まだ倒れちゃだめ、だよ……。……だって、ユーリアちゃんは、強いんだから……。……きっと瑠衣ちゃんたちにも……他の誰にも負けないくらい……強いんだから……。……私がいなくても……ユーリアちゃんが無事なら……きっと勝ってくれる、って……私、信じてるから……。……だ、だって……」
「お、おいっ⁉ 無理してしゃべるんじゃねぇよっ! 苦しいなら、大人しくしてたほうが……」
ステラは首を振り、ユーリアの頬に自分の手を当てる。そして、またニッコリと微笑んで、息も絶え絶えという様子で、
「……だって私は……ユーリアちゃんの、メイドなんだから……ね?」
とだけ言って、そのまま意識を失ってしまった。
「……ス……ステラぁぁーっ!」
ユーリアは、力なくダランと自分にもたれかかるステラの体を抱きしめたまま、喉が枯れそうなほどの音量で絶叫した。
そんな二人から、少し離れた位置では。
「あ、ああ……ああ……」
自分が攻撃した相手がステラだと気づいたあと、逃げるように彼女たちから距離をおいてしまった瑠衣が、体を震わせている。彼女の右手には、未だに攻撃したときの感触が残っているようだ。
「わ、私……そんな……そんなつもりは……」
「……ふん」
瑠衣の隣には、ユーリアと同じように徐々に視力を取り戻してきたらしいマリーがいる。気まずそうに、瑠衣でもユーリアたちでもない、明後日の方向に視線を向けながら、彼女はつぶやく。
「とにかくこれで……『先にメイドを始末する』という、私の作戦通りの展開になったわね? あとに残ったのは、主のあの子だけ。あの子の最弱の能力じゃあ、一人で私たちに勝つなんて不可能だわ。これで、私たちの勝利は確定したようなものね」
「マ、マリー様……で、でも……。こんな……こんなのって……」
こんなのは、自分の望んだ展開じゃない。
瑠衣はそう言いたかった。
彼女は、最後まで二対二を保ったまま、ユーリアたちを倒したかった。マリーと自分の二人で、強い絆で結ばれたユーリアたちを圧倒して、自分たちの絆の強さを証明したかった。
しかし結果として今の瑠衣たちは、メイドのステラが身を挺して主のユーリアをかばった姿を見せられている。彼女たちの絆の力を見せつけられ、その強さを思い知らされている。
たとえこのままユーリアに攻撃して、彼女を倒して戦いに勝つことができたとしても。それでは、本当の意味で自分たちが彼女たちの絆の力に勝ったとは言えないような気がしてしまっている。
そのせいで瑠衣は、スキだらけのユーリアになかなかトドメをさせずにいた。
そんな彼女に、マリーは言う。
「瑠衣……貴女、何をしているの? 戦いが終われば全部元通りになるのだから、さっさと勝負を決めてしまいなさい。……そうすれば、負傷したあのメイドだって元に戻るのだから」
「……あ」
その言葉に、我に返る瑠衣。
「そ、そうか……。そう、ですよね? このままだと、ステラちゃんはずっと痛くて苦しいままで……。だ、だから、私は、早く勝負を決めてあげないと…………でも」
……それでも。
やはりこの状況で相手を倒すことに引け目を感じていた瑠衣は、なかなか一歩を踏み出すことが出来なかった。
そのとき、だった。
「て、てめぇらぁ……」
ステラを抱きかかえたユーリアが、体の奥底から絞り出すようなドス黒い雰囲気の声で、何かをつぶやきはじめていた。
「よくも……よくもステラを……。許さねぇ……。絶対に、許さねぇ……。……ろしてやる……」
「え?」
彼女の体は、震えている。
しかしそれは、さっきまでのようにステラを傷つけられたことに対するショックから、ではないようだ。
「……ぶっ殺してやる……。てめぇら、絶対に、ぶっ殺してやる……。跡形も残らないくらいに……徹底的に……」
ステラをそうっと駅構内の床に寝かせるユーリア。立ち上がって、うつむきがちに瑠衣たちの方をにらみつける。今の彼女はまるで、着ている純白のドレスが黒に染まってしまったかと錯覚するくらいに、暗い憎悪に満ちた雰囲気だった。
「ぶっ殺して……やる……絶対に……」
「え、っと……あ、あの……」
「ふん。そんなことを言っても、どうせ……」
若干たじろぎながらも、二対一という状況の優位性を認識している瑠衣とマリー。自分たちが負けることはもはやありえないと確信しているからか、憎しみを露わにしている彼女に対して、恐怖はあまりない。今の彼女たちにとって一番大きな感情は、大きな傷を負わせてしまったステラに対する罪悪感と、そんな状況になってしまったことへの後味の悪さのようだ。
「ス、ステラちゃんのことは、わざとじゃなくて……私も、こんなことになるなんて……」
「だから……もういいってば、瑠衣。あの子はもう、こちらが何を言っても聞く耳なんて持たないでしょう。これ以上戦いを引き伸ばしたって、お互いに見苦しいだけだわ。だから、さっさと…………え?」
しかし……。
「……は、はい。ご、ごめんなさい、ユーリアちゃん……。で、でも、これでステラちゃんは元通りになるからね!」
マリーに促された瑠衣が、オーラをまとった右手を振りかぶって、ユーリアに向かっていく。
「ちょ、ちょっと……何?」
そこでマリーは、奇妙なことに気づいた。
自分のメイドを傷つけられ、怒りと憎しみに満ちた瞳でこちらをにらみつけているユーリア。そんな彼女の『右手』の周囲に、いつのまにか、白い霧のようなものが立ち込めていたことに。
「『右手』の周囲の空気を、自分の能力で白くしているの? ……いえ、そうじゃないわ」
すでに、マリーの視力はほとんど元に戻っている。だからそれは、彼女の視界がぼやけているせいで、見間違えているというわけではない。
今のユーリアの右手の周囲には、確かに白い霧が存在している。……というより、彼女の右手そのものが、白い霧に変わっているようにすら見える。その証拠にマリーは、本来ユーリアの右手があるはずの場所を通して、うっすらとその向こう側の景色を見ることが出来てしまっていた。まるで、ユーリアの右手部分だけが薄く透明になっているかのように。
「な、何……? 何が、起きているの……?」
その状況の異様さに、目を見開くマリー。一方の何も気づいていない瑠衣は、ユーリアへの攻撃を止めない。
「うあぁぁぁーっ!」
自分の罪悪感をかき消すように、気合のこもった声をあげてユーリアに襲いかかろうとする。
「る、瑠衣、何かがおかしいわっ⁉ 待ちなさい!」
「ああああぁぁーっ!」
マリーの静止の声も届かず、ユーリアに向かって突き進んでいく瑠衣。そんな瑠衣に対して、ユーリアが、ゆっくりと自分の『右手』を伸ばしてきた。
「だ、だから、瑠衣! 待ちなさいってばっ!」
らしくもなく焦った様子のマリーが素早く動いて、瑠衣にタックルする。
「うああぁぁ……ほえぇっ⁉」
一切の遠慮のないそのタックルによって、吹き飛ばされる瑠衣。その勢いのまま近くの壁に顔から激突して、無様な声をあげる。
マリーは体当たりの勢いを利用して体を一回転させ、自分自身もその場から距離を取って離れる。そして、素早く体勢を立て直して、ユーリアの方に目を向けた。
「はぁぁ……あぁぁぁ……」
マリーの機転によって、ユーリアの伸ばした『右手』は空振りする形となった。だが、ユーリアはそれに対して何もリアクションしない。……というより、今の彼女の表情には、さっきまでのものすごい怒りを含めた、全ての感情が消えていた。もはや無機質なロボットにでもなってしまったかのように、何を考えているのか分からない無表情だったのだ。
しかし、何よりもマリーが驚いたのは……。
ユーリアが振り下ろした『右手』が、さっきまで瑠衣がいた空間を通り過ぎ、その向こうにあった駅の壁に触れる。するとその壁が、ユーリアの『右手』と同じように、一瞬にして『白い霧』になってしまったのだった。
「バっ、バカなっ⁉」
壁から変わった『白い霧』は、本来の霧と同じように周囲の空気と混ざり合い、溶けて薄くなっていく。そして最後には、最初からそこには何もなかったかのように、消えてなくなってしまった。
「こ、これは……」
その光景に、マリーは唖然とする。
「え? え? な、何が……?」
ぶつかった壁からようやく立て直した瑠衣は、未だに状況がよくわからない。
「壁を白くして、私たちに見えなくした……ってことですか? だけどその割には、見えなすぎるっていうか……。むしろ、壁の向こう側が見えちゃってて……さっきまでの彼女の能力と、全然違うような……?」
キョトンとしている瑠衣に向かって、ユーリアがまた『右手』を伸ばしてくる。彼女の右手の周囲を包んでいた『白い霧』はかなり広がっていて、すでに右腕全体にまで広がっているようだ。それはすなわち……ユーリアの体そのものが、だんだん『白い霧』になっているということだ。
「で、でも、このままだとステラちゃんが怪我をしたままだし……とにかく、早く勝負を終わらせないと!」
焦っている瑠衣は、この状況でもまだ、さっきのような攻撃を繰り出そうとする。
しかし、今度はそれよりも早くマリーが瑠衣の手をつかんで阻止する。
「瑠衣、やめなさい! まだ分からないのっ⁉ もう、そういう状況じゃないのよっ!」
「え?」
あまりにも緊迫感に満ちたマリーの表情に、ようやく瑠衣も、事態の異常さを認識し始めた。
「もともとこういう能力を隠していたのか、それとも、さっきのことで新しい能力に覚醒してしまったのか……まあおそらく、後者でしょうね。それも、覚醒というよりはほとんど暴走に近いわ。すでにあの子の淑女能力は、『触ったものを白くする』なんて生やさしいものじゃない。今のあの子の能力は、『右手で触ったものを白い霧に変える』こと……。もしも私たちがあの手に触られてしまったら、その瞬間に戦闘不能……さっきの壁のように、あっという間に『霧』になって消滅させられてしまうわ。しかもそれだけじゃなく、あの子、その能力で自分自身すらも『白い霧』に変えることが出来るみたいだわ……。きっと、能力の使用者である彼女だけは、『白い霧』になっても意思を保って、自由に動くことが出来るのでしょうね」
「能力が、変わった……? 私が、ステラちゃんを傷つけたせいで……?」
「いまやほとんど『白い霧』になってしまっている彼女に、もう単純な物理攻撃なんて通用するとは思えない。でも、その状態でも向こうの『右手』に私たちが触れられてしまったら、きっとその瞬間に私たちは『白い霧』にされてしまって、ゲームオーバー……。『右手に触っただけで一撃必殺』という最強の攻撃力と、『すべての攻撃を無効化する』という最強の防御力……。自分で言っていたように彼女、本当に最強の能力を手に入れてしまったみたいだわ」
「そ、そんな……」
「とにかく今は……っ⁉」
「……ぅぁぁぁ……」
話し合うマリーと瑠衣のところに、ユーリアの『右手』が伸びてくる。
すでに彼女の体は半分以上が『白い霧』に変わっている。両足も霧状になっているので床に足がつかず、宙に浮いているように見える。そのさまは、まるで幽霊のようだった。
危険に気づいたマリーは、瑠衣の手を掴んで走り出す。
「とにかく、ここはまずいわ! 今は、逃げるわよっ!」
「は、はい!」
そして二人は、『白い霧』のユーリアに背を向けて、駅の構内を全速力で走った。




