03
それから。
ようやくメイドのステラにからかわれていたことに気づいたユーリアが、恥ずかしさで取り乱したり怒ったりして、しばらくの間はとても戦闘どころではなかった。
それでも、どうにか落ち着いてきたらしいユーリアが――まだ顔はピンク色に染まっているが――、気を取り直したように話をもとに戻した。
「は、恥ずかしいところを、見せちまったみてーだな!」
「……うん、本当だね」
「でも、こ、こっからが本番だぜ⁉ 覚悟しろよっ! おめーらには、これから俺たちの最強の淑女能力を、嫌というほど味あわせてやるからな!」
そう言って、右腕にまとっていた白い長手袋をスルスルと外し始めるユーリア。その下にあったのは、やはり、その手袋と同じくらいに真っ白な肌だ。
彼女はその腕の右の手のひらを、瑠衣たちに見せつけるように自分の前にかざす。
「俺たちの能力のキモは……この右手なんだぜ。いいか、見てろよー?」
それからユーリアは、その、なんの変哲もない右手でおもむろに地下鉄駅構内の壁を触る。すると……。
「え⁉」
一瞬にしてその駅の壁一面が、『真っ白』になってしまった。
それも、比喩表現やイメージ的なものではない。本当に、完全に、完璧に、一切の誇張もなく。ユーリアの触れた壁のすべての色が失われ、コンピューターのペイントソフトで白を塗りつぶしたときのように、文字通りの『真っ白』になってしまったのだ。
「右手で触れたものを白くする。それが俺、『清純お嬢様』の淑女能力……『白い手のイゾルデ』、だぜっ!」
「こ、これって……?」
白く変わってしまった壁を、おそるおそる観察する瑠衣。やはり、今までそこにあったはずの汚れやシミ、模様などは漂白されたかのように完全になくなっていて、まるで新しく作られたばかり……いや、むしろそれ以上だ。現実ではとてもありえないほどに、本当にただただ真っ白になってしまった。
しかも不思議なことには、瑠衣がその壁に触ってみると、その感触は普段どおりザラザラとしている。ムラなく真っ白だからといって表面がツルツルスベスベになっているわけではなく、いたって普通のコンクリートの壁のままなのだ。それが見た目とのギャップを生んで、異様な感覚を与えていた。
その違和感を説明するように、ユーリアは言う。
「実はこの能力、変えられんのは触った物の表面の色だけ。中身とか材質まで変えられるわけじゃねーんだよな。だから、さっき俺が触ったその壁は、色が白になった以外は何も変わってねー。元のままのボロくせー駅の、ボロくせー壁のまんまっつーことなんだわ」
「な、なるほど……」
とりあえず納得したフリをして、うなづいてみる瑠衣。しかし同時に、頭の中には小さな疑問が浮かんでいる。彼女のその疑問と同じようなことを、彼女の主のマリーが――煽り言葉とともに――言った。
「物の色を変えられる、ですって? 何よ、それ。白く変えたから、何だって言うの? 最強の淑女能力なんて言うから期待してみれば……ふんっ、とんだ拍子抜けだわ。その程度のザコ能力で、よくも、ノコノコと私たちの前に出てこれたわね? そこまで来ると清純や純粋を通り越して、ただの愚か者というべきじゃないかしら?」
「ちょ、ちょっと、マリー様⁉」
いつもどおり、何故か初対面の相手に対して、まず最初にマウントを取ろうとする『傲慢お嬢様』に辟易しながら、瑠衣がフォローを入れようとする。しかし、言われたユーリアは、あまり気にしていないようだ。
「ったく。おめー、なーんも分かってねーな? この能力、これで意外とすげーんだぜ? 例えば……動物園にトラいるだろ? あれだって、俺が右手で触ればたちまち真っ白になって、ホワイトタイガーに出来ちまうんだ! どーだ、お得だろ?」
「い、いやー……。それだと本物じゃないし、ホワイトタイガーの有り難みがないっていうか……。そもそも、動物虐待っぽくて、ちょっと可愛そうだし……」
「ん、そうかー? じゃあー……洗濯物とかどうだ? 一週間洗ってねーような汚ねーブラウスだって、俺が触っただけで驚きの白さに!」
「そ、それは、普通にそのブラウス洗えばいい話だよね? っていうかさっき聞いた話だと、ユーリアちゃんの能力は表面を白くするだけで本体は変えられないんだから、見た目をどれだけ白くしても……」
「もちろん、服の汚れは残ったままだぜ? バイキンは繁殖してるし、嗅げばクセーだろーな」
「じゃあ意味ないよ!」
「っんだよ。それも否定されちまうと……他には、パンダの黒い部分を白くして、白熊に変えられるっつう長所くらいしか……」
「それ、やってることホワイトタイガーと同じだから! っていうか、パンダについてはあの白黒が一番大事な部分だから! みんな、あの白黒が見たくて動物園行ってるんだからねっ!」
思わず全力のツッコミを入れてしまう瑠衣。
ユーリアの方も、そんな漫才じみたやりとりをどこか楽しんでいるようだ。戦闘はすでに始まっているはずだが、彼女たちの間にはいまいち緊張感がなかった。
「も、もう……。変なことばかり言って……」
それでも、とりあえず気を取り直して、形だけでも身構える瑠衣。彼女の右手は、すでにいつものように『極上の使用人』によって、紫色のオーラに包まれている。
マリーも、飽き飽きするように瑠衣に指示する。
「はあ……。瑠衣、もう茶番は充分よ。いつまでもバカなことばかり言ってないで、さっさと倒してしまいなさいよ。どうせ……」
しかし……。
「へっ。どうせ……そんなショボい能力の相手なんて、すぐに倒せる……ってか?」
そこで『清純お嬢様』のユーリアが、おしとやかな顔に邪悪な微笑みを浮かべて、そう言った。
「え……?」
「おめーら……やっぱ、何も分かってねーな」
ユーリアの雰囲気は、さっきまでのふざけた感じとは少し変わっている。
「分かってない、って……何を……」
「俺が今、どうしておめーらに自分の能力を説明してやったか、わかるか? 自分の能力で何が出来て何が出来ないかを、わざわざ教えてやったのはどうしてか? 俺がそんなに親切な良い子ちゃんに見えるかよ?」
その瞬間、マリーは気づいた。
「瑠衣、相手のメイドがいないわよ?」
「……え?」
ユーリアがまた小さく笑う。
「へへ……それは、おめーらの油断を引き出すためだよ。俺の能力がショボいって知れば、おめーらはきっと油断する。そう思ったから、教えてやったんだ……そして、おめーらはやっぱり油断した」
すると……。
フラッ。
瑠衣たちの背後の壁が揺れた。ユーリアが最初に能力のデモンストレーションをするように白くしていた壁の一部が、人の形に浮かび上がって動き出したのだ。
幽霊のようにも見えるその人影が、瑠衣の右手に向けて白い手を伸ばしてくる。
「ひ、ひぃっ⁉」
怖がる瑠衣が、その手から逃れるように体をひくと、その白い影はまた後ろに下がって壁の中に戻るように白い壁と一体化した。
「……おっしい……もう少し、だったのに……」
もちろんそれは、いつの間にか『清純お嬢様』の能力によって白くなっていた、ユーリアのパートナーの幸島ステラだ。
「……ふぅん。『白くする』という能力は、人間に対しても使えるのね? それで味方のメイドを白くすれば、同じように白くなっている壁と一体化して私たちに姿が見えなくなる、というわけ?」
「ああ、そうだぜ!」
感心するようにつぶやくマリーに、得意げにユーリアが言う。
「この戦い、相手の指輪さえ奪っちまえば勝負には勝てんだろ? そしたら、つえー力とか能力なんて、いらねーんだよ! 白くした背景にまぎれて気づかれないうちに指輪を奪っちまえれば、それで俺たちの勝ちなんだからなっ! これが、俺とステラで考えた淑女能力の派生技の一つ……その名も、『白い手のイゾルデ―派生技・隠れ蓑の勇者』……だぜ!」
それから彼女は右手で自分の体を触り、自分自身も真っ白な姿になる。そして、白くなっている壁に紛れ込んでしまった。
「わわっ、消えちゃった⁉」
一瞬にして対戦相手の二人を見失ってしまって、戸惑いを隠せない瑠衣。
「オラオラーッ! 油断してると、指輪奪っちまうぜーっ⁉」
声が動いていることから、ユーリアが白い壁に紛れながらずっと移動し続けているらしいことが分かる。しかも彼女はその間もどんどん周囲の壁や床を白くして、自分たちが隠れる領域を広げているようだ。
「ど、どうしよう……こ、これじゃ、どこから二人が襲ってくるか……」
「……こっち……だよ……」
「え⁉」
「いーやっ! こっちだぜ!」
「ちょ、ちょっと⁉」
「……あ、チャンス……」
「うっわ! いつの間に⁉ あっぶな……」
「指輪、もらったーっ!」
「……挟み、撃ち……」
「さ、させないからーっ!」
前後左右から襲ってくるユーリアとステラから、必死で指輪を守り抜く瑠衣。白い壁に同化した二人の白い影に翻弄されて、目が回りそうだ。
一方のマリーは、
「……なるほどね。隠れて指輪を奪うから、『ジークフリート』……か。なかなか気が利いてるじゃない」
なんて言って、完全に落ち着いている。
「ちょ、ちょっと、マリー様っ⁉ なにバカみたいなこと言って、余裕ぶっこいてるんですかっ⁉ このままだと私たち、指輪奪われちゃいますよ⁉ は、早く、なんとかしないと……」
「まあまあ、瑠衣……少し落ち着きなさい」
余裕のあるマリーは、そう言ってから……ドレスに合わせたエレガントなデザインのハイヒールの靴で、瑠衣の足を思いっきり踏みつける。
「い、痛っ!」
「この際、貴女がまたドサクサに紛れて私のことをバカ呼ばわりしたことは、見逃してあげるとして……」
「い、いや、見逃してないですよね⁉ 今、足を踏んでしっかり仕返ししてますよね⁉」
苦痛を訴える瑠衣を無視して、ヒール部分で瑠衣の足に穴を開けるように、踏みつける力を強めていくマリー。充分に瑠衣に罰を与えて気を晴らしてから……言葉を続けた。
「物の色を変えるということは、私たちが見ている光の物理的な特性を操るということ。そう考えれば当然、自分たちの姿を見えなくさせるくらいの攻撃はやってくるとは思っていたけれど……でも、その攻撃がここまでお粗末なものなのは想定外だったわ。所詮『ものを白くする』なんて能力じゃ、この程度ってことかしら? やっぱり、取るに足らないザコだったわね」
「で、でも……」
「瑠衣、もっと目を凝らして見てみなさい」
「え?」
そう言われて、瑠衣は近くの白い壁をジッと見る。すると……、
「あ」
一面真っ白だと思っていた壁の中に、うっすらと、様々な形の輪郭が浮かび上がっているのが分かった。
それは、壁に貼られていたポスター、柱、券売機など。もともと駅構内にあった物の凹凸が、かすかな白の濃淡となって現れていたのだ。
「ふふ……。彼女たちの敗因は、その淑女能力が『ものを白くする』だったこと……かしら? どうせなら、白じゃなくて黒に出来たほうが良かったわね」
更に瑠衣が周囲に目を向けると、彼女の右手側すぐ近くに一つ、そしてそこから少し離れた位置にもう一つ、人の形の白い輪郭があるのに気づいた。
「こ、これってもしかして……」
瑠衣がすぐ近くの人形に向けて、恐る恐る紫のオーラをまとった拳を繰り出してみる。
「う、うぉっ⁉」
すると、その白い影がそんな声を上げて、瑠衣の拳を回避するように動いた。
「やっべ、もうバレたか」
「や、やっぱり、ユーリアちゃん?」
その影は、瑠衣の予想通り、『清純お嬢様』の能力で白くなっているユーリアだった。
人間が、物体の色を知覚するということを科学的に言うと、「物体にあたって反射した光が人間の網膜に届き、そのときの刺激を脳が処理した」ということになる。
赤く見える物は、赤に対応する波長の光を反射する性質がある。同様に、青い物は青い波長を反射する性質がある。その反射した色の光を眼球を通して網膜が捉えたときに、人間はその物を赤や青として認識する。そして、赤や青を含むすべての色の波長を乱反射する性質を持っているとき、その物体が白く見えるのだ。
つまり「触ったものを白くする」というユーリアの能力は、触ったものに「すべての波長の光を乱反射させる性質を与える」能力と言い換えることが出来る。
確かにその能力で異なる二つのものを白くすれば、それらが視覚的に同じ性質をもつことになるので見分けがつきにくくはなるだろう。白い壁を背景にした白いユーリアやステラの姿は、体色を変えて周囲に溶け込むカメレオンのように、パッと見では消えてしまったように見えるかもしれない。
しかし、光を反射するから白く見えるということは、そもそも光が当たらない部分は、能力に関係なく、白くはならない。人の凹凸や輪郭によって光が当たらない部分は黒い陰のまま。能力によって白くなったユーリアやステラたちにも、体の陰影は依然として残っている。だから、落ち着いてよく観察してみれば、白一面の中に彼女たちの姿がうっすら見えてしまうのは、当然のことなのだ。
もしもユーリアの能力が白ではなく、「触ったものを黒くする」というものだったなら……。あたった光をすべて吸収する完全な黒というものは、ものの陰影や輪郭さえ消してしまう。その状態ならば、ユーリアたちは周囲の壁と完全に溶け込んで見えなくなり、瑠衣たちは彼女たちの姿を見失ってしまったことだろう。だからマリーも、「白じゃなくて黒に出来たほうが良かった」と言ったのだ。
「ものを白くする」というユーリアの能力ではどう頑張っても完全に姿を消すことは出来ず、そういう意味では、マリーが「取るに足らないザコ能力」と言ったのも無理はない。
そして……。
それこそが、ユーリアたちが本当に狙っていたもの……マリーの油断だった。




