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しゃがんでいるマリーに、瑠衣がパンチを振り下ろす。
しかし、マリーはすんでのところで体を回転させ、床を転がってそのパンチをかわした。
「瑠衣、思い出してみなさいっ!」
その勢いを活かしながら、マリーは展示室内を逃げる。やはりさっきの背中へのダメージや、これまで攻撃を避け続けて疲労が溜まっているのか、その動きはかなり鈍い。しかし、その口調はいつもどおりの自信に満ちていた。
「あの、相手の『天然お嬢様』って子は、これまで自分の身体能力に絶対的な自信を持っていたわ。自分のことを、ライオンに育てられたとか、最強とか言って……。『本気を出す』なんて言っておきながら、ついさっきまで一度も自分の淑女能力を使わなかったことだって、そうよ!」
すぐに追いついてしまった瑠衣が、マリーに攻撃する。
しかし、マリーはそれもどうにか避けて、叫ぶように彼女に話し続ける。
「ジャングルで育った彼女は、猛獣たちにも負けない自分の身体能力が自慢で、本当なら、それだけで私たちを倒すつもりだった。そんな彼女に瑠衣は、淑女能力を使わせたのよ!」
「え……?」
マリーはそう言って、また逃げる。
思ってもいなかった彼女の言葉に、一瞬思考が停止する瑠衣。しかし、『命令』で操られている体のほうは、止まらない。逃げたマリーを追いかけて、また攻撃を繰り出す。
「『相手を命令で操る』、ですって⁉ 何よそれ! そんなの、ジャングルも『天然』も何も関係ないじゃない⁉ こんな……身体能力なんて無関係な不自然な能力、あの子は絶対に使いたくなかったはずなのよっ! ジャングル育ちの『天然お嬢様』のプライドにかけて、彼女はこんな能力なんて使うつもりはなかった。使わなくても、勝てると思っていた。そんな彼女に貴女は……能力を使わせたのよっ⁉ プライドを捨ててでも、こんな反則級の能力を使わなくては、この勝負に勝てない。貴女は、彼女にそう思わせたってことなのよっ⁉ つまり貴女は、気持ちの上ではとっくに『天然お嬢様』の彼女に勝ってるってことでしょうっ!」
「マ、マリー様……」
その瞬間、瑠衣の心に不思議な事が起きた。
それまで、自分のせいでマリーを傷つけてしまう。彼女をこの勝負で負けさせてしまう。そう思って、自暴自棄になっていた。自分のことが、憎いほどに嫌いになっていた。はずなのに。
マリーの言葉を聞いて、そんな気持ちが和らいでしまった。自分にも誇れることがあるかもしれない、と思えるようになった。こんな自分がマリーのメイドでいても、いいのかもしれない。そう思ってしまっていた。
「ニャ……ニャーにを言ってるニャン⁉ そ、そんニャわけ、ねーニャン!」
明らかに動揺している様子のレイニャ。それも、さっきのマリーの言葉が真実であることを証明している。
「で、でも、今のこの状況じゃあ……」
一瞬自信が蘇った気がした瑠衣だが、その気持ちはすぐに胸の奥に引っ込む。
現時点で、マリーに殴りかかっている自分をどうすることも出来ない以上、自分がどんな自信を持てたところで無意味だ。このままでは、自分がマリーを傷つけてしまうことからは、逃げられないのだ。
しかし、
「だから……さっきから言ってるでしょう、瑠衣? 私たちはもう、ほとんど勝っているようなものだ、って」
マリーの方は、自信満々の様子でそんなことを言っている。
「そ、そんな、どうすればいいんですかっ⁉ こんな状況で、私たちが勝つなんて、どう考えたって無理じゃないですかっ!」
「そ、そうだニャ! 今のおめーらの状況考えろニャ! くだらねーことをゴニャゴニャ言ったところで、どうせ負けるんニャから、意味ねーニャ!」
「あら、そうかしら? 私はそうは思わないわね…………っ⁉」
瑠衣がまた、自動的にパンチを繰り出す。マリーは、それをまたギリギリのところで避ける。
もはや、いつその攻撃がヒットしてもおかしくないような状況だ。しかし、それでも、
「私たちは勝てる。というか、すでに勝っている。精神論とか気休めではなく、現実的で妥当な予想として、すでに私たちの勝利は確定したようなものなのよ。瑠衣……貴女、私の言うことがまだ信じられないの?」
マリーはまだ、そんなことを言っている。その瞳は、冗談を言っているようには思えない。どう見ても本気だ。
「じゃ、じゃあ……」
瑠衣は、だんだん彼女のことを信じ始めていた。
いや、彼女は最初から、マリーのことを疑ってなんていなかった。むしろ疑っていたのは、自分自身だ。何も出来ない自分では、勝つことなんて出来ない。この状況を打破することなんて出来ない。そう思って、自分で自分を諦めてしまっていた。
しかし、目の前で自信満々で勝利を語るマリーを見ていたら、そんな気持ちはどんどん小さくなっていってしまった。
マリーは『傲慢』に自分自身を信じ抜き、自分の勝利を疑っていない。そればかりか……そんな自分のメイドである瑠衣のことさえも、瑠衣自身よりも信じてくれている。
自分たちなら、絶対勝てる。瑠衣なら、きっと期待に応えることが出来る。そう思ってくれている。そんな彼女を前に、メイドである瑠衣が自分自身を信じないことが、失礼だと思えた。
「そ、それで、どうすれば、いいんですか……? 私たちはどうすれば、この状況から抜け出して……レイニャちゃんに勝てるんですか⁉」
自分で自分を信じるための最後のひと押しを求めて、瑠衣はマリーに尋ねる。それと同時に、『命令』によって操られたパンチも放たれる。
「ふっ……」
マリーは、それも最小限の動きでかわして、いつもの高圧的な口調で、こう言った。
「さあね。そんなの、私に分かるわけないじゃない」
「そ、そ、そ……そんなぁーっ⁉」
突き放すようなマリーの言葉に、瑠衣は悲痛の叫びを上げる。
「も、もぉーうっ! 期待させるようなこと言って、マリー様のバカぁーっ!」
散々持ち上げておいて、最後にはそこから突き落とすようなマリーの言葉。瑠衣はまた、自暴自棄になったかのように叫んでしまった。
しかし、実はそれは演技だった。
(え? 今……マリー様、何て言った? 「私に分かるわけない」って言ったの? あの、『傲慢お嬢様』のマリー様が? いつも偉そうで、高圧的で、自己中心的で……本当に自分が何もわかってないときでも、絶対にそんなこと言わなそうな彼女が? さっき展示室に閉じこもっていたときだって、「メイドの貴女が考えることでしょう?」とか言って、レイニャちゃんを倒す方法を思いついていなかったことを認めようとしなかった彼女が……「分かるわけない」って言ったの? ……そんなの、おかしい。おかしすぎる。ありえない。それってつまり……今のマリー様は、本当に勝てるって思っているんだ。『勝つ方法』を、思いついてるんだ)
そこで、
「ニャー、ニャッニャッニャッ! やっぱ、勝てるなんて嘘だったんだニャーンッ⁉ 負け惜しみ言ってただけだニャーン! だっせーニャー!」
少し離れたところから、レイニャが得意げな高笑いをするのが聞こえてくる。
(そ、そうか……。対戦相手のレイニャちゃんに会話を聞かれている今の状況じゃあ、『それ』を言う事ができないんだ。『それ』を言葉にして言わなくたって、私ならきっとわかってくれるって……マリー様は、私を信じてくれているんだ。だから彼女はさっき、「私に分かるわけない」なんて言ったんだ。じゃあ、その方法って……)
そのとき。
瑠衣の足元に、コロコロコロ……と、小さなコンクリート片が転がってきた。それは、彼女のパンチが削り取った建物の破片だろう。さっきからずっとマリーを攻撃しようとして瑠衣はパンチを続けていたので、今の展示室はボロボロで、床にはそんなカケラがすでにたくさん落ちている。
それから瑠衣は、ゆっくりと瞳を動かした。そのコンクリート片自体ではなく、それが落ちてきた方向に、視線を向けたのだ。そして……何かに気づいて小さくほほえみを浮かべ、こう呟いた。
「あ、そっか……ほんとだ。私たちもう、勝ってるじゃん」




