08
ドォォォーンッ!
ものすごい音を立てて、扉が破られる。
さっきマリーと立てこもったときよりも遥かに大きな衝撃。しかも、そこにかかる時間も相当早い。
「んニャあー。ニャんか、コツ掴んできたニャン! 無駄なあがき、ご苦労さまだニャあ!」
部屋に入って、瑠衣の姿を見つけるレイニャ。ジリジリとにじり寄ってくる。だが瑠衣も、かろうじて『準備』を終えていたようだった。
「む、無駄かどうかは……やってみなくちゃ分かんないよ!」
真剣な表情で、向かい合う二人。
そこに、少し遅れてマリーと日枝奈もやってくる。
「瑠衣!」
「ぱんつ……あ、間違えた……レ、レイニャちゃん!」
「マリー様……」
瑠衣が、チラリとマリーの方へ視線を向けた。
「そこで、見ていてください。これが、さっき私が思いついたこと……。私の……貴女のメイドの、本気の実力です!」
「瑠衣、貴女……」
一瞬彼女に微笑みを向けてから、対戦相手のほうに向き直る。
そして瑠衣は、準備した計画を開始した。
「え、えい!」
瑠衣は懐から出した小さなものを、レイニャに向かって投げる。
それは、物理実験で物体の弾性比較などでよく使うような、『ゴムボール』だ。
「え?」
「はニャ?」
敵側のレイニャと日枝奈が、キョトンとしている。
「ボールって……。それ、さっき私が言ったこと、そのままじゃないの……」
マリーも、呆れて唖然としている。
しかし、瑠衣は真面目そのものだ。
「つ、次!」
彼女は更に同じようなボールをもう一個取り出して、それも投げる。
「まだまだ!」
更に別の一個。更に一個、二個……ゴムボールだけではなく、テニスボールや弾性の高いスーパーボール、同じくらいのサイズの鉄球まで。
その物理実験室にはボールを使う装置がたくさんあり、当然ボールの在庫も豊富だった。だからこそ瑠衣は、この部屋にやってきたのだ。
「んニャ? こんニャもんが、ニャんだっていうんニャ?」
瑠衣が投げるボールを、これまでと同じようにかわし続けるレイニャ。瑠衣は、部屋中からかき集めておいたボールを両手で投げている。『極上の使用人』で強化された右手のスピードボールと、コントロールぶれぶれの左手のスローボールが交互に投げられることになり、それが意図せずフェイントのような役割を果たしていたが……それでも、運動神経に長けたレイニャには、なんでもないことだった。
「ニャ……ニャニャ……ニャニャニャ」
彼女は、ボールが投げられるのを目視で確認してから、それを軽々とかわす。そればかりか、そのボールが向かう先を目で追いかけるくらいに余裕があるようだった。
……いや、違う。
「……ニャニャニャニャ……? ニャニャニャニャニャニャ……⁉」
彼女は、余裕があるからボールを目で追っているのではない。
本能的に、意識せずにボールを追ってしまっているのだ。
ジャングル育ちで数多の危険な猛獣たちと渡り合ってきた、という『設定』のレイニャ。そんな彼女は、常日頃から自分の周囲の動くものに対して敏感だった。だから、それがボールとはわかっていても、自分の近くを動くものがあれば自動的に目で追ってしまうようになっていたのだ。
「ニャニャ……ニャニャニャニャニャニャ……ニャニャニャニャ……」
前方からは、瑠衣がどんどんボールを追加で投げていく。そうやって、彼女が投げたボールは決してレイニャには当たらないが……展示室内の壁にぶつかり、反射して別の方向へと飛んでいく。そうやって、今や無数のボールが縦横無尽に部屋の中を飛び回っている。弾性の異なる複数のボールが作り出すその軌道は、誰にも――投げている瑠衣自身にも――分からない。そのうちの何個かは跳ね返って瑠衣のもとまで戻ってきて、彼女に当たったりもしている。しかし、返ってくるものはたいていゴムボールかスーパーボールなので、当たったところで大したことはない。瑠衣はほとんどノーダメージで、自分に当たったボールを拾って更に相手に投げつける。
だったら、レイニャも同じようにボールなんて気にせずに瑠衣に襲いかかれば、それであっさり勝負は決まってしまうはずなのだが……。向かってくる危険を避けることが身についてしまっている彼女は、そんな行動を選ぶ事ができない。弱肉強食のジャングルでは、一撃でも相手から攻撃を喰らえば、そのダメージが弱みとなって取り返しのつかない致命傷につながってしまう。
だから、どんどん追加されていく部屋を飛び回るボールを、レイニャは優れた動体視力で追ってしまっていたのだ。
「ニャ……ニャ……ニャ」
あまりに多い数の動体を追いかけるうちに、次第に動きに精細を欠いていくレイニャ。あともう少しこれを続ければ、彼女はきっと目を回してしまうだろう。
「瑠衣……貴女、最初からこれを狙ってたの? 彼女の目を回してしまって、スキを作るっていう作戦を……」
物陰に隠れて、そんな彼女たちの様子を見ていたマリーは、感心するようにそんなことを呟いた。
しかし、
「い、いい加減にしろニャッ!」
流石に、これ以上追加されては目で追いきれないと思ったのか、レイニャも行動を改めたようだ。彼女は目の前に飛んでくるボールたちを、避けずにキャッチし始める。避けるだけの運動能力があれば、当然それも容易だ。一個、二個、三個と……。次々と周囲のボールをキャッチしては、レイニャはそれを床に置いていく。あっという間に、部屋の中を飛び回るボールの数は少なくなっていき、目が回りかけていたレイニャも回復し、その動きも元通りになっていく。
「そ、そんな……!」
焦った様子の瑠衣。しかし、彼女には今さら作戦を変えることはできず、用意しておいたボールをひたすら投げ続けるしかない。
そして彼女が、手元にあった最後のボールをレイニャに投げつけると、
「だ、だから、こんニャの意味ねーって……」
彼女はそれも、さっきと同じようにあっさりとキャッチしてしまおうとする……のだが。
「……なんてね。ごめんね。私、実はずっとそれを待ってたんだ。レイニャちゃんがしびれを切らして、ボールを避けずに受け止める、そのときを……」
「ニャッ⁉」
そのときレイニャがキャッチしたボールは、これまでのようなただのボールではなかった。
そのボールはレイニャの手に触れた瞬間に弾け、中から蛍光色の塗料が飛び散った。それは、この博物館の一階ミュージアムショップに置いてあった、防犯用のカラーボールだったのだ。
瑠衣が思いついた作戦は、さまざまなボールを投げてレイニャの目を回すこと、ではなかった。彼女の本当の狙いは、ただのボールで撹乱させ、油断させたレイニャに、なんとかこの防犯カラーボールを当てること、だったのだ。だから瑠衣は一階に降りたあとレイニャが追いつく前に、真っ先に近くにあったミュージアムショップに寄って、それを手に入れていたのだった。
ボールから出てきた塗料は、レイニャめがけて飛んでいく。
ジャングルには存在しないだろうその攻撃を予想できなかったレイニャは、大きくたじろぐ。かろうじて、持ち前の反射神経で直撃を避けることには成功するが……。
しかし、その行動はこれまでの彼女ではありえないほどのスキを生んでしまった。そして、最初からずっとそれだけを狙っていた瑠衣が、それを見逃すはずもなかった。
「うああぁぁぁーっ!」
防犯カラーボールを投げると同時に、すでにレイニャに向かって攻撃モーションをとっていた瑠衣。塗料を避けるために顔を別の方向に向けているレイニャには、今の彼女の姿は完全に死角になっている。
「レ、レイニャちゃん⁉」
これまでずっと、ふざけて意味不明なことを言っていたメイドの日枝奈が、本気で心配してしまうくらいに。
「ふふ……やるじゃない。さすが、私のメイドね」
マリーが、いつものような上から目線でそんなことをつぶやいて、勝ち誇ってしまうくらいに。
誰の目にも、その瞬間にこの戦いの勝敗は確定したと思えた。そのくらいに、そのときの瑠衣の作戦は、きれいに決まったのだ。あまりにも、きれいすぎるくらいに。
「うああああーっ!」
強化された右手で、相手に殴りかかっていた瑠衣。彼女はそこで、一瞬奇妙なものを見た。
「……ニャヒ」
(……え?)
隙だらけで、もはや自分の攻撃を避けられそうにないはずのレイニャが、そのとき、うっすらと笑ったように見えたのだ。
それと同時に彼女は、もう一つ別のことを奇妙に思う。
(あ、あれ……? そういえば私たち、レイニャちゃんの淑女能力って、教えてもらってったっけ……? だ、だって……彼女には確かに人間離れした運動能力があるわけだけど……それって、淑女能力とは違うよね……? カエルや蜘蛛のおもちゃを作れちゃうセーラちゃんとか、『箱』に閉じ込めることができるカチューシャちゃんみたいに……彼女にも、そのくらいに特別な能力が、あるはずなんだよね……?)
そんなことを考えながらも、瑠衣の勢いは止まらない。そして、ついに彼女の放ったパンチが、隙だらけのレイニャにヒットする……その、直前で。
レイニャが、こんなことを呟いたのだった。
「『お前のご主人さまを攻撃しろ』……ニャ」




