07
マリーの思わぬ姿が見えて、展示室の中に和やかな雰囲気が流れた、そのとき……。
バアァァーンッ!
「ぅわっ⁉」
ものすごい破壊音が響いて、部屋の入り口が吹き飛ぶ。
そして、モクモクと細かい粉塵を巻き散らし、煙幕のようになっている扉付近から、
「ンニャー……やぁーっと開いたニャン!」
そんな声とともに、『天然お嬢様』のレイニャが現れたのだった。
「おめーら、このレイニャ様をここまでてこずらせるニャんて、なかなかやるニャン! 褒めてやるニャン!」
扉や、その前に置いていた障害物を乗り越えてくるレイニャ。その後ろからは当然、彼女のメイドの山寺日枝奈もついてきている。
「は、はうぅぅぅ……。体当たりを繰り返すことで、ただでさえボロボロだったレイニャちゃんの服が、更にボロボロになって……。動くたびに広がるその切れ目や隙間から、おぱんつが……み、み、見えなかったぁーっ! もおうっ、レイニャちゃんったら、どんだけ鉄壁の守りなの⁉ このぉ、歩く謎の光! 邪魔な湯気! はっ⁉ と、ということはまさか……円盤になったら全部解禁⁉ ま、また鼻血が……」
これまでずっと壁に体当たりを続けていたレイニャ。その一回一回は、確かに展示室の金属扉を破壊できるほどではなかった。そのため、瑠衣もマリーもとりあえず安心していたところはあった。
しかし、彼女たちが話し合っている間に何十回、何百回と体当たりをしていくうちにダメージが蓄積され、ついには扉を突破してしまったのだ。
「う、うそ……でしょ……?」
「ゴリラやゾウの力はないかもしれないけれど……子ゴリラや子ゾウくらいの力なら持っている、って感じかしらね。……やれやれだわ」
その凄まじさに、瑠衣は驚きすぎて唖然とし、マリーはただただ呆れた表情だった。
「さてと。それニャ……そろそろ、本気で仕留めさせてもらうかニャー?」
当然のように日枝奈を無視して、ギロリと鋭い視線を瑠衣たちに向けるレイニャ。それは、追い詰めた手負いの獲物の息の根を止めようとしている、野生の狩人の瞳だ。ただ、今の瑠衣たちは逃げ場のない展示室にいるので、ある意味それは当然の態度でもあった。
マリーを守るように、瑠衣が一歩前に出て叫ぶ。
「こ、ここは私に任せて! マリー様は、どこかに隠れてくださいっ!」
「あ、貴女ね……そんなこと言って……」
彼女らしくもなく、勇気のある行動をとった自分のメイドの肩に、マリーがたしなめるように手をかける。しかし、瑠衣は主の方を振り向かずに、横顔に薄っすらと微笑みを浮かべながら、こう言うのだった。
「大丈夫です……。私だって、いつまでもマリー様に頼ってばかりじゃいられないですから。それに……実は私、さっきマリー様の話を聞いて、一つひらめいた事があるんです」
「瑠衣……」
自分のメイドが見せるそんな姿に、マリーは少し驚く。しかし、それからすぐにその表情を、自信に満ちたものに変える。
「指輪に気をつけなさいっ! 取られたら終わりだからねっ!」
「はいっ!」
そして、瑠衣に従ったマリーがその場から離れ、部屋に入ってきたレイニャと覚悟を決めた瑠衣が相対する形になり……。二人の本気の戦いが、また再開された。
「レ、レ、レイニャちゃんっ! あなたの勇姿は、メイドの私がお小遣いを全振りして買っておいた、この8K高画質アクションカメラでバッチリ撮影して、責任を持って円盤化するからねっ⁉ 湯気も謎の光もない、無修正総天然色(肌色多め)の完全限定生産版だからねっ⁉ 初回特典は……リバーシブルB2ポスターだからねぇーっ⁉」
カメラを構え、目を血走らせてわけのわからないことを言っている日枝奈のことは……もう、誰も気にしていないようだった。
「うわぁぁーっ!」
すぐ近くにあった、角の鋭いトナカイの剥製を投げ飛ばす瑠衣。しかし当然、レイニャはそれをあっさりかわしてしまう。
それ自体は想定内だったらしく、瑠衣はすぐに次の行動に移る。展示室を移動しながら、ショーケースの中に展示されている動物の頭蓋骨、リスやネズミなどの小動物の剥製、ダチョウの卵、地球儀……。近くにあったものを手当たりしだいにレイニャに向かって投げつけていった。
そこにあったのはどれも価値のある展示物で、本来はそう気安く投げたり破壊していいようなものではなかったのだが……。淑女とメイドの戦いが始まった時点で、すでに彼女たちがいるのは本物の世界ではない。当然、そこにあった展示物も戦いが終わればすべてが元通りになる。そのことを、これまでの戦いの経験で分かっていたからこそ瑠衣は、周囲の物を存分に使用した戦いをすることが出来ていたのだった。
しかし。
「んにゃーあ。そんニャの、レイニャに効くわけねーニャー」
瑠衣がどれだけ何かを投げようとも、野生動物並みの反射神経と運動能力を持っているレイニャには、そのうちの一つも当たらないのだった。
「く、くっそぉーっ!」
もう、室内のほとんどの展示物を投げてしまって、いよいよ武器になりそうなものがなくなってしまった瑠衣。ヤケクソのように、強化された右手でレイニャに殴りかかる。
「あーあ……それこそ、一番無駄な攻撃だニャン」
強化されているとはいえ、格闘素人の瑠衣の腰が引けたパンチにはなんの恐怖もないようだ。レイニャはまたこれまでのように軽く体を斜めにしただけで、それをかわす。そして、パンチが空振りして隙だらけの瑠衣のボディに、猫が後ろ足を伸ばしてストレッチでもするかのようにキックを入れた。
「ぐぼぉ……」
避けることも出来ず、強烈なキックをモロに受けて吹き飛ばされる瑠衣。ちょうどその方向は、さっきまで封鎖していた部屋の出入り口だ。ぶつかる壁もないまま、彼女は部屋の外まで出されてしまった。
更に運が悪いことには……その部屋の前は、一階まで続く吹き抜け構造になっている。レイニャのキックの勢いがあまりにも強力すぎたのか、瑠衣はその吹き抜けの周囲に張り巡らされている落下防止用の柵の向こう側まで、飛ばされてしまった。
「くっ……」
なんとか、落ちるギリギリのところで意識を取り戻し、片手で落下防止柵の手すりを掴んでいる瑠衣。そこから、懸垂のように体を持ち上げて、柵の内側まで戻ろうとするが……。
「ニャ、ニャ、ニャ……」
展示部屋から、ゆっくりとこちらにやってくるレイニャの姿が見えたので、それはできなくなってしまった。
「そこまで強くやったつもりニャかったのに……おまえ、ちょっと蹴っただけで、面白いくらいに飛んでくニャン? できれば、あと十回くらい蹴らせてほしいくらいニャン」
「う、うう……」
全体重を、左手一本で支えている瑠衣。当然、筋力もほとんどない彼女の貧弱な腕では、いつまでもそんな状態が続くわけがない。博物館の天井は、普通の建物の二倍くらいはある。もしも瑠衣が力尽きて、手を離してしまったら……三階の吹き抜けから一階に落ちるだけだとしても、相当のダメージになるはずだ。打ち所が悪ければ、その時点で完全に戦闘不能になってしまうことだってあるだろう。
だから瑠衣は、なんとしてもこの状況を打開しなくてはいけなかったはずなのだ。だが……。
「でも、ライオンはザコを狩るときにも全力を尽くして、崖から落として這い上がってきた獲物だけを食べるとか言うらしいし。レイニャも手加減しねーニャ! このまま決着つけさせてもらうニャッ! ……んニャ? ニャンか、違ってたかもしれないニャけど……まあいいニャ!」
「……く」
ようやくレイニャが、本来の意味の通りの『天然お嬢様』っぽさを見せてくれたというのに、それに対してリアクションもとれないくらいに、完全に限界を迎えていた瑠衣。
やがて……、
「喰らえニャッ!」
そんな声とともに、レイニャが手すりに掴まる瑠衣の手に、全力の猫パンチを繰り出してきた。
しかし結局、瑠衣の力もそこで尽きてしまったらしい。レイニャの猫パンチが到達する前に、彼女の左手は手すりを離してしまう。
「も、もう、だめ……」
一階に向かって、瑠衣の体が自由落下していく。
「ニャはっ! 勝手に落ちたニャ! 潰れるヒキガエルかニャ⁉」
レイニャはパンチを中断し、手すりに駆け寄って下を見る。
「る、瑠衣っ⁉」
展示部屋の中に隠れていたマリーもたまらず駆け出してきて、手すりから身を乗り出して下を見る。
「ニャ⁉ ニャニャニャ⁉」
「る、瑠衣……貴女……」
すると、そこに見えたのは……。
「い、痛たたた……。あ、あれー……? 予想だと、もうちょっとスマートに降りれるはずだったんだけどな……。ま、まあとりあえず、『レイニャちゃんを残して自分だけ一階に降りる』っていう目的は果たせたから、別にいいんだけど……」
瑠衣たちがこの博物館にやってきたとき、子どもたちが群がっていた恐竜――いわゆる、ブラキオサウルスという種類だ――の模型。その、大迫力で長い首と大きな背中が特徴的な模型のすぐ隣に、瑠衣がいた。三階から落ちたはずの彼女は全くの無傷で、高いところから落ちたヒキガエルのように潰れていたりなんかしない。せいぜい、背中を少しさすっている程度だ。
その代わり……。さっきまではちゃんと三階付近まで伸びていたブラキオサウルスの長い首は、今は無惨に曲がってしまっていた。
もしも瑠衣が、一階までそのまま普通に落ちていたなら、そのときの衝撃はかなりのものだったはずだ。今のように「痛たた」どころでは済まなかっただろう。だが、実は瑠衣は三階からそのまま飛び降りたわけではなかった。彼女はさっき吹き抜けの手すりから手を離したあと、壁を蹴って、恐竜の模型に向かってジャンプしていた。そして、その恐竜の長い首を掴み、アスレチックのようにその首を伝っていたのだった。
「レ、レイニャちゃん!」
一階から吹き抜けを通して、三階のレイニャを見上げる瑠衣。
「わ、私、実はさっき……レイニャちゃんを倒す方法を、思いついちゃったの!」
「んニャ⁉」
「こんな、何も出来ない私でも……。運動能力じゃあレイニャちゃんの相手にならない私でも……レイニャちゃんに勝てる方法を、さっきマリー様と話してて、思いついちゃったのっ! だ、だから……」
「ニャ、ニャんだとー?」
挑発的な言葉に、睨みをきかせるレイニャ。しかし、瑠衣は怯みながらも、言葉を続ける。
「だ、だから……これから、それに必要な『物』を取りに行っちゃうからねっ⁉ 『それ』を取られたら、もうレイニャちゃんたちの負けだからねっ⁉ だ、だから、負けたくなかったら、早く私を捕まえたほうがいいよっ!」
そしてそれだけ言うと、レイニャに背中を向けて、走り去ってしまった。
「ニャニャニャ⁉ ま、待つニャンッ!」
慌てて、瑠衣を追いかけるために自分も柵を飛び越えて一階まで飛び降りようとするレイニャ。しかし、既にブラキオサウルスの首は折れ曲がっている今の状況では、瑠衣のようにそれを伝って滑り降りることは出来ない。かといって何も考えずに飛び降りれば、着地のときに脚にかかる衝撃はかなりのものだろう。
野生の勘でその危険性を一瞬のうちに判断した彼女は飛び降りるのを諦め、チーターのようなものすごいスピードで、建物北側の階段へと向かった。
そのわずかなタイムロスが、瑠衣に味方したらしい。レイニャが階段を駆け下りて一階に到着するころには、瑠衣は一階の展示室の一つに逃げ込んでいて、先程と同じように内側から金属の扉を締めたところだった。
「うニャーっ!」
悔しそうな声を上げながら、先程と同じようにその扉に体当たりを始めるレイニャ。さっきも結局最後には、彼女はその金属の扉を破ってしまったわけなので、今回もそこが突破されるのは時間の問題だろう。
それを充分にわかっていた瑠衣は、扉から聞こえる衝撃音に怯えながら、急いでその展示室を走り回る。そして、目当ての『物』を探した。彼女がさっき思いついたという、「勝てる方法」に必要な『物』を。
その部屋は、さっきまで瑠衣とマリーが見ていたのとは、また別の種類の展示室だ。自然科学博物館の、もう一つの側面。物理現象や科学実験などを子供向けに分かりやすく理解できる装置として展示した、科学体験ルームだった。




