06
「確かあれは……何かの科学実験の話だったと思うわ。人間と猫を同じ部屋に配置して、その一人と一匹のちょうど中間に、小さなゴムボールを転がすの。それで、そのボールに対する人間と動物の反応の速さとか動体視力なんかを比較するという実験なのだけど……その過程で、本来の目的とは別のところで少し興味深いことが分かったのよね」
マリーが落ち着いた様子で語る。
「興味深いこと、ですか?」
「ええ。本来の目的に沿ったその実験の結果としては……まあ、最初から予想出来る通り、優れた反射神経を持った猫の方がボールに早く気づいて、そのボールを追いかける速度も速かった。何回実験を繰り返しても、人間は猫の動物的な身体能力には勝てない、という結果だったわ。……でも、実はその実験中に、人間と猫で明らかに異なる行動をしていたことが分かったの。猫が、転がってくるボールに素早く反応してそれを素早く追いかけていくだけなのに対して……人間は眼の前にボールが転がってくると、それが転がっていくのとは逆の方向、『そのボールが転がってきた方向を見る』ということが分かったのよ」
「転がってきた方向、ということは……『そのボールを転がした人を探した』、ってことでしょうか?」
「ええ。もっと正確に言うなら、『そのボールが転がってきた原因を調べようとした』ってことでしょうね。つまり人間は、反射神経や運動能力は猫には敵わなかったけれど、目の前の現象が発生するにいたった原因を考える知性を持っていた……そういう話だったわけね」
「それが、動物にはない人間の知性……? 私たちが、ジャングルの王者のレイニャちゃんに勝っている分野、っていう……?」
「ええ、そうね。ある出来事の原因を考えられるということは、それが起きた理由……つまり、『過去』に思いを巡らせる事ができるということ。そして、それと同じ原因があれば、また同じような出来事が次も起きるんじゃないか? という、『未来』を想像できるということよ。それは、どれだけ超スピードの反射神経でも敵わない、私たちが野生動物よりも優れている得意分野と言えるんじゃないかしら?」
いつもどおりの得意げな表情で、マリーは話をそう締めくくった。
(た、確かに……。これから起きる未来の出来事を想像することができれば、人間離れした反射神経のレイニャちゃんよりも、さらに先手を取ることが出来るかもしれない……。こんなどんくさい私でも、彼女が避けられないような攻撃をすることだって、出来るのかもしれない)
マリーの言葉を聞いて、絶望に沈んでいた瑠衣の表情に、光がさしてくる。
(す、すごい……。やっぱり、マリー様はすごい……。これなら、勝てるかもしれない…………いや、きっと勝てる!)
そして、期待と希望に満ちた表情で、彼女はマリーに尋ねた。
「そ、それで結局、具体的に私は、何をすればいいんですかっ⁉」
「……」
しかし、やはりマリーはさっきのように、何も答えなくなる。
「……」
「え? あ、あれ……?」
無表情になって、瑠衣の顔を見つめている。
「……」
「あ、あの……マリー様……?」
やがて、
「そう言えば……かつてアメリカに、人間と手話で会話できたゴリラがいたらしいわよ?」
そんなことを言ってきて……。
「は……?」
「その子は、人間と同じように猫をペットとして飼ったり、その猫が死んだときには悲しむ仕草もみせたんですって」
「ゴリラ……? そ、それって、これから私がしなくちゃいけないことに、関係あります……?」
「それから、ゾウの長い鼻って、中は全部筋肉らしいわね?」
「え、えっと……マリー様……?」
「シロサイとクロサイって、結局どっちも体の色は灰色で……」
「あ、あのー?」
「電子レンジって、スイッチを入れるたびに時計回りと反時計回りが逆転して……」
「もうそれ……動物とか関係なく、ただの雑学ですよね? あ、あれ? 適当に喋ってます? そ、そうじゃなくて……私が聞いてるのは、レイニャちゃんに勝つために私たちが今すべきことですよ⁉」
「……そうね」
それからマリーは、ゆっくりと、いたって落ち着いた様子で彼女は言う。
「それは、」
「そ、それは……?」
「それは……」
「そ、そ、そ、それは⁉」
そして彼女はようやく、結論を言った。
「それは、メイドの貴女が考えることでしょう? いちいち、私に聞かないでもらえるかしら?」
「え……?」
「もちろん、知的で聡明で優秀な私だから、あの子を倒す具体的な方法なんて、とっくに思いついているわよ? でもね、それを教えてしまったら貴女のためにならないと思うのよ。たまには私に頼らないで、貴女一人で考えてやってみたらどうなの?」
「マ、マリー様……? えっとー……も、もしかして……?」
「だいたい瑠衣、貴女っていつもそうよね? 分からないことがあったら、なんでもかんでもすぐにこの私に聞いて、自分で考えるってことをしないじゃない? そんなだから、教養を感じない顔、なんて言われちゃうのよ? 本当にこの私のメイドなら、それにふさわしいだけの知性を見せて、あんな相手くらい一人で倒して……」
「も、もしかして……思いついてないんです、か? マリー様でも、あのレイニャちゃんを倒す具体的な方法は……まだ分からない、っていう……」
「そ、そんなわけが……!」
すかさず反論しようとするが、そこで言葉につまらせるマリー。
「ない……でしょうが……。こ、この、私が……相手に勝つ方法くらい……簡単に……」
ブツブツと何かを呟いているが、その声の小ささが自信のなさの表しているようだ。
そんな自分の主に、「あははは……」と瑠衣は少し呆れながらも……ちょっと可愛いと思ってしまった。ただの「すごい!」というだけではない、自分との身近さを感じた。
そして、結局さっきから状況は何も変わっていないはずなのに……瑠衣は、少し安心してしまうのだった。
(完全無欠だと思えば、ちょっと抜けてるところもあったりして……。私、マリー様が自分のお嬢様で、本当に良かった。こんなお嬢様が私のそばにいてくれるなら……。私のことを、メイドとして認めてくれるなら……。私でも、役に立てるかも……)
そんなことを思ってしまうのだった。




