05
博物館三階、展示室の中。
締め切った扉の向こうからは、『天然お嬢様』のレイニャが体当たりでもしているのか、激しい衝突音がしてくる。その様子はまるで、B級アクション映画で倉庫やシェルターに隠れている主人公たちに、モンスターが迫ってくるシーンのようだ。だが、博物館の丈夫な金属扉は今の所はそう簡単に破壊されそうになかった。
「ジャングルの王者と言っても、ゴリラやゾウのように怪力というわけではなさそうね。彼女の人間離れした身体能力は、あくまでも『人間にとっての規格外』というだけ。扉を破壊できるほどの力は持っていないらしいわ」
ドンッ、ドンッという衝突音を聞きながら、そんなことをつぶやくマリー。その様子からは、恐怖心や焦りは感じない。
全力で走った直後で、ぜえ、はあ、と息を荒くしていた瑠衣だったが、そんな主の様子を見ているうちに、自分の気持も落ち着いていくのが分かった。
「そ、それにしても……やっぱりマリー様って、すごいですねっ⁉ だ、だって、あんなに強い対戦相手のお嬢様……確か、レイニャちゃん、でしたっけ? を、消火器であっさり撃退しちゃうんですもん! 私の攻撃なんて一回も当たんなくて、めちゃくちゃナメられてて……このままだとあっさり負け確定だー、どうしようー、とか思っちゃってたのに! いやー、マリー様さすがですっ! 本当に、すごいですっ!」
「ええ、そうなの。私ってすごいのよ。言わなかったかしら?」
「そ、そういえば、これまでの『悪役お嬢様』のセーラちゃんのときとか『箱入りお嬢様』のカチューシャちゃんとの戦いでも、私なんかじゃ全然思いつかないようなマリー様の作戦で、勝ってこれたんですもんね⁉ あー、さっきまでちょっと心配しちゃってた私がバカみたいです! この調子なら、今回も大丈夫そうですね⁉」
瑠衣のその言葉は、本心だった。
今までの戦いは、マリーのおかげで勝つことが出来ていた。彼女が、「実は、ずっと違和感があったのよね」なんて言いながら相手の弱点や突破口を見つけて、自分たちを勝利に導いてくれてきた。だから今回も、彼女がいるならきっと自分たちは勝利することが出来る。そう思えたのだ。
「このまま……」
「ええ、そうですね! このままの調子でいければ、今回も私たちの勝ちで……」
しかし、
「このままだと……私たち、確実に負けるわね」
「……え?」
マリーは真剣な表情で、瑠衣にそう言ったのだった。
「ど、どうして……?」
どうして、そんな変な冗談を言うんですか? と、尋ねようとしていた瑠衣。しかし、今のマリーの真剣な目は、とても冗談なんて言っているとは思えない。だからその言葉の続きを言うことは出来ず、誤魔化すように別のことを言った。
「あ、あれですよね? どうせそんなこと言いながら今回だって、もう、何か弱点とかに気づいちゃったりしてるんでしょう⁉ ほ、ほら……『違和感がある』、とか言って……⁉」
マリーは小さく首を振る。
「あのふざけた性格はともかくとして、対戦相手の彼女の身体能力は、本物よ。少なくとも現時点では、弱点なんて一つも思いつかないわ。まあ……少なくとも純粋な力だけなら、私の淑女能力で強化している今の貴女のほうが上でしょうけれど……。私たちがあの子に勝っているのは、本当にそれだけ。それ以外の、俊敏性や反射神経、とっさの判断力なんかは、比較するのも哀れになるくらいに桁違いだわ。このまま無策に戦い続けても、またさっきみたいに、あっさり指輪を取られてしまうのがオチよ」
「で、でも……さっき消火器をぶちまけたみたいに、あの子の裏をかくことができれば……。そ、それで、隙を見てあの子の指輪を奪ったりできれば……」
それでもまだマリーの言葉を信じる事が出来ずに、反論のような言葉を言おうとする瑠衣。しかし、マリーはそんな彼女も、あっさりと遮る。
「無理ね。さっき消火器を食らわせる事が出来たのは、私たちがただツイていただけだもの。私たちにとって有利な偶然がいくつも重なって、たまたまあの子をうまく誘導出来ただけ。でも、そんな幸運はそう何度も起こらないし、あの子だってさっきのでかなり警戒してしまったはずだわ。もう一度同じようなことをしようとしても、絶対にうまくいかない。当然、『契約の指輪』なんて一番警戒されているでしょうし、触ることさえ出来ないと思うわ」
「そ、そんな……」
瑠衣の希望を完全に打ち砕くマリー。
さっきレイニャとの力量差を見せつけられたときよりも、絶望に打ちひしがれてしまった。
「ご、ごめんなさい」
絶望にうつむく瑠衣が、突然ぼそっとつぶやく。
「……なんで、貴女が謝るのよ?」
「だって、私にもっと力があれば……こんなことにはなってないのかも、って……。そもそもこれまでの私って、マリー様に助けられてばっかりでしたもんね……。セーラちゃんのときも、カチューシャちゃんのときも、マリー様のひらめきがあったから勝てただけで、私は何も出来てなかったし……。もしも、頼るだけじゃなくてマリー様を助けてあげられるような私だったなら、こんなことには……。マリー様が負けるようなことには、ならなくて良かったかもしれないのに……」
それもまた、瑠衣の本心だった。
今まで、なるべく他人に迷惑をかけないように。辛いことがあっても、なるべく自分一人で背負い込もうとしてきた瑠衣。そんな彼女にしてみれば、今までマリーだけの力で勝ってこれたという事実は、決して喜ばしいものではなかった。心のどこかで、彼女はそんな状況に引け目を感じていたのだろう。
だからこそ、そんなマリーでさえも敵わないと感じている相手に対して、自分は何も出来ないこと。どこまでいっても自分が彼女の「お荷物」でしかないことに、深く絶望してしまっていたのだった。
「バカね……」
そんな瑠衣に、マリーがつぶやく。
「え……?」
それは、言葉の意味よりもずっと優しい口調で、まるで、瑠衣を慰めているかのような響きだった。
しかしすぐに、彼女は言い直す。
「バカを言わないで、って言ったのよ。どうして、もう私たちが負けるってことになっているの? そんなのありえないわよ。むしろ、どんなことがあったとしても、この私が負けるわけないでしょう? 確かにさっき私、能力的には相手に分がある、とは言ったわよ? このままの調子で戦っていたら間違いなく私たちが負ける、ってね。でも……だったら、戦い方を変えればいいだけの話でしょう?」
「そ、それって……?」
顔をあげる瑠衣に、いつもどおりの強気な態度でマリーが言う。
「対戦相手に、ジャングルの猛獣相手に鍛えられた最強の身体能力があるのなら……その、相手の得意な分野に付き合って戦っている限り、私たちの勝算は薄い。そんなことは当たり前でしょう? むしろ、私たちにはジャングルの動物たちになんか負けないくらいの知性があるのだから、それを活かして、逆に相手をこちらの得意分野に付き合わせてあげればいいのよ」
「た、確かに……」大きく頷く瑠衣。「身体能力で絶対に相手に敵わないなら、別のアプローチでいくしかないですもんね。で、でも……知性があるって言っても、一体どうしたら……?」
「それは…………………………」
「……そ、それは?」
そこで、言葉をつまらせるマリー。何かを考えるように、しばらく宙を見上げる。
「…………」
「あ、あれ?」
それから、しばらくして、
「……学校の図書室にあった本に、こんな話があったわね」
と、話を再開した。




