03
瑠衣が、気を取り直して話しかける。
「え、えーっと、レイナちゃん、だっけ? あ、あのね……」
「レイニャだニャン」
「え? レイ……ニャ、ちゃん?」
「だから、レイニャニャ!」
「わ、分かったよ。だからレイニャちゃん、でいいんだよね?」
「レイニャニャ!」
「え? もしかして……レイニャニャ、ちゃん?」
「レイニャニャニャ! レイニャニャニャニャ!」
「いや、どんどん増えてるし!」
「ニャー、ニャッ、ニャッ、ニャッ!」
『天然お嬢様』のレイニャは、そんなふうに瑠衣を自由気ままに翻弄してしまって、まともな会話は成り立ちそうになかった。
更には……。
「は、はうぅぅぅーん! レ、レイニャちゃん、自己紹介よぉく言えましたねぇーっ⁉ え、偉いでしゅねぇーっ! 私が、ヨシヨシしてあげましゅねぇーっ! ……ヨ、ヨシヨシして、スリスリして、ペロペロしてあげましゅよぉーっ!」
そんな奇声をあげたのは、ボロボロドレスの『天然お嬢様』のレイニャの隣にいた、背中がざっくりと開いたメイド服を着た少女だ。とても動きやすそうな超ミニのスカートから網タイツをのぞかせた彼女は、その場で空中に飛び上がると、勢いにまかせてレイニャに抱きつこうとする。
しかし、レイニャは彼女の方をチラリとも見ずに、あっさりとそれをかわしてしまう。
「ふぎゅあっ!」
抱きつこうとした相手に逃げられ、博物館の床に顔から激突して無様な声をあげてしまったメイドを無視して、レイニャは一方的に瑠衣たちに話し続ける。
「おめーら、このレイニャ様に目をつけられちゃったからには、無事で帰れると思うなニャ! 降参しても、もう許してやんねーニャ! ジャングルのオキテは、残酷なんだニャ!」
「は、はうぅぅぅ……。も、もぉう、レイニャちゃんったらぁ……は、恥ずかしがっちゃってぇ……ぐへへへ……」
床から起き上がったメイドは、そう言って気持ちの悪い笑みを浮かべる。顔からは、さっきの衝撃でどこか切ったらしく血がダラダラと流れているが、そんなの気にしていないらしい。
「でも、どれだけ無視されても……そんなの、私にとってはただのプレイなんでしゅよぉ……? それ以上、私にそういうご褒美なんかくれちゃってると……わ、わ、私、勘違いしちゃいましゅよぉぉ……?」
「あ……」
そこで、瑠衣はそのメイドに見覚えがあることに気づいた。
「あ、あなたは、確か……山寺日枝奈さん、だよね? クラスは違うけど私の学校の、同じ二年の……」
(校内でも有名な変人――むしろ変態……)
流石に瑠衣も空気を読んで、最後の言葉は言えなかった。
「そ、そ、そうでしゅ……ぐふゅ」
何故か、すでに相当興奮しているらしい日枝奈。瑠衣たちの方を向いて、血と、汗と、よだれと、それ以外のよくわからない液体まみれの状態で、答える。
「わ、私は、こちらの『天然お嬢様』のレイニャちゃんの使用人にして、彼女のためなら命を捧げる覚悟があるくらいに忠実な下僕……そしてときには、アグレッシブ過ぎる性奴隷なんかも務めちゃったりするかもしれない……レイニャちゃんの唯一無二のパートナーの、山寺ひえ……」
「ちげーニャ。レイニャはこんなやつ知らねーニャ。ただの、気持ちわりーストーカーだニャ」
「は、はうぅぅぅーっ! またそんなことをいっちゃうのぉぉぉーっ⁉ で、でも、どれだけツレないこと言ったって……あ、あの、出会ったときにしてくれた情熱的なキスのことは、私の体に消えない絆としてしっかりと刻まれてて……」
「おめーがこんな気持ちわりーやつだって知ってたら、レイニャは絶対『契約』しなかったニャッ!」
「だ、だからそういうの、ご褒美なんでしゅってばぁーっ!」
レイニャの冷たい言葉にも折れず、むしろそれをプラスにしてしまっている日枝奈。彼女は勢いよく鼻血を吹き出して倒れてしまった。
戦いが始まる前から、すでに周囲は血の海のようになっていた。
「な、なんか……今度の相手は、色んな意味ですごい人たちですね? マリー様……」
もはや呆れ顔の瑠衣が、マリーにささやく。
「……」
「あ、あれ?」
しかし、マリーはなぜか真顔で明後日の方向を向いてしまっていて、何も答えない。
「マ、マリー様? あのー……?」
それでも、瑠衣が根気強く何回か話しかけると、ようやく、仕方なく、と言う感じで彼女は返事を返してくれた
「何? 瑠衣、どうかしたの?」
「い、いや……対戦相手の人たちが、何かすごいキャラだなーって……」
「あら、そうなの?」
「そ、そうなの……って。こんな事言うのアレかもですけど……あの人たち、見るからにヤバそうだと思うんですけど……」
「ふうん」
相変わらず、対戦相手のレイニャたちの方を見ていないマリー。少しも悪びれる様子もなく、瑠衣にこう言った。
「申し訳ないのだけど私、あまりにも自分の美的感覚からかけ離れた生き物って、視界に入っても脳が認識してくれないみたいなのよね。瑠衣の目には今、どんな対戦相手が見えているのか分からないのだけど……私には、『何だかすごいヤバそうな対戦相手』なんて、どこにも見えないわ」
「ちょっ⁉ な、なんですか、それ⁉ そんなこと、今まで一言も言わなかったじゃないですかっ! 絶対ウソですよね⁉」
「そんなこと言われたって、仕方ないわ。あまりにも醜いものを見たせいで、この私の目が腐ってしまったら大変だもの。だから申し訳ないけど、今回のあの野蛮人と変態の相手は、貴女一人でやってもらえるかしら?」
「いやいやいや、完全に見えてますよねっ⁉ 野蛮人と変態とか、見えてる上での感想ですよね⁉」
「だから、見えてないって言ってるでしょ、しつこいわね。というか私、単純にああいうの苦手なのよね。……特に、あの変態メイドの方。イヤらしくて汚らわしい、瑠衣の嫌なところを煮詰めて凝縮させたみたいじゃない?」
「あーもうっ! 完全に見えてるし! っていうか、マリー様にとっての私って、あんな感じなんですかっ⁉ 日枝奈さんには申し訳ないですけど……正直、それって心外過ぎるっていうか……!」
と、そこで。
「ニャッ、ニャッ、ニャッ……おめーら、なにちょーしこいてるんだニャ? 戦いは、とっくに始まってるんだニャン」
口論を始めていた瑠衣とマリーのすぐ近くから、レイニャのそんな言葉が聞こえてきた。
彼女はいつの間にか、二人の足元に潜り込んでいたのだ。
「し、しまっ……」
一瞬早く気づいたマリーが、素早く極上の使用人の能力を使って、瑠衣を強化する。しかし、そんなものが間に合うはずもない。
「ニャー」
レイニャは、しなやかでありながら筋肉質で鉄のように硬い右脚を伸ばして、その場でコマのように回転し、二人同時に足払いをかけた。
「うわぁっ⁉」
「くっ……」
運動音痴な瑠衣は当然として、ドレス姿でも授業のサッカーで活躍できる程度には「動ける」はずのマリーも、なすすべなくその場に転がされてしまう。
「……く、くっそ!」
それでもやられっぱなしでいられなかった瑠衣は、博物館の床に転がりながら、右腕を伸ばして反撃を狙う。だが。
「フニャーア……」
そのときには、既にレイニャはとっくに元の階段付近まで戻っていて、本物の猫がやるような香箱座りをしながら大アクビをしていた。
一見すると、まるで瞬間移動でもしたのではないかというような超高速。しかしそれは、実際には何でもない。ただのレイニャの優れた身体能力によるものにすぎなかった。
彼女は、木々が生い茂るジャングルを飛び回っているうちに鍛えられた、まるで野生動物のような人間離れした瞬発力で、口論で注意力が欠けていた瑠衣たちの懐に潜り込んだ。そして、鮮やかな足払いをかけて、またすぐにその場を離れたのだ。ボクサーがやるようなヒット&アウェイ、あるいは野生動物が対象を確実にしとめるために少しずつ獲物を弱らせようとしているような付かず離れずの戦法……にも思えたが。
「あーあ、つまんねーニャー。あんまりにもあいつらがスキだらけだったから、うっかり取ってきちゃったニャ。おかげで、もう勝負ついちまったニャー」
四つん這いで、地面に転がっている何か小さい物に、猫のようにじゃれついているレイニャ。
その、小さな輝く金属を目をこらしてよく見る。そして、瑠衣は声をあげた。
「……あっ⁉」
それは、指輪だ。『淑女とメイドの契約』で使う指輪だった。
瑠衣は、慌てて自分の右手の薬指を見る。そこには、既に彼女がつけていた指輪はなくなっていた。
「そ、そんな……」
さっき足払いで転がしたときに、レイニャは既に瑠衣の手から指輪を抜き取ってしまっていたのだった。
「う、うそ……? こ、こんな、ことで……もう、終わり……ってこと? 私たち、負けちゃったって……こと、なの……?」
ガックリと、うなだれる瑠衣。
この戦いの勝敗は、「相手が負けを認める」か「相手ペアのどちらかから指輪を奪う」こと。つまり、瑠衣が相手に指輪を取られてしまったら、それでもう勝負は負けなのだ。
あまりにもあっけなく勝敗が決してしまったこと。なにより、自分のせいで主のマリーを負けさせてしまったことに、瑠衣は深く絶望してしまった。
「瑠衣……」
自分を呼ぶ彼女の声が聞こえるが、すぐにはその方向を振り向く事が出来ない。自分のせいで迷惑をかけてしまった彼女に、合わせる顔がない。
「ねえ、瑠衣……」
「……は、はい」
それでも瑠衣は、マリーの方を向く。覚悟を決めて、自分の非を責めるマリーの言葉を受け止めることにしたのだ。だが。
「バカね。もう次はないわよ? 命に代えてでも、しっかり持ってなさい」
そう言って、彼女は瑠衣の手を握る。そして、『契約の指輪』を手渡してきたのだった。
「え? こ、これって……?」
すでに、警戒するようにレイニャのほうを睨みつけていたマリー。そのまま、目線を合わせずに瑠衣に言う。
「さっき取られたのは、この前カチューシャからもらった指輪よ。戦いの勝負を決める指輪っていうのは、私たちが自分たちの『契約』に使った指輪のこと。もともと他人が持っていた指輪を取られても、私たちの負けにはならないわ。どんくさい貴女のことだからこんなこともあるかもしれないと思って、昨日貴女がお風呂に入ったときに、指輪をこっそり交換しておいたの。……でも、今渡したのは正真正銘の本物。それをあの子に取られたら、今度こそ私たちの負けだからね」
「マ、マリー様……!」
「どうやら今回は、ふざけてて勝てるような相手ではなさそうよ。最初から本気で行きなさい、瑠衣!」
「は、はいっ!」
マリーから渡された本物の指輪を、しっかりと右手の薬指にはめる瑠衣。
対するレイニャも、まだ勝負が終わっていない事に気づいて、改めて臨戦態勢を取る。
「ニャヒヒ……。おめーら、少しは楽しませてくれるのかニャン?」
対峙する、お嬢様とメイド。彼女たちの本気の戦いが今、本格的に始まったのだった。
「ぎゅふ、ぎゅふふふふ……。さっき足払いしたとき、レイニャちゃんのぱんつ、見えそうだった……げへへへ……」
若干、一名を除いて。




