01
週末。
瑠衣とマリーが、『箱入りお嬢様』のカチューシャとの戦いに勝利――不戦勝と言ったほうが適切かもしれないが――してから数日後。彼女たちは、学校からバスで三十分程度の場所にある、地域の自然科学博物館に出掛けていた。
そこは瑠衣が住む小さな地方都市には若干不釣合いなほどに立派な建物で、四階建てに地下一階の広い館内に、自然科学系の動植物模型や理工系の実験装置などが展示されている。その地域の小学生にとっては定番の課外授業の訪問先であり、夏休みともなれば、毎年宿題の自由研究のネタを求めた多数の学生たちでごった返す。特に名所らしい名所もないその街にとっては唯一とも言えるような観光名所で、逆に、地元民の瑠衣にしてみればめったに行くことのない場所だった。
「学生一枚と……え、えーっと、淑女が一枚……?」
「は?」
「あ、い、いえ。学生と一般、一枚ずつで……」
「……では、学生の方は学生証のご提示をお願いします」
博物館の受付で、そんなふうに入館チケットを買うのに少し手間取ってしまった瑠衣だったが……。それ以外では、マリーのことで困ることは何もなかった。相変わらずエレガントなドレス姿の彼女だが、学校と同じように「普通のこと」として周囲の人間に完全に受け入れられてしまっているようだった。
「ふうん。一階から上階に上がるにつれて、地球の歴史が進んでいくような構成になっているのね」
「あ、ちょっ……」
受付近くの施設案内を見てそんなことをつぶやくと、マリーはどんどん順路を先に進んでいってしまう。
「ま、待って下さい、マリー様ぁー!」
この建物は、中央に一階から三階までぶち抜きの吹き抜けがあって、その東と西側にそれぞれ異なる展示を行っている部屋。そして北側には、上下階に行くための階段がある。
マリーはそんな建物の構成を既に理解してしまったらしく、特に迷うこともなく、一人で勝手に一階東側のアメーバのような単細胞生物の展示が行われている部屋へと入っていった。受付のすぐ近くで、吹き抜け部分に配置された巨大な恐竜模型の周辺にたむろする子どもたちを避けるのに手間取りながら、瑠衣もそのあとを追いかける。
これまでに二つの戦いを終え、親交も深まり、それなりに関係性も確立してきたはずのマリーと瑠衣。だが今はそんな彼女たちがなぜか、どこかぎこちなく、気まずいような雰囲気になっている。
それは前日に、こんなやり取りがあったからだった。
……………………………………………………
前日の金曜日。全ての授業が終わった放課後。
場所は、瑠衣が通う学校の図書室。
「え、えぇぇーっ⁉ この図書室の本、全部読んじゃったんですかぁーっ⁉」
「ええ」
瑠衣と出会ってからずっと、夜はその図書室に勝手に居座って本を読み、昼間は瑠衣と一緒に授業を受けていたマリー。驚いている瑠衣に軽くうなづいた彼女は、なんでもないことのように続ける。
「前も言ったと思うけど、睡眠や休養を必要としない淑女の私には、充分な時間があるの。この程度の量の書物を読むことは、そんなに難しいことじゃないわ」
「そ、そうは言っても、ここにはこんなに本があるんですよ?」
そう言って、瑠衣は周囲の本棚を見渡す。何冊くらいあるのかざっと概算してみようとするが、一瞬で諦める。それくらいに、とにかくたくさんの本があるのは間違いない。
「わ、私なんて、この学校入ってから今までで、ちゃんと最後まで読み終えた本すら一冊もないのに……」
「まあ、そうでしょうね。瑠衣って、言動に教養のカケラも感じないんだもの。ちゃんと本を読んでいたら、そんな残念な性格にはならないはずだわ」
「う……」
思わぬところでディスられるが、それが完全に正当な意見だったので反論できず、瑠衣は言葉を失う。そんな彼女を気にする様子もなく、マリーは更に驚くようなことを言った。
「そういうことだから、今後は『主催者』にたどり着くための知識を集めるにも、別のアプローチを考える必要がありそうね。例えば博物館とか、美術館とか……。ああ、それから。今夜からは、貴女の家に居候させてもらうわね?」
「え……?」
「だって、もうこの図書室には私の必要とする情報はないのだから、いる意味がないんだもの。いつまでも、勝手に居座るのもどうかと思うし。まあ……どうせ貧相な貴女が住む場所だから、やっぱりその家も貧相で、相当狭苦しくて不便な場所なんでしょうけど。でも、仕方ないわね。私には、他に行く場所のあてもないわけだし」
「そ、それって……私とマリー様が……同棲する、っていう……こと、ですか?」
「?」
その確認に何の意味があるのか分からないマリーは、一瞬怪訝な表情を作ってから、答える。
「同棲、って……複数人が同じ場所で暮らす、と言う意味でいいのよね? だから、さっき私、そう言ったでしょう? どうして同じことをもう一回聞き返したの?」
「だ、だって、それって……」
実は瑠衣は、父親は単身赴任。母親は夜勤の多い病院勤務の看護師をしていて、しかも兄弟姉妹もいない一人っ子だったので――フィクション作品の主人公キャラらしく――、学校が終わって家に帰っても基本的に一人きりだったのだ。そんな瑠衣の家にマリーが居候するということは、これまで以上に彼女と接する機会が増えるということ。彼女との距離が近くなるということだ。
そんな状況に、マリーが思っている以上の意味を見出してしまっている陰キャの瑠衣は、一人でうろたえている。しかし、そんな彼女の状況を理解していないマリーは、更に瑠衣の心をかき乱す。
「それと……そろそろお風呂に入って、体を洗いたいと思っていたころなのよね」
「お、おふっ……」
「もちろん、貴女たち卑しい人間とは全く別の存在である淑女の私には、本来そういうものは必要ないのよ? 私たちの体は食事もトイレも必要としないし、どれだけ時間が経っても老廃物がたまるということがない。体が汚れる、という概念がないの。だから、本来は体を洗う必要なんてないのだけど……まあ単純に、気分的なものね。何日も同じ格好で体も洗わずに暮らしていると、なんだか頭の中にモヤモヤとしたものが溜まっていく気がするのよ。だから、貴女の家のお風呂を借りようというわけ」
「マリー様が、私の家の、お、お風呂に……」
「ああそれと、これは当たり前だけど……誰よりも高貴で気高いこの私が、自分の体を洗う、なんていう雑務をするわけにもいかないから、そこはメイドの瑠衣に手伝ってもらうことになると思うけれど、別にいいわよね?」
「う、うぇっ⁉」
その言葉を聞いた瞬間に、瑠衣の心拍数が跳ね上がった
「どうしたの? そんなに驚くこと? メイドなのだから、私の体を洗ったり濡れた体をタオルで拭いたりするのは、当然貴女の役目でしょう? むしろ、それはとても名誉なことで……」
「か、体を洗ったり……拭いたり……。私が……は、裸の……マリー様を……」
そこで。
「あ、そうか……」
ようやくマリーは、さっきから瑠衣の様子がおかしくなっていた理由を思い出したようだ。
「え、えー……? で、でもでもー、い、い、いいんですかねぇ、そういうのー……? わ、私が、マリー様の体に触れて……洗ったり、拭いたり……なんてー……」
「そう、だったわね」
「で、でもー……それがメイドの役目ってことならー……し、し、仕方ないですよねぇー……? えへ……えへへ……」
何かよからぬ妄想を頭に浮かべて、顔をだらしなく緩ませている瑠衣。そんな彼女に、呆れた表情を向けるマリーは、
「ごめんなさい、なんでもないわ。やっぱり今の言葉は忘れてちょうだい」
と言って、その話を一方的に終わらせようとしてしまった。
「な、なんでですかっ⁉」
突然、天国から地獄に突き落とされたような様子で、瑠衣はマリーにつめよる。しかし当然、彼女のそんな必要以上に必死な様子が、マリーの警戒レベルをさらに引き上げる。彼女はもはやドン引きしていると言っていいほどの冷たい視線を瑠衣に向けて、
「私、貴女が『イヤらしいメイド』だったことをすっかり忘れていたみたい。危ない危ない。貴女みたいな人間に自分の体なんて任せたら、何をされるか分かったものではなかったわね」
と言って、ため息をこぼした。
「ちょっ⁉ な、何をされるか……って⁉ わ、私がそんな、マリー様に変なことなんてするわけ、な、な、な、ないじゃないですかぁーっ⁉」
当然すぐに否定する瑠衣だが、さっきの自分の妄想のことは自分が一番よく分かっているので、どうしてもその言葉には不自然さが伴う。もちろん、それではマリーの警戒を解くことなど出来るわけもない。
「行く場所がないことは事実だから、私が貴女の家に行くことは変えようがないけれど……でも、貴女の家って、お風呂とトイレに鍵はかかるのかしら? あとそれから当然、私専用の個室も用意してもらうことになると思うけれど、そこにも最低二つは鍵が欲しいわ。……イヤらしい変態と同じ家に住むのなら、それでも全然足りないくらいね」
「だ、だから私、変態じゃないですってばーっ! さっきのはたまたま、思い出し笑いをしてただけで……」
「ああ。逮捕された性犯罪者って、決まってそういう言い訳をするらしいわね」
「もーう、マリー様ーっ!」
……………………………………………………
そんなわけで。
必死の言い訳もむなしく、見事に犯罪者認定されてしまった瑠衣。マリーと気まずい関係のまま、彼女たちは今日、『淑女とメイドの戦い』を仕組んだ『主催者』にたどり着くための新しい知識を求めて、この自然科学博物館にやってきていたのだった。




