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「本当に、これで良かったのかな?」
いつも通りに戻ったスイーツショップで、何の違和感もなく会話を続ける涼珂とカチューシャ。
「あの子たちが、僕らの目的を託すに値するというのは、少し過大評価……というか。正直、まだ判断するには材料が少なすぎた気がするんだけどな」
自分たちに背を向けて立ち去る二人に一瞬視線を送ってから、すぐに目の前のカチューシャの方を向く。そして、からかうような表情で愛する自分の主に微笑んだ。
「あら、そうでしょうか?」
一方のカチューシャも、まるで愛の言葉をつぶやくように涼珂のことをしっかりと見つめたまま、会話に応じる。
「私は、あの方たちには充分にその資格があるかと思いますよ? だって……」
涼珂と視線を合わせたまま、人差し指を空中でくるくると数回転させる。その指の先には、偶然近くを飛んでいたらしい、小さなモンシロチョウがいた。やがて、その蝶の周辺の空気が白く固まり、折れ曲がって立方体の小さな『箱』となってその蝶を取り囲み始めた。
「あの方たちはさきほど、私の『箱』が不完全だったために、出てくることが出来たとおっしゃいましたよね? 私が、自分が既に別の『箱』で言葉を制限していたのを忘れて、簡単には達成することの出来ない『脱出条件』を与えてしまっていた。だから、『箱』の拘束の力が不完全となって、出てくることが出来た、と。……でも、それは違うのです」
パタ、パタ、パタ……。
空気の塊が壁となり、『箱』の形となって、モンシロチョウを閉じ込めようとする。しかし……。
その『箱』は、完全な『箱』の形になる前に空気に戻ってしまい、溶けて消えてなくなってしまった。モンシロチョウも、特に何もなかったかのようにどこかに飛んで行ってしまった。
「私の『箱』は、一度成立してしまえば、その効果は絶対です。閉じ込められた方が『脱出条件』を満たすか私が能力を解除するまで、どんなことがあってもその方のことを拘束し続けます。ですが……もしも私が『箱』に対して正しい条件を与えられなかったり、ご本人にとって無理難題とも言えるような『脱出条件』を与えてしまっていた場合は……先程の蝶のように、そもそも最初から『箱』が成立すること自体がありえないのです」
「え、じゃあ……?」
「はい」
カチューシャは微笑む。
「一度でも『箱』が成立した……ということは、私が与えた『条件』は無理難題などではなかった、ということです。つまり、あの方たちにとって『愛を確かめ合う』という行為は、たとえ『言葉を制限』されていたとしても、充分に達成可能な『簡単な条件』だった、ということです。更には、あの方たちはその『箱』から実際に外に出てきているわけですから、すなわち……」
「実際に、その『脱出条件』をクリアしていたってこと……? 本人たちも気づかないうちに……『言葉を制限されていた』のに……言葉じゃなく心で、お互いの愛を確認し合っていた……?」
「はい。そのようにしか、考えられません」
そこで涼珂は改めて、立ち去っていくマリーと瑠衣の背中に視線を向ける。
さっきまでそこにいたのは、ただの『傲慢お嬢様』と、その彼女の横暴さに辟易しながら従っている気弱なメイドだった。
だが、カチューシャの話を聞いた今の涼珂には、その二人の背中が少しだけ違って見えるような気がした。
「って、ていうか……マ、マリー様? あ、あのー……まだ、ですか?」
「は?」
「い、いやあ……あ、あの、さ、さっきカチューシャちゃんに、言ってたじゃないですか? 言葉を制限されて『り』を忘れてしまっていたマリー様が、わ、私に……『感謝の気持ち』を伝えることが出来なかった……って。あ、あれって、今なら、出来ちゃったりなんかするわけですよね? だ、だってもう、『り』は使えるわけですもんね?」
「……はあ」
「あ、あのー……『り』が使えないと伝えられない『感謝の気持ち』……言えない『感謝の言葉』って……も、もしかして、ア、アレですかね? 『あり……』的な? 『ありが……』的な、やつですかね? い、いや! 全然、催促してるとかではないんですよっ⁉ ただ、マリー様も、このままだと気持ち悪いかなーって思って! 全然、私はどっちでもいいんですけど……せっかくなら、そんな言葉普段は言わなそうなマリー様のお口から、お聞きしたいなーっていうのが、本音で……えへへ……。あ、そういえば! た、確かこの戦いに勝ったら、何か私の『お願い』きいてくれるんじゃなかったでしたっけ⁉ じゃあじゃあ、それにします! 頑張った私に『感謝の言葉』をかけてくださーい、なーんて……」
「全く……仕方ないわね」
先を歩いていたマリーは、そこで立ち止まる。そして振り返って、瑠衣と目を合わせた。
「ねえ、瑠衣……」
「は、はい……」
これまでなら、彼女がそんな言葉を言ってくれることはなかっただろう。『傲慢お嬢様』として瑠衣のことを罵倒したり命令したりするだけで、たとえ頭を下げてお願いしたとしても、瑠衣に感謝したり、ねぎらってくれたりなんかしなかっただろう。しかし、今回は違う。
そもそもこれは、さっきマリーの方から言っていたことなのだ。
彼女は瑠衣に感謝していて、それを伝えようとしていた。その言葉を言わなかったのは、カチューシャの能力で妨げられていたから。だから、もはやそれがなくなっている今は、それを言わない理由はないのだ。
「ゴクリ……」
その言葉を、ドSなマリーが自分に言う姿を想像すると、なぜか背筋がゾクゾクとする。瑠衣は、大好物を前にした野獣のように目を見開き、舌なめずりをしながら彼女の次の言葉を待つ。
そして……マリーは、それを言った。
「瑠衣……おりごとう……」
「……へ?」
「オリゴ糖って、砂糖やショ糖に比べると体内に吸収される量も少なくて、虫歯の原因にもなりづらくて、代用甘味料として、とても有用なんですって」
「……え、えと?」
「しかも、熱にも強いから料理にも使いやすいの。ああ、これは実は全部、貴女の学校の図書室で読んだことの受け売りなのだけどね」
「い、いや……そうじゃなくって……」
「体内に吸収されづらいということは、それだけ脂肪として蓄積されにくいということ。私自身は、食事を取らなくても困らない『設定』の淑女だから、そこまで恩恵を受けるというわけでもないのだけれど。でも、貴女たち人間にとっては、やっぱりそういうところは大事でしょう?」
「だ、だから、マリー様⁉ そうじゃなくって! 今はマリー様が私に、『感謝の言葉』を言ってくれる、っていう話でしょうっ⁉ つまり、私に『ありが……」
「ええ、そうね。貴女たち人間にとっては、オリゴ糖の恩恵様々で……まさに、ありがとうオリゴ糖、って感じよね?」
「違ーうっ! そっちに言ってどうするんですかっ⁉ そうじゃなくって、私に『ありがとう』って言ってくださいよっ!」
「……はあ?」
そこで、瑠衣を軽蔑したような目で見下すマリー。
「どうして、この私が……この世の誰よりも尊く、美しく、気高い、このマリー様が、貴女のようなただの下僕に、ありがとうなんて言わなくちゃいけないの? 貴女、何を勘違いしているの?」
「えぇぇ……? だ、だってマリー様が……さっき自分で……『感謝の言葉』を言おうとしてたって……」
「言ってないわ。この私がそんなこと、言うわけないでしょう?」
「う、うわぁぁ……。言い切ったよ、この人……」
当然という表情のマリー。
そんな彼女に呆然としつつも、瑠衣は最後の悪あがきをしてみる。
「じゃ、じゃあ……せめて『私のお願いをきいてくれる』っていうやつのほうは……」
「はあ? 貴女のような下等で、イヤらしくて、愚かな人間なんて、この私のメイドでいられるだけで人生の幸運を既に使い果たしているのよ? そのうえ、これ以上何かを望むなんて……思い上がるのもいい加減にしなさい!」
そう言って、マリーはさっさと先に行ってしまう。
「そ、そんなぁ……」
ガックリと肩を落とす瑠衣。しかしそんなふうにショックを受けながらも、彼女は結局、マリーに付き従ってついていくしかないのだった。
そんな彼女たちのやり取りを、一部始終ずっと見ていた涼珂とカチューシャは……。
「え、えっとぉ……念の為、もう一度聞くんだけどさ……? あの子たちで、本当に良かったのかな?」
「ごめんなさい。私も、少し自信がなくなってきました……」
と、呆れ顔でこぼすのだった。




