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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
8/22

 昼過ぎ、久々によく眠れたな、とまだ眠気を残したまま、シズクは鉄階段を降りていた。

 途中、入れ違いにショーコが階段を上がってきたので、シズクは体を横に向けてよけた。ショーコは見習い期間として、しばらくの間、開店から昼過ぎまで店に入ることになっている。

 ショーコが無言でシズクの横を上がっていったので、挨拶もなしですか、とシズクは嫌味っぽく言ったが、ショーコは振り返りもせず、2階に入っていった。

 2階のドア付近は、サン達の控室のように使われている。シズクの住居スペースは、カーテンで仕切った奥にある。

 シズクは階段を降りて、植え込みの前を通り、カランとドアを鳴らして、店内に入った。

 入ると、サンがテーブル席の2人組にサンドイッチを提供していた。

 窓際のテーブルは2つ共、客が座っていた。入口側のテーブルの2人組は既に食べ終えていて、楽しそうに喋っている。

 カウンターは入口側の端に1人座っているが、それ以外は空いている。

 シズクはカウンターの1番奥に座った。

 「いま起きたの?」

 グラスに氷を入れて、サンが言った。

 「うん。久々によく寝れた」

 「そう、よかった。あのあと、大丈夫だった?」

 「何が?」

 シズクは聞き返して、欠伸をした。シズクは何も覚えていない。

 サンは探るようにシズクの目を見たが、嘘を言っている様子もないので、そのまま普段通り接することにした。

 「いや、何でもない。トーストでいい?」

 お冷をシズクの前に出しながら、サンは言った。

 「玉子サンドにして」

 「あーシズク、今はショーコちゃんに賄い出してるからトースト以外はお金払って」

 「は?何、私よりショーコ優先?」

 「当たり前でしょ。働いてるんだから」

 「私とは何年の付き合いだよ」

 「たったの3年。トーストはタダなんだから、ありがたく思いなさい」

 「ケチくせぇな。儲けてるくせに」

 「儲けてませんー」

 サンは言って、パンをトースターに入れた。

 「嘘つけ」

 シズクはお冷を飲みながら、カウンターの反対側の端にいる男性客を見た。

 着物を着ていて、静かに文庫本に眼を落としている。男性の前には、空のお皿と猫の顔型マグカップが置いてある。

 「サンさぁ、あのマグカップ」

 「何?」

 シズクが男性客の方を顎でさしたので、サンも男性客の方を見た。

 「あれってさ、嫌がらせで出してんの?」

 「違うわよ。なんでそう思うの?」

 「だってあれ、ごついし深いしフチは太いしで飲みにくくない?」

 「そうなの?」

 「そうだよ。少なくとも、私は」

 「可愛いから、いいと思ったんだけど」

 「ならせめて女の子に使いなよ。男だと戸惑うって」

 「そう?」

 サンが言ったのと同時に、男性客が立ち上がったので、サンはレジの方へ移動した。

 シズクはサンが男性客と言葉を交わすのを見ていた。

 男性がドアに向かい、サンがありがとうございました、と背に声を掛ける。カランとドアが鳴り、男性が出て行くと、サンは戻ってトースターからパンを出した。

 「マグカップ可愛いけど飲みにくいです、って言われたわ」

 「だろ?」

 「あんたの意見が正しいこともあるのね」

 「失敬な。私はいつも正しいんだよ」

 「そうかもしれないわね」

 サンは言って、トーストをシズクの前に出した。

 「どうしたの?いつもは認めたりしないだろ」

 「別に」

 素気なくこたえて、サンは洗い物をはじめた。



 トーストを食べ終えて、シズクがスマホを見ていると、カランとドアが鳴り、レイジとショーコと拓馬が入ってきた。

 いらっしゃい、とサンが言うとレイジと拓馬は、こんにちは、と返した。ショーコは黙ったままスタスタと、カウンターの端に座った。

 「毎日来てんな、お前ら。金あんのか。ビンボーバンドマンだろ全員」

 カウンターに頬杖をついて、シズクが言った。

 「毎日は来てないよ」

 レイジは言って、ショーコの隣に座った。

 「お前が毎日来てたらストーカーだな、完全に」

 小馬鹿にしたように拓馬はレイジに言い、レイジとシズクの間に座った。

 シズクは拓馬の横顔をじっと見つめ、拓馬が視線に気付くと、ふぃっと前を向いた。

 「もうやめろよ、流石に愛人のママさんを、」

 「バカか、お前」

 拓馬はレイジの後頭部を叩いた。

 「あっ、、、」

 レイジは気まずそうにカウンターの中のサンに視線をやった。

 サンは3人分のお冷を用意していて、レイジの言葉は聞こえていないように見えた。

 「ママさん、俺今日食ってきたから、コーヒーだけでいいわ」

 拓馬がサンの様子を伺いながら、言った。

 「はい、コーヒーね。ホット?」

 「ホットで」

 「レイジ君は?ショーコちゃんは、何かいる?」

 「俺はチーズトーストとアイスレモンティーください」

 「アイスカフェオレください」

 ぼそりとショーコが言った。

 「チーズトーストとアイスレモンティーとアイスカフェオレね」

 サンは3人にお冷を出すと背を向けて、トースターの前に移動した。

 「聞こえてないフリしてんな」

 拓馬がぼそりと、レイジに言った。

 「やっぱそう?」

 「考えてモノ言えよ。出禁なってもしらねーぞ」

 「それはまずい」

 「いーじゃん。諦めついて」

 クスリと笑って、ショーコが言った。

 「諦めてんのか、ないのか、どっちだよ」

 可笑しそうに、シズクも言う。

 「タイミングを待ってる。いつかママさんの目が醒めるときまで」

 感情を込めてレイジが言ったので、3人は引いた。

 「まずあんたが目を醒ませ」

 真顔になって、シズクが言った。

 「キモいよ」

 小声でショーコが言う。

 「何?俺引かれてんの?」

 「お前の夢はなんなんだよ。ここで夫婦で働くことか?」

 真剣な口調で、拓馬が言った。

 「バンドで売れて、MAYと共演すること。夢と愛は別物だろ」

 レイジは真面目に答えた。

 「愛じゃねーだろ。お前はな、ガキのままでいたいんだよ」

 「出た、拓馬の真面目モード」

 ぼそりとショーコがレイジに耳打ちした。

 「そんなことねーよ。なんでママさん想い続けることがガキなんだよ」

 「初恋なんかは、諦めて成長すんだよ、人ってのは。諦められねーってことは、成長すんのが怖いってことだ。お前はママさんを想い続けることが純情とでも思ってんだろ」

 「諦めるってなんだよ。諦める理由もないのに」

 「ママさんの接し方でわかんだろ。お前のことなんか何とも思ってねーよ」

 拓馬に核心をつかれて、レイジは黙った。

 「お前もママさんを愛してねー。純情でなくなるのが嫌なだけだ」

 拓馬の言葉に空気がピンとなり、4人は沈黙した。

 その沈黙をサンが破った。

 「はい、どうぞ。お待たせ」

 サンは3人にそれぞれ飲み物を出した。レイジのマグカップは、猫の顔型マグカップだった。

 「なにこのカップ、可愛い」

 ぼそりとショーコが言った。

 「なんですか、このマグカップ」

 レイジが訊くと、サンはフイッと顔を背けて、離れていった。

 その様子を見て、シズクはクスリと笑った。

 「それ、飲みにくいんだよ。嫌がらせだ、サンの」

 「マジで?」

 レイジは愕然とした。

 「はっきりわかったね」

 嬉しそうに、ショーコが言う。

 「ママさんも否定しないから、ガチだな」

 冷静に拓馬が言った。

 レイジは俯くと、ふざけんな、とぽつりと呟き、突然立ち上がってドアへ向かった。

 「え?どこ行くのレイジ」

 ショーコが心配そうに言う。

 レイジは黙ったまま、乱暴にドアを開けた。カランカランとドアが鳴る。

 だが、外に出ようとしたところに、丁度女性が1人入ってきたので、レイジはドアを持ったまま立ち止まった。

 「あーごめん」

 緑に染めた髪をオールバックにして、サングラスをかけた女性は、レイジに素気なく謝ると店内に入って、空いているドアの正面のテーブルに座った。

 レイジはまた愕然とした顔をしてその場に佇み、少ししてから、カウンターに戻った。

 サンがお冷とウエットティッシュを持って、緑髪の女性の下へ向かう。

 「グラタンチーズトーストとアイスレモンティーください」

 サンがテーブルの側につくなり、緑髪の女性は言った。

 「グラタンチーズとアイスレモンティーね。さっきまで着物の彼、来てたよ」

 親し気にサンが喋るのを、レイジは驚いた様子で見ている。

 「え?もう帰ったの?」

 驚いた様子で、緑髪の女性は言った。

 「うん、さっき。待ち合わせてる様子じゃなかったから、帰しちゃったわ」

 「えーもうなんでー。時間通りに来たじゃん」

 気怠そうに、緑髪の女性は言うと、スマホを取り出した。

 「注文は通していい?」

 「あ、はい。食べていきます」

 女性がそう言ってスマホを耳にあてたので、サンはその場を離れ、カウンター内に戻った。

 「レイジどうしたの?」

 ショーコが、半分放心状態のレイジに言った。

 「そこまでショックか。ママさんの嫌がらせ」

 拓馬が可笑しげに言うと、レイジはぼそぼそと何かを呟いた。

 「え?何?」

 ショーコが聞き耳を立てる。

 「、、、だよ」

 レイジはまた、ぼそりと呟く。

 「何?」

 「MAYだよ。今入ってきたの」

 「嘘?」

 ショーコはテーブルに座る緑髪の女性を見た。

 「雰囲気違わなくない?」

 「髪の毛緑だけど、あれはMAYだって。声もそうだし」

 「だったら、話掛けろよ」

 2人の話を聞いていた拓馬が冷静に言った。

 「レイジは皐月だから駄目だよ」

 ショーコが言うと、レイジはしょぼんと頷いた。

 「何?さつき?」

 訝しげに拓馬が聞き返した。

 「MAYのプレミアファンクラブ。プレミア会員はプライベートのMAYを見かけても話しかけちゃ駄目なの」

 「生殺しだな。それの何処がプレミアなんだよ」

 「皐月はMAYが認めた人しかなれないから、それだけで価値があるんだよ」

 「え?じゃあレイジも認められてんの?」

 「なんでか、認められてる」

 ショーコは納得いかない顔をした。

 「ショーコは?」

 「私は駄目だった」

 「何が基準なんだよ。イケメン?」

 「そんな薄っぺらいわけないでしょ」

 ショーコがムッとなって言った。

 「だったら、ショーコは話せるだろ。本人か確かめてみれば?」

 「えー?なんて言えばいいの?」

 ショーコは戸惑いながら立ち上がって、MAYの側へ歩きだした。

 緊張した足取りでゆっくり歩を進めていると、その横をシズクが追い越した。

 シズクはMAYのテーブルまで来ると、強ばった表情でMAYを見下ろした。

 MAYは丁度、繋がらないスマホをテーブルに置いたところだった。

 シズクに気付いて、顔をあげてシズクを見る。

 MAYは何も言わず、サングラス越しにシズクを見つめた。

 シズクも何も言わず、沈黙が流れる。

 その沈黙に耐えきれなくなったショーコが、あの、とMAYに話しかけた瞬間、シズクが何か言って、そのままドアを開けて店から出ていった。

 「なんだシズクちゃん」

 ポツリと拓馬が言った。

 「あなた、あの子の知り合い?」

 MAYが突然話したので、ショーコは慌てた。

 「え?ああ、はい、知り合いっていうか、なんていうか、仲は良くないです」

 「私、あの子知ってる」

 「ええ??どうして?」

 「一度見た顔は忘れないから、私。ライブに来てたと思うよ」

 「シズクさんが?」

 ショーコは驚いた。シズクはいつも、音楽は聴かないと言っていたから。

 「でも何だろう。あんたのせいでって言ったよね。私なんかした?」

 「いえ、私はシズクさんとは親しくないので、わからないです」

 「あっそ。まぁ変な言い掛かりはよくあるからいいけど。あの子、絶望の中で生きてる感じだね」

 MAYの言葉が、ショーコが見てきたシズクとかけ離れていたので、ショーコは腑に落ちない顔をした。

 「わかんない?」

 ショーコの顔を見て、MAYは笑って言った。

 「シズクさんは、わがままに勝手気ままに生きてます。性格も、良くないし」

 「魂を感じられるようにならなきゃ、ロックスターの夢は遠いよ水木翔子さん」

 ショーコは驚き、目を丸くした。

 「え?なんで名前」

 「はい、おしまい。あなたは今から皐月です。会って確かめたかったの、あなたのことは」

 ショーコは思わず口を開いたが、皐月を退会にはなりたくないので、言葉を飲み込んだ。皐月はMAYの定めたルールを破ると即強制退会になる。

 ショーコは黙ったまま、MAYに頭を下げて、カウンターに戻った。

 ショーコが去ると、MAYは再びスマホを持ち、電話をかけ始めた。

 そこにサンがアイスレモンティーを持ってやって来ると、MAYは口早にありがとうございますと言い、スマホの向こうと喋り始めた。



 カウンターでレイジとショーコは固まったまま、宙を見つめていた。2人とも放心状態だった。

 拓馬はコーヒーを飲みながら2人を見て面白がっていたが、やがて飽きてサンに話掛けた。

 「ママさん、シズクちゃんってさ、メンタル病んでるよね」

 サンはトースターを開けて中の様子を見てから、拓馬の方を見た。

 「シズクが言ったの?」

 「いや、この前上でゴミ箱に薬の袋見たからさ。前の彼女が飲んでた薬と一緒だったから」

 「そう。あんまり言わないでね、シズクは人に知られたくないみたいだから」

 「あ、すんません。この前俺、シズクちゃんに告られたから、気になって」

 「え?そうなの?」

 サンは可笑しそうに笑った。

 「おかしいですか?」

 「いや、シズクもそういうことするんだって、思って。色々気にして、出来ないんじゃないかと思ってた」

 サンの表情が温かく愛情に満ちた顔に変わったのを見て、拓馬は思っていた疑問をサンにぶつけた。

 「ママさんって、なんでシズクちゃんのこと、面倒見てるんですか。他人でしょ?親みたいですよ」

 「なんでかな。私は子供いないから、擬似体験でもしてる気になってるのかもね」

 「本当に子供いないんですか?なんか滲み出るものを感じるけど」

 「いないわよ」

 サンは可笑しそうに笑うと、トースターを開けてグラタンチーズトーストをお皿に移した。

 サンがMAYの下にグラタンチーズトーストを持っていくのを横目で見ながら、はぐらかされたな、と拓馬はポツリと呟いた。

 カラン、とドアが鳴り、シズクが戻ってきた。青ざめた顔をして、ゆっくりカウンターの席へと歩いて行く。

 サンは一度カウンターの中に戻ったが、シズクの表情を見て、すぐにシズクの下へ向かった。

 辛そうにしているシズクの背中に手をあてて、優しくさする。

 「シズク、大丈夫?」

 「・・・しんどい」

 ポツリとシズクは言った。

 普段はみない、沈み込んだシズクを見て、拓馬は少し驚いた。

 「終わったら、病院行こうか?」

 サンの問いに、シズクは首を振って答えた。

 「そう。しんどいなら、上で休んだら?」

 シズクは首を振った。

 「1人は嫌なの?」

 ゆっくりシズクは頷く。

 「じゃあここに居ていいから、今日は早く閉めるね」

 拓馬は、そこまでするのかと、やはり何かサンとシズクの間にはあると感じた。ここまでされてシズクちゃんは何も感じないのだろうかと、訝しくもあった。

 「じゃあもういいよ!なんなの?私がそんなに嫌!?」

 MAYが突然、怒鳴った。

 「変わったって何?はぁ?あんたが怒らせてるんでしょ!!私だって怒るよ!いつも私が悪いみたいに言って、何様なの!?」

 店内に声を響かせるMAYの下にサンが急足で近寄り、肩を叩くと、MAYは一瞬イラったしたが、すぐに気持ちを沈めた。

 MAYはサンに右手をあげて応えると、声を静めて喋りだした。

 「わかったよ。じゃあもう終わりでいいよね。もう無理。私が無理。いいよ、って止めもしないの?そんなにいらなかった?私」

 その後MAYはしばらく黙り、数回相槌を打ってから、じゃあね、と一言言って、スマホを切った。

 MAYはスマホを雑にテーブルに置くと、間髪入れずにグラタンチーズトーストを食べはじめた。

 カウンターでは、レイジとショーコが顔を見合わせていた。凄いものを聞いてしまったという表情で。

 「お前ら、普通に喋れよ。息もできないのか、MAYの側でプレミアは」

 拓馬の言葉に、2人は黙ったまま見つめ返して、答えた。

 「だから喋れって。めんどくせぇな」

 拓馬は前を向いて、黙ってコーヒーを飲んだ。カウンター付近に、しばらく沈黙が流れた。

 ほどなくして窓側のテーブル席に座っていた客達が、お勘定をして、帰っていった。

 サンはテーブルの片付けをして、カウンターに戻ると、シンクにお皿とグラスを置いてから、スマホでりえに電話を掛け、シズクがしんどそうだから早めに店を閉めることを伝えた。

 サンはスマホを切ると、急足で外へ出て、看板を片付けて店内に入れ、ドアのプレートをCLOSEに変えた。



 シズクは沈み込んで俯き、サンは洗い物をしている。拓馬はスマホを眺め、レイジとショーコはまだ固まったまま。MAYは、ぼーっと宙を見つめている。

 沈黙。インストのジャズが、静かに店内に響いている。

 「すいません、紙とペンありませんか?」

 テーブルから良く通る声で、MAYが言った。

 サンが、ちょっと待って、と言って洗い物の手を止め、ノートから1枚破り、ボールペンを持ってMAYの下へ向かった。

 これでいい?、とサンが言うと、MAYはお礼を言うやすぐに紙をテーブルに置いて何か書きはじめた。

 レイジとショーコは横目でその様子を伺っている。

 MAYは没頭して書き続け、しばらくするとペンを置いて、立ち上がった。

 「お勘定お願いします」

 言いながらMAYは、レジまで歩いた。

 はーい、とサンがレジへと向かい、勘定が終わると、MAYはレイジとショーコの方を見た。

 「別に私に話しかけなきゃ、喋っててもいいんだよ?」

 苦笑しながらMAYは言うと、驚いた2人を横目に、ごちそうさま、と言って、店から出て行った。

 ありがとうございまーす、とサンの声が響く。

 「はぁっ、死ぬ。俺今日、死ぬ」

 レイジがぷはっと息を吐き言った。

 「ねぇ、私のこと会って確かめたかった、って言われたんだけど、MAY私に会いにきたの?」

 ショーコが興奮気味に言った。

 「たまたまだろ。なんでショーコがここで働いてることMAYが知ってんだよ」

 冷静に拓馬が言うと、3人はハッとなって、同時にサンの方を見た。

 サンはアルコール除菌スプレーとフキンを持って、カウンターから出ようとしていた。

 「なんでママさん、MAYがここに来てること言ってくれなかったんすか。俺への嫌がらせ?」

 言いながら、レイジは自分が悲しくなった。

 「ごめん、私日本の音楽聴かないからわからないの」

 サンは言うと、手早く窓際のテーブルを拭きはじめた。

 「日本にいてMAYを知らないって、あり得るの?名前と顔くらい、嫌でも見ると思うけど」

 ショーコがぼそりと、言った。

 「いるだろ、そんな人普通に。シズクちゃんもMAY知らないんじゃないの?音楽聴かないんだろ?」

 ショーコとMAYの会話を聞いていなかったのか、何の気もなく、拓馬はシズクに訊いた。

 シズクは何も答えず、黙って俯いたまま。

 拓馬は返事を促すこともなく、レイジとショーコの方へと向き直ると、MAYが座っていたテーブルを見た。

 テーブルの上には、紙が置いたままだった。

 「ママさん、MAY、紙置いていってるけど。何か書いてたやつ」

 拓馬が言うと、レイジとショーコが立ち上がって、テーブルに向かった。

 「ああ。たまに何か書いて、置いていくのよ。捨てていいって言われてるけどね。詩みたいだけど」

 テーブルを拭く手を止めず、サンは言った。

 へぇ、と拓馬は頷き、レイジとショーコを見つめた。

 「日本語だ」

 紙を手に取って、レイジが呟いた。MAYの歌詞はすべて英語なので、意外だった。

 「MAYっぽくないね。本当にMAYが書いたの?」

 「うーん。メロディに乗せて書いたって感じじゃないよなぁ」

 2人は改めて、じっくりと詩を読んだ。




あの日 階段の途中で 君が腕を掴んだ

わかっていたんだね もう戻る気がないこと


連れてっても 行かないでも なかった

君の泣きそうな瞳を 今も思い出すよ


そばにいて そばにいて

それだけが伝わるよ

震える手に精一杯のわがままを

君は閉じ込めて 微笑んでくれた


あの夜 バス停のベンチで 君が肩に頬寄せた

わかっていたんだよ これ以上の幸せはないこと


何を言っても 言わなくても わかった

君の幸せそうな顔を 忘れずにいるよ


そばにいて そばにいて

それだけでよかったよ

握った手に計ることないさよならを

君は僕に込めて 夢へと送った




 「さっき電話してた人のこと?」

 ショーコが首を傾げて、言った。

 「あんな感情的になった後、書ける?こんなの」

 訝しげに、レイジは言った。

 「わかんない。あれ、恋人だよね、相手」

 「週刊誌に売れそう」

 「したら即退会だね」

 プレミア会員は、MAYへの誹謗中傷、活動内容への批判などをSNS等にアップすると強制退会になる。SNSのアカウントはプレミア会員へ申請する時、すべて申告するよう義務付けられている。裏アカウントなどが発覚した場合も強制退会になる。マスコミへのリークなど、当然強制退会だ。

 「冗談です。ママさん、これ本当に捨てるの?日付けとサインも書いてるから、すっげぇ価値になると思うけど」

 「うーん。今までのは一応とってるけど、何回聞いても捨ててください、って言われるから、そのうち捨てようかなって思ってる」

 「えーもったいな」

 ショーコは残念そうに言ってから、カウンターで沈むシズクを見た。

 「シズクさんには、絶対渡しちゃ駄目だね」

 「うん。絶対転売する」

 「だね」

 レイジは名残惜しそうに詩を見つめてから、サンに紙を差し出した。

 「欲しいならあげるよ」

 レイジの様子を見て、サンは言った。

 「いや、いいっす。MAYも俺に渡す為に書いたわけじゃないだろうし、きっとママさんのこと信頼して置いていってるんだろうし、MAYのママさんへの信頼を俺が裏切れないです」

 「そんな難しく考えなくても」

 サンは苦笑して、言った。

 「MAYはそういうことを大切にするんで、皐月の俺たちもそうじゃないといけないんです」

 「そうなの?ファンとアーティストの絆ってやつね。私にはよくわからないけど」

 「うーん。絆っていうか、MAYが俺達皐月に求めてるのは絶対的な愛っていうか」

 「皐月は私の為に批判なんかせず、ただ黙って私のすることをすべて愛せばいい、って言ってたよね」

 ショーコがしんみりと言った。

 「怖いわね、なんか」

 サンは苦笑して言い、レイジから紙を受け取った。

 「ちょっと歪んだ感じがいいんだよね」

 ショーコの言葉に、レイジは頷いた。

 「そんな風には見えないけどね、ここに来てる時は」

 サンは言いながらエプロンのポケットに紙を入れると、MAYが座っていたテーブルを拭きに行った。

 「あ、俺もう行かなきゃ」

 壁の時計を見て、レイジが言った。

 「レイジもう帰るって」

 ショーコがカウンターの拓馬に言うと、ああ、と返事して拓馬は立ち上がった。

 「ママさん、お勘定お願いします」

 レイジに言われて、サンははいはい、と応えながら、サッとテーブルを拭き、カウンター内へと小走りで戻った。

 3人の勘定を済ませて見送ると、サンは掃除道具を取りに、2階へ向かった。

 ほどなくしてサンが戻ると、シズクがカウンターに伏せていたので、サンはモップやバケツをドア付近に置いて、シズクの下に駆け寄った。

 サンはシズクの背中を優しくさすってから、シズクの隣に座った。

 「もう閉めたから、落ち着くまで居ていいよ。それまで私も居るから」

 サンが優しく言うと、伏せていたシズクがゆっくりと上体を起こした。

 「あいつのせいなんだよ」

 両肘をカウンターについて俯き、シズクが悲しみと苛立ちが混ざったような声で言った。

 「あいつって誰?」

 「・・・・・・」

 シズクは答えず、少し沈黙してから、口を開いた。

 「私は悪くない。私は悪くない。私は悪くない」

 呪いのようにブツブツとシズクは繰り返した。

 「何の話なの?わからない、シズク。話して」

 シズクはまた黙って、カウンターに伏せた。

 サンは立ち上がると、腰を屈めてシズクの肩に腕をまわし、シズクの頭に頬を寄せた。

 「大丈夫だから、話して、シズク」

 シズクが鼻を啜った。

 「何?」

 ぼそりとシズクが何か言った気がして、サンは訊いた。

 しばらく沈黙してから、シズクはぽつりと、声を零した。

 「死んだの、アカネが」

 

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