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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
3/22

 ありがとうございました。またよろしくお願いします、というマスターの愛想良い声を背に、4人は外へ出た。

 店内の温かい空気から、夜のひんやりした空気に触れて、シズクはスンと肌が引き締まるのを感じた。

 レイジへの嫌がらせでたらふく食べたので、お腹はパンパンに膨れていた。レイジはフーッと息を吐いてお腹を触るシズクを白い目で見つめている。

 「じゃあ、ショーちゃんに言っとくわ。明日にでも様子見に行かせるから」

 酔っ払ったぬるい口調で、りえがサンに言った。

 「急がなくていいよ。急だとショーコちゃんも困るだろうし。帰ってすぐ言っちゃ駄目だよ。酔っ払いの言うことなんて、親でも聞きたくないから」

 りえとは対照的に、ほとんど酔っていないサンが冷静に言うと、わかってまーす、とりえがテンション高く応えた。

 シズクは2人のやりとりを片耳を立てて聞いていたが、後から入ってきたサラリーマン集団の喧騒のせいで、途切れ途切れにしか話の内容はわからなかった。

 どうやら、りえの娘のショーコが喫茶サンで働くことになるらしかった。ショーコは今、モデルのバイトをたまにやる程度で他は何もしていないらしい。以前メイド喫茶で働いていたことは、シズクも知っている。働いていないシズクをショーコは蔑んでいたが、シズクが冷やかしで店に来たことにブチ切れたことをきっかけに、メイド喫茶は辞めていた。

 「家で料理でも作って花嫁修行でもしとけばいいのにな、働きたくないなら」

 シズクは自転車の鍵を開けようとしていたレイジに言った。

 「え?何の話?」

 「ショーコの話」

 「ああ。まぁ働かずに好きなことだけやるのは、どうだろな。バンドで成功したいなら、人間力も磨かなきゃいけないし」

 レイジは言って、自転車の鍵を開けた。カシャンと音が響く。

 「つまんねーな。マトモなこと言うなよ」

 ガッカリ、と言った表情でシズクはレイジを見た。

 「言ったところでクズ呼ばわりしたでしょ」

 「えー!しない、しない!」

 シズクは笑いながら、わざとらしく右手を顔の前で振った。焼き鳥屋にいる間、シズクはあらゆる角度からレイジをクズ扱いしたので、流石にレイジもへこんでいた。へこむレイジを見るのが、シズクは面白かった。

 「わざとらしっ」

 レイジは溜息をついて、それからシズクの向こうでりえと話しているサンを見つめた。

 「なんか避けられてたな、俺」

 消沈した様子でレイジは言った。

 シズクはレイジの視線を追って、にやりと笑った。

 「気にし過ぎだって。元から相手にされてないし。そんなわかりやすく態度に出さないよ、サンは。あんたには最初から興味ないすよっ!」

 シズクは言って、ポンッと、レイジの肩を叩いた。

 「露骨にトドメ刺したね」

 「慰めるわけないじゃん。不純過ぎるんだよ、お前」

 悪魔のような笑みを浮かべて、シズクは言った。

 「下心くらい、男なら持つだろ」

 「だったらそれらしく振舞えよ。初恋の相手みたいに言ってさー」

 シズクはまたレイジをからかおうとしたが、不意に後ろから頭を叩かれたので、頭を右手で抑えて振り返った。

 サンが、呆れた顔で後ろに立っていた。

 「なに?」

 「あんた、自分は働かないのはいいけどさ、人が働いてるの面白がるって、性格歪みすぎ」

 何の話だ?、とシズクは一瞬わからなかったが、サンの後ろでりえが両手を合わせて謝っていたので、察した。

 「ショーコのこと?別に遊びに行っただけだし」

 「どうせメイドで接客するショーコちゃん見て、けたけた笑ってたんでしょ」

 「してませんよー」

 ほっほっほっ、とシズクは笑った。図星だ。

 「なんであんたはそうなの」

 サンはシズクの両肩を掴んで、揺らした。

 「辞めると思わないじゃん。あれくらいのことでさ」

 揺らされながら、ふざけた調子でシズクは言った。

 「あんた人一倍メンタル弱いくせに、なんで人に優しくできないの?」

 サンは言いながら、涙目になっていた。

 「ええー?泣いてる?酔ってんの?」

 シズクは少し驚きながら、言った。

 サンは両手をシズクの肩から離すと、俯いた。

 「シズクにはさ、もっと人の気持ちのわかる人間になって欲しい」

 「いや、親ですか私の。親でも聞かないけどね。私は私のままで生きると決めている。親に言われて変わる齢でもない」

 諭すように、シズクは言った。

 シズクの言葉にサンは濡れた瞳で真顔になった。そのままじっとシズクの顔を見つめる。

 「なに?」

 見つめられて、シズクは少したじろいだ。

 「人の気もしらないで」

 怒ったようにサンは言うと、スッと踵を返して、りえの方を向いた。

 「意味わかんないし」

 戸惑いながら、強気にシズクは言ったが、サンはシズクを無視して、そのままスタスタ歩いていった。りえが自転車を押して、その隣につく。

 「それじゃ、おふたりともおつかれー」

 肩越しに振り返って、りえは言い、そのままサンと並んで歩いていく。

 レイジはお疲れ様です、と2人の背中に言ったが、シズクは黙ったままサンの後ろ姿を見つめていた。

 どうしてか湧いてくる罪悪感にシズクは戸惑っていた。何故サンが怒ったのかもわからないし、サンを怒らせたことは今までも何度かあった。毎度怒るサンをせせら笑って、ふざけていたが、今回はそんな態度を取れなかった。怒らせたというより、傷付けてしまった感じがした。でもどうして。一体何にサンは傷付いたのだろう。捻くれた人生観なんて、今まで幾らでも話してきたのに。

 「綺麗だ」

 思案しているシズクのことなど気にも留めず、レイジがサンの後ろ姿を見つめながら、恍惚と言った。

 「他人の娘に涙まで見せて、親のように注ぐ無償の愛」

 「そんな大層なもんじゃねーよ」

 素っ気なく、シズクは言った。

 「いいなー、やっぱりママさん。心が綺麗だ」

 シズクの声など耳に入らぬ様子で、レイジは1人浮かれている。

 シズクはレイジを放っておいて、自転車の鍵を開け、跨った。サンにしてもらっていることが、シズクには特に特別だとは思えなかった。サンの性格からすると、当たり前のようにシズクは感じていた。だから何も遠慮する必要がない。

 「じゃあな、私も帰るよ。また奢れよな」

 レイジの方は見ず、左手だけあげて、シズクは自転車を漕ぎだした。

 「あーお疲れ」

 礼もなしか、とレイジは思いながら、シズクを見送った。


 コンビニに寄ってから帰ると、店の窓から明かりが漏れていたので、シズクは鉄階段の下に自転車を置くと、何の気もなく店へ向かった。サンの白い自転車が、ドアの側に停めてあった。

 カランとドアを開けて中を覗くと、テーブル席に座っていたサンが首を伸ばして、ドアの方を見た。

 入ってきたのがシズクだとわかると、サンはテーブルの上のスマホに視線を戻した。

 「なにしてんの?」

 テーブルに向かって歩きながら、シズクは言った。

 「酔い覚まし」

 それだけ言って、サンは黙った。

 シズクはコンビニの袋をテーブルに置き、サンの前に座ると、袋からおはぎを取り出した。

 「まだ食べるの」

 パッケージの袋を割いているシズクを見て、サンは言った。

 「ああいうお店で食べるとさ、甘いもの欲しくなるんだよ」

 シズクは言って、おはぎをパッケージから出した。

 「まぁシズクは痩せてるし、丁度いいか」

 「食べても私は太りませーん」

 したり顔をして、シズクはおはぎにパクついた。

 「若いうちだけですよ」

 静かにサンは言って、テーブルの上のマグカップを口に運んだ。

 シズクはおはぎをもぐもぐやりながら、サンをじろじろ見た。

 「何?」

 怪訝そうに、サンは言った。

 シズクはごくんと、おはぎを飲み込む。

 「性的対象になるんだって」

 真っ直ぐサンを見て、シズクは言った。

 「誰が、誰の」

 くだらない、と言った様子で視線をスマホに落として、サンは言った。

 「サンを見てエロいこと考えてるらしい。レイジが」

 シズクは言って、意地悪く笑った。

 「やめてぇ」

 嫌そうにサンは言い、苦笑した。

 「聞きたくない、聞きたくない」

 「うぶな反応」

 にやにやとシズクはサンを見た。

 「そんなんじゃないよ。そんな対象にならないし」

 「えー若い方がいいんじゃないの?」

 「ないない。私はない」

 「じゃもうレイジには何の希望もないな。肉欲的にサンが求めるのが唯一の希望だったのに」

 「ありません。万に一つも」

 きっぱりサバサバと、サンは言った。

 「出禁にしちゃえば?目障りだろ」

 「食べて帰ってくれる間は何もしない。今までもいたし、そういう人」

 「ここで迫られたの?こわ」

 「違う。想いを寄せてくる人。そんな欲丸出しで来る人いないよ」

 「そんなの隠してるだけでさ、欲しかないって男なんか」

 「それが目的じゃない人もいます」

 「もはや男じゃねぇよ、それは」

 シズクの言葉に、サンはフッと吹き出した。

 「随分偏ってるね」

 「えーサンが夢見な乙女なんじゃないの」

 「いました。そういう人。シズクは実体験ないでしょ?」

 「あーよくないですよー、そういう決めつけは。偏見を生みますよー」

 「あんた偏見だらけじゃない」

 「偏見じゃなく事実ですぅ。私の見る世界は私が創り出す私だけの世界ですから」

 「何それ」

 「私は私の世界を生きている。他人の世界なんて別世界だよ。私の信じることが世界のすべてだ」

 「ちょっと、またおかしくなってるの?」

 「なんで。普通だよ、私は至って」

 「薬ちゃんと飲んでる?」

 「飲んでるよ。今はわからなくても、いずれは私の言ってることが常識となる」

 「明日病院行こうか」

 「大丈夫だって。明日日曜じゃん。病院休み」

 したり顔で言うシズクに、サンはもどかしそうな顔をした。

 「ほんとに大丈夫なの?」

 「だいじょうぶ」

 シズクは左手をあげ、掌をサンに向けた。

 「すっごく不安なんだけど」

 「私はまともです」

 自信たっぷりにシズクは言い、食べかけのおはぎをまるごと口に入れた。

 「まともな人は自分のことまともって言わないよ。人なんかどこかが変わってるのが普通なんだから」

 シズクはおはぎをもぐもぐやりながら、んーんーんー、と何か言ったが、当然何を言っているのかはわからなかった。

 「飲み込んでから喋って」

 呆れてサンは言い、マグカップを口に運んだ。

 シズクはおはぎを飲み込むと、すくりと立ち上がった。

 「自分で自分のことまともと思わないで、誰が思うんだよ」

 語気を強めてシズクは言うと、きつくサンを見てから、コンビニの袋を掴んで席を立った。

 ずんずん歩いてドアまで歩き、カランと音をたてて勢いよく店を出ていくシズクを見ながら、サンは、何よ、と呟き、やっぱり月曜日に病院に連れて行こう、と思った。

 1年半前のようなことは、もう繰り返したくなかった。


 ガンガンガン、と不機嫌に鉄階段をあがり、乱暴にドアの鍵を開け、シズクは部屋に入った。

 スニーカーを脱ごうと踵に手を伸ばした瞬間、頭が痺れ、ほらね、と耳元で誰かが囁いた。

 一瞬シズクは表情を強ばらせたが、すぐに心を落ち着かせて靴を脱いだ。

 スリッパを履き、ベッドまで歩く。

 おかしい、おかしい、と頭の上を声が追いかけてくる。

 ローテーブルの上にコンビニの袋を置き、スリッパを脱いでベッドにうつ伏せに倒れ込み、頭を抱えた。

 だから言ったのよ、と耳元で一際声が大きくなる。

 タオルケットに顔を埋めながら、シズクは心を落ち着かせて、無意味無意味何の意味もない、と自分に言い聞かせた。

 声は聞こえなくなり、夜の静寂が戻る。

 しばらくシズクはベッドの上で動かず、知らぬ間に憔悴していた心と体を休めた。

 シャッターを下ろす音と、自転車のスタンドをあげる音が外から響く。

 「しつこいんだよ」

 シズクはひとり呟いた。

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