20
帰り道、祭りの後の寂しさに包まれた皐月の群れが、駅へと向かっていた。口数は少なく、皆明日への希望を見出せずにいる。いつもなら次のライブへの期待とそれを活力に生きていけるという喜びが溢れてる帰路。だが、もう皐月達にその喜びが訪れることはない。
レイジも心に寂しさを抱えて、歩いていた。シズクは、鼻をぐずぐずいわせながら、強張った表情でその横を歩いている。泣いた理由をレイジに聞かれないように、話しかけるなオーラを全身から漂わせていた。
MAYにアカネの姿が重なって泣いたなんて、さながら思い込みの激しいセンチメンタル女で、それを誰にも知られたくなかった。
だが、レイジはそんなシズクの放つオーラなど気にもせず、そのことを聞いてきた。
「お姉さんのこと、思い出したの?」
「ああ?別に、ちょっと泣けただけだよ」
素っ気なくシズクは言い、右隣を歩くレイジとは反対の方を向いた。皐月の女の子がうずくまって、膝を抱えて泣いている。彼氏らしい男が側で何も言わずにそれを見守っていた。自分が泣いた理由とはかけ離れてんだろな、とシズクは少し自分に呆れた。MAYのライブを2度と観れなくなった悲しみは、シズクにはない。自分はMAYの為に生きているわけではないし、MAYも自分の為に生きているわけではないと知っている。でもこの皐月という人種の人達は、MAYに人生を捧げて生きている。何をどうこじらせて、そんな息苦しい生き方になるのかシズクには理解できなかったが、大切な人に2度と会えない苦しさと寂しさ、辛さはわかった。
「雰囲気に飲まれてさ。好きな人に2度と会えない辛さはわかるから」
さらっとシズクは嘘をついた。泣いた理由は、MAYにアカネを重ねたからだ。
レイジはしんみりと頷いた。
「まぁ、どのアーティストを好きになっても訪れる宿命ってヤツだからなぁ」
「本当はいてもいなくても人生変わらないような存在なのに、そんな存在に人生捧げるってよくわかんないけど、私は」
「俺はシズクちゃんの考えの方がわからないよ」
しんみりした心を打ち砕かれて、レイジは素っ気なく言った。
「身近な人の方がよっぽど大事だろ。何かしてくれんの?あんたが困った時にMAYは駆けつけてくれんの?」
「そういうことさ、今何で言えんの?」
少しイラッとしながら、レイジは言った。
「私にはあんたらのことがわかんないから。いまどういう心境で何を言われたら嫌なのかわかんない。言っとくけど、あんたさっき私が聞いて欲しくないこと聞いて私をイラつかせてるからな。おあいこなんだよ」
「あ、そうなの。それはごめん。でも俺、なんか言った?シズクちゃんの気に障ること」
「わかんなくていいよ。言いたくもないし」
「そうっすか。別にいいけど、言いたくないなら」
それから少し、2人は黙って歩いた。死んだように歩く皐月の群れを、訳もしらない通行人が、異様な目で見つめている。
シズクはそれを見て、鼻で笑った。
「私ら、さながら葬式の帰りだな」
「だーからさぁ、打ちのめすのやめてくんない?」
「深刻になり過ぎなんだって」
シズクは堪えられず、ケラケラ笑った。
前を歩いていた皐月の女性が、眉を寄せて振り返り、シズクを睨んだ。
シズクはその顔に見覚えがあった。相手も気づいた様子だった。
「聞いたことある声だと思った」
怒りを声に滲ませて言ったのは、オフ会でシズクと喧嘩したサキだった。
「あーごめんなさーい。図星で気に触っちゃったぁ?何の為に人生捧げてたかわかんないですもんねぇ、こうも簡単にやめられちゃあ」
シズクがデカデカとした声で言ったので、周囲の皐月達が一斉にシズクを見て、殺気を漂わせた。
「シズクちゃん、まずいって」
恐々となって、レイジはシズクの肩に触れた。
「セクハラ」
シズクはレイジを見もせず、ひとこと言ってレイジの手を払った。
「あなた、皐月じゃないよね?なんであなたがここにいるの?隣の彼は皐月なの?まさか転売ヤーからチケット買ったんじゃないよね?お仲間にいるだろうけど」
サキはシズクに負けじと大声で、これみよがしに周囲の皐月達にシズクの素性をわからせた。さらに殺気に満ちた視線が、シズクに注がれる。
「隣の彼は皐月ですぅ。MAYが一般の客も入れたいって言ってんのに、皐月で独り占めしてるあんたらは真の皐月って言えんのかなぁ?最後の最後でMAYの意向無視するって、どういう神経してんの?」
周囲の皐月は一瞬シズクに飲まれたが、サキは怯まなかった。
「はあ?あんたに私達の何がわかるの!?転売やって生きてるくだらない人間に、本気で愛を捧げている私達の想いは微塵もわからないでしょうね!!人の心ないんだから、この精神障害者!!」
「おい!いくらなんでも言い過ぎだろ!謝れ!人を傷つけてまで皐月の名誉守るなんてMAYも許さないだろ!!」
レイジが怒鳴り、ざわついていた皐月もしんとなり、皆冷静になった。くだらない、帰ろうと、それぞれシズク達を置いて、再び帰路につく。
だが、シズクとサキは睨み合ったまま、動かなかった。ここで会ったが100年、という様子でお互い一歩もひかない。
「もういいだろ、サキちゃん」
サキの連れらしい黒縁眼鏡をかけた七三分けの男が、溜息混じりに言った。
「君も、今日は勘弁してくれないかな?君にはわからないだろうけど、俺達今日は本当に駄目なんだよ」
七三分けが平静を装っているのが、レイジにはわかった。本当はサキと同じく、シズクを怒鳴り散らしたいのだろう。
しかしシズクは、憎しみを眼に宿してサキを睨んでいた。
「訴えてやる。名誉毀損だ。あんたのSNS知ってるからな。あんたが私にしたことネットで晒してやる」
「それこそ名誉毀損じゃないの?転売ヤーってやっぱり頭おかしいのね。だいたいあなたが精神障害者なのは事実でしょ?」
我慢の限界を超え、シズクの表情から感情が消えた。シズクはジーンズの後ろポケットに手をやった。皐月に絡まれることは予想していたので、いざという時の護身用の為に、あくまで威嚇する為に、小型の隠しナイフを忍ばせていた。
しかしシズクは、そのナイフを殺意を持って握ろうとしていた。
指先にナイフが触れた時だった。
「ちょっと待ったぁぁ!!」
すっとんきょんな声をレイジがあげた。
レイジはスマホを見つめて興奮気味に目を見開いていた。
苛立しげにサキがレイジを睨む。
シズクはナイフに触れた指先をポケットから抜いた。ナイフはそのまま、ポケットに入れたまま。
「何だよ」
「何?」
シズクとサキが同時に、レイジに言った。
「MAYからDMが、、、来た」
レイジがそう呟やくと、サキと七三分けが目を見開いて、レイジに近寄った。周囲を歩いていた皐月達もどよどよとレイジの周りに集まる。
シズクはアホくさそうに、離れてその様子を眺めていた。
「MAYはなんて?」
サキがシズクのことなど、もうどうでもいい様子で、レイジに詰め寄った。
レイジは深呼吸をして呼吸を整えてから、DMを読み上げた。
「隣の子、マッチだったね。カフェにいた子でしょ?知り合いだったんだね。最後なのに燃やせなかった(笑)私もまだまだだな〜^ ^皐月以外の子連れてきてくれてありがとね。その子だけだったから、今日は。よくわかった。私には世界を変えれないって。じゃあね、またどこかで」
震えた声でレイジが読み終わると、周囲の皐月達は一斉にシズクを見た。
シズクは面倒くさそうな顔をして、とりあえず口を開いた。
「母親がやってるカフェの常連だったんだよ。男に振られてから来なくなったけど。引退の理由、多分それだろ。っていうか、マッチって何」
皐月達の表情が神様を見るようになったので、シズクは引いた。なんなんだこいつら、とシズクは気味悪がった。
「マッチは、ライブでノリが悪くて棒立ちしてる人のことをMAYが揶揄して言ってるんだよ。そういう人達をライブ中にノらせることを、マッチを燃やすってMAYは言うの」
サキが言うと、周囲の皐月達も頷いた。
「ダッサ」
シズクが即言うと、皐月達も頷いた。
「私達はMAYの批判できないから」
サキが言うと、皐月達もまた頷いた。
「いや、身近な人間なら尚更言ってやれよ」
「私達はMAYすることは何でも愛さなきゃいけないの」
「わからんねぇ。それであんたらは幸せでも、MAYは満足なの?客観的な意見まで聞けなくなって、暴走とかしないの?」
「どうかな。常軌を逸するようなことはなかったけど」
「っていうか、何。男に振られたって」
落胆した様子で、七三分けが言った。
「電話で話してたから。すっげぇ怒鳴ってたよ。あれは男が悪いな」
シズクが言うと、皐月達は全員溜息をついて肩を落とした。
やっぱりかー、そんな気してたんだよなぁ、前もあったしー、男絡むとMAYはなぁ、と口々にぼやく。
「そんな理由なの?信じらんない」
サキの表情が怒りに満ちていた。
「ちょっと彼氏さん、MAYに返信してくれない?」
「いや、彼氏じゃないし。っていうか、これ返信していいの?じゃあね、って言ってるし、そういうのは求めてないんじゃ」
「いいから。貸してスマホ」
そう言うとサキはレイジの手からスマホを奪った。
「パスコードは?」
「1206」
サキは鬼の形相でレイジのスマホを開くと、返信を打ち込みはじめた。
鬼気迫るその様子に、レイジも皐月達も何も言えずにいる。
シズクはニヤニヤと面白そうにサキを見ていた。
しばらくして、サキの表情が歪んだ。
返信があったらしく、サキはレイジにスマホを返すと、肩を落としてレイジに背を向けた。
その様子を見て、シズクがるんるんとスキップでレイジに近寄り、レイジの手からスマホを奪った。
スマホを開き、MAYの返信を見る。
「ウザッ。アンタキライ」
サキの背中をニヤニヤ見つめながら、シズクはMAYの返信を面白気に読み上げた。
「ちょっとやめてくれる!?」
恥ずかしそうに、サキは言った。
「因果なもんだよなー。最後のライブでMAYのこと何とも思ってない私がMAYの目に焼き付いて、愛してやまないあんたが嫌われるんだもんなー」
ケタケタ笑って、シズクは言った。
「あなたの本性知ったら、あなただってすぐ嫌われるわよ」
強がってサキは言った。
「どうかなー。意外と気が合うかもよー」
「だったらあなたもDM送ってみれば?」
「やめなって。これ以上MAYに迷惑かけるな」
七三分けが言い、シズクからスマホを取って、レイジに返した。
「君、簡単に人にパスコード教えちゃダメだよ?」
「ああ、すぐ変えます」
「いや、そうじゃなくて、抜けてるね君。俺は堂本秋空。秋空って書いてアキラ」
「あ、鮫島怜二です。すんません、さっきはシズクちゃんが」
「いや、こっちこそ。サキちゃんは思ってること全部言っちゃうから」
「シズクちゃんもです。大変っすね、お互い」
「そうだね。君達は、付き合ってるの?」
レイジは全力で首を振った。
「違います。ありあえない、ありえない」
「だろうね。すごくよくわかる」
しみじみ、アキラは頷いた。
「すっごいムカつくんだけど」
サキがアキラに近寄りながら、言った。
「絡むなよ。ところで、シズクさんだったかな?」
「ああ、そうだよ。何?」
「これから、君のお母さんのお店に行っていいかな?MAYの話とか聞きたいから」
「いや、もう閉まってるし、家に帰ってるよ」
「いいじゃん、ママさんなら開けてくれるよ、優しいから」
レイジが軽い調子で言った。
「サンは日本の音楽興味ないし、あんたらと話したって、何の得もないだろ」
「私からもお願いっ。私達この夜をどう超えていいかわからないの。さっきはごめん」
サキが頭を下げると、シズクはまんざらでもない顔をして、見下した。
「ああ、そう?そこまで頼まれちゃうとなー。まぁ電話してみるよ」
シズクはそう言って、スマホを取り出した。
ありがとう、とサキが頭を下げる。
その肩をぽん、とアキラが叩いた。
しばらく、シズクはサンに発信したが、繋がらなかった。
「出ないなー。もう寝てんのかな?店の鍵は私も持ってるから、店には入れるけど」
「行きたいっ!」
サキが言うと、周囲の皐月達も頷いた。
「いや、全員は無理だし。あんたとその男だけな」
周囲の皐月達が落胆の声をあげた。
「ごめん。皆んなの分も、MAYを感じてくるからっ」
サキがそう言い、頭を下げると、渋々といった様子で皐月達は納得し、帰路についていった。
シズクは再びスマホをかけたが、サンには繋がらなかった。
「寝てんな、完全に。じゃあ行きますか」
シズクはスマホをポケットに入れると、歩きはじめた。
その後をレイジ、サキ、アキラが続く。
「シズクちゃん」
レイジが不意に、重い口調でシズクの背中に声をかけた。
シズクが肩越しに振り返ると、レイジは真面目な顔をしていた。
「落ち着ついて、絶対」
「何が?」
訝し気にシズクは眉を寄せた。
レイジのスマホを持つ左手が、震えていた。
「今母さんから、LINEがあって」
「えー、何?さっさっと帰ってこいって?」
「亡くなったって」
「あ?誰が?」
「ママさん」
「は?」
シズクは目でレイジに問い直したが、レイジは真っ直ぐ見つめ返して、涙を浮かべていた。
「間違いだろ、ここくる前も、普通に働いてたよ」
「タクシー止めよう。すぐ警察署行かなきゃ」
「なんで警察?」
「お店の中で、母さんが倒れてるの見つけた時はもう駄目だったんだって。救急車呼んで病院に運んだけど、病院に入る前に救急車の中で蘇生措置して、駄目だったから警察に運ばれたみたい」
「それ、今LINE来たの?」
「ごめん、ライブ中に来てたけど、母さんからのだし、ちゃんと見てなかった」
シズクの右手が無意識にポケットのナイフに伸びていた。
「鮫島君、逃げて!!」
アキラが叫んで、シズクの右手を抑え込む為に走った。
レイジは何が起こっているのかわからず、その場に立ち尽くした。
「何考えてんだよ!!お母さん亡くなったんだろ!!」
シズクの右手に強く握られたナイフが、レイジにも見えた。
アキラが気づいてシズクの手を抑えていなかったらと考えると、レイジはゾッとした。
「嘘だよな、嘘って言えよ。サンが死ぬはずないよな。私に何にも言わずに。嘘って言えよ!!!」
シズクの怒鳴り声が、夜の空に響いた。
アキラがシズクの右手首を強く握りしめて、シズクの手からナイフが落ちた。
サキが小走りに近寄って、ナイフを地面から拾いあげると、バックに入れた。
「警察、、、呼ぶ?」
サキがレイジに訊いた。
「いや、いいよ。大丈夫。それよりシズクちゃん、警察に連れていかないと。言ってること滅茶苦茶だ」
レイジは焦燥した様子で言い、シズクを見た。
シズクは地面に座り込んで、人目もはばからず泣きじゃくっていた。
子供のように、ずっと。
シズクの記憶は朧気だった。
レイジ達に無理矢理タクシーに乗せられ、警察署のどこかの部屋の前で、哲也と警察署の人間が話しているのを聞いていた。
サンが息を引きとるまでの経緯を説明していた。
死亡時刻を警察署の人間が告げた瞬間、サンの死が改めて現実のものになって、シズクを打ちのめし、シズクは膝から崩れ落ちた。
側にいたレイジの母親がシズクを支えてベンチに座らせた。
サンの遺体は、霊安室がいっぱいらしく、外に安置していると言われて、哲也とレイジとレイジの母とシズクは、署員に案内されて、そこへ向かった。
署員がシャッターをあけると、線香の香りが夜の空気に流れてきた。
哲也が最初に入って、サンだと確認し、署員に伝えた。
シズクはレイジの母に促されたが、その場を動かず、哲也がシズクの自由にさせてください、と言ったので、シズクはサンの顔は見ないまま、喫茶サンに帰った。
サンがりえに生前に伝えていたらしく、葬儀は身内だけの小さなものになった。
参列したのは、哲也、りえ、ショーコ、レイジ、レイジの母、サンの母親の6人だけだった。
シズクは通夜にも葬儀にもいかなかった。
深く意識は沈み込んでいた。
もう2日何も食べていなかった。
死ぬ気でいた。
サンのいない人生を生きる気にはなれなかった。
空腹は、死への希望だった。
手首を切ることも首を吊ることも飛び降りることも電車に飛び込むことも薬を大量に飲むことも、怖くてできなかった。
だから、ただ自然と何もせず死が訪れるのを待つことにした。
死ねばサンにまた会える。それだけをシズクは夢見ていた。
葬儀を終えて、哲也とりえとショーコが喫茶サンを訪れていた。
シャッターの開く音が聞こえていた。
毎朝サンを感じていたその音は、シズクの心を締めつけて、戻らない現実だけをシズクに教えていた。
階段を上がってくる音が響いた。
ドアが開いて、誰かが入ってくるのがわかった。
「シズクさぁぁぁん」
ショーコが涙声でベッドに横たわるシズクの下に駆け寄った。
シズクは無反応で、ショーコに背を向けたまま横になっている。
「起きてぇぇぇ。嫌だよぉぉ。死んじゃやだぁぁぁ」
ショーコには、シズクが死ぬ気でいるのがわかった。ショーコがシズクの体をゆすったが、シズクは何も言わなかった。
しくしくと泣くショーコの後ろに、りえが立っていた。
りえは、今にも消えそうな華奢なシズクの背中を見て、どうすればいいのかわわからなかった。
「起きて、シズクちゃん。下に、サンの遺骨持ってきてるから、会ってあげて」
りえが言うと、シズクはぼそりと、何かを言った。
「なぁに?」
ショーコが身を乗り出して、耳を澄ます。
シズクはまたぼそりと、何か言った。
「聞こえないよ。ちゃんと言って」
しばらく沈黙してから、シズクは掠れた声で言った。
「ぁんたのせいだろ。あんたがさっさっとサンのこと許して店にいたら、サンは助かったのに」
ショーコは、えーー、と戸惑った声をあげて、りえを振り返った。
りえは苛立った顔をしていた。
「そんなの、わからないでしょ。シズクちゃんこそ、どこにいたの?あーそうでしたね、娘のクセにお店も手伝わずに、ライブに行ってたんだよね」
苛立ちを、そのまま言葉にして、りえはシズクにぶつけた。
サンに向けたかった感情を、シズクに向けている気がした。
シズクは何も言い返さずに、横になったままだった。
「何か言いなさいよ!本当に親子揃って、私のこと責めて、何なのよあなた達は、自分のことばっかり。自分がどれだけ助けられて幸せに生きてこれたか、なんにもわかってないのね」
「お母さん、やめて」
ショーコが泣きそうになって止めた。
りえは、しばらくシズクの背中を睨んだが、シズクが何も言わないので、踵を返した。
「帰るわよ、ショーコ。ほっときなさい、こんな気狂い」
「ええー駄目だよ。私は残る。シズクさんの側にいる」
りえは振り返って、ショーコを見た。
その瞳は、あの日の、親友を守る為に警察に駆け込んだ自分の眼に似ている気がした。揺るがない、友情の焔。
「勝手になさい」
りえはぽつりと言って、帰ろうとした。
が、そこに哲也が入ってきて、りえは足を止めた。
「ああ、すいません。もうお帰りですか?」
哲也がきくと、りえは、ええ、と頷いた。
「そうですか。ああ、じゃあ仕方ないなぁ、、、。え?娘さん?わかったよ」
哲也がひとりぶつぶつ言っているのを、りえは不審に思いながら見ていた。揃いも揃って、病気なの?この親子達は。
哲也は失礼、とりえの横を通ると、ベッドの脇にしゃがむショーコに話しかけた。
「君が、ショーコさん?」
「はい、そうです」
「いつか会ったかな?」
「はい、一度だけ」
「そうだったかな。ああ、なんだよ、それだけか?そんなの言わなくても、、、わかったよ」
またひとりぶつぶつ呟く哲也をショーコもあっけにとられて見ていた。
ふとりえに目をやると、関わるな、と目で訴えて首を振った。
ショーコが哲也に視線を戻すと、哲也はおもむろにショーコに言った。
「友香が、、、あ、彼女が、シズクをよろしく、って言ってるんだが」
「は?友香って、ママさんですよね」
「ああ。私は、交流できるからね。死後の彼女とも」
哲也はチャネリングで、様々な存在と交信できる。いわゆる幽霊という存在とも、繋がることができた。
「あーそうでしたっけ。忘れてた。へぇー」
ショーコは少し焦ったが冷静になって、ベッドの上のシズクの肩をさすった。
「シズクさん、お父さんがママさんと話せるって。何か伝えたいこと、ない?」
「いや、彼女は君にさっきの言葉を伝えたかっただけみたいだ」
「えーダメダメ。シズクさんを立ち直らせられるのは、ママさんだけだから」
そう言うとショーコはベッドの上に身を乗り出して、シズクの身体を両手で激しく揺さぶった。
「シズクさん、起きてぇぇ。いまだけだよ、ママさんと話せるのは」
「いや、私と繋がればいつでも話せるんだが、彼女があまり話したくないみたいだ」
「いいんですっ。今だけってことにしとば、シズクさん騙せるんだからっ」
「騙してるわけじゃないし、そのつもりなら本人の前で言っちゃいけないよ」
「ぎゃーーっ。シズクさん、今のウソウソ。あー騙せるってのがうそで、今だけっていうのはホントだよ?」
滅茶苦茶なショーコに、シズクはクスリと小さく笑った。
「笑った?笑った!シズクさんが笑った!」
ショーコが目を輝かせて、哲也を見た。
「ああ、そうだね」
少し引きながら、哲也は言うと、りえの方を見た。
りえはまだ、不審の目を哲也に向けていた。
哲也は、りえの想いを察した。
「信じられないでしょうが、私は」
「信じません。私はあなたが何を言ったって。サンが何を言ったって。こんな時にそんなインチキで娘の機嫌とるなんて、本当にどうかしてるわ」
哲也の言葉を遮ってりえは言うと、ショーコの下へ歩いて、その手を引っ張った。
「行くわよ。この人達とは、もう関わらないで」
「なんで?そんなのお母さんでも決められたくないし、私はシズクさんの側にいるからっ!!」
ショーコはりえの手を振り払うと、キッとりえを睨んだ。
「あっ、そう。だったらもう家から出ていきなさい。いつまでも好き勝手やって、私が何でも許すと思わないで!!」
りえが怒鳴ると、ショーコも怒鳴り返した。
「いいよ!出てくよ!!ここでシズクさんと暮らすから!!全然幸せだし、親友のこといつまでも許せないお母さんといると息詰まっちゃって、もううんざりだから!」
「私の気持ちも知らないで、何なのよ!」
りえはショーコの両肩を両手で強く押した。ショーコは仰向けに倒れたが、すぐに起き上がると、ファイテングポーズをとってりえと向き合った。
「私は負けない!」
ショーコが誰に何の宣言をしているのかわからず、哲也はフッと吹き出して笑った。
シズクも同じだったらしく、クスクスと背を向けたまま笑っいる。
「もー知らない。うんざりよ」
呆れたように、りえは言うとショーコに背を向けた。
その背中に、哲也が声をかける。
「彼女が、あなたに楽しかったと言っています。一緒にいられて。それと忘れないよ、と」
心の中のわだかまりが、一瞬にして溶けていった。
りえは、口をぎゅっと閉じて、漏れてしまいそうな嗚咽を閉じ込めた。
高校最後の日。卒業式の後、校門の前で、りえはサンに別れの言葉をかけていた。
私のことは、忘れてよ。冗談めかして、りえはサンに言った。心では本気で。その方がきっと、サンは幸せになれると思った。自分の身に起こったことを知らないまま、自分の存在など忘れて、幸せに生きてほしかった。自分の存在がサンを苦しめることも、サンを不幸にすることにも、りえには耐えられなかった。
目の前で無邪気にしているサンの笑顔を奪いたくなかった。
このまま。サンの中の私がこのままで。1人の親友として残って、そして消えてほしかった。
忘れないよ。何があっても、私はりえのこと、忘れないから。
サンはそう言って、微笑んだ。
何も知らない、知らなくていい。その笑顔を幸せを守りたくて、そのことを胸に抱いて自分はこれから強く生きていけると思った。
何よ、忘れてってば。まぁ楽しかったよ、サンと過ごせて。世話は焼けたけど。
サンは、ふーん、と頷いて、じゃあね、と素っ気なく言って、立ち去ろうとした。
呼び止めて、ええ?楽しくなかったの?、と聞くと、サンはまた素っ気なく、おしえなーい、と言って、背を向けたまま右手を振って、去っていった。
その背中をりえはずっと見つめていた。見えなくなるまで。
「耐えられなかった」
震える声で、りえは哲也に背を向けたまま、言った。
「サンが同じ目に遭う方が耐えられなかった。私は、サンを傷つける人間を絶対許せなかった。自分のトラウマから逃げる為だけじゃないよ」
「わかってると、彼女は言っています。そして、私のことは忘れて、幸せになって、と」
りえは微笑みを浮かべた。
ああそうだね。あの日みたいに、別れようか。何事もなく、今度は無邪気な2人のまま。
「私は楽しかったよ。最後は大目にみてあげると、言ってます。それから、楽しかった?と訊いています」
「教えない」
りえは微笑みながら、呟いて、歩き出した。
背中でサンが笑っている気がした。
もう2度と会うことはない。
でも取り戻せた、2人の絆。
あの日まま、永遠に2人はずっと、魂にその記憶を刻んで、存在し続ける。
生まれ変わったら、またね。
サンの声が優しく、聞こえたような気がした。




