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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
19/22

19

 目覚めると気怠さを感じていた。シズクはベッドの上で、ぐずぐずと起き上がれずにいる。

 昨日、MAYのライブに行くことになっても、シズクの心は落ち着いていた。事故のトラウマが蘇って取り乱しはしないかと不安だったが、心は平静のままだった。トラウマはもう、克服しているのかもしれないと、シズクは思った。別にMAYのことを好きになれなくても、アカネの死に対する罪悪感や苦しみがなくなれば、それでいい。

 だったらライブに行く必要もないかもと思ったが、タダで、しかも日本のロックスターの最後のライブに行ったということが、いつかどこかで誰かを相手にマウントを取るのに役立つかもしれないと思い、シズクは行くことにした。

 それにレイジによるとチケットは紙チケットで、半券を高額で売ることが出来るなと、シズクの心は色めいていた。

 レイジには、LINEで今までのMAYのライブ映像を見返すように言われたが、面倒なのでシズクはしなかった。

 今更、冷めたロックスターへの熱が蘇るとも思えなかった。

 気持ちが昂ることもなく、トラウマに苛まれることもなく、シズクの心は平静のまま、昨晩は眠りについた。

 だが、目覚めた瞬間、シズクは思考や体が痺れているのを感じた。緊張した時に起きる感覚。働いていた時に感じていたような、毎日ストレスを抱えながら生きていた時の、ずっしりとした重い心に似ていた。

 体が拒絶している、とシズクは思った。

 直感で、どうしたって今日は良いことは起こらないと思った。

 シズクは、レイジに断りのLINEを入れようかと、だらだら起き上がってスマホを手に取った。

 だが、数文字打ったところで心がもやっとして、やめにした。

 シズクは頭を掻くと、大きく溜息を吐いてから立ち上がり、着替え始めた。サンと話そう、と思った。

 着替え終わるとウーパールーパーの様子を見て、糞がないことを確認してから外に出た。黒の鉄階段をカンカン鳴らしながら、降りていく。路面電車がゆっくりと、道路を通り過ぎていた。

 ここに来た日のことを思い出した。

 そうだ。私を見たりえさんが驚いた顔をしたっけ、とシズクは思い出した。あの時は、アカネの死に打ちのめされ、焦燥しきった顔をしていたから、単にひどい顔の女に驚いたのだと思った。

 実際は、親友が手放した娘が、くそつまらないドラマのように、店にやってきたからだった。

 サンがどんな顔をしていたかは、見ていない。サンとりえが何かを話していたのは、何となく覚えているが、内容はわからない。

 カウンターに座って、適当に玉子サンドのセットを頼んで、食べ終わってからそそくさと店を出ようと立ち上がった時、きつい眩暈に襲われて、倒れてしまった。

 意識はすぐ戻ったので、そのまま会計を済ませて帰ろうとしたが、店の外に出たところで、追いかけてきたサンに後ろから手を掴まれた。

 肩越しに振り返ると、大きな眼がシズクを真っ直ぐ見つめていた。

 愛のある人だな、とシズクは直感的に思った。

 サンは、無愛想な口調で、上で休んでいって、と言った。断っても、つべもなく、いいから休んで、と強引にシズクの手を引いて2階に連れていった。

 恐怖心は不思議となかった。

 サンはあの時、決めていたのだ。シズクをもう一度愛して、寄り添って行くことを。揺るがない決意が、シズクに恐怖も不信感も抱かせなかったのだろう。

 シズクは階段を降りて、植え込みの前を通ると、窓から中の様子を伺って、店内に入った。

 カラン、とドアが鳴る。

 カウンター席が2席空いている以外、店内は客で埋まっていた。

 シズクがいつも座っているカウンターの1番奥は、スーツを着た男性が座っていた。その隣が空いていたので、シズクはそこに腰を下ろした。

 「手伝おうか?」

 トースターをパタパタ開けて焼き加減を見ているサンの背中に、シズクは声をかけた。

 「あー、いいよ。今日は休んでて」

 振り返らず、サンは言うと、焼けた玉子サンドを2つのトースターから出して、お皿の上に置いた。

 両手にお皿を持って、せわしなくサンがカウンターから出て、ドアの前のテーブルへと持っていく。

 ここに来たMAYが座っていた席。MAYを見た瞬間に心が歪み、気分が悪くなったのを覚えている。あんたがいなければ、あんたのせいで、なんで私の前に現れるんだ。責めたてる思いが心に渦を巻いた。

 私に微塵の罪悪感も抱いていないサングラスの下の目は、真っ直ぐ自分を見つめているのだろう、とMAYと見つめ合って、シズクは思った。

 そしてその瞬間に感じた、この人は私のどんな理不尽な言い掛かりも受け止めて私を愛して許すだろうという、おおらかさ。

 それがシズクの心をさらに掻き乱した。

 嫌なヤツなら、なじって責め立てて罵倒して、気は晴れなくても自分の罪悪感から逃げることが出来たのに、受け止めなければいけなくなった。

 アカネの死が自分の責任であると。

 それが出来ずに、シズクの心は闇に沈んだ。

 今も受け止めれていない。心をごまかして、生きている。

 玉子サンドを提供して戻ってくる途中、ドア近くの窓際のテーブルのお客に注文を言われ、サンが伝票に書き込んでいた。

 戻ってきたサンは、食パンを用意しながら、シズクを見た。

 「ごめん、シズク。シズクのは後になるから」

 「あー、じゃあ今日はいいよ。この感じじゃ、ずっと来るだろお客さん」

 「今来てる人達の分出したら、落ち着くと思うけど」

 「いや、今日は来るよ。何となくわかる」

 「そう?そういう勘はいいよね、シズク」

 「蕎麦屋でバイトしてる時に養ったから」

 「私もわかるけど、シズクほどじゃないわ。ドリンクだけなら出せるよ?」

 「いいって。ちょっと話したいだけだったし」

 「え?何?」

 「いいから、仕事しろよ。大した話じゃないから」

 シズクは言うと立ち上がった。

 「上に戻るよ」

 「はーい。ライブ楽しんでおいでよ」

 「ああ、まぁそれなりにな」

 シズクは苦笑して、ドアへと向かった。

 カラン、とドアを鳴らして外へ出る。

 澄んだ朝の空気と水色の空。晴れて静かな平和に満ちた朝。

 シズクは心がヒリヒリしているのを感じながら、深く呼吸をして、朝の空気を吸い込んだ。

 まぁ、何とかなるだろう。楽観的に心を落ち着かせて、シズクは階段を上がった。



 夕方、レイジとの待ち合わせに向かう為に、シズクは駅に向かっていた。

 お店の前を通った時、窓から中を見るとシズクの直感通り、店内はまだ満席だった。少し疲れた表情のサンが、注文を伝票に書いていた。

 シズクは駅へ向かう途中、何度も襲ってくる窒息感に自転車を止めては、ゆっくり呼吸を整えてまた動き出すを繰り返していた。

 記憶の断片。道路に横たわったアカネの右手だけが頭に浮かんだ。

 閉じ込めているだけで、シズクはアカネの最後の姿を鮮明に記憶している。いつも脳裏に浮かぶ瞬間に掻き消している。

 今日は何故か右手だけが浮かんできていた。

 よくシズクの肩に腕をまわして、抱き寄せてくれたアカネの右手。その瞬間は満たされて、幸せだった。殺伐とした人生の彩り。何もかも許された気がしていた。歪な自分の性格。何かを憎んでいなければ、壊れてしまいそうだった危うさ。

 2度と感じることはない、幸せの象徴。感触。温もり。

 失ったものが押し寄せて、シズクに何かを訴えていた。

 やっとの思いで駅に着くと、地下の駐輪場に自転車を停めて、地下鉄の改札に向かった。

 改札の前で、レイジがスマホを見ているのを見て、シズクはそろりと近寄った。

 無言でレイジの側に立つと、気付いたレイジが、わっ、と驚いた。

 「何か言ってよ、びっくりした」

 「そんな集中して何見てんの?」

 「MAYの昔のインタビュー」

 「そんなのもう見飽きてんだろ」

 「色々思い出してんの。俺の青春はMAYと共にあったから」

 「あっそ。よくそうも変わらず好きでいれるよな」

 「変わる方が変なんじゃないの?まぁシズクちゃんは事情が事情だけど」

 「別にそれがなくても、反戦歌歌った時点で冷めてたと思うけどね」

 「なんで?シズクちゃん、MAYが世界を変えてくれるって信じてたんでしょ?」

 「音楽で世界は変わるとは思ってなかったから。本気で世界変えたいなら、政治家にでもなれよ、ってあの頃は思ってたよ。同じようなことしてるヤツら見て」

 「MAYが政治家になっても偏った政治になりそうだけど。私を愛する者は守る。それ以外は死ね的な」

 「だろうなー。私もあの頃は夢見てたからさ。ミュージシャンだのタレントだの影響力ある人間が政治家ならもっと世の中よくなるのにってさ。結局あの連中は、生きてく為にそう振る舞ってるだけでさ、世界を本気で変えようとか思ってないんだよ。自分の好きなことだけやって生きてたいだけ。だから政治家になったら結局自分の好きなことやって、めちゃくちゃにすんだよ、世の中を」

 「それも偏見な気がするけど」

 「愛されなきゃ商売になんないから、そういう風なことしてるだけだって。政治家の批判はするくせになりたくはないんだから。そうやって常識人ぶったら愛されんだろ。政治家がめちゃくちゃだから」

 「別に政治家がどうとかは関係なくない?そういうタレントばっかりでもないし。一部でしょ、ワイドショーとかで常識人ぶってる人なんて。MAYは愛されたいっていうより、自分を愛する人間以外はどうでもいいって感じだけど」

 「反戦歌歌うなんて愛されたい願望の象徴だよ」

 「いやいやいや、純粋に平和を願ってでしょ。あ、電車来るよシズクちゃん」

 「おう、無駄話に花咲かせたな」

 「もう慣れたけどね、シズクちゃんのそういうの」

 レイジは言って、改札を通った。シズクも続いて改札を通る。

 「私の言ってることなんか常識だと思うけどなー。変なこと言ってる気なんてないんだけど」

 「だったらシズクちゃんも愛されたいの?常識人ぶってさ」

 「あーかもねー。いつか影響力手にして政治家になったらビビリの常識人タレント馬鹿にしてやろうと思ってるから」

 「すぐ炎上するだろうけど」

 「だろうな」

 はっはっはっ、とシズクは笑った。

 「何か元気そうだね。お姉さんのこと思い出して辛いんじゃないかと思ったけど」

 「いや辛いよ。息も絶え絶えで駅まで来たから」

 「見えないんですけど」

 「人の心なんてわかんねーって」

 「ま、そうだね」

 レイジはショーコのことを思い出して、頷いた。

 アナウンスが流れ、電車が滑り込んでくる。

 電車の轟音が響く間、2人は黙っていた。



 会場に着くまでの間、レイジはMAYの現在までの活動内容の詳細を細かく話していた。昨日過去の動画を見るように勧めたのに、シズクがまるで見ていなかったからだ。けれどシズクは相槌は打ってはいたものの、そのほとんどを上の空で聞き流していた。

 シズクの頭にはあの日の記憶の断片が断続的に浮かんでは消えていた。


 朝、やっぱり今日も行きたいと頼み込んだ時のアカネの面倒臭そうな顔と隣で眉を寄せた母。

 そりゃ行きたくなったら言ってよ、て言ったけどさー。我慢するもんじゃないの?普通は。諦めた様子で言った後のアカネの溜息。

 昼、1人で昼食の焼きそばを食べているとアカネがやってきて、ここに置いとくからねとチケットホルダーをテーブルの隅に置いた。

 サンキュ、と言ったがアカネは無言でリビングから出て行った。

 夕方、うたた寝をしてしまって慌てて起き、急いで準備をして家を飛び出した。

 間に合うかなと、駅前で腕時計を確認した。開演時間にギリギリ間に合うかどうかだった。

 そこでハッとなり、リュックの中を探ってチケットを忘れたことを知って、血の気が引いた。

 引き返しながら、アカネに持ってきてもらえば引き返す距離が短く済むと思ってスマホを見るとアカネからの不在着信があった。

 折り返したが、出なかった。

 駐輪場から自転車を出して、全力で自転車を漕いだ。

 しばらく漕くと、先の方で人だかりがこちらに背を向けていた。

 その向こうで、路地から出たトラックが横断歩道を遮るようにして不自然に停車していた。

 邪魔だなぁ、事故?、そう思ってトラックの前で佇む人達の間をぬってトラックの前に出た瞬間、シズクはブレーキを握り両足を着いて自転車を止め、目を見開いて横たわっている女性を見下ろしていた。

 死んでる、直感的にそう思った。それはトラックの周囲に立ち止まってる通行人も同じらしく、誰もその女性の側に駆け寄ろうとしない。

 嫌なもの見たな、と思いながら自転車を降りて手で押し、遺体を避けて通り過ぎようとした。

 戻ってくる時は、廻り道しないとなぁ時間ないのに。考えながら視線を無意識に落とした。

 画面がひび割れたスマホが転がっていた。

 あの人のか、酷いな。スマホ見ながら歩いてたのかな。

 また無意識に車道側に視線が動いた。赤い自転車が前輪を歩道から車道に投げ出して倒れていた。

 自転車吹っ飛んでんじゃん。

 少し離れた場所まで自転車を押した。

 突然、悪寒が全身を走った。

 そんなわけ、ないよな。倒れていた女性の顔を思い出そうとしたが、ぼやけて思い出せない。別人だった気がした。

 シズクはよろよろと、自転車を歩道の脇に止めた。

 鼓動が、全身に響くようだった。

 振り返って、ゆっくり歩き出す。

 立ち止まっていた通行人は1人2人とその場から離れようとしていた。

 歩きながら、トラックの前で横たわる女性の足をシズクは見ていた。

 違う、違う、違う、こんなんじゃない。

 リビングのソファで仰向けに寝転がり、足を組んでスマホをいじる姿が脳裏に浮かんだ。

 この足は違う。絶対違う。

 絶対にーーー。

 遺体の足下に立った。

 頭の下からは、血が広がっていた。

 見開いた瞳は何も捉えていない。

 シズクは女性の顔を凝視した。

 死んでいるのは、アカネだった。


 会場の外は長蛇の列で、皆MAYのグッズを身につけていたり、過去のライブTシャツを着たりしている。皐月が余ったチケットは落選した皐月に譲渡するように連絡を回しあっているので、列に並んでいるのはシズク以外、全員皐月だった。

 皆ライブの興奮よりも、今日が最後という現実を受け止めきれずにいるような、何処か心もとない表情をしている。

 レイジとシズクも列に並んだ。

 2人の後ろも次々と皐月が連なっていく。

 グッズも何も身につけていないシズクは何だかその状況が面白くなった。

 「皐月でもないのに今日この場所にいるの、私だけじゃね?」

 周りに知られぬよう、シズクは小声でレイジに聞いた。

 「まぁ多分そうかな」

 レイジは特に気にする様子もなく答えた。わかっててシズクを誘ったのだから、当然の反応だ。

 チケット販売は皐月限定だが自分みたいな連れ添いも多少はいるだろうとシズクは考えていたが、これまで見た人達の中に、そんな雰囲気の人は1人もいない。

 皆、MAYへの愛を放っている人ばかりだ。

 「浮いてんな、私」

 「そうだね」

 レイジは会場に着く少し前から、MAYの活動内容をシズクには話すのをやめていた。

 地下鉄の中で、全身MAYグッズで固めた筋金入りの皐月らしい女性にシズクが睨まれている気がしたから。自分もシズクに合わせて着けている皐月限定のリストバンドとネックレスを外そうかと一瞬迷ったが、それこそ2人して絡まれそうなのでやめにした。

 「チケットないヤツも来てるな」

 会場から続く列を、少し離れた所から物寂しそうに見つめる人がそこらじゅうにいた。

 「だね」

 「見れないのに来ても、虚しいだけだろうに」

 シズクが言ったの同時に、開場したらしく、列が進み始めた。

 「少しでも感じたいんだよ、この空気感を」

 「余計寂しくなるだけじゃん」

 シズクは言って、シニカルに笑った。

 「それでも近くにいたいんだよ。MAYの最後なんだから」

 レイジが言うと、シズクがまた皮肉に笑った。

 「死ぬわけじゃあるまいしさ」

 レイジは何も言わず、黙って歩いた。

 シズクも黙って歩いた。物寂しそうに列を見つめる皐月を、にやにやと横目で見ながら。


 会場に入ってから、シズクはまた、あの日のことを思い出していた。

 到着した救急隊員が蘇生処置を行なっている傍らで、シズクは俯いて地面を見つめていた。

 私のせいじゃない、私のせいじゃない、私のせいじゃない、、、、。認めれば発狂してしまいそうで、シズクはひたすら自分に言いきかせていた。

 アカネがストレッチャーで運ばれる。救急隊員が家族か知人がいないかを確認していた。

 シズクは黙って俯いていた。アカネの家族であることを認識されるのが怖かった。アカネの死を認める行為は一切したくなかった。

 救急車がサイレンをあげて去っていく。

 シズクは自転車まで歩き、サドルに腰掛けて生気なく宙を見つめ続けた。事故の知らせを受けた哲也から着信があっても、ずっと。


 「ちょっと遠いかな」

 自分達の立つスペースに着くと、レイジが目を細めてステージの方を見ながら言った。

 ステージはシンプルで花道もなかった。

 「いくら急だからって、何にもなさすぎね?」

 拍子抜けした感じで、シズクは言った。

 「最近のステージはこんな感じだよ。何年か前から、エンタメ性よりどんな会場でもライブハウスの雰囲気を出すことを意識してるから。さっき言ったじゃん」

 聞いてなかった、とシズクは心で呟いた。

 「にしたって何もなさ過ぎだろ」

 「まぁ確かに、、、」

 小さい箱とはいえ、スクリーンもなしか、とレイジは思った。でもその物寂しさがラストライブを印象付けているような気もした。

 「最後は、そのままを感じて欲しいんだよ、きっと。スクリーンの中のMAYじゃなくて」

 自分を納得させるようにレイジは言った。

 「手抜きのステージなんて詐欺じゃねぇか。しかもラストライブでさ」

 シズクの言葉に感傷的になっていたレイジの心はぶった斬られた。



 「あったま、おかしいんじゃないの!?」

 静子が怒鳴り散らし、テーブルの上にあった雑誌をシズクに投げつけた。雑誌はソファに座るシズクの足に当たって、バサリと床に落ちた。

 シズクは度重なる哲也からの着信に出ず、放心状態のまま帰宅して、自分の部屋のベッドに体を沈めていた。

 アカネの遺体と対面し、帰ってきた哲也と静子は、ベッドに沈んでいたシズクを部屋から引きずり出し、リビングで問いただした。

 シズクはチケットがないのに気付き、引き返した所で、事故現場でアカネを見たことを話して、黙り込んだ。

 最初は気付かなかったけど、寒気がして、戻って見たら、アカネだった。

 シズクが掠れた声で言ったのを聞いた静子は怒鳴り、雑誌を投げつけた。

 「だったらどうしてあんた部屋にいるの!なんで救急車に乗らなかったの!」

 静子は言いながら、シズクに近づき、シズクの両肩を掴んで激しく揺らしながら続けた。

 「私達に電話もしないで、何してたのよ一体!」

 シズクは深く俯いたまま、黙っていた。

 「おい、やめろ静子」

 哲也が後ろから静子の右肩に手を置き、言った。

 「この子おかしいわよ!何をどう考えたら、そんな行動できるのよ!」

 「やめろ!」

 哲也に強く言われ、静子はシズクの両肩から手を離したが、その顔には憤怒が張りついていた。

 「やっぱりあの時、病院に連れていくべきだったのよ。頭おかしいわ、この子」

 哲也の方を振り向きながら、吐き捨てるように静子が言った瞬間、哲也の右手が静子の頬を叩いた。

 乾いた音がリビングに響く。

 頬を叩かれ、一瞬狼狽えた静子だったが、すぐに威勢を取り戻した。

 「なにするのよ」

 哲也は黙り、視線を静子から外した。

 「黙りこくって、この子そっくり。あなたはいいわよね、この子の方が大事ですものね、アカネよりも」

 「いい加減にしろ」

 「愛だとか幸せの世界だとか言って、結局腹が立ったら暴力に走るんじゃない」

 嘲笑するように、皮肉るように言って静子は哲也から離れた。

 すれ違いざまに静子は小声で、この子が死ねばよかったのよ、と哲也に耳打ちした。

 哲也は怒りを押し殺すように眉を寄せから、ギュッと目を瞑った。

 シズクは囁くような静子の声を、しかしはっきりと聞きとっていた。

 何かがプツリと、シズクの中で切れた。

 シズクはバッと立ち上がり、その場から駆け出した。

 「おい、シズク!」

 哲也の呼び止めを無視して、シズクはリビングを飛び出し、階段を駆け上がって、自分の部屋に入った。

 そして机の上の財布を手に取ると、すぐにまた階段を駆け降り、玄関まで走った。

 リビングから哲也と静子が出てきてのが、足音でわかった。

 「シズク!」

 「どこ行く気よ、あんた!」

 2人の声が重なり、背後から響く。

 シズクはスニーカーを引っかけ、踵を踏み潰しながら振り返り、叫んだ。

 「死んでやるよ!!望み通り!!消えてやる!!もう嫌だ!こんな家!!」

 叫んで、玄関から飛び出した。

 涙を流し鼻を啜りながら自転車に乗り、シズクは夜の街を走った。



 明かりが消え、ステージだけを照明が照らす。歓声が鳴り響き、ステージ奥から1人2人とバンドメンバーが姿を見せる。

 それぞれが楽器をスタッフから受け取り、観客を煽る仕草をする。

 メンバーが定位置につき、ドラムがドドンと短く叩かれた次の瞬間、鼓膜が破れそうなほどの絶叫に近い大歓声があがった。

 シズクは、うっせぇな、と両手で耳を塞いでいた。

 隣を見るとレイジが両手を口にあてて、メーイ!!!、と叫んでいた。ジブリかとシズクは思った。

 阿呆を見るような眼でシズクはステージに向かって叫び続けるレイジを見て、それからステージの方に目をやった。

 緑の髪をオールバックにしたMAYが右腕をあげてステージの奥から出てきていた。

 ステージ中央まで歩き、スタッフからマイクを受け取る。マイクを持った右腕を何度も振り上げながら、ステージの前方まで歩く。右腕が上がる度に、男の皐月が野太い声をあげて呼応し、両腕を突き上げていた。

 歓声、悲鳴、絶叫、すべてが混ざる。皆、制御不能に陥ったように、声をあげ続けている。

 こういう狂気じみた、宗教の教主を狂って崇めるような感じは嫌なんだよな、とシズクは1人眉を寄せていた。

 響きわたる歓声の中、MAYはステージ前方に置いてある黒いボックスのような物に右足を乗せて、上体を沿って右手を突き上げて、天を指差しながら叫んだ。

 「今日が最後だ!!暴れろー!!」

 地鳴りのように歓声が、応える。

 激しいドラムからはじまるナンバーで、ライブがスタートした。


 序盤は、MAYが鬼気迫るパフォーマンスで、突然の別れに対して皐月が放つ悲しみや憤りのエネルギーとぶつかり合っていた。

 突然告げた別れに対する気遅れや後ろめたさ、哀愁などは微塵もMAYは感じさせなかった。

 むしろ、へこんでんじゃねぇよ、最後で何が悪い、と挑発的に皐月を叱咤しているようだった。

 激しいナンバーが続き、負のエネルギーを発散した皐月が冷静さを取り戻しはじめたタイミングで、アップテンポの曲が演奏された。

 鬼気迫る表情から余裕と抱擁力ある表情へとMAYの顔が変わる。ぶりかりあっていたエネルギーが、柔らかく溶け合う。皐月のエネルギーも、いつものようにライブを楽しむものに変わっていった。

 アップテンポの曲が終わると、MAYは満足気な笑みを浮かべながら、口を開いた。

 「戻ってきたね!いつもの感じ!楽しまなきゃ!最後なんだから楽しむ以外ないよ!」

 皐月が喜びの声をあげて、応える。

 すべてを受容するようなMAYの姿は、3年前のライブで見たMAYとは、別人のようにシズクには感じられた。

 あの時見たMAYは、余力など残さず、ステージの上で全力で燃え尽きるような迫真さがあった。

 今のMAYには全力を全力に見せない余裕と会場にいる皐月全員を包み込む抱擁力がある。すべての皐月の気持ちに応えている。

 強烈なカリスマを見せつけられていただけの3年前とは、会場の空気も違う。

 「後ろー!!」

 MAYが遠くを指差し叫ぶと、シズクの背後から歓声が響いた。

 「後ろまで届けるからね!楽しませるからね!前も真ん中も、全部全員!!」

 会場全体から歓声が湧き上がり、MAYが満面の笑みで応える。

 「なんか雰囲気変わったな」

 ポツリとシズクは呟いた。

 呟きは歓声にかき消されて、レイジは、え?何?、と耳に手をあてる仕草をした。

 「なんでもない!」

 少し声を張ってシズクが言うと、レイジは視線をステージに戻した。

 まぁ3年も経ってりゃ当たり前か、とシズクは心で呟いた。

 3年間。あの日のことを受け止められずに、シズクは毎日をやり過ごしていた。湧きあがってくる自責の念を無視して、目を逸らして、背を向けて、生きてきた。

 平穏に見える日々を不意に蝕んでくる悪夢に飲み込まれまいと、シズクの心はいつも緊張状態だった。

 その緊張がMAYを見ていると何だか解れていくような感覚になった。

 大丈夫だよ、とMAYが暖かく包み込んでくれているようだった。

 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、何度も思った。アカネが行く筈だったあの日ライブに行きたいと言わなければ、チケットを忘れなければ、もっと言えばライブがなければ、MAYがいなければーーー。

 そこまで考えて、シズクは不意に感情がこみ上げてくるのを感じた。

 その無茶苦茶で理不尽な怒りの感情を受け止めてもらいたかったのかもしれないと、シズクは思った。

 3年前のあの時、闇の中で孤独で閉鎖的で窒息死してしまいそうなほど苦しい心の中で、唯一の光、安らぎがMAYの存在だった。

 けれど結局無関係な存在なんだと、苦しくても何をしてくれる存在でもないんだと、諦めのような感情と共に、シズクはMAYから距離を置いた。そしていつしか憎しみのような感情すら抱いていた。

 あの頃のMAYがライブでよく言っていた、私がみんなを守るから、という言葉。守れもしないくせに、何にも出来るわけがないのに。軽々しく無責任な。

 サンやレイジが言う通り、ガキっぽい逆恨みだったなと、今シズクは思った。テレビのヒーローが偽物と気づいて拗ねる子供と一緒だ。

 そう思うと何だか恥ずかしくもなり、可笑しくもなった。

 けど、今のMAYは違う気がする。偽物のヒーローが本物になって、現れた気がする。

 あの時求めていたMAYが今は目の前にいる。そう思うと、シズクは胸が高鳴るのを感じた。


 ライブは中盤を過ぎていた。大ヒットナンバーから皐月に人気のレアナンバーまで織り交ぜたベスト盤のようなセットリストに、皐月は最後ということを忘れて、大いに楽しんでいた。

 シズクの知らない曲も数多く歌われたが、そのどれもがシズクの心を踊らせた。リアルタイムで聴いてこなかったことを、シズクは少し悔やんだ。MAYに背を向けている間も、皐月の血は変わらずシズクの中に流れていた。

 ミディアムナンバーが終わり、照明が落ちて会場が暗くなった。響いていた歓声が静まる。再び照明がステージを照らすと、MAYは飲んでいたペットボトルの水を置き、マイクスタンドを自分で持って前へ出てきた。

 マイクスタンドを置くと、右手を腰にあてて俯き、目を閉じて何かを思案しているようだった。しばらくその姿勢でいたが、ふと瞳を閉じたまま顔をあげると、強い眼を開けて皐月に語り始めた。

 「これから言うことは、信じられない人もいるかもしれない。いなくなる人間が何言ってんだって、思う人もいると思う。私のしていることは、もしかすると裏切りかもしれない。それでもーーー」

 MAYは一端言葉を切り、続けた。

 「みんなの前からいなくなっても、私はみんなのことを守りたい。どうやって守るんだって言われても、理屈ではなく、そういう存在でありたいと思ってる。私は絶対みんなを傷付けない。絶対に傷付けない人間がここにいるってことを、これからもずっといるって事を信じてほしい」

 MAYの吐露に、皐月は拍手で応えた。

 すすり泣く人達もいる。毎日を張り詰めた心で生きて、すがるように今この場所にいる人達もいる。

 シズクの横でレイジが鼻を啜っていた。

 「私を信じてくれる人、どんな人間だって全員受け止める気持ちで歌います。聞いてください。sure」

 拍手が起き、悲鳴に似た声が会場の至る所から聞こえた。sureはMAYの隠れた名曲で皐月の中では1、2を争う人気のバラードだ。だが、ライブで歌われたことは今まで一度もなかった。

 再び照明が落ち、会場がしんと、静まり返る。静寂にピアノの音色が響く。

 アカネもこのピアノのイントロが好きだと言ってたな、とシズクは思い出した。MAYの中で、この曲が一番好き、と言っていた。

 えー私もだよ、気持ち悪い。と、シズクは半分照れ隠しで応えた。

 「何でよ」

 アカネの声が鮮明に聞こえた気がした。

 語りかけるようにMAYが歌っている。

 シズクの頭の中で、記憶が飛ぶ。

 中学生の頃、びしょ濡れになった通学カバンを抱えてシズクは帰宅した。

 玄関にいた静子は振り返ってシズクを見たが、気付かなかったのか何も言わずにリビングへ歩いていった。

 何も言われなかったことに安堵しながら、階段をあがり、自分の部屋に入った。

 濡れたカバンを机の上に置き、ファスナーを開けた。カバンはファスナーを開いた状態で蛇口から水を注がれていたので、教科書もノートも何もかもびしょ濡れだった。

 放課後、日直で教室に残っていた所に、喋ったこともないクラスメイトの女子が、担任が職員室に呼んでいると言ってきた。

 カバン置いてきて、て言ってた。

 そう言われて、特に何の疑問もなく職員室に行った。しかし職員室に行くと担任は呼んでないと言い、訝しながら教室に戻るとカバンがなくなっていた。

 教室には誰もいない。冷静を装いながら教室中を探したが、どこにも見当たらなかった。

 「あの女、、、」

 平然と嘘をついたクラスメイトに苛つきながら、教室を出た。

 内向的で喋るのが極端に苦手で友達も出来ず、クラスで浮いている自覚はあったが、こうも露骨な嫌がらせを受けるのは、初めてだった。哲也のことで陰口を言われるようなことは、度々あったけれど。

 世界が変わったような気がした。心の奥底で恐れていたことが現実になってしまった。

 担任の下へは行かなかった。担任もグルではないかと疑った。

 学校中を見て回り、怒りと悔しさで泣きそうになりながら、もう一度教室のある階に戻った。

 階段を登ると、階段の正面にある手洗い場の蛇口から水が流れっぱなしになっていることに気づいた。よく見ると落ちる水は、シズクの通学カバンに注がれていた。

 『シレンはきっと私を許してくれるよ(笑)』そうマジックで書かれた紙が、カバンにセロテープで貼り付けられていた。

 濡れたノートと教科書をカバンから出していると、鼻が詰まり呼吸が苦しくなった。うぐっ、えっぐ、と嗚咽が漏れる。止めようとしても嗚咽は止まらなかった。理不尽な悪意に対する術を、シズクは持っていなかった。悲しみや怒りや悔しさと共に、自分の間抜けさにも腹が立った。

 「シズク?」

 嗚咽しながら涙を拭っていると、アカネの声がした。部屋のドアを閉め忘れていた。

 アカネが入ってくる気配がしたのでシズクは、来んな!、と涙声をあげたが、アカネは無視して入ってきた。

 アカネは泣いているシズクと濡れたカバン、ノートと教科書を見て察した。

 「父さんに言ってくる」

 アカネは平静を装って言い踵を返したが、シズクがその腕を掴んで、止めた。

 「言うな!」

 あげた声は震えていた。嗚咽も止まらない。

 「でも、、、」

 「あいつのせいじゃん!!」

 何かを言いかけたアカネを遮って、シズクは怒鳴ると、カバンから濡れてクシャクシャになった紙を取り出し、アカネに押しつけた。

 そこに記されていた嘲笑の言葉を目にした瞬間、アカネの瞳に怒りが宿ったのをシズクは感じた。

 「こんなの、、、」

 怒りを押し殺した声でアカネは言ったが、言葉は続かなかった。放っておけばいいとは口に出来ぬほど怒りがこみあげていた。悪意ある行為をしたシズクのクラスメイトにも。家族にも偏見の眼が向くであろう軽率な発言をテレビでした父の哲也にも。

 「なんであんなこと言ったんだよ、あいつ!」

 アカネに怒りをぶつけても仕方ないとわかっていても、シズクはやめられなかった。

 「家族が、子供がこういう目に遭うことぐらいわかんじゃん!」

 「そうだね」

 アカネはひとこと言って、ぎゅっと口を閉じると視線をシズクから外した。怒るシズクを、苦しんでるシズクを見ていられなかった。

 「ムカつく、、、」

 嗚咽しながらシズクは言うと、膝をついて座り込んだ。俯き、両手を床につく。床の上で右手を固く握ると、右腕を振り上げ、床を叩いた。ドンと鈍い音が響く。

 「やめなよ」

 アカネが止めたが、シズクは何度も右腕をふりあげ、床を叩いた。

 「やめなって」

 言いながらアカネはしゃがんで、シズクの両肩を掴んだ。肩を掴まれたシズクは、それを振り払うように両膝をついたまま、上体を床に伏せて頭を抱えた。

 「死にたい、死にたい、死にたい」

 小さく低い声で、シズクは繰り返した。

 「シズク、、、」

 「死にたい、死にたい!死にたい!!」

 最後は叫ぶように、声を荒げた。

 「もうやめなって」

 アカネも涙声になっていた。シズクの気持ちが痛いほど伝わっていた。ここで救えないと本当に死んでしまうと、アカネは強く思った。

 アカネも膝をついて座り、覆い被さるように頭を抱えているシズクの両手の上に自分の顔をもってきた。

 「辛いよね。苦しいよね」

 震える声でアカネは言った。

 シズクは顔を床に伏せまま、嗚咽を押し殺すように、呼吸していた。

 「でも死ぬとか言わないで。シズクが死ぬのは嫌だよ、こんな事で」

 アカネが泣いているのが、シズクに伝わった。

 「本当に死ぬ?本気なら、私も一緒に死ぬ。一緒に死んで、一生後悔しても償いきれない罪を父さんと馬鹿なクラスメイトに背負わせてやる」

 しばらく沈黙が流れた。アカネもシズクもグズグズと鼻を啜っていた。シズクは心が少しばかり軽くなるのを感じていた。

 「ってない」

 「え?」

 「死ぬって言ってない」

 ボソっとシズクは言った。

 「へ?」

 「死にたいって言ったんだよ。死ぬとは言ってない」

 シズクが言いながら上体を起こしたので、覆い被さっていたアカネも一緒に体を起こした。

 「言ってるようなもんじゃん」

 フッと笑ってアカネが言った。

 「全然違うし」

 言い返し、シズクはへへっと笑った。

 嵐が過ぎ去った後のように、心は平穏を取り戻していた。荒れ果ててはいるが、空気は、心は澄んでいた。

 シズクは机の上の濡れたカバンとノートと教科書に目をやった。涙を手で拭いていたアカネも、つられて見た。

 「どうすっかな、これ」

 泣き腫らした目で濡れたカバンを見つめながら、シズクは言った。

 「乾かし方調べよう。あ、スマホ部屋だ」

 アカネは言って、立ち上がった。

 「取ってくる」

 シズクは片時もアカネと離れたくない気持ちになっていたが、黙っていた。

 大丈夫、生きていける。部屋を出て行くアカネの背中を見つめながら、シズクは自分を抱きしめて、思った。


 sureの後半部分、それまでピアノのみだった演奏にバンドが加わる。

 シズクはマイクスタンドに両手を添えながら歌うMAYを見つめながら、思い出した。

 同じこと言ってたな、忘れてた。アカネの思い出は心の奥底にしまっていた。

 私は絶対、シズクのこと傷つけたりしないから。

 教科書をドライヤーで乾かしながら、何でもないようにアカネは言った。

 そういう人が絶対側に1人いるってことを、信じてほしい。

 信じようと思った。信じられる人間が1人いるだけで、人は生きていける。単純に、でも強くシズクはその時思った。

 でも、アカネは死んでしまった。MAYも、いなくなる。

 MAYにアカネが重なって見えた。


 ライブは終盤に入っていた。ハードなナンバーが続き、皐月は激しく体を揺らしてステージへエネルギーを放っていた。

 MAYもステージを走り回り、キレのある動きで皐月を煽った。

 一瞬一瞬を逃さないように、焼き付けるように。二度とないこの瞬間をMAYと皐月は駆け抜けた。

 MAYがステージ左にいるギターの下に走り、ギターの右肩に左手を置いて激しく歌う。MAYがシャウトし、超高速のギターソロが炸裂する。

 シズクはただ圧倒されて、体を揺らすことなくステージのMAYを凝視し続けていた。

 圧倒されてはいたが、MAYの一挙手一投足にアカネの存在を重ねて見ていた。アカネはロックなんて歌わないし、キレのある動きなんてまったくしなかったけれど、MAYのハードなパフォーマンスの中にも感じられる柔らかな抱擁力がアカネを思わせた。絶対に人を傷つけはしないけど、強く激しい。

 シズクはずっとこの時間が続けばいいと思った。アカネの存在をずっと感じていたかった。

 「アリガトーーー!!!」

 MAYが叫んだ。ドラムが激しく叩かれた後、残響を残して演奏が終わる。MAYの荒い呼吸音がした。

 右手を頭に添えながら、MAYがゆっくりとステージ中央に歩いていく。冷めぬ熱気が皐月から溢れる中に、寂寞が混じる。終わってしまう、と皐月の心がぎゅっと締め付けられた。

 「疲れたぁ」

 急に甘えた声でMAYが言い、沈みかけた空気が和んだ。ギターが何かを言い、MAYがハハッと笑う。ステージ近くにいる皐月からは笑い声がした。

 MAYは自分で頭を撫でながら、照れくさそうにしながら、話しはじめた。

 「今日はみんな、本当にありがとうございます。私のわがままで急に決まったのに、こんなに来てくれて。最初はね、殺気が凄かったけど」

 会場中から笑い声がし、MAYも笑った。

 「最後だって考えないように、感じさせないようにやってきたんだけど、、、」

 急に言葉が詰まり、MAYのすすり泣きが響く。皐月が頑張れー、愛してる、やめないでー、と思い思いに叫んだ。

 手で涙を拭い、呼吸を整えるように右手を胸に当て、MAYは話を続けた。

 「本当はやめたくないんだけど、みんなにも諦めたくないこと、絶対叶えたい夢ってあると思うけど、あと絶対別れたくない人とか、でもーーー」

 言葉を切り、MAYは1回深く深呼吸した。

「そうもいかないよね。生きるってね、そういうことなのかな」

 MAYが弱音が、皐月にこれが最後なのだということを一層強く感じさせた。ステージの上では、いつも華やかで強くポジティブであり続けたMAYだ。

 「・・・・生きるって辛いね」

 絞り出すように言い、MAYは苦笑いを浮かべた。

 シズクの眼が潤む。冷たく凍っていた心の一部が温かく溶けるのを感じた。自分のすべてを理解してもらえた気がした。

 「苦しいよね」

 そこでMAYは言葉を止めて、涙を拭ってから笑みを見せた。

 「なんか重たくなっちゃったね、空気」

 ハハッとMAYは笑った。

 「最後だし、みんなにお礼を言います」

 会場から拍手が起こる。

 「今まで、私の夢を叶えてくれて、ありがとうございました!」

 MAYは頭を下げた。再び皐月がやめないでー、こっちがありがとうだよー、愛してるー、と思い思いに叫ぶ。

 「私は今日でいなくなるけど、今日からみんなが主役になるから!今度はみんなが夢を叶えるところを私に見せてください!絶対見てるからね!」

 拍手と歓声が響く。

 私は今日でいなくなるけどーーー絶対見てるからね。この2つの言葉がシズクにはアカネからの最後のメッセージのように感じた。

 側にいてくれたんだろうと思った。アカネの死の責任から目を背け続けた自分の側に。私が気付かなくても、ずっと寄り添っていてくれたんだろうとシズクは思った。アカネはそういう人だ。

 「みんなが自分の夢を叶えたその先で、また会えるって信じているから!」

 MAYの最後の言葉に嵐のような歓声が会場に響き渡る。

 またね、シズク。アカネの声が聞こえた。

はっきりと頭に響いた。

 「ラスト!DREAMER IS BEAUTIFUL!!」

 ドラムが独特のリズムを叩き、演奏が始まると同時に、シズクは蹲って泣き出してしまった。押し殺してきた感情が一気に溢れ出るようだった。

 「ごめん、ごめん、ごめん」

 嗚咽をあげながら、シズクはあの時言えなかった、道路で横たわり動かなくなったアカネにかける筈だった言葉を口にしていた。

 「私のせいだ。ごめん」

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