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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
18/22

18

 「ねっむ、、、」

 シズクは眠たそうに欠伸をして、ベッドにもたれて床に足を伸ばした。

 ローテーブルの上には、空になった晩御飯の食器が並んでいる。

 「水入れようか?」

 ローテーブルの向こうでクッションの上に座っていたサンが、立ち上がりながら訊いた。

 「いや、いらない」

 シズクは答えると首筋を右手で掻き、だらんと頭をたれた。

 「寝るならベッドの上にいけば?」

 サンは食器を重ねて片付けながら、シズクに言った。

 シズクは、うーん、と唸りながら、そのまま床の上に、体を横たえた。

 「ちょっと、風引くわよ」

 サンは重ねた食器をローテーブルの上に置いて、シズクの下へと歩いた。

 「起きて」

 しゃがんでシズクの肩に手を置いて、体を揺らす。

 シズクは、むりー、と囁いて、そのまま寝息をたてはじめた。

 「もー。風引くってぇー」

 サンは呆れたように言いながら、ベッドの上の毛布を引っ張ってきて、シズクに掛けた。

 シズクは、安心しきった様子で、すやすやと眠っている。

 シズクがサンのことを本当の母親と認識してから、時折シズクから感じた殺伐とした雰囲気が徐々になくなってきているのを、サンは感じていた。

 安心して心を委ねられる人がいるだけで、人はそうして心が和らいで、自分を取り戻せていける。

 サン自身も、両親が死んだ後に伯父に引き取られてから、心が落ち着いたのを覚えている。

 血の繋がらない母親はサンを愛することはなく、父親は愛人との間につくった子供ということに引け目を感じて、サンとは距離を取っていた。

 愛情を感じられずに育ったサンが初めて愛情を感じたのが、伯父だった。

 こうしてシズクと同じように、安心しきって伯父の腕に頭をのせて隣で寝たのをサンは思い出した。

 思春期で、他の男性に対する警戒心はあったが、伯父はそれをサンに抱かせなかった。本当に自然にサンと接して、2人の間に良い意味で何も生まれない距離感をとってくれていた。無償の愛だったと、サンは思う。穏やかで、優しかった。淡い恋心も抱いて、初恋もしていた。

 サンは過去を懐かしく思いながら、シズクを見つめた。

 シズクはどんな思春期を過ごしたのだろう。その頃の話はまだ、聞いていない。いじめにあっていたとは、聞いたことがあるけれど、詳しくは話してくれない。

 きっと、あの人がテレビで問題発言をした時だろうと、サンは思った。

 ワイドショーを見ながら、テレビの前でシズクを思って憤りを感じたことを覚えている。そんな資格は自分にはないのに。

 会いたくて仕方なかったのを思い出す。自分で手放したのに、都合が良すぎる感情だった。

 望んでできた命ではなかった。だから母親になる覚悟も決意もわかなかった。病気のせいで育てられる自信もなかった。自分が生きていくだけで、あの時は精一杯だった。

 妊娠がわかってから、サンは哲也の前から消えて、出産のあと2ヶ月だけ、生まれたばかりのシズクと過ごした。

 2ヵ月だけ。その間だけ、母親でいようとサンは決めていた。それがその時、自分が母親でいられる精一杯の時間だった。きっとあれ以上一緒に過ごしていても、自分の心は壊れていたと、サンは思う。望んでいなかった生活を続けることは、当時のサンには出来なかった。

 それでも、手放してから、人としての余裕が出来ていく度に、サンはシズクを想った。今の自分なら、もしかしたらシズクを迎えにいけるかもしれない。

 望んでいなくても、育てることが出来なくても、2ヵ月を過ごした娘を愛さないわけはなかった。

 この子の為に生きていくことも出来るかもしれない。でも、この子がいなくても生きていける自分でなければいけないと、サンはその時何故か強く思ったのを覚えている。

 だから哲也に預けた時も、寂しさはなかった。愛してはいた。でも、だからといって自分のすべてを捧げるだけの距離感をサンはシズクにはもたなかった。

 愛してるよ。そう心で呟いて、柔らかなシズクの頬を最後に撫でたのを覚えている。

 サンはあの時と同じように、手を伸ばしてシズクの頬を撫でた。

 同じ温もり。

 サンはシズクに愛の永遠を感じ、奇跡を見た。

 ずっとこのままでいられたらと思った。

 サンはでも、それは心のどこかで叶わないものだと感じていた。

 自分の運命はきっと、そういう風には出来ていない。

 せめて今だけ、許されるこの瞬間だけ、シズクを精一杯愛したいと思った。自分のすべての愛を、シズクに与えたかった。

 サンはシズクの頬に触れながら、歌を口ずさみはじめた。

 生まれたばかりのシズクによく歌った歌。

 DON'T WORRY ABOUT TOMORROW。

 歌の中で、サンはシズクに伝えていた。

 私がいなくても。あなたは守られるから。

 私も、ずっと側にいるから。離れていても。

 「その歌、覚えてる」

 寝言を言うように、シズクが目を閉じたまま、言った。

 「ああ、まぁ昔は有線とかで流れてたかもね」

 「違う。その歌聴きながら、寝てたの覚えてる」

 「嘘、ないない。だって、シズクにこれ歌ったの、シズクが生まれたばかりの時だよ」

 「でも覚えてる」

 シズクはそう言ってまた寝息をたてはじめた。

 サンは、ぽかんとしながら、シズクの寝顔を見つめた。

 2人の間の、小さな奇跡だった。



 MAYのラストライブを翌日に控えた日。

 レイジとショーコが、喫茶サンを訪れていた。

 レイジ達のバンドは、1つの決断を下していた。

 自分達に夢を与えてくれたMAYと共に、自分達も、この世界から去る。

 レイジの夢だったMAYとの共演が叶わなくなり、レイジがバンドマンとしての夢を追えなくなったのが、大きな理由だった。

 「他人の決断に自分の人生揺るがらされてさぁ、情けねーな」

 呆れた様子で、シズクはカウンターに頬杖をついて言った。

 「MAYのいない世界で音楽やる意味はないって気付いたんだ。それくらい、俺達皐月にとってMAYはすべてなんだよ」

 レイジは言って、アイスレモンティーを口に運んだ。

 「ショーコもそうなの?」

 「私は別にぃ。それと自分が歌うことは別かな。でもレイジがリーダーだから、レイジが決めたなら、別に解散は止めない」

 ショーコは、パーマをあてた髪を指先でくるくる遊ばせながら、言った。

 「まぁ、その程度なら解散したって後悔も何もないだろうし、いいんじゃないの。ダラダラ続けるよりは」

 シズクは言ってカウンターから立ち上がると、レイジとショーコの空いた皿を回収しはじめた。エプロンをして、シズクはちょっとだけサンの手伝いをしている。

 「その程度って、俺にとってはデカい決断なんだよ」

 少し不機嫌に、レイジが言った。

 「大袈裟ー。あんたらのレベルは弱小サッカー部の幽霊部員が引退決めるのと大して変わんねーって。誰も気にとめたりしないから」

 「幽霊部員って、何もしてねーじゃん!」

 レイジが突っ込むと、はははは、とショーコがケタケタ笑った。

 「あんたらじゃあ、何かしたの?人に影響与えるようなこと」

 「えー??あー、固定ファンが15人くらいいる、、、、」

 レイジはそこで、言葉を詰まらせた。

 「冷静に考えると、すっくな。これから増やすって意気込みでいたから気にならなかったけど、冷静に結果として受け入れたら、何もしてないのと一緒だ、俺達」

 「そうやってすぐシズクさんの言うことに呑まれるー。シズクさんと結婚したら絶対姉さん女房で尻に敷かれるね、レイジ」

 ショーコがにこにこしながら言うと、シズクが悪寒が走ったような顔をした。

 「気持ち悪いこと言うなよ。ありえねーから、こんなクズと結婚とか」

 「いや、こっちだってないって」

 レイジも顔を引き攣らせながら言った。

 「コウさん言ってたでしょー。その15人がお前達がバンドを続ける理由で、それ以上のものなんてないって。そこに感謝できなくなった人間にバンドやる資格なんてないって」

 ショーコが言うと、レイジがハッとなった。

 「あ、そうだった」

 「その言葉のまんまじゃん。レイジにはバンドやる資格がそもそもねーな」

 シズクは嫌味っぽく言うと、皿をカウンター越しにサンに渡した。

 サンは黙って受け取り、皿をシンクへと置いた。

 「感謝はしてる。でも、それと俺がバンド続けるのとは別問題」

 レイジは自分に言い聞かせるように、言った。

 「贅沢だよな、聞いてくれる人がいるのに辞めるなんてさ。売れなくてやめる連中って、そんなに金儲けがしたくてバンドやってんのかよって思うよ。それが目的だから人が集まらねーんだろ」

 「色々あるんだよ。何にもしてないシズクちゃんにはわからない葛藤とか夢を追いかけてる人間には」

 「そんな葛藤ゴミだ、ゴミ。いらねーの、人生には」

 「どうしてそういうこと言えんの?そんなんで生きてて楽しいの?」

 「楽しいですよー。毎日好きなことやってんだから」

 「そんなんじゃ人として成長できない」

 「何かしてたら、成長すんだって、人は。だったら好きなことだけして成長する方がいいじゃん。苦しいことの方が成長するなんて、ただの思い込みだからな」

 「好きなことだけして生きられるわけないじゃん」

 「いるじゃん、ここにそうしてる人間が」

 「シズクちゃんは恵まれてるからだって。お父さんが売れっ子の作家で、お金あるから」

 「ないならないを工夫して楽しめばいいだろ。その頭がないから好きなことだけして生きられないって思考になるんだよ」

 「楽しめって、どうやって?生きてくには働いていかなきゃいけないじゃん」

 「やりたい仕事やればいーじゃん、私みたいに転売とか、こうやって適当に手伝うとか」

 「稼げないだろ、それじゃあ!」

 「だったらヒモにでもなれよ。最低限自分の金は稼ぐイケメンなら、いくらでもいるよ、養ってくれる女」

 「ごめん、すっげームカついてきた」

 「器ちっせぇもんな」

 「なんで俺の器が小さいって発想になんの?シズクちゃんが滅茶苦茶なんだろ!」

 「キレてる時点でちっせぇよ、ばーか」

 シズクの言葉に、レイジはぐうの音もでなくなった。

 「ちょっとー、他のお客さんに迷惑だから静かにして」

 冷ややかに2人の会話を見ていたサンが言った。

 「いや、いねぇし、他に客」

 シズクが店内を見渡して、言った。

 「はーい、私がいまぁすぅ」

 ショーコがにこにこ朗らかに、右手をあげた。

 シズクは黙ってショーコに近づき、サッと手を上げてデコピンをした。

 「いたぁい。なんでー?」

 額に手をあてて、ショーコはシズクを見た。

 「明る過ぎなんだよ、最近。変なもんやってないよな?」

 「ひどーい。してませんん」

 ショーコはぷうっと頬を膨らませた。

 「ショーコ最近、地下アイドルもやってるから」

 ぼそっとレイジが言うと、ショーコがぎゃーっと顔を歪めた。

 「言わないでって言ったでしょ!!」

 「いいじゃん、シズクちゃんとはもう仲良いいんだから」

 「秘密にして売れて驚かせたかったの!」

 「売れないって。ショーコ自分の可愛さわかってないだろ?中の下だよ?」

 「可愛い子に言うみたいな言い方でディスらないでよ!」

 「あんたら結婚すれば?地下アイドルにヒモ志望の男って最強の組み合わせじゃん」

 「ないない、ショーコとはない。っていうか志望してないし、ヒモ」

 「私もこんな未練タラタラ男いらない。シズクちゃん知ってますぅ?レイジ本気でママさんに告白してフラれてぇ、死にそうだったんですぅ。それからずっと暗いしぃ〜、解散だってMAYを理由にしてるけどぉ、本当はママさんにフラれて自暴自棄になったからなんだよぉ」

 「ムカつく喋り方で言うな!そんなキャラ絶対売れないから!」

 「両方知ってるよ。レイジのことはサンがゲラゲラ笑って私に話してくれたよ、酔っ払って」

 「シズクー、ちょっとやめてくれる?」

 サンが半笑いで、言った。

 「ひどい、ママさん。あの時は真剣に俺と向き合ってくれたのに。心では笑ってたんだ」

 「笑うしかないじゃない。私幾つと思ってるの?それを中学生の初恋みたいなテンションで」

 サンは思い出して、また笑った。

 「俺の心はずっとあの頃のままです。はじめてママさんを見た時の衝撃は、他の人には絶対にわからない」

 「人はそれをただの一目惚れと初恋って言うんだよ。あんたがこじらせてるだけで」

 シズクが冷ややかに言った。

 「いや、これは絶対そんな軽いものじゃない」

 「積年の思いが頭おかしくしてるだけだって。恨んだりすんなよ。思い込み激しいやつは何するかわかんねーからな、自分でも」

 「恨むことだって、愛の裏返しだ」

 レイジが本気で言ったので、流石に3人はレイジに本気で引いた。

 「レイジ、本気でさ、ちょっと私が行ってるメンタルクリニック行こう」

 「そうした方がいいよ」

 ショーコも心配そうに言う。

 「私からもお願い。ごめん、笑ったりして」

 サンも謝り、レイジは3人に本気で心配されて、我に返った。

 「あ、ごめん。大丈夫。大丈夫だから」

 レイジは言うと、カウンターから立ち上がった。

 「ママさん、お金ここに置いときます」

 レイジはそう言って、小銭をカウンターに置くと、よろよろとドアに向かった。

 その背中を見ながら、シズクがぼそっと言う。

 「死ぬんじゃね?このまま放っといたら」

 「ショーコちゃん、付いて行ってあげて」

 サンが心配して言う。が、ショーコはレイジの背中を睨んでいる。

 「死ねばいい」

 ショーコが辛辣過ぎる口調で言ったので、流石のシズクも唖然とした。

 「何?どうしたショーコ」

 「情けなさ過ぎる。あんなレイジ死ねばいいの!!」

 ショーコはそう言うと、顔を両手で覆って、大声で泣き始めた。

 「ああ?どうした?なんで泣くの?」

 あたふたとシズクがショーコに近づき、ショーコの肩に手を添えたが、ショーコはその手を思いっきり払った。

 「いたっ」

 ショーコの爪が、シズクの手を傷つけた。

 ショーコは気にもとめず、泣き続ける。

 「好きだったのに!私ずっと好きだったのに!あんなの私が好きになったレイジじゃない!!」

 泣き続けるショーコをシズクはどうすることもできなかった。

 レイジは、ドアの前に立ち尽くしていた。ショーコの叫びは、聞こえていた。

 「うっせぇよ!!」

 レイジが怒鳴って、ショーコが静かになった。

 「夢見んなよ!!俺がショーコを助けたのは、バンドの為で!そういう男にならないとメンバー守れないって思ったからで!俺はそういう男じゃないんだって!ショーコの前で自分でない自分演じてた俺の辛さわかんのかよ!!」

 ショーコの涙が止まった。その顔は一瞬で軽蔑の表情に変わっていた。

 「最悪」

 ぽつり、ショーコが呟いた。

 「器ちっさ。まじでシズクさんの言うとおりじゃん。それ貫くのが男なのに、吐露っちゃう?それ押し殺して女の子守るのが男でしょ?」

 「は、、、はあ?」

 ショーコの変わりようにレイジは困惑した。

 「えーもう、まじて死んでレイジ。今からそこの路面電車に飛び込んで。死体はカラスの餌にするから」

 「こわいこわい。ショーコ本気だろ、それ」

 「本気だよ。なんなら私がこの手で背中押してあげよーか?」

 ショーコは狂気じみた目で立ち上がり、レイジの下へ歩き始めた。

 「来んな、来んな!」

 レイジは怯えてドアを開けて、店の外へ飛び出した。

 その後を猛スピードでショーコが追いかけ、店を出て行った。

 カランカランと乱暴にドアが鳴る。

 サンとシズクは呆気にとられて、しばらく黙っていた。

 「追いかけなくていいの?」

 サンが一応、シズクに訊いた。

 「ほっときゃいーでしょ。私はショーコが殺人犯になっても、ショーコを愛すよ」

 シズクは言うと、深呼吸をして、窓際のテーブル席に腰を下ろした。

 狂気じみたショーコに、病気の症状が酷かったかつての自分を見た気がした。

 「あれでショーコが正気なら、私達の病気ってなんなんだろ」

 シズクがぽつりと言うと、サンは首を振った。

 「わからないわ。まぁ、ショーコちゃんは一時的でしょ、多分」

 「一生続いたら、レイジは生地獄だな。死ぬまで追いかけるだろ、あの感じ。ショーコは」

 シズクは疲れた笑みを浮かべて、窓の外を見た。逃げ惑っているレイジが、向かいの喫茶サン専用駐車場に逃げ込み、車の影に隠れるのが見えた。しばらくして、狂気を纏ったショーコが、駐車場の前で辺りを見まわし、また走ってどこかへいった。

 レイジがそれを見て、走って喫茶サンに向かってくる。シズクは立ち上がってドアへ走ったが、一瞬早くレイジが店内に滑り込んだ。

 「戻ってくんなよ!」

 肩を揺らして、激しく呼吸しているレイジにシズクは言った。

 「灯台もと暮らし。ここには来ない、ショーコは」

 が、そう言った次の瞬間、ドアの外から足音が響き、ショーコが勢いよくドアを開けて入ってきた。

 「殺してやる!」

 ショーコはゼイゼイ息をいわせながら、レイジにつかみかかった。

 「ごめん、ごめんって。悪かったから、男になるから、これからは」

 ショーコの手を払いながら、レイジは言った。

 「許さない。女の心を弄んで」

 「そんなつもりないって。それは逆恨みだろ」

 「うるさい!」

 ショーコはレイジの右手を両手で掴むと、顔に引き寄せ、手を思いっきり噛んだ。

 「いってぇぇぇ!!」

 「やめろ、ショーコ!それは傷害になる」

 シズクが駆け寄り、ショーコを後ろからはがいじめにしたが、ショーコはレイジの手を掴んで噛んだまま離さない。

 サンもカウンターから出てきて、ショーコをレイジから離そうとしたが、自分もケガをしそうだったので、思いっきりショーコの頭を叩いた。

 その衝撃でショーコの口がレイジの右手から離れたので、シズクとサンでショーコをその隙にレイジから離した。レイジは右手を抑えて、店の奥へ逃げていった。

 ショーコはぎょろぎょろと後ろからはがいじめにしているシズクと正面にいるサンを交互に見てから、フッと糸が切れたように、気を失った。

 「重たい、、、」

 シズクは脱力したショーコの重みになんとか耐えながら、ショーコを床に寝かせた。

 「救急車呼ぶね」

 サンが言って、カウンターに戻っていく。

 「りえさんも呼ばないと」

 「シズクが電話して」

 サンは突っぱねるように言って、カウンターの中でスマホを耳にあてた。

 「あー、面倒くせぇな、もう」

 気怠そうに、シズクもスマホをジーンズのポケットから取り出す。

 床に横たわっているショーコは眠り姫のようだった。



 ショーコは気を失ったまま、救急車で運ばれた。

 レイジはショーコが起きた時に錯乱するといけないからと、タクシーで病院に向かった。

 りえはシズクの電話を受けてすぐに駆けつけ、ショーコに付き添って救急車に乗った。りえが着いた時には、ショーコが救急車に乗せられているところで、りえはそのまま喫茶サンの中には入らず、救急車に乗った。

 サンは、店の外には出なかった。

 なので、2人が顔を合わせることはなかった。

 夕方、閉店し、サンは翌日の仕込みを、シズクは片付けをしている。

 「なんで外に出なかったの?顔合わせたら、仲直りできたかもしれないじゃん」

 カウンターの中で、食洗機から出した皿を拭きながら、シズクが言った。

 「いいのよ。私から話しかける立場じゃないし」

 「りえさんも引っ込みつかなくなってるだけだって。大人なんだしさぁ、仲直りくらいちゃっと済ませようよ」

 「そうね。いつかね」

 「いつかっていつだよー」

 じれったそうにシズクが言った時、シズクのスマホに着信があった。

 シズクはスマホを手にとり、耳にあてた。

 着信は、レイジからだった。

 「もしもしー。ショーコどうだった?」

 レイジが喋る前に、シズクは訊いた。

 「ああ、まだ意識戻らないけど、多分大丈夫だろうって。意識が戻ったら、精神科に行くらしい」

 「まぁそうだろうな。あんたは?右手、大丈夫だった?」

 「ああ、平気。傷も浅かったから、消毒して、包帯巻いただけ」

 「そっか。じゃあな、お大事に」

 シズクがサッサと通話をやめようとすると、レイジが慌てて言葉を繋いだ。

 「あ、待って。シズクちゃん、明日予定ある?」

 「ないけど、なんで」

 「明日のMAYのライブ、ショーコいけないだろうから、シズクちゃん代わりに行かない?」

 「あー。後でショーコに恨まれんじゃないの?」

 「ああ、まぁ大丈夫でしょ。チケット代は払わなくていいから」

 「タダか。タダなら行こうかな」

 「そう。じゃあ、夜LINEするから」

 「了解。じゃあな」

 シズクは言って、通話を切った。

 「明日ショーコの代わりにレイジとMAYのライブに行くことになった」

 スマホをしまいながら、シズクはサンに言った。

 「よかったわね。じゃあ明日休んでいいよ。多分今日と同じで暇だろうし」

 「そう?じゃあ遠慮なく休むよ」

 「そうして頂戴」

 「サンさぁ、、、」

 「何?」

 「りえさんがショーコみたいに錯乱したら、友達やめる?」

 「やめないわよ」

 「だよな。そんな軽い仲じゃないよな。私とショーコもそうだよ」

 「よかったわ。そんな友達ができて」

 「りえさんも同じだって。サンのこと、簡単に切ったりしないよ。じゃなきゃ、ここで働くなんてできないよ」

 「わかってるわよ。今はでも、仕方ないでしょ」

 「まぁいいけどさ。私も手伝うの少し楽しいし。サンの娘ってだけで、みんな私に優しいもんな」

 「それは別に関係ないわよ。ウチにくるお客さんは皆んな優しいから」

 「あっそ。そうだ、りえさんにショーコが知ってること、言っといた方がいいんじゃない?」

 「あ、うーん。そうだね」

 「多分、それで心のバランス崩したんだろ、あの後から妙に明るくなったし、りえさんには知ってること言ってないみたいだから、普通に振る舞うのもストレスだったろ、多分」

 「かもね。シズク、りえに言ってくれない?」

 「また私?まーいいけど、話すの面倒だから、LINEにするよ」

 シズクは言ってスマホを出すと、りえへのLINEを打ちはじめた。

 しばくしてLINEを送信すると、りえからは了解しました、とだけ返信があった。

 「そっけねぇな。まだ怒ってんのか、りえさん」

 シズクがボヤくと、サンは仕込みの手を止めた。

 「許してもらえないかな」

 遠くを見つめながら、サンは言った。

 「大丈夫だって。いざとなったら、私が引きずってでも、ここに連れてくるから」

 「こじらせるだけよ、それじゃ」

 苦笑いを浮かべて、サンは言うとシズクの方を見た。

 「シズク、もしもね。私に何かあったら」

 「嫌な言い方すんなよ。サンがいなくなったら、私が困る」

 「もしもよ。いなくならないわよ、私は絶対シズクの前から。でも、何かあったら、伝えて。私はりえといられて楽しかったって」

 「そんな単純な言葉でいいの?もっと感動的な言葉にすれば?りえさんが号泣して罪悪感に打ちのめされるような」

 「打ちのめしてどうするの」

 サンは笑った。

 「そうね、じゃもう一つ。忘れないよ、って伝えて」

 「またシンプルだな。まぁいいよ。忘れるから、スマホにメモっとく」

 シズクはスマホを手に取った。

 「よろしくね」

 「はいよー」

 「お願いね。約束だよ?」

 「わかってるって」

 シズクは顔をあげて、サンを見た。サンの表情に、どこか寂しさと切なさを感じたような気がしたが、気のせいにした。

 いなくなるわけないよな。また私を捨てて、消えないよな。シズクは胸にわいた疑心を言葉にはしなかった。

 口にすれば、現実になってしまう気がしたから。

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