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グッバイ ハイドアウェイ  作者: 宗あると
14/22

14

 翌日、シズクは何だか気恥ずかしいような、でも早くサンに会って話したい気持ちを抱えたまま、夕方まで2階で過ごしていた。

 朝いつものようにお店に行こうとしたが、サンと顔を合わせるのが急に億劫になった。

 もう私がサンの娘だと知っていることを、きっとサンはりえさんから聞いているだろう、とシズクは思った。

 今まで他人だった人間が親とわかって、一体どう接すればいいのか、シズクにはわからなくなっていた。 

 サンが自分を嫌がることはないだろうと思いつつ、でも喜んではいないのではないかという疑心も浮かんでいた。

 喜べないから、りえさんに確認を頼んだのではないのか。私ひとりだけ、浮かれてしまわないように。

 喜べない理由。あるとしたら、父・哲也と母・静子の2人とのいざこざだろう。でも、自分はもう成人なわけだから、何も口出しさせなければいいと、シズクは自分を安心させた。

 サンが喜ばない理由もよく考えてみるとそれ以外は思いつかない。

 だって、もう2人で暮らす約束だってしている。

 大丈夫だと、シズクは自分に言い聞かせた。

 いつも通りでいい、サンだって、きっとそうだ。

 シズクは自分の両頬をパシッと両手で叩くと、部屋のドアを開けた。

 外は夕空で、空気は澄み、何故か懐かしい気持ちになった。

 サンの娘だとわかって、心が童心に帰っているのかもしれない。心の何処かでずっと望んでいた、純粋に愛すことが出来る母親との日々が、階段を降りて店に入れば、はじまる。ありふれた、当たり前の、大好きな母親と過ごす時間。子供の時に味わえなかった安心感を、これから自分は手にすることが出来る。

 シズクは、鉄階段をゆっくり降りた。足音に気付いたサンが、心の準備を出来るように。

 カン、カン、カンと夕方の空気に、音が響く。



 ラストオーダーの時間が迫っている店内には客はおらず、サンは食器を食洗機から出して片付けていた。

 カランとドアを鳴らしてシズクが入ってきても、サンは顔をドアの方へは向けなかった。

 シズクは、ドクドクと鼓動が早くなるのを感じながら、いつもの位置。カウンターの奥の椅子に歩いて、座った。

 サンは食器を片付けると、食洗機をパタンと閉めて、やっとシズクを見た。

 「遅いのね、今日は」

 いつものように、サンは言った。

 「まぁね。まだ作れる?」

 シズクもいつものように、言った。

 「出来るよ。トースト?」

 「玉子サンド。チーズ入れてくんない?」

 「了解」

 サンは冷蔵庫から食パンを取ると、手早く切り、玉子サンドの具をパンに乗せて挟んで、トースターに入れた。

 「チーズ」

 と、サンの手際を見つめていたシズクが言った。

 「ああ、ごめん」

 サンはトースターからサンドを取り出して、上の食パンを取って、チーズをたっぷりのせた。

 再びサンドをトースターに入れて、焼く。

 「お水ちょーだい」

 トースターの前に立っているサンに、シズクは言った。

 「ごめん」

 サンはグラスに氷を入れた所で手を滑らせ、グラスを落とした。ガン、とシンクから音がした。

 「ぐだぐだじゃん、大丈夫?」

 ハハッとシズクは笑った。

 「大丈夫よ。別に何でもない」

 サンは言って、グラスが割れていないことを確認してポットから水を注いで、シズクに出した。

 シズクは出されたお冷をひとくち飲んでから、口を開いた。

 「なぁ、私達、今まで通りでいいよな?」

 「そうね」

 静かにサンは答えて、シズクの方を見ると、一言続けた。

 「ありがとう」

 「何、急に」

 シズクは、笑ってみせた。

 「母親にさせてくれて。娘になってくれて」

 「やめろよ、いつも通りでいいって」

 そう言ったシズクの声は、涙声だった。

 「ありがと」

 サンは左手で口を抑え、声を震わせた。

 やっと手にした母娘の幸せを、2人は同じように噛みしめていた。



 「りえさんって、束縛するタイプなの?」

 シズクは昨日のりえの様子を話して、ストレートにサンに聞いた。もう何も気を使う必要もないだろうと、シズクは思った。

 「別にそんなことないよ。高校の時は、色々かまってくれたけど、束縛って感じじゃなかった」

 「昨日さ、サンは私が守らなきゃって、怒ってさ」

 「りえが?守ってもらってる感覚はないけど、私には」

 「サンも知らないんだ。なんか2人に秘密があると思ったのに」

 シズクはちぇっと、口を尖らせた。

 「あったとしても、面白がって聞くことじゃないわよね」

 「こんなに面白いこと、ない」

 悪戯にシズクは笑った。

 「本当の母親がわかったって、性格はなおんないか」

 「残念でした。私が変わることはない」

 シズクは言い、玉子チーズサンドを頬張った。

 その時、カランとドアが鳴って、女性がひとり入ってきた。

 サンがいらっしゃいませ、というのも聞かず、女性はずんずんとカウンターに近づいてくると立ち止まり、じっとサンを見つめた。

 サンも女性を見つめると、あっ、と声を出した。

 「クッキー!」

 「サン、だよね、やっぱり」

 「えー、久しぶり。よくわかったね」

 「窓から中見えて、もしかしてと思ったの」

 「あー視力良かったもんね」

 「今はもう全然よ。それにしてもサン若いね。全然老けてない」

 「そんなことないよ」

 サンは苦笑した。

 「クッキーだって、すぐわかったし、変わってないよ」

 「そう?まぁ美魔女とはよく言われるけど」

 「何か食べてく?」

 「いや、ごめん。ほんとにサンか確認したかっただけで、この後予定あるから、また今度来るわ」

 「えー、そうなの」

 「ごめん、ごめん、冷やかしみたいになっちゃって」

 「いいよ、別に。会えてよかった。また来てね」

 「うん、絶対来る」

 クッキーはそう言い、帰ろうと踵を返した。その時、カランとドアが鳴り、りえが入ってきた。

 りえは店内を見渡すと、サンに言った。

 「もう掃除道具おろしていい?」

 「え?ああ、うん。まぁ今日はもういいかな」

 「じゃあ、取ってくる」

 りえはそう言い、出て行った。

 カランとドアが鳴る。

 「え?今のマチルダ?」

 肩越しに振り返り、クッキーはサンに言った。

 「そうだよ。気づかなかったね、クッキーに」

 「まぁもうずっと会ってないし」

 クッキーは言って、サンをジロジロと見つめた。

 「何?」

 「一緒に働いてるってことは、もう知ってるんだよね」

 「何を?」

 サンは眉を寄せた。何か嫌な予感がした。

 「高校の時の話」

 クッキーはそう言って、カウンターにいるシズクに目を向けた。

 「娘だから、気にせず話して」

 視線に気付いて、サンは言った。

 「あっ、そうなの。はじめまして。お母さんの高校時代の同級生の矢中詩織です」

 クッキーはシズクに会釈した。

 「こちらこそ、サンの娘のシズクです」

 「娘にあだ名で呼ばれてるの?」

 クッキーは驚いた顔をした。

 「ちょっと事情があるの。それより、何なのさっきのは」

 「ああ、うん。サン、マチルダが高3の時、ヤンキー連中にレイプされたの、知ってるんだよね?」

 サンの顔が蒼白になった。

 シズクもぎょっと目を丸くした。

 「知らない、なんで、そんなこと聞いたことない」

 「ごめん。知らないなら、その方がよかったかも」

 「なんで、私だけ知らないの?」

 「だって、原因が。サンが喧嘩売った連中が、サンへの腹いせにやったんだよ」

 「嘘、、、」

 サンの頭に高校時代の記憶が蘇った。

 確かにあった。りえが顔に傷を負って、無理に笑っていると感じた時。自転車で転んだと言っていた。大して、気にもとめなかった。

 シズクはりえが戻ってこないかと、窓の外を見ていた。

 「ごめん。一緒に働いてるなら、もう知ってるんだと思った。マチルダが卒業してから引っ越したの、それが原因だったし、多分サンとはもう会いたくなかったんじゃないかな。それが一緒にいるから、てっきり」

 「知らない、そんなの。私、何も知らない!」

 サンが声を荒げたので、シズクはビクッとなった。

 「ごめん。私もう行くから。ごめんね」

 クッキーはそう言って、申し訳なさそうに、店から出て行った。

 カラン、とドアが鳴る。

 サンは蒼白の顔で、唇を噛み締めていた。

 必死に冷静にいようとしてるのが、シズクにはわかった。

 またカランとドアが鳴り、掃除道具を持ったりえが入ってきた。りえはドア付近に掃除道具を置くと、サンを見た。

 「さっきの人、帰りだったの?」

 りえの問いに、サンは小声で、うん、と答えた。

 「そう。もう看板さげとくね」

 りえがそう言って、外に出ようとした時、サンが大声をあげた。

 「なんで!!!」

 りえが驚いて振り返ると、怒りに似た表情で、目に涙を浮かべたサンが、こちらを見ていた。

 「なんで何も言ってくれないの!!」

 りえは、一瞬訝し気な顔をして、でもすぐにサンの怒りの理由を察したようだった。

 りえは黙って歩いて、カウンターに近づいてきた。

 「シズク、ちょっと上行ってて」

 荒い口調で、サンが言った。

 「ああ、、、うん」

 シズクは残って顛末を見届けたかったが、渋々立ち上がった。

 「居ていいよ、シズクちゃん。むしろ居て頂戴」

 りえも殺気立っていた。

 「ええ〜どっちだよ」

 シズクはふざけた声で言ったが、2人は無視した。

 「じゃあ、とりあえず私が看板下げとくね」

 シズクはそう言って、一端外に出た。



 外に出ると、丁度昼間よくみかける常連客の男女2人組が入ろうとしている所だった。

 「すいません、今日はもうお終いなんです」

 にこやかに、シズクは言った。

 「え?でもまだラストオーダーじゃ、、、」

 腕時計を見て、男性客が言った。

 「今日はごめんなさい、もうお終いなんです」

 「あの、失礼ですけど、お店の関係者ですか?」

 訝し気に、女性が言った。

 なに?私なんか疑われてんの?黙って帰れよ。せっかく面白くなってんのに、見逃すだろ。

 「ああ〜。はじめまして。私、店主の娘のシズクっていいます。今日は母の体調がすぐれなくて」

 店主の娘、というワードに、男女は納得顔になった。

 「そうなんですか。やっぱり娘さんいたんだ」

 女性が言った。

 「ですよね〜。あんな綺麗な方が独身なわけないですよね。失礼しました」

 男性がそういうと、2人は頭を下げて、去っていった。

 シズクは一瞬にして不審者から脱した『喫茶サンの娘』という肩書きに、にやりと笑みを浮かべた。

 これは何か上手く使えるかもしれない。

 悪戯に微笑みながら、シズクはプレートをクローズにして、看板を抱えて、店内に戻った。



 「そんなので守ってると思わないで!!」

 サンが、涙声で怒鳴っていた。

 りえは一瞬押し黙った。感情を抑えているのが、ドアの前にいるシズクにも伝わってきた。

 「なんでそんなこと言えるの」

 りえの声は、苛立っていた。

 「もしあの時私が話してたら、サンどうなってた?一生罪の意識背負いこんで、こんな風に生きてられなかったよね」

 「知らないで、のうのうと生きてるよりいい!!」

 「そんなわけないでしょ!!弱いくせに!私が守ってなきゃ、サンだってどうなってたかわからないんだよ?サンがあんな目にあったら、絶対生きていけない」

 「何それ、弱いのは自分でしょ?自分が酷い目にあったトラウマを、私を守るとか言って、向き合わないようにしてるだけじゃん!」

 「なっ、、、」

 りえは困惑した顔になった。ずっと自分は強いと思っていた。いや、サンを守る為に強くなきゃいけないと。でも、私をこうさせたのは、向こうみずなことをしたサンのせいでもある。弱いくせに。それなのに、こんな言い方は酷い。

 「サンだって、自分のしたことと向き合えてないでしょ。大事なこと、シズクちゃんに直接言わないで私に言わせて」

 「言わせてない!話し合ってそうした方が良いってなったじゃん!」

 「何よ、自分はいいの?シズクちゃんを捨てたトラウマからずっと逃げてたくせに。すぐ認めてあげてたら、シズクちゃん、頭が変になることなかったんじゃないの?」

 サンの目に怒りが宿るのが、シズクにはわかった。りえさんは、言ってはいけないことを言ってしまったと、シズクは思った。

 「謝って、シズクに」

 「なんでシズクちゃんに謝るの?悪いのはサンでしょ。私は事実を言ったんじゃない。サンのせいでこうなったって。ほら、自分のしたことと向き合えない。そんなのであの時、私が言ってたら」

 「やめてよ。シズクは私のせいでこうなったんじゃないから。謝って」

 「サンだって謝ってよ!私がレイプされたの、サンのせいでしょ!!」

 りえの放った言葉が、サンを傷付けたのが、シズクにはわかった。認めたくなかったこと。りえの口から直接そう言われるまでは、心を誤魔化せたこと。

 サンの目から涙が溢れていた。

 ひっく、ひっく、と泣きそうになっている。

 「泣きたいのはこっちよ」

 刺々しくりえは言った。

 りえももう、引き下がれないほど、怒っていた。サンの言う通り、向き合ってこなかったトラウマと怒りが、サンの言葉で溢れ出していた。

 「だって、だって」

 サンが子供がぐずるような声を出したので、シズクは驚いた。これが、りえさんがサンを守らなきゃと思わせたサンなのかもしれない。

 「そんなことになるなんて、思わないもん」

 「やめてよ。本当に、高校の時もそうやって、子供みたいに泣いて。いつも私があやしてさ。守んなきゃって思うでしょ。それを何?私が弱い?サンが強かったら、私だってこんな風になってない」

 「ごめん、ごめん。ごめんなさい」

 サンは膝をついて、床に崩れた。頭を抱えて、額を床につけている。

 サンはごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら言い続けた。

 りえは、そんなサンを見ずに、拗ねたように宙を見つめていた。

 シズクはサンの側に駆け寄り、しゃがんでサンの背中をさすった。

 「サン、もういいよ。わかってるよ、りえさんも。サンは悪くないよ。悪いのはりえさんを犯った最低なヤツらだ。サンが悪いんじゃない」

 シズクの言葉は聞こえていないのか、サンは泣き続けた。

 「やめてよ、サン。こんなサン見たくない。いつもみたいに冷静でいてよ」

 「駄目だよ、こうなるとサンは。本当に子供みたいになるから。再会してから、変わったのかなって思ったけど、やっぱり一緒だったね」

 「誰だってこうなるって。自分のせいで友達がレイプされたなんて知ったら」

 苛立った声で、シズクは言った。

 「友達いないのにわかるの」

 「何拗ねてんだよ!守りたかったんじゃないのかよ!サンのこと!!」

 「何よ。なんでシズクちゃんに怒られなきゃいけないの」

 「あんた言っとくけどな、私がおかしくなったのは、サンのせいじゃないからな!勘違いすんなよ!」

 りえは何か言い返そうとして、黙った。

 しばらく沈黙が流れた。

 サンの鼻を啜る音とジャズの音色が静かに響く。

 「シズク、ごめん」

 サンが震える声で、不意に言った。

 「何?」

 「私のせいなの」

 「違うよ。サンのせいじゃないって。私は自分で自分をおかしくしたんだ」

 「違うの。私もなの。私も薬飲んでるの。普段ちゃんとしてられるのは、そのおかげなの」

 「はあ?いや、え?だからって、遺伝とかあんの?こういう病気」

 「わかんないけど、ずっと私のせいだと思ってた」

 「あーあ。ますます早く言ってたら、シズクちゃん楽だったのに」

 りえはまだ、感情を抑えられずにいた。

 「黙れよ」

 シズクは凄んだ。

 「サンのせいじゃないって。仕方ないって。別に遺伝でも、サンを恨んだりしないよ、私は」

 「怖かった。もし、自分と同じような子供が産まれて、私のこと恨んだらって思ったら。私は側にいない方が幸せなんじゃないかと思った」

 「逃げただけでしょ」

 呆れたように、りえが言った。

 「本当に黙れって」

 シズクはりえを睨んだ。

 「子供が自分と同じ病気なら、尚更受け止められるのは親だけじゃない。自分が嫌われたくなかっただけでしょ。本当に子供、サンは」

 「この病気はなった人間にしかわからないんだよ。わかったヅラすんな」

 「あっそう。まぁ親子同士これからは支え合って生きていきなよ」

 りえはそう言うと、椅子から立ち上がった。

 「待って、りえ。私達、これからも同じだよね」

 消えそうな声で、サンが言った。

 「ごめん、ちょっと考えさせて。しばらく来ないかも。冬は閑散期だし、大丈夫でしょ?駄目だったら、シズクちゃんに手伝ってもらいなよ」

 りえは言って、ドアへ歩いて行った。

 「りえ!」

 サンが呼び止めたが、りえは止まらず、カランとドアを鳴らし、出て行った。

 サンが啜り泣く声が、響く。

 「いや、手伝うとか、私絶対無理だからな!」

 シズクは誰に言うわけでもなく、宙に言葉を放った。

 

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