14
翌日、シズクは何だか気恥ずかしいような、でも早くサンに会って話したい気持ちを抱えたまま、夕方まで2階で過ごしていた。
朝いつものようにお店に行こうとしたが、サンと顔を合わせるのが急に億劫になった。
もう私がサンの娘だと知っていることを、きっとサンはりえさんから聞いているだろう、とシズクは思った。
今まで他人だった人間が親とわかって、一体どう接すればいいのか、シズクにはわからなくなっていた。
サンが自分を嫌がることはないだろうと思いつつ、でも喜んではいないのではないかという疑心も浮かんでいた。
喜べないから、りえさんに確認を頼んだのではないのか。私ひとりだけ、浮かれてしまわないように。
喜べない理由。あるとしたら、父・哲也と母・静子の2人とのいざこざだろう。でも、自分はもう成人なわけだから、何も口出しさせなければいいと、シズクは自分を安心させた。
サンが喜ばない理由もよく考えてみるとそれ以外は思いつかない。
だって、もう2人で暮らす約束だってしている。
大丈夫だと、シズクは自分に言い聞かせた。
いつも通りでいい、サンだって、きっとそうだ。
シズクは自分の両頬をパシッと両手で叩くと、部屋のドアを開けた。
外は夕空で、空気は澄み、何故か懐かしい気持ちになった。
サンの娘だとわかって、心が童心に帰っているのかもしれない。心の何処かでずっと望んでいた、純粋に愛すことが出来る母親との日々が、階段を降りて店に入れば、はじまる。ありふれた、当たり前の、大好きな母親と過ごす時間。子供の時に味わえなかった安心感を、これから自分は手にすることが出来る。
シズクは、鉄階段をゆっくり降りた。足音に気付いたサンが、心の準備を出来るように。
カン、カン、カンと夕方の空気に、音が響く。
ラストオーダーの時間が迫っている店内には客はおらず、サンは食器を食洗機から出して片付けていた。
カランとドアを鳴らしてシズクが入ってきても、サンは顔をドアの方へは向けなかった。
シズクは、ドクドクと鼓動が早くなるのを感じながら、いつもの位置。カウンターの奥の椅子に歩いて、座った。
サンは食器を片付けると、食洗機をパタンと閉めて、やっとシズクを見た。
「遅いのね、今日は」
いつものように、サンは言った。
「まぁね。まだ作れる?」
シズクもいつものように、言った。
「出来るよ。トースト?」
「玉子サンド。チーズ入れてくんない?」
「了解」
サンは冷蔵庫から食パンを取ると、手早く切り、玉子サンドの具をパンに乗せて挟んで、トースターに入れた。
「チーズ」
と、サンの手際を見つめていたシズクが言った。
「ああ、ごめん」
サンはトースターからサンドを取り出して、上の食パンを取って、チーズをたっぷりのせた。
再びサンドをトースターに入れて、焼く。
「お水ちょーだい」
トースターの前に立っているサンに、シズクは言った。
「ごめん」
サンはグラスに氷を入れた所で手を滑らせ、グラスを落とした。ガン、とシンクから音がした。
「ぐだぐだじゃん、大丈夫?」
ハハッとシズクは笑った。
「大丈夫よ。別に何でもない」
サンは言って、グラスが割れていないことを確認してポットから水を注いで、シズクに出した。
シズクは出されたお冷をひとくち飲んでから、口を開いた。
「なぁ、私達、今まで通りでいいよな?」
「そうね」
静かにサンは答えて、シズクの方を見ると、一言続けた。
「ありがとう」
「何、急に」
シズクは、笑ってみせた。
「母親にさせてくれて。娘になってくれて」
「やめろよ、いつも通りでいいって」
そう言ったシズクの声は、涙声だった。
「ありがと」
サンは左手で口を抑え、声を震わせた。
やっと手にした母娘の幸せを、2人は同じように噛みしめていた。
「りえさんって、束縛するタイプなの?」
シズクは昨日のりえの様子を話して、ストレートにサンに聞いた。もう何も気を使う必要もないだろうと、シズクは思った。
「別にそんなことないよ。高校の時は、色々かまってくれたけど、束縛って感じじゃなかった」
「昨日さ、サンは私が守らなきゃって、怒ってさ」
「りえが?守ってもらってる感覚はないけど、私には」
「サンも知らないんだ。なんか2人に秘密があると思ったのに」
シズクはちぇっと、口を尖らせた。
「あったとしても、面白がって聞くことじゃないわよね」
「こんなに面白いこと、ない」
悪戯にシズクは笑った。
「本当の母親がわかったって、性格はなおんないか」
「残念でした。私が変わることはない」
シズクは言い、玉子チーズサンドを頬張った。
その時、カランとドアが鳴って、女性がひとり入ってきた。
サンがいらっしゃいませ、というのも聞かず、女性はずんずんとカウンターに近づいてくると立ち止まり、じっとサンを見つめた。
サンも女性を見つめると、あっ、と声を出した。
「クッキー!」
「サン、だよね、やっぱり」
「えー、久しぶり。よくわかったね」
「窓から中見えて、もしかしてと思ったの」
「あー視力良かったもんね」
「今はもう全然よ。それにしてもサン若いね。全然老けてない」
「そんなことないよ」
サンは苦笑した。
「クッキーだって、すぐわかったし、変わってないよ」
「そう?まぁ美魔女とはよく言われるけど」
「何か食べてく?」
「いや、ごめん。ほんとにサンか確認したかっただけで、この後予定あるから、また今度来るわ」
「えー、そうなの」
「ごめん、ごめん、冷やかしみたいになっちゃって」
「いいよ、別に。会えてよかった。また来てね」
「うん、絶対来る」
クッキーはそう言い、帰ろうと踵を返した。その時、カランとドアが鳴り、りえが入ってきた。
りえは店内を見渡すと、サンに言った。
「もう掃除道具おろしていい?」
「え?ああ、うん。まぁ今日はもういいかな」
「じゃあ、取ってくる」
りえはそう言い、出て行った。
カランとドアが鳴る。
「え?今のマチルダ?」
肩越しに振り返り、クッキーはサンに言った。
「そうだよ。気づかなかったね、クッキーに」
「まぁもうずっと会ってないし」
クッキーは言って、サンをジロジロと見つめた。
「何?」
「一緒に働いてるってことは、もう知ってるんだよね」
「何を?」
サンは眉を寄せた。何か嫌な予感がした。
「高校の時の話」
クッキーはそう言って、カウンターにいるシズクに目を向けた。
「娘だから、気にせず話して」
視線に気付いて、サンは言った。
「あっ、そうなの。はじめまして。お母さんの高校時代の同級生の矢中詩織です」
クッキーはシズクに会釈した。
「こちらこそ、サンの娘のシズクです」
「娘にあだ名で呼ばれてるの?」
クッキーは驚いた顔をした。
「ちょっと事情があるの。それより、何なのさっきのは」
「ああ、うん。サン、マチルダが高3の時、ヤンキー連中にレイプされたの、知ってるんだよね?」
サンの顔が蒼白になった。
シズクもぎょっと目を丸くした。
「知らない、なんで、そんなこと聞いたことない」
「ごめん。知らないなら、その方がよかったかも」
「なんで、私だけ知らないの?」
「だって、原因が。サンが喧嘩売った連中が、サンへの腹いせにやったんだよ」
「嘘、、、」
サンの頭に高校時代の記憶が蘇った。
確かにあった。りえが顔に傷を負って、無理に笑っていると感じた時。自転車で転んだと言っていた。大して、気にもとめなかった。
シズクはりえが戻ってこないかと、窓の外を見ていた。
「ごめん。一緒に働いてるなら、もう知ってるんだと思った。マチルダが卒業してから引っ越したの、それが原因だったし、多分サンとはもう会いたくなかったんじゃないかな。それが一緒にいるから、てっきり」
「知らない、そんなの。私、何も知らない!」
サンが声を荒げたので、シズクはビクッとなった。
「ごめん。私もう行くから。ごめんね」
クッキーはそう言って、申し訳なさそうに、店から出て行った。
カラン、とドアが鳴る。
サンは蒼白の顔で、唇を噛み締めていた。
必死に冷静にいようとしてるのが、シズクにはわかった。
またカランとドアが鳴り、掃除道具を持ったりえが入ってきた。りえはドア付近に掃除道具を置くと、サンを見た。
「さっきの人、帰りだったの?」
りえの問いに、サンは小声で、うん、と答えた。
「そう。もう看板さげとくね」
りえがそう言って、外に出ようとした時、サンが大声をあげた。
「なんで!!!」
りえが驚いて振り返ると、怒りに似た表情で、目に涙を浮かべたサンが、こちらを見ていた。
「なんで何も言ってくれないの!!」
りえは、一瞬訝し気な顔をして、でもすぐにサンの怒りの理由を察したようだった。
りえは黙って歩いて、カウンターに近づいてきた。
「シズク、ちょっと上行ってて」
荒い口調で、サンが言った。
「ああ、、、うん」
シズクは残って顛末を見届けたかったが、渋々立ち上がった。
「居ていいよ、シズクちゃん。むしろ居て頂戴」
りえも殺気立っていた。
「ええ〜どっちだよ」
シズクはふざけた声で言ったが、2人は無視した。
「じゃあ、とりあえず私が看板下げとくね」
シズクはそう言って、一端外に出た。
外に出ると、丁度昼間よくみかける常連客の男女2人組が入ろうとしている所だった。
「すいません、今日はもうお終いなんです」
にこやかに、シズクは言った。
「え?でもまだラストオーダーじゃ、、、」
腕時計を見て、男性客が言った。
「今日はごめんなさい、もうお終いなんです」
「あの、失礼ですけど、お店の関係者ですか?」
訝し気に、女性が言った。
なに?私なんか疑われてんの?黙って帰れよ。せっかく面白くなってんのに、見逃すだろ。
「ああ〜。はじめまして。私、店主の娘のシズクっていいます。今日は母の体調がすぐれなくて」
店主の娘、というワードに、男女は納得顔になった。
「そうなんですか。やっぱり娘さんいたんだ」
女性が言った。
「ですよね〜。あんな綺麗な方が独身なわけないですよね。失礼しました」
男性がそういうと、2人は頭を下げて、去っていった。
シズクは一瞬にして不審者から脱した『喫茶サンの娘』という肩書きに、にやりと笑みを浮かべた。
これは何か上手く使えるかもしれない。
悪戯に微笑みながら、シズクはプレートをクローズにして、看板を抱えて、店内に戻った。
「そんなので守ってると思わないで!!」
サンが、涙声で怒鳴っていた。
りえは一瞬押し黙った。感情を抑えているのが、ドアの前にいるシズクにも伝わってきた。
「なんでそんなこと言えるの」
りえの声は、苛立っていた。
「もしあの時私が話してたら、サンどうなってた?一生罪の意識背負いこんで、こんな風に生きてられなかったよね」
「知らないで、のうのうと生きてるよりいい!!」
「そんなわけないでしょ!!弱いくせに!私が守ってなきゃ、サンだってどうなってたかわからないんだよ?サンがあんな目にあったら、絶対生きていけない」
「何それ、弱いのは自分でしょ?自分が酷い目にあったトラウマを、私を守るとか言って、向き合わないようにしてるだけじゃん!」
「なっ、、、」
りえは困惑した顔になった。ずっと自分は強いと思っていた。いや、サンを守る為に強くなきゃいけないと。でも、私をこうさせたのは、向こうみずなことをしたサンのせいでもある。弱いくせに。それなのに、こんな言い方は酷い。
「サンだって、自分のしたことと向き合えてないでしょ。大事なこと、シズクちゃんに直接言わないで私に言わせて」
「言わせてない!話し合ってそうした方が良いってなったじゃん!」
「何よ、自分はいいの?シズクちゃんを捨てたトラウマからずっと逃げてたくせに。すぐ認めてあげてたら、シズクちゃん、頭が変になることなかったんじゃないの?」
サンの目に怒りが宿るのが、シズクにはわかった。りえさんは、言ってはいけないことを言ってしまったと、シズクは思った。
「謝って、シズクに」
「なんでシズクちゃんに謝るの?悪いのはサンでしょ。私は事実を言ったんじゃない。サンのせいでこうなったって。ほら、自分のしたことと向き合えない。そんなのであの時、私が言ってたら」
「やめてよ。シズクは私のせいでこうなったんじゃないから。謝って」
「サンだって謝ってよ!私がレイプされたの、サンのせいでしょ!!」
りえの放った言葉が、サンを傷付けたのが、シズクにはわかった。認めたくなかったこと。りえの口から直接そう言われるまでは、心を誤魔化せたこと。
サンの目から涙が溢れていた。
ひっく、ひっく、と泣きそうになっている。
「泣きたいのはこっちよ」
刺々しくりえは言った。
りえももう、引き下がれないほど、怒っていた。サンの言う通り、向き合ってこなかったトラウマと怒りが、サンの言葉で溢れ出していた。
「だって、だって」
サンが子供がぐずるような声を出したので、シズクは驚いた。これが、りえさんがサンを守らなきゃと思わせたサンなのかもしれない。
「そんなことになるなんて、思わないもん」
「やめてよ。本当に、高校の時もそうやって、子供みたいに泣いて。いつも私があやしてさ。守んなきゃって思うでしょ。それを何?私が弱い?サンが強かったら、私だってこんな風になってない」
「ごめん、ごめん。ごめんなさい」
サンは膝をついて、床に崩れた。頭を抱えて、額を床につけている。
サンはごめんなさい、ごめんなさい、と泣きながら言い続けた。
りえは、そんなサンを見ずに、拗ねたように宙を見つめていた。
シズクはサンの側に駆け寄り、しゃがんでサンの背中をさすった。
「サン、もういいよ。わかってるよ、りえさんも。サンは悪くないよ。悪いのはりえさんを犯った最低なヤツらだ。サンが悪いんじゃない」
シズクの言葉は聞こえていないのか、サンは泣き続けた。
「やめてよ、サン。こんなサン見たくない。いつもみたいに冷静でいてよ」
「駄目だよ、こうなるとサンは。本当に子供みたいになるから。再会してから、変わったのかなって思ったけど、やっぱり一緒だったね」
「誰だってこうなるって。自分のせいで友達がレイプされたなんて知ったら」
苛立った声で、シズクは言った。
「友達いないのにわかるの」
「何拗ねてんだよ!守りたかったんじゃないのかよ!サンのこと!!」
「何よ。なんでシズクちゃんに怒られなきゃいけないの」
「あんた言っとくけどな、私がおかしくなったのは、サンのせいじゃないからな!勘違いすんなよ!」
りえは何か言い返そうとして、黙った。
しばらく沈黙が流れた。
サンの鼻を啜る音とジャズの音色が静かに響く。
「シズク、ごめん」
サンが震える声で、不意に言った。
「何?」
「私のせいなの」
「違うよ。サンのせいじゃないって。私は自分で自分をおかしくしたんだ」
「違うの。私もなの。私も薬飲んでるの。普段ちゃんとしてられるのは、そのおかげなの」
「はあ?いや、え?だからって、遺伝とかあんの?こういう病気」
「わかんないけど、ずっと私のせいだと思ってた」
「あーあ。ますます早く言ってたら、シズクちゃん楽だったのに」
りえはまだ、感情を抑えられずにいた。
「黙れよ」
シズクは凄んだ。
「サンのせいじゃないって。仕方ないって。別に遺伝でも、サンを恨んだりしないよ、私は」
「怖かった。もし、自分と同じような子供が産まれて、私のこと恨んだらって思ったら。私は側にいない方が幸せなんじゃないかと思った」
「逃げただけでしょ」
呆れたように、りえが言った。
「本当に黙れって」
シズクはりえを睨んだ。
「子供が自分と同じ病気なら、尚更受け止められるのは親だけじゃない。自分が嫌われたくなかっただけでしょ。本当に子供、サンは」
「この病気はなった人間にしかわからないんだよ。わかったヅラすんな」
「あっそう。まぁ親子同士これからは支え合って生きていきなよ」
りえはそう言うと、椅子から立ち上がった。
「待って、りえ。私達、これからも同じだよね」
消えそうな声で、サンが言った。
「ごめん、ちょっと考えさせて。しばらく来ないかも。冬は閑散期だし、大丈夫でしょ?駄目だったら、シズクちゃんに手伝ってもらいなよ」
りえは言って、ドアへ歩いて行った。
「りえ!」
サンが呼び止めたが、りえは止まらず、カランとドアを鳴らし、出て行った。
サンが啜り泣く声が、響く。
「いや、手伝うとか、私絶対無理だからな!」
シズクは誰に言うわけでもなく、宙に言葉を放った。




